おみおくりのレビュー・感想・評価
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納棺師の仕事の一端を描く?
地元の市が主催する令和5年度男女共生セミナーで、女性納棺師のお話を聴く機会があり、「死を考えることで、より良く生きる」という考え方に触発されてきたところですが、本作は同じく納棺師を生業として選んだ女性が主役の作品として、観ることにした一本です。 納棺師というと、故人に死化粧を施して、病衣などから死出の旅装に着替えさせて棺に納める仕事というイメージがあり、実際に身内の不幸に際して評論子が見たままも、本作も、その域を出るものではないのですが。 これが納棺師の仕事の一端ということなのだと思いますが、実際、遺体の傷の修復なども、手掛けたりするのでしょうか。 本作中に、そのようなシーンがあったように。 納棺師が扱うご遺体は、多くは病院でのエンジェル・ケアを施された(それはそれなりに)整ったものが多いと推察するからです。 (交通事故や労働災害で、痛んだままのご遺体もあることは、あるのでしょうけれども。検視をした警察や労基署は、ご遺体の引き渡し前にエンジェル・ケアのようなことはしないと思うので。) 決して、魂をうち震わせるような感動巨編というわけではありませんけれども。 納棺師という職業を描く、いわゆる「お仕事映画」としては、そこそこにに仕上がっていたのではないかと思います。 もう少し、死者(ご遺体)に対する「想い」みたいなことも描かれていると、納棺師というお仕事が、もっともっとも浮き彫りになったのではないでしょうか。 その点は惜しまれるところですが、まずまずの良作であったと思います。評論子は。
『おくりびと』の二番煎じ
ロケ地となる富山県氷見市は金沢からも近い。魚が美味しい海に面した町、海を見ながら温泉に浸かるのもいい。そんな氷見市で働く女性納棺師の弥生(高島礼子)と弟子入りした亜衣(文音)の物語。 納棺師は女性の方が多いらしいけど、これも化粧が上手いことから需要があるためだろう。憧れる職業ではないかもしれないが遺族からしても大切な存在だ。亜衣が幼い頃に両親を事故で亡くし、葬儀にも参列できなかった想いにふんぎりをつけるために仕事を辞めて弟子入りするのだ。 数組の葬儀と納棺前の化粧。泣けるエピソードもあるにはあるが、全体的なストーリーは台詞が多すぎたりして冗長気味。こうした映画だからこそ台詞を少なめにして、観客が推理したり感情を読み取るような工夫が脚本には必要だと思う。 なお、今のコロナ禍のご時世では感染者だったら、最期の対面もできない辛さがある。あらためて、こうした納棺師の存在がありがたく思えます。
最後に立ち会う
なかなか日の目をみない、時には後ろ指さえ指される仕事かもしれないが、 おみおくりのためには故人と家族のためには無くてはならない仕事。 作品的には"おくりびと"の方がクオリティも高いと思う。
化粧
女性納棺師と仕事を辞めてそこに弟子入りした女性の話。 友人の姪っ子の葬儀に立ち会い、そこで感化されて15年前に亡くなった自身の両親の死を受け入れる為に納棺師を目指す女性と悟りを開いているかの如く振る舞う女性納棺師が遺族の思いを支えるべく様々な遺体と向き合っていくストーリー。 何から何まで説明しないと気が済まないのかというほどの台詞やナレーションや映像で却ってわざとらしさや白々しさを感じてしまったし、ムダに長かったり余計なカットやシーンが多くてテンポが悪い。 言いたいことは判るしつまらなくはないけれど、苦笑してしまう程のムダな演出の数々で作中に没入出来なかった。
納棺師のお仕事って…?
以前、祖母の納棺に立ち会った。その際、セレモニーホールの方が私たち遺族の前で下手すぎる化粧をし「ばあちゃんがかわいそう。私がする」と言い出した妹へ「ご遺体は大変に冷たいため、お化粧がきちんとのらないので…」と言い訳をしながらメイク道具を渡した方が納棺師だったの? という疑問を解きたく、今作品を観た。 結果、私が目にした死に化粧のクオリティが低すぎただけで、死に化粧は遺族を救う仕事なのだとわかった。 「ばあちゃん、上手な人に会わせてあげられなくてごめん」と謝りながら、化粧シーンを見守った。 そして、わからなかったのは 「納棺師=ご遺体のメイクアップアーティスト?」ということ。 映画「おくりびと」を観た印象からしても、メイクアップだけではないと思うのだけれど…。 台詞が少ないおかげで、自問したり自らを振り返ったりできる時間の多い良い作品だった。 氷見の景色や方言も良い。 しかし、エンドロールが流れたとき「えっ? これで終わり?」と呟いてしまった。 エンディング曲はCDを買いたいくらいに気に入った。エンドロールだけでもまた観たい。
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