「我々は何を見せられたのだろうか。」スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け マラサイさんの映画レビュー(感想・評価)
我々は何を見せられたのだろうか。
思えばフォースの覚醒が始まってから実に4年という月日が経過していた。まさかそれが悪夢の始まりだとは誰が予想していただろうか?
まず本題に入る前にディズニー製スターウォーズのおさらいをしておこう。
なお以下の文は全て私の個人的考察に基づく。
2015年に公開された『スターウォーズ フォースの覚醒』は私にとって非常に残念な作品であった。なぜか??
それは圧倒的に主人公のレイに魅力が欠けていたからだ。なぜそもそもの話レジスタンスに所属することになったのか?何の目的があってそうなったのか?フォースが覚醒したからといってボスキャラをフルボッコとは何ぞや?しかも彼女がいたからフォースの覚醒という映画の中の世界において何か宇宙を左右する出来事があっただろうか(つまりポーのようにスターキラーを破壊し、ファーストオーダーというフォースの覚醒の世界において強大な敵の勢力を弱める等の活躍)?
と、他にもあるが以上の理由により全く好感が持てないキャラであった。
映画とは主人公が重要であるはずで、そこがブレているせいで終始楽しめない物となってしまった。
しかも作りはエピソード4のほぼ焼き直し。
ハンやチューイ、ファルコンなどの旧作の遺物に頼りきり。一言で表せば「保守」的な内容であったことは間違いないだろう。
では続く『ローグワン スターウォーズストーリー』はどうであったか?
多少のツッコミどころは擁護しかねるが、ほぼ新キャラのみで話を進め勝負した作品であり、これは私は非常に良い作品であると思う。
なんだ、普通に作れば面白いスターウォーズ作れるじゃん、
果たしてその甘い期待は脆くも崩れさった。
なぜなら2017年に公開された『スターウォーズ 最後のジェダイ』を見たからだ。
CMの出来や、ルークvsカイロ・レンという黄金クラスの対戦カード、これに期待し、何ならスターウォーズ最高傑作になるのでは?と心躍らせた私が愚かであった。
ルークの人物像の悪化、
フォースの定義(クローンウォーズやらでやってますよの反論は以前レビューした最後のジェダイのところで言及済み)
スターウォーズとして見なくても面白くないストーリー(外さなくてもいい所で羽目を外す等)
などなど、挙げればキリが無いのでこの辺にしておくが無論凄まじい賛否が分かれた作品になった。
まさかここまで酷い作品を作り上げるとは、と落胆を通り越して感心の心が芽生えるほどに至ったくらいである。
これは一言で表せばバリバリ「革新」であったと見ていいかもしれない(それでも旧作のシーンでお涙頂戴などまた遺物に頼ってる場面も多々あるが)。
「保守」もダメ、「革新」もダメ。
ではお前らは何がいいんだ?と疑問に思う肯定派はいて当然であろう。
私はこう返す。
「面白い映画ならそれでいい。」
と。
ファンは時として我がままであるのは承知している。私にもその部分が無いとは言えない。
だが、ファンは「保守」と「革新」を上手いくらいのバランスで成り立った映画を求めている。
当たり前だ。
ファンの求める続編というのはあくまで前作と「似た」内容のものであるからだ。似てなければそれはやはり別物になってしまうだろう。
だが同時に「新しい要素」も求める。これも当然だ。いつまでも同じことをしていたら同じ作品になる。
勿論そこには多少ファンを切り離さなければならない決断もあるだろう。
だが、そうした努力を続け高評価を得ているシリーズは世にある(あえて例は出さないが)。
そう、ディズニーのスターウォーズはその努力が足りなかったのだと思う。つまり「保守」か「革新」のどちらか極の方で展開しているからなのではないか。バランスが良くないのであろう。
と、前置きが非常に長くなったことをここでお詫びしたい。
いよいよここから本題に入る。
結論から言ってしまえば、
7〜9は蛇足。 この言葉に尽きる。
まずダース・シディアスを復活させたのはなぜ?これで6でヴェイダーが命と引き換えに皇帝を倒してフォースにバランスをもたらした感動が消えた。どーしてくれる。
てか「死んだと思ったら実は生きてました」
ってのダース・モールで終わりにしね?
