ハード・コアのレビュー・感想・評価
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今の時代になんて映画をぶつけてきたものか!
古い原作を現代に映画化したことで、ずいぶんと新たな意味合いが生まれたように感じる。極右団体に所属するその日暮らしの若者の鬱屈が社会全体に向けられていることで、右とか左とかに相手を分けて騒いでいる人たちすべてに対して「まがいものめ!」と唾棄しているかのような。もちろん山下監督がそういう政治性を押し出しているわけではないのだが、マイノリティの憂鬱みたいなものに怒りのエネルギーを加えることで、脱力しながら進む映画でありつつ、なにか突き刺さるようなメッセージ性が宿ったように思う。『トゥルー・ロマンス』でトニー・スコットが脚本を変更したラストにも似た、原作とは違うラストの展開には賛否があるだろうが、それもこのキャラクターたちへの愛情がほとばしった故ではなかったか。佐藤健のニヒルな演技もとてもいい。
宙ぶらりんの落伍者たち
コメディに見せかけてかな〜り重苦しい映画。
実直すぎるがゆえに、あるいは不器用すぎるがゆえにどこにも居場所がない右近と牛山を唯一受け入れてくれたのが見るからに怪しい世直し団体だったことや、商社マンの賢い弟が介入してくるまで超高性能ロボットの真価を理解できず穴掘りや女遊びばかりさせていたことなど、持つ者持たざる者の格差をこれでもかと見せつけられる。
何もかもが間違った世界の中で、それでも正しさという神話に縋る右近たちだったが、結局世直し団体には裏切られ、弟には先立たれる。ロボットは社会との接点をいよいよ断たれてしまった二人を抱え上げると、遥か上空で自爆という「最適解」を実行したのだった。
二人の死後、実は生きていた弟が現金を大量に詰め込んだスーツケースを持って帰還するシーンはもどかしい。さながら『ミスト』のラストシーンのようだった。
落伍者たちの哀愁譚に句点を打つように「完」という文字が映し出され、映画は幕を閉じたかに思われるが、なんと右近と牛山はまだ生きていた。牛山はどこかの孤島で未開部族の女との間に子供を授かっており、右近はそれを見て「感動した」と言う。
言わずもがな右近の実直さとはある意味で旧弊的なダンディズムと同義だ。右近は50〜60年代の映画に出てくる真面目なお父さんキャラよろしく、性的に堕落した女を嫌い、自分だけをひたむきに愛してくれる女を暴力的に求め続けた。
このダンディズムというやつは心の弱さと寂しさの裏返しなので「お前はハードボイルドっぽくして誤魔化してるだけ」という弟の指摘はかなり痛いところを突いているのだが、指摘されたところで右近の価値観が変わるはずもない。変われるんだったら彼はそもそも社会から完全に断絶されずに済んだはずだし。
こうして元いた社会からはほど遠い孤島の村でも、彼は男と女が順当に交わって順当に子供を産む「正しい恋愛」に対して「感動」するのだろうなと思う。
未開の地で旧弊的なダンディズムに浸りながら社会との接点を回復する…それこそがロボットの弾き出した「真の最適解」だったのではないかと思うと右近がひたすら哀れに思えてくる。いくら未開の地でやっていけても「日本社会」からは戦力外通告されてしまっているわけだし。
ただ、日本より劣った社会単位として孤島の未開部族を登場させるというのはちょっと安易すぎるんじゃないかなという気もする。思えば女性の描き方もかなり簡略化されていたし、そういう周縁的な要素のディテールがもう少ししっかりしてたら稀代の名作になり得ていたように思う。
はみ出しもののの友情と再生物語
『家族なんていらねぇ。俺たちは空だって飛べるんだ』
なんてカッコ良いセリフだろう。
家族に見放された世捨て人のような右近と牛山の不思議な友情にロボ男も加わり。。。
ラストはロボ男は壊れたけど新しく家族をつくるなんて素敵じゃないか。
女性陣もクセがあってよい、
声明
んー、一昔前に演劇界を席巻してたアングラな作品を思い出すような1本だった。
登場人物それぞれに代弁者的な役割もあって、あれこれ詮索すると味わい深いのかもしれないが、映画館に行かなくて良かったと思わざるを得ない。
偏に小難しいのである。
共感出来る人はおそらく珠玉の作品になるのであろう。役者や演劇が担う一面をこれでもかと担ってる。
社会というシステム自体へのアンチテーゼが存分に含まれてるようにも見える。
そもそも、役者なんて人種はその社会に馴染めない側の人間であり、自分達の正当性を誇示する為には、その社会自体を疑問視せねばならない立ち位置でもある。
その観点から見える不条理なもの。
そおいう背骨があるような気がする。
まぁ、今の世の中が決して居心地いいわけではないが、悪い事ばかりでもないだろうと思ってはいる。
そおいうグレーゾーンもひっくるめて間違ってると言い放つのは、ある種の暴力にも思う。
ただ、そおいう事を明確な言葉と意思を伴って提示しなければ気付きもしないって事なわけで…だからこそ、そもそも社会からはみ出た人間達が「役者」なんて看板を背負い「演劇」って手法で表現する。
それが、この映画の理念なのであろう。
だから、小難しい。
劇中でロボ男の事をAIと位置付け、その見解を示すわけなのだけど、アレは社会に埋没していく人達を指しているのではないかと思うのだ。
ロボット憲章などは、そのまま社会のルールのような位置づけだろう。
「命じられるままに仕事をこなす高性能な労働力」
それがAIに対する見解だ。
さて、誰の事でしょう?
