婚約者の友人のレビュー・感想・評価
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観たかった度○鑑賞後の満足度◎ 映像で書かれた小説を読んでいるよう。様々な顔を持ちながら奥底には一筋の清流が流れている様な。この時点でのフランソワ・オゾン監督の集大成かも知れない。
①先ずは仏語と独語のバイリンガルがいて初めて成立する物語。
実際に仏語と独語のバイリンガルはどれくらいいるのだろう。
1919年の話だから現代と比べても意味ないけど。
フランスとドイツとの関係。
どちらも元フランク王国であったが、西フランク王国と東フランク王国とに分かれてからそれぞれの歴史があり今はEUの中核となっている両国。
身勝手なアドリアン
フランツの親族を訪ねてアドリアンがやってくる前半。
フランツの友人のふりをするが、嘘に耐えきれなくなりアンナに真相を打ち明けてフランスに帰国。
そして、手紙が戻ってきて行方がわからなくなったアドリアンを探しにアンナがフランスに行く後半。
アドリアンは身勝手に見えた。
手紙を書き続けるといいながら、故郷に戻ったことも知らせず、手紙の返事が来なかったことをショックだったとアンナに話す。許されることを求めすぎではないだろうか。
はるばるフランスまでやってきたら家は立派で、支えとなってドイツ行きを勧めてくれる女性までいる。アンナの気持ちを考えるといたたまれない。
フランツの両親のアンナへの接し方がとても心優しく、一人息子のフランツの描写は少ないものの、平和主義者だったという息子の人柄が想像できる。
ハンスのように息子たちを戦場に送り、勝利には喜んで酒を飲む、双方の父親たちに責任があるのだと思えるだろうか。
そしてそんな両親にフランツを殺したのがアドリアンだと真実を伝えられるだろうか。更にはフランス行きを後押ししてくれたのにその結果をそのままに伝えられるだろうか。
最後、モネの自殺という絵画を前に生きる希望が湧いてくるというアンナの言葉が希望だった。
心がざわざわ☆
白黒が嫌じゃなく、見やすかったです。ところどころカラーなのも素敵でした。ストーリーが進むにつれ、こんなに苦悩してるアンドリアンは、なんかあるやろなと思ったらやっぱり…しかも結構キツい嘘でした。アンナが少し好意を抱くのもじわじわ伝わってて、切なかった。
アンドリアンが帰国したあとは、もしかしたら自殺しちゃうかも!!と私も思った。モネのあの絵はみんな最悪のこと考えちゃう。まぁ生きてて良かった…。
しかし婚約者?恋人?がいるとは(。-∀-)。
ラストは、結ばれなかったけど、Happyではあったように思う。生きる力が湧いてるから。
最後の意味がわからなかったので、他のかたのレビューを読んだら、アン...
最後の意味がわからなかったので、他のかたのレビューを読んだら、アンナの自立とかいてあり、そこでやはりあれはしをえらぶという暗示と思ったり、なかなか面白い展開。
美談
戦時中の話は「死人に口無し」なので、美談で語られやすいのでしょうか。でも実際のところは美談などではないのです。フランツの両親の様に、人間はどこかで美談を求めているだけなのかもしれませんね。酷い真実なんて知りたくありませんから。人を殺したアドリアンが善人で純粋に見えてしまう。その部分の描写が上手いですね。
相手にいくら期待をしても真実は厳しいもんなんだなとアンナを見ていて思いました。女性の自立は、こういう事がきっかけになるのでしょう。今回はメロドラマ仕立てでオゾンらしくないと思いきや、やはりラストはオゾンでした。ウディ・アレンばりの意地悪さです。
許しを乞うのは自分の罪の意識を軽くして相手に重荷を背負わせてしまう...
許しを乞うのは自分の罪の意識を軽くして相手に重荷を背負わせてしまう事のような気がした。美しく正当化しているがアンナが可哀想に思えて仕方がない。婚約者の友人てまはなく婚約者の殺人者だったのだから。
果てしなく孤独
オゾン作品特有のエグさみたいな物がなくて、落ち着いて観ることができました。
(ないのも寂しいのですが)
戦争によるすれ違いという使い古された題材を、普遍的に描きつつも、しっかりとオゾン作品になっている。
なんというか、力量が上がったなぁと感じさせます。
前半はふたりが同じように孤独だと思って観ていたのですが、予想外の展開で、アンナの孤独が際立ちます。
錯綜してゆく中でのキスシーンや、死にさえ拒まれた中でのラストカットはとても良かったです。
とにかく孤独、果てしなく孤独。
だからオゾン作品が大好きです。
このオチはツライ
アドリアンには
嘘をついたままでいて
欲しかったですね。
アンナは
本当に
許せたのか?
