「見て聞いて触って感じたことがすべて」Vision 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
見て聞いて触って感じたことがすべて
河瀨直美監督は本作品と同じ永瀬正敏主演の映画「光」で高評価を得ている。当方も映画館で鑑賞し、高く評価した。
「光」も一筋縄ではいかない作品で、水崎綾女が音声ガイドに挑戦する映画の藤竜也の演技を中心とした幻想的な映像をどう解釈するのか、非常に難解であったが、本作品は幻想的な映像ばかりが最初から最後まで続くような、抽象的で分かりにくい映画である。
舞台は日本の山の中だ。森の映像と音が相当の迫力で表現される。それは時間と空間の表現であり、世界であり宇宙でありそして生命である。産み出して、そして再生する。壊すことは産み出すことと同義なのだ。同じことを繰り返しているようで、少しずつ変わっている。変化の速さは人間の進化と同じくらいゆっくりだ。
永瀬正敏が演じる智は山を守っている。守るというのがどういう基準なのか、人間の独善ではないのか、そのあたりははっきりとは明らかにされないが、神社らしきところで柏手を打ってお参りする場面からすると、智は神の遣いではなさそうだ。
夏木マリのアキは千年前に生まれたと自称する盲目の老女で、映画の中ではシャーマンみたいな存在だ。見えない目で自然を見極め、予言めいた台詞を吐く。
ジュリエット・ビノシュが演じるジャンヌが探しているVISIONとはどういうものなのか。それは人を癒す力を持つという。薬草かもしれないという淡い期待は現実の森で消え失せるが、違う形で彼女の視界に訪れる。
森山未來の岳が無言で踊るのは、そのシーンがジャンヌが見ているVISIONだからだと思う。ジャンヌは山火事を見る。森の中の自分自身を見る。山火事は山を壊すものであり、従って山を産み出すものである。
ジャンヌはフランスで何かを失った。それは多分、素数に関わりのある何かだ。田中泯の誤射は彼女の喪失の象徴かもしれない。それを失ったことで欠けてしまった心の一部を修復するために、ジャンヌは日本の山の中にやって来た。彼女の心は再生できたのだろうか。
姿を消したはずのアキが森の中で踊る。踊りはエネルギーであり生命である。森と同化して山の生命力に包まれて生きる。如何にも幸福そうなアキの表情が作品に救いを齎している。見て聞いて触って感じたことがすべてなのだ。