いつまで旧作のキャラ出すつもりですか?
話の流れだが、基本的に話が急過ぎて追いついていけない。
次々と展開が変わるのでかなり集中して見てもあやふやな部分あり。そもそもオープニングで答え合わせをしてしまってるので、やっつけ仕事感がこれ以上半端ない映画を始めて見た。
ただレン君とレイのバトルは中々に良しでここだけなら普通に良作に思えた。
それとフォースの描写、もうやりたい放題。まあ最後のジェダイでやらかしたからもう恐れはないね。
でも物体の瞬間移動だけはやめようや。流石にあれやると本当に何でもアリやんけ。
そして今作で一番の失態をこの映画は最後の最後で"やってしまった"。
映画最終盤でレイは自らを
「レイ・スカイウォーカー」であると名乗る。
???????????????????????
今までディズニーになってから女性を主人公にしたり、ジェンダーバランスを整えたり、ポリコレ描写を増やしたりと、つまり人種、血統、身分、などは関係ないということをやってきたのではないのだろうか(あれ、因みに今回ローズの活躍があまり無かったのは何故かな)?
レイは最悪の独裁者であるパルパティーンの孫でその血統を継いでいる。今までの描写なら
「レイはパルパティーンの血を継いでいるという事実を受け入れながらも、それに左右されず自分の生き方を送る。」
これが今まで統一された理念ではなかったのか?
確かにタイトル通りにスカイウォーカーと言うのも映画的な展開としては分かるが、
最後のあのシーンは
「レイ・パルパティーン」と名乗るべきだったのでは?(もちろんタイトルと合わせて映画的な展開として、あそこで「私はレイ・パルパティーンである。」と言われても、、というのは承知の上ではある)
タイトルの何を見せられたのか?とは正にこのことを意味する。
「スカイウォーカー」という血筋からの逸脱が最後のジェダイで目指した信念ではなかったのか?
最後のジェダイで「新しいスターウォーズ」を目指した理由がここに来て無に帰る。
「保守」をしたいのか、「革新」をしたいのか、ディズニー自体が全く統一したヴィジョンを持てていないのがよく分かる。そんなシリーズに魅力があるのか?
今後また3部作(予定)を作るとのことだが、監督はまさかのライアン・ジョンソン氏(最後のジェダイを監督した男性)。
私はこれ聞いた時に腰を抜かしてしまった。
ちょうど朝食のパンを焼いてる時だったであろうか。高いジャムを塗ったのに不気味なほどに不味かったのを舌が覚えている。
あれだけ叩かれた最後のジェダイの監督をまた使うとは、ディズニーの判断は常人には到底理解できないところまで達している。もはや笑うことすら正しいのか分からない。
だがディズニーにもまだチャンスがある。
そう、ターミネーターシリーズのように7〜9を「無かったこと」にすれば良い。んで多くのファンに納得してもらえるスターウォーズを頑張って作ろう。お願いします。
長くなったが最後のジェダイより遥かにマシだったので私としては中々の高得点を付けられた。
コメントありがとうございます。
血統という決められたレールを走るというのをディズニーはやめようとして、そういうのを排除したスターウォーズかと思いきや結局は最後はスカウォーカーの物語でした、ってのは矛盾もいいところだと思います。
最後のジェダイへのレビューにコメントありがとうございます
私も今日見てきました
結論的に7~9はもういらないと思ってしまう内容でした
アナキンの血脈が途切れ
アナキンを陥れたパルパティーンの孫がスカイウォーカーを名乗る
あそこでパルパティーンの名乗ればまだ許せました、、ほんとに、、