ドイツもフランスも
戦争で家族を亡くしているのは
一緒なのだ...
フランツのお父さんが
酒場?でのシーン
「子供を戦争に行かせて
敵国の兵士を殺させて
父親は祝杯をあげる」みたいなぁ〜
何とも言えないセリフでした。
今回の作品は
オゾンっぽくないなぁと
感じました。
嘘は必要
オゾンの俗悪な感じは控えめだけど、ヒロインの美しさや映像美がよかった。
そんなにうまくいかないよね、と納得させられるも、人を傷つけない嘘と希望をもって力強く生きていくラストもよかった。
あの絵を見てみたい。
戦争の重みも伝わってくるのでいい作品だと思った。
それにしても。
この時代のファッションは素敵!
細身でエレガントでうっとり。
そしてフランス国家の歌詞の怖さときたら。。。
オゾンっぽさを求めすぎたよくない観客です。
オゾンだからきっといつもの意地悪な感じのお話なのでは、という期待が強すぎて、あれれすごくスタンダード…と鑑賞後に感じてしまってちょっと肩透かしでした。なので、☆3。
オゾンでなければ、先入観なく見られてもうちょっとよかったかもしれません。意地悪でアクの強いオゾンが好きなのでこうなっちゃいました。
でも、よくよく考えると十分いい映画なんですよね…
オゾン作品を全部見たわけでもないので、少ない例をとって勝手に期待するといけません。
殆どモノクロ、だけど恐らく主人公アンナがときめいたり印象深かったりする場面が、突如フルカラーになります。
例えばアドリアンとお散歩していて、天然のトンネルを抜けると鮮やかな春(ですよね?)の景色が現れたり、
マネの「自殺」を前に、生きる力が沸くと語るアンナのラストショットだったり。
あとは、戦場の回想ですね。突如現れるカラー映像が確かに効果的に印象に残っています。
戦死した婚約者の墓に花を手向ける美男子がいて、どうやら死んだ婚約者の両親に会いにきたっぽい。
婚約者はパリに留学していたしきっと旧友だ!ということで、息子を殺したフランス人を憎む父を懐柔してアドリアンを迎え入れ、
息子の話を聞かせてもらい、両親もアンナも悲しみが少しだけ解れる。
アンナは何ならアドリアンに恋慕を抱きつつある雰囲気さえある。
だけど、本当は、アドリアンは婚約者を戦場で殺したフランス兵だったのです。
致し方なく殺してしまったドイツ兵の家族に許されたくって、アドリアンはアウェイの地、ドイツに来た。
事実を知ったアンナは、当然ながらアドリアンを拒絶しますが、フランツの両親には言えず、アドリアンの母急病のため急に帰国したと告げる。
色々あってアンナはアドリアンが泳いだあの湖(川?)で入水自殺を計ります。が、助けられる。
その後、アドリアンより手紙が届きます。フランツの両親への謝罪がつづられた手紙です。
アンナはそれをもやし、フランツの友人としてのアドリアンからの手紙を朗読したりして、両親をいたわります。
そんな折、前から求婚されていた男よりまた求婚されるも、アドリアンが好きなんでしょ的な後押しを両親にされ、
アドリアンを探しに今度はアンナがフランス・パリへ。
旅券を見せては、ドイツ人!?と差別され、アドリアンの気持ちがちょっとわかったりするアンナ。
どっかの食堂では軍人を見て国家を歌い出す客たちに、ぽつねん、なアンナ。この辺はオゾンらしい皮肉と受け取りました。
色々探して田舎に引っ込んだアドリアンを探し出すと婚約者がいるし、なんか家族に迷惑がられ、恋は終わる。
でも見聞を広げたアンナは強く生きて行けそうだ、みたいなお話でした。
うーんやっぱふつうにいい映画なんですよね。
でもオゾンにはもっともっとニッチで意地悪なアイロニーを欲してしまったが故に。すみません。
古典文学のような様式美香る秀作
