「サラーリマン専科 by 江戸の蚤とり」のみとり侍 りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
サラーリマン専科 by 江戸の蚤とり
江戸時代、十代将軍・徳川家治の頃のハナシ。
世はおしなべて規制緩和の時代。
それは老中・田沼意次が推し進めてのこと。
長岡藩勘定方の小林寛之進(阿部寛)は、殿様の歌詠みの席で叱責され、左遷させられる。
それは、彼が藩の汚職に気づいていたからなのだが、それはさておき、寛之進の左遷先は「猫の蚤とり」。
とはいえ、それすら表向きの、春をひさぐ男稼業だった・・・
といったところから始まる物語で、前半の展開はかなり面白い。
勘定方といえば、会社組織でいえば総務・財務の役割で、寛之進はそこのエリート。
けれど、不正を知って、内部告発をしようかどうしようかのところで、身分制度外の身分にならざるを得なくなってしまう。
でも、根が真面目な彼は、春をひさぐ稼業であっても殿の命令ならば・・・と身を粉にして取り組んでいく。
そして、その最中で、亡き妻にそっくりな女(寺島しのぶ)と出逢い、コトを「ヘタクソ」と罵られてしまう・・・
って、可哀想なハナシ。
そんなハナシならば、藩がどうとかこうとかなんてさておき、どうすれば、亡き妻にそっくりな女を喜ばせ、歓喜滂沱の境地に達せられるか・・・と展開すれば面白い。
そして、それを指南するのが、年の離れた女房を持った大店の主人(豊川悦司)というのだから、まぁ、落語的な内容。
なんだけれど、中盤からそんな艶笑噺からどんどん脱線してしまう。
ここから先は書かないことにするが(なにせツマラナイ)、男と女の対等なエロティックな関係を他所に、結局、幕の世直し、体制に組み込まれてしまい、それを良しとするハナシはいかがなものか。
なかが殿様、藩体制、その上、のみとり稼業で俸禄が出ているなんてことはない。
そんなものに頼ってどうする、拠り所にしてどうする(だって、無給だぞ)・・・と思ってしまう後半。
昔の映画なら、こうはなるまい。
ビリー・ワイルダー監督なら、絶対、ならない。
なんて、観終わってしばらくしてから思いました。
ま、観ているうちは、それなりにおもしろいのだけれど、ね。