「「血より強いものがある」」スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「血より強いものがある」
“レイ・スカイウォーカー” ベタだ。まるでベタである。そして他のレビューでも発信していることと概ね同じ感想である。自分達がこんな長い時間関心を持ち続けたSFサーガをおいそれと否定したくない、しかし釈然としない、時間を返してくれ、いや良く漕ぎ着けた、ありがとう、J・J・エイブラムス。そんな綯い交ぜのエピソード9。かつて子供だった頃、『SWは9話もあるんだ』とまことしやかな情報をあてにして、首を長くして待ち望んだ大団円が今日、終結した。終わったのだ、もうこの作品を待つ必要は無くなったのだ。途方もない家のローンが正に完済したような心地とはこういうことなのかも知れない。もうそうなると、作品そのものよりも、これは人生観、自分史、生きてきた証そのものと言っても過言ではない。色々とツッコミを入れたくなる出来でもあろう、後出しジャンケンが拭えないこともあろう、それ以上に“ディズニー”というフィルターの是非を問う気持もあろう。でも、この米国産の壮大な叙事詩を七転八倒しながらも大団円に持って行った“責任感”そのものは称賛に値する頑張りであることには間違いはない。
結局、レイがパルパティーンの孫だとか、相変わらずのふて腐れ顔のカイロ・レン改め、ベン・ソロのいつもあと一歩の何かが足りない感、フィンは結局どんな立ち位置だったのか、ポーとセットの位置づけだとしたら、主要キャストとしての役回り人数多すぎ問題を証明する、シリーズを追う毎のキャスト投入過多、そして、クライマックスの光線のぶつかり合いからのパワー押しという“ウルトラマン”的古典対決シーン、色々と数を上げればキリがない具体例を、ハリソン・フォード登場とエピソード6オマージュのXウイングのサルベージで、全て帳消しにしてしまうニクさは、もう何も言い返せない圧倒的カタルシスをトドメとばかりにぶっ込まれ、グウの音も出ない状態なのである。やはりこの新3部作、間違いなく古参ファンの為の気持ちよさを追求した組立てと言っても過言ではない。そしてそれが映画として正しいのかどうか、結局『血よりも強いものがある』なんて結論つけてしまったら、壮大な家族喧嘩の話が同でも良くなってきてしまう着地だし、そういう出発点を敢えてフって正常なところにオトす、漫才にも似たオーセンティックな手法での構成なので、もうストーリー展開などどうでも良いのである。色々物語作ってみましたけど、随所に現れる40数年前のSF金字塔オマージュを差し挟む事で、旧来ファンが同窓生に会ったような錯覚を覚える、ノスタルジー。そこがSWのキモなのであろう。それでいいじゃないか、唯気持ちよい作品、いいじゃないか(井之頭五郎風) その気持にシフトできれば、今作は充分愉しめる作品である。