「黒人差別を扱った映画、そんな短絡的な言葉で論じるにはあまりに重い。...」デトロイト supersilentさんの映画レビュー(感想・評価)
黒人差別を扱った映画、そんな短絡的な言葉で論じるにはあまりに重い。...
黒人差別を扱った映画、そんな短絡的な言葉で論じるにはあまりに重い。なぜならこれは遠い昔の(といっても1960年代だから極めて最近の話ではあるけれど)話ではなく、2020年現在も続く、現代の黒人が直面している現実なのだから。
おもちゃの鉄砲で警官を威嚇したのも、元はと言えば、警察の差別的な行動に対する抗議によるもの。その軽薄な行動による代償は、日本人には到底想像できないものだろう。
警官による殺人で殺される黒人は年に千人にものぼると言われるアメリカ。黒人は走っただけで撃たれ、新札を使っただけで偽札を疑われ窒息させられる。殺人を行った警官は逮捕されても全員無罪。そういう現実に生きている。
毎日、銃により100人が死亡し、年間4万人が死んでも、簡単な銃規制すら出来ない後進国アメリカ。自分のことしか考えていない大統領が、自分のテレビ映りだけに腐心する。そんな大統領を熱狂的に支持する人が半数近くいることは笑い話にならない。
差別が悪いなんていうお行儀のいいことは誰でも知っている。知っていてもなお、被害者意識は政治的対立を生み、世界を分断させている。日本でも同様。問題が深刻なのは被害者と加害者がいることではない。被害者と被害者意識をもった加害者がいて、ともに被害を訴え正義が暴走することが問題なのだ。
この映画でも印象深い場面がある。暴徒化した黒人に対し、ある黒人は「暴力はいけない」と諭す。しかし黒人はこう返す。「我々は今まで非暴力的過ぎたのだ」と。被害者の訴えはいつだって切実だ。だからこそ、本当の被害者を見極める必要があるのではないか。