「圧倒的な彼女のエロスに支配される」ネリー・アルカン 愛と孤独の淵で shironさんの映画レビュー(感想・評価)
圧倒的な彼女のエロスに支配される
カウンセリングのシーンが圧巻で、私も彼女のエロスに支配されると共に、彼女の渇きと負のループを追体験しました。
思春期にこじらせちゃった彼女は、性の対象として見られること、求められることで自身の承認欲求を満たそうとし、
エスコートガールとなった自分を客観視して、客に合わせた別の人格を生み出すことで、より大胆に加速していく。
性の奉仕者の形を取りつつ、彼女のセックスアピールから逃れられない、欲情に抗えない人々に対する優越感や征服感や支配感のようなもので彼女は満たされていたのではないかと思います。
でも、自分を受け入れて愛して欲しいのに、結局受け入れられるのは自分が作り出した別の人格であって自分自身ではない。
決して本当に満たされることのない負のループに陥り、自分自身を救う為に小説を書くも、新たに自分の別人格を生み出してしまうだけ。
一人舞台に立って唄う彼女は少女の頃のまま。
自分に向けられる観客の視線に酔いしれながらも、自身を表現することより観客の顔色をうかがい怯えている。
更にセックスシンボルとしての賞味期限が近づき、小説家としても陰りが見えてくると、それぞれの人格がじわじわと彼女を蝕んでいき…
浅い眠りから覚める度に別の人格を演じている。そんな終わらない悪夢のなかで、5冊目の本が届くシーンには鳥肌が立ちました。
人から求められること、愛されることを渇望するあまり、別人格を作り出してしまった彼女は、結局は誰にも本当の自分を愛してもらえず、
何より自分自身を愛せなかった。
別の人格を作った時点で、既に彼女はそれに寄り添う亡霊でしかなく、自分自身を葬っていたのかもしれません。
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