「目を背けてきた邪悪な歴史が、積雪を割り世界を揺るがす。 静寂さと猛々しさを併せ持つ、現代の西部劇。」ウインド・リバー たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
目を背けてきた邪悪な歴史が、積雪を割り世界を揺るがす。 静寂さと猛々しさを併せ持つ、現代の西部劇。
インディアン居留地「ウインド・リバー」を舞台に、現地のハンターであるコリーと新米FBI捜査官バナーが、雪原で発見された少女の遺体の謎に迫るクライム・サスペンス。
監督/脚本は『ボーダーライン』『最後の追跡』(共に脚本のみ)のテイラー・シェリダン。
主人公であるハンターのコリー・ランバートを演じるのは「MCU」シリーズや『ミッション:インポッシブル』シリーズのジェレミー・レナー。
FBI捜査官ジェーン・バナーを演じるのは『GODZILLA』「MCU」シリーズのエリザベス・オルセン。
遺体で見つかった少女の恋人、マット・レイバーンを演じるのは 『ウルフ・オブ・ウォールストリート』『ベイビー・ドライバー』のジョン・バーンサル。
これは…かなり強烈だ。
鑑賞後、様々な感情が奔流のように流れ出した。
何者かから逃げる少女のシーンから物語は幕を開ける。
その後、場面が転換され、コリーがライフルで狼を狙撃し駆除をするというシーンが映し出される。
ここで描き出されるのは、このウィンド・リバーが力ある者が弱き者を排除することで成り立つ世界だということ。
牧畜を生業とする地方において、肉食獣の駆除は生きていくために必要な殺生である。
対して、原住民の女性を襲うという行為は自らの欲を満たすための醜悪な行為である。
この2点は確かに違う。だが、痩せ衰えた土地であるが故、それも人工的に作られた居住世界であるが故に発生した残酷さである点においては変わらない。
彼らは誰1人として、好き好んでこの世界に居を構えているわけではないのだから。
その行為が悪であろうが、必要悪であろうが、この限定された世界においては、システムとしての「暴力」が毅然として屹立している。
これは西洋人のアメリカ移住から今日に至るまで、ひたすらに積み重ねられた邪悪さが生み出したシステムであり、個人の悪意や差別意識といった感情とは違う、非常に根深い「何か」の存在を感じさせる。
FBI捜査官のバナーは、観客の意識が具現化したかのような存在だ。
彼女は何食わぬ顔でこのウインド・リバーに足を踏み入れる。
元を辿れば、彼女たち白人がこの悲惨な世界を作り出した訳だが、そのことについては目を背けている。いや、そのことに関して意識すらしていない。
コリーの義母がバナーに雪用の装備を貸し出す場面、「必ず返しなさい」と念を押す彼女の迫真さには、個人間の貸借を超えた「何か」が感じられる。
バナーは徐々にこのウインド・リバーの掟を、自分たちが暮らしている世界とは全く別のシステムを持った世界のルールを身をもって体感していく。
自らの非力さと、目を背けてきた歴史の重さが心に刻み込まれた彼女が、ベッドに横たわっているクライマックス・シーン。
あのバナーの姿は、無自覚に、そして安穏に、原住民から搾取した土地で暮らしている人々が、この映画を観て打ちのめされた姿そのものを表しているように思える。
それではこの映画、日本人には関係のない作品なのか?
私はそうは思わない。
普段は目を背けている不都合な歴史、臭いものには蓋をするという態度で封じ込めた邪悪、そういったものは民族というマクロな視点でも、一個人というミクロな視点でも、確かに存在しているのだから。
そういう「邪悪」を意識させてくれるというだけで、本作を鑑賞する価値は多いにあると断言したい。
前半から中盤まではサスペンス調、後半一気に西部劇のようなクライム・アクションに変わる、というのが本作の持ち味である。
確かにあの緊迫感は素晴らしいのだが、いくら辺境の土地だからといってFBIを相手に銃撃戦が展開されるというのは、ちょっと飛躍しすぎているように思える。
最後までサスペンス映画として描いて欲しかった、というのが正直なところである。
英語を話し、西洋風な名前をつけられた原住民。
映画を見始めた直後にはなかった違和感が、見進めるにつれてどんどん湧き上がってくる。
彼らには自分たちの言語が、自分たちの名前があった筈なのだ。
死化粧という文化の伝承が無くなったため、想像で拵えた不出来で滑稽な面を、私たちは決して笑うことが出来ない。