またロボ男は「fartherに教えてもらってない」って台詞を口にする。
それは「マニュアルを盲信する余り思考停止に陥った状態」とも取れる。
最後は2人を抱え上空で自爆する。
結局、レールから外れた側に居場所なんかないって事なのかもしれない。
その後、死んだと思った弟が大金を持って帰ってくる。これは「社会に馴染んだフリをして、上手にルールを使いなさい」って事かもしれないし、別の意味があるのかもしれない。
なんていうかそれぞれがそんな感じで、見たまんま聞いたまんまでいると墓穴しか掘らない感じなのだ。
で、一旦「完」のテロップが入る。
その後にも続きがあって…なのだが、随分ファンタジーな振り方にちょいと違和感。
じゃあ、だからと言って映画として楽しいかどおかって事になると、好き嫌いの話になると思われる。
向いてるか、向いてないか、かもしれない。
この作品を見て印象的なのは役者自身の印象が薄い事だ。淡々としてるせいかもしれないのだけれど、灰汁の強い芝居でありながらも目立ってこない。
それは凄い優秀な仕事ぶりでもあるわけで、結果作品の内容に焦点が合っていく。
作品のメッセージを伝える為のツールなわけだ。
スタッフも役者陣もそれを履き違えるような事はなく素晴らしい仕事をしたと思う。
なのだけど…俺はやっぱ苦手だから2.0、なのだ。
映画という媒体で、佐藤健や山田孝之を軸にこの手の作品をやり遂げたのは快挙とも言えるのだけど…この作品に出資してるのは「間違ってる」と反論されてる側の人達なわけで…それはそれで痛烈な皮肉にもなり得るのだが、映画って媒体になっちゃうと砂上の城というか、どおにもならない矛盾を感じずにはおれない。
つまりは、情熱や反骨というものを金に換算してる人間が少なからずは関わってはいるわけなので…いわゆる資本主義の傘下にはいると思われるので。
釈迦の掌を飛び回る斉天大聖のようで…権力と財力の檻の中からキャンキャン吠えてるような後味。
これが完全に山田氏の自己資産のみで成し遂げたって事ならば、俺は土下座して許しを乞わなけれはならないと思う。
野心溢れる作品だとは思うのだけど…一欠片の煮え切らなさを感じてしまう。
大人に慣れないもがき様が息苦しい
優秀な兄弟を持ったが故の落ちこぼれ二人と量子コンピュータを搭載する割には廃工場に取り残された妙にレトロ感満載のロボットが主人公の奇妙な物語。社会への疎外感、性への衝動、好きなSF漫画や一攫千金夢物語を頭のミキサーにかけて作ってみたのだろう。意外なようでこれがよく合っている。ただ描くもの全てが朽ちていたり病んでいる必要性があるのだろうか、本編は完のあとに出てきた南国の島、理想を求めたゴーギャンに通じる序奏だったのだろうか、深いのか浅いのか・・。
よしよし〜(笑)
ハシゴ3本目の
レイトショー
予告見て気になってて
どうしても見たくて...
漫画の映画化なのかな?
ちょっと思ってたのとは
違ったかな
でも
安定の荒川良々
パンチ効いてて良かったです‼︎
山田孝之も‼︎
ラスト
ラピュタみたいになってた(笑)
酒とシケモク
脱力系オフビートSFファンタジーだと思ってたのに、山田孝之が(胸毛のせいもあるけど)熱い男を感じたので脱力は省きます!
