ライオンは今夜死ぬのレビュー・感想・評価
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子どもたちの自然な佇まいが素晴らしい
ヌーヴェルヴァーグ好きの諏訪敦彦監督にとって、ジャン=ピエール・レオーはアイドル的存在。そんなジャン=ピエール・レオーを主演に迎えた、監督にとっては念願の叶った一作だろう。
いつも通りの即興演出だが、撮影監督トム・アラリの美しい映像美が普段の諏訪映画にない彩りを加えている。
おそらくジャン=ピエール・レオーのことなどよく知らないであろう年代の少年少女たちが実に輝いている。かつての大スター、ジャンが自主映画を作ろうとしている子どもたちに出会い、映画を作る喜びを再発見する。その映画の内容は実にくだらないホラーなのだが、ジャンは美しいとこぼすように語るのが印象的だ。そこには打算も計算もなく、純粋に撮りたいものだけを撮る喜びに満ちている。大スター以上にこの映画の華となっているのは紛れもなく子どもたちであり、こういう自然な佇まいを引き出せる監督の演出力は見事。
自分が老いて死ぬ様子を見せることは、子らへの最後のプレゼント
YouTubeを見ていたら
衰えてヨボヨボになったライオンが、自分で大地に穴を掘って、その穴に背中から倒れ落ちる映像があった。
老人は自分の死を予感し、
また先に死んだ恋人を乞い慕う。
子役たちはその老人の回りで彼にじゃれ付きながら「老いや死について」想像を巡らす。
荒い粒子のフイルムで撮った、過ぎし日のアルバムのような映画。
とても良かった。
子役の年長の男の子=そばかすの金髪のジュールが、自分の母親の再婚に悩みながら成長していく若いライオンの様を演じる。
初めて剃刀でヒゲをあたったこの少年も、このようにして成長し、苦労していつか老い、そして、出演していた子どもたちだって最後の死に向かって、彼らも今を生きているのだと、
生の讃歌を魅せてくれるそういう映画ではなかったか。
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僕は「コンパクトシティ」に賛成だ。
「幼稚園や小学校」と「老人ホーム」を横割り行政で一つの建物にしたいのだ。
給食も、運動会も、一緒で良いではないか。
共に成長を喜び、共に死別を悲しめば良いではないか。
【人の誕生】
かつてはふすまの向こうでお母さんの呻き声を聞き、突然の産声に驚き、弟や妹の誕生を自宅で体感出来ていた子どもたち。
そして
【臨終】
同居するおじいちゃん、おばあちゃんが介護を受けながら老衰していって、子や孫たちの囲む中、お家で大切な人の終わりを体で触れて知っていた子どもたち。
ところが今ではどうだ?
赤ちゃんは病院からもらってくる品物だし、
おじいちゃんはいつの間にか病院へ行って、それっきりどこかへ消える。
生への手応えが、核家族化で無くなってしまった残念は、非常に大きいと思うな。
映画は
コートダジュールの撮影現場からドロップアウトした老俳優が、
思い出の地を徘徊するストーリーだ。
そして廃墟で遊ぶ子どもたちが、その老俳優をキャストに据えて、ロケの撮影ごっこをするという作りだ。
脚本作りは難しい。
人生も、そしてもちろん演じなければならない自身の終幕も、
台本通りにはなかなか行かないという もどかしさ。
だから、この映画の進行は、昼寝や休憩や無言のシーンがたくさん挟まれており、ゆっくりゆっくりの展開なものだから、観ているこちらもじれったくもあるのだけれど、老いを生きるということは、こんなことなのかも知れない。
演ってみなければわからないのだ。
子供に戻って
カメラが私好みで美しかったです。高齢になったら、子供の時の感性に戻って子供達や動物達と過ごしたいですね。子供の友達が沢山できたりして。そして、子供に戻ってから死ぬなんて、最高じゃないですか。大人になってから、置いてきたもの沢山あるから。
ジャン=ピエール・レオ
老優(ジャン=ピエール・レオ)は死ぬ演技が上手くいかず、撮影が延期になったのを利用して、昔の恋人に会いに行く。
恋人は昔のままで若かった。
ファンタジーだがトリュフォー作品でおなじみのジャン=ピエール・レオを楽しむ感じかな。
美しいコートダジュール
スパイラルで諏訪監督の講座を聞いたことをきっかけに鑑賞。
フランス映画は退屈してしまうことが多いけど、本作はコートダジュールの景色やジャン・ピエールと子供たちの協奏が美しく、何かとてもいいものを見たような気持ちになった。
子供たちの撮影した映画の完成バージョンも講座の中で見せて頂いたが、本当に自由で面白い。音楽の著作権の関係で、公開が難しいと仰っていたけど、DVDの特典映像か何かで、多くの人の目に触れて欲しい。
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