山下敦弘監督作品との最初の出会いは『リアリズムの宿』だったであろうか、『リンダリンダリンダ』で人気が爆発しましたが、それ以前の初期作品が好みです。
盟友とも言うべき山本浩司は出演していないし、ちょっと寂しかった。
小さな右翼組織の会頭に拾われ埋蔵金探しの仕事に精出す山田孝之と荒川良々。天才の家系に生まれながらも精神を病んでる荒川に、童貞を卒業させてやろうと頑張る山田の優しさが伝わってくる。
薬品工場の廃墟で生活していた荒川がそこでロボットを見つけた時から彼らの生活が変化する。どちらかというと『オズの魔法使』のブリキみたいな不細工なロボットだが中身は高度なAIが組み込まれ、空を飛ぶことだって出来るシロモノだ。
ハードコアには強硬派とか貧困層という意味まであるようです。康すおんなんてのが殺人も厭わないみたいだし、強硬派。貧困層は山田、荒川に代表されるというダブルミーニングだったのかもしれない…
どことなくハッピーエンドのようにも感じられますが、弟は死んだままだと思ってるんだろうな~
まあ頑張ったほうかと。2人が救われたと信じたい
幅広い役柄で活躍する、山田孝之が自らプロデュースし、主演も務めた作品。中規模の全国公開ながら、(主演が当たり前の)佐藤健の共演が話題である。
山田が長く温めてきた漫画「ハード・コア 平成地獄ブラザーズ」を映画化すべく、兄弟役として佐藤健に声をかけ、出演が実現した。個性派の荒川良々の演じる牛山役も、あえて山田が狙ったもの。
監督には、テレビ番組「山田孝之のカンヌ映画祭」で一緒にカンヌ出品を目指した、山下敦弘監督と「映画 山田孝之3D」(2017)以来の再タッグ。ホントこの2人は仲がいい。
主人公・権藤右近(山田孝之)は、社会のズル賢さに折り合いをつけられない、不器用でまっすぐな男。肉体労働の日雇いで暮らしている。反対にソツなく生きる、弟の左近(佐藤健)はエリート商社マンで、兄の不器用さを心配して見ていた。
そんな右近が心を許すのは、仕事仲間の牛山(荒川良々)だけ。ある日、右近と牛山が廃工場で見つけた、壊れかけたロボットは、現代科学を超える驚くべき性能を持っていた・・・。
ロボットは"ロボオ"と名付けられ、空を飛んだり、右近たちが探していた埋蔵金をいとも簡単に見つけ出す。
やはり自分が社会と折り合いを付けて生きているからだろうか。面白い設定だけれど、なかなか共感しにくい。右近と牛山のぶっ飛びエピソードも、2人のまっすぐさゆえで、尋常ではない。
ロボオは右近と牛山に影響を受けはじめ、社会という窮屈な枠組みから救い出す行動を取りはじめる。結末は、"ウソ!?"と思うほど、あっけない肩すかし。この解釈は分かりにくいかも。
信じたいのは、2人が(別の世界で)最終的に救われたんだろうということ。
ちなみに原作(ストーリー)の、狩撫麻礼(かりぶ まれい/Caribu Marley)は今年1月に亡くなった。エンドロールでも追悼文が流れる。
"狩撫麻礼"といえば、松田優作の主演・監督で1986年に映画化された「ア・ホーマンス」があるが、これは原作というには、似ても似つかないほど映画と異なる。
またペンネームを"土屋ガロン"へ改名した「ルーズ戦記 オールドボーイ」は、韓国にて朴贊郁(パク・チャヌク)監督によって、「オールド・ボーイ」(2003)として映画化。カンヌ映画祭審査委員大賞を受賞している。さらにスパイク・リー監督がハリウッドリメイクしている(2014)。
改めてご冥福をお祈りします。
(2018/11/24/新宿バルト9/ビスタ)
これは…
原作通りに作る必要はないが、原作で伝えたいことは守った方が良いのではないか?
不器用に生きる男達が世間と噛み合わず窮地に陥り、この男達の最善ではない生き方に共同生活で感化されたロボがロボらしからぬ「無理心中」という最適解を男達のために選択して皆でこの世にサヨナラする。こんな内容だったと自分は思っている。
この映画の最後があれじゃ、原作見てから映画を見に来た人はたまったもんじゃないと思う。
結局なんだったんだろう…
原作は読まずに映画に向かいました。
予告編からも雰囲気からも期待度が高かったです。
観終わって思いました。
男の夢ってそういうことね…と
エロにロボに金か…
終始スローペースでストーリーは続くし、時々長すぎないか?というシーンもありエロシーンは多分耐性があるからでしょうか、なんでR15指定なんだろうと思いました。
エロシーンも興奮せず電話越しのオナ○ーは何してんだろうなと思ってました。
終盤のロボオが飛び立って爆発するシーンは死ぬんかい!と思ってたら生きてて知らない島で子供が生まれていたりと何かと辻褄が合いませんでした。
監督や演者さんたちにはとても申し訳ないのですが、今年見た映画の中では最も低評価の星をつけた作品です。
山田孝之ってすげぇよw
ほぼエロが多かったが、山田孝之、荒川良々、二人の不器用な男達がロボオと一緒にまっすぐに進んでいく友情の物語で、感動しました。佐藤健と兄弟役は熱い。ていうか佐藤健にラブシーンは珍しいが、今後もやって欲しい。電王、8年越しやるろ剣等とはえらい違いで今後の活躍に期待。結構笑えるシーンや、ファンタジー展開もあり、ヒューマンコメディ的な感じで面白かったです。山田孝之、愛読漫画を自らプロデュースしてまで実写映画化させるなんてすげぇよ。演技も上手いしほんま好きw
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