フランソワ・オゾンもついにここまで来たか!という感じだ。宛ら古典文学のような様式美が漂う本作は、大袈裟でも何でもなくまるで「アンナ・カレーニナ」や「ジェイン・エア」などを読むかのようなクラシカルな趣で溢れ、なんだか高貴ですらある。それほどに美しい映画だった。
主人公の男アドリアンと女アンナは、まるで鏡写しのような存在だ(物語自体も、前半と後半とでまるで鏡写しのような構成で紡がれている)。終戦直後のドイツとフランスを舞台に、それぞれ異国の地へとある人を訪ねて旅に出る。そしてドイツでアドリアンはアンナにある嘘を吐く。アンナの婚約者フランツにまつわる嘘をつく。そして嘘を積み重ね、その嘘が崩れ去った後、今度は女が嘘を重ね始める。フランツの両親を思うが故の嘘か、少しでもフランツの想い出を延命させたいが故の嘘か、あるいはアドリアンへの新たなる想い故か?そしてアンナはフランスでアドリアンと会う。そしてそこで女が積み重ねた嘘の先に見えてくる真実と現実・・・。あぁなんて美しいストーリー。この物語を書いたのはトルストイだと言われても、私ならきっと信じてしまう。
映画の原題は”Franz”。戦死した婚約者の名前だ。そしてモノクロの世界の中に、まるでフランツの魂が降り立ったような時、シーンは一瞬カラーになる。夢の中でフランツを蘇らせたとき、またアドリアンの中にフランツが宿ったような時、そしてフランツが美しい思い出として気化されたとき、世界はモノクロからカラーになる。あぁなんて粋。
ラブストーリーが、ただ恋や愛の物語ではなく、戦争の狭間では運命と生命の物語だったということをこの映画に思い出させられたようでもあったし、ただただ単純に、映像の美しさ、物語の美しさ、演出の粋、古典文学のような気品に完全に魅了されていた。
フランソワ・オゾンを好きで良かったと、改めて思った。
良くこんな話を思い付くな
「好きになるってどういうこと?」は一つテーマなんだよね。婚約者を殺した人だろうが、敵国の人間だろうが、好きになるときは、好きになる。
じゃあ、それを貫けるかっていうと、社会規範が邪魔をして貫けなかったりすんの。
「敵は悪人に見えるが同じ人間」ってのもテーマだね。ドイツから見たらフランスが憎いし、フランスから見たらドイツが憎い。二つの国を行き来する主人公たちだけが、それが解んのね。相互理解しとけよってことだと思ったよ。
そして「真実を知ることに意味があるのか?」老夫婦に対して、真実を知らせてどうなんのさという。
こういうことをストーリーに載せて語ることができるフランソワ・オゾンは凄えと思ったよ。
最後の最後に屹立するのは女性讃歌
1919年、第一次世界大戦終結後のドイツの地方都市。
婚約者のフランツを大戦で亡くしたアンナ(パウラ・ベーア)が、彼の墓参りに行くと、先に墓参した者があったらしく花が手向けられていた。
花を手向けたのはフランス人の青年アドリアン(ピエール・ニネ)。
彼の話によると、フランツとは戦前にパリで知り合ったという。
アンナは、彼をフランツの両親のもとへ案内する・・・
といったところから始まる物語で、戦争悲話の趣のあるクラシカルなストーリー。
チラシなどを読むと、エルンスト・ルビッチが1932年の監督した『私の殺した男』にフランソワ・オゾン監督は着想を得たそうだから、クラシカルな雰囲気は当然。
終盤巨大ネズミが暴れまわる初長編『ホームドラマ』や時間を遡行する辛辣なラヴストーリー『ふたりの5つの分かれ路』など斬新な映画も多く撮っているオゾン監督だけれども、オーソドックスでクラシックな映画指向も高く、時代に翻弄される女性を描いた『エンジェル』などはその代表。
そんな斬新な作品でも古典的な作品でも、オゾン作品に必ず描かれるのは、女性の強さ・したたかさ。
この映画でも、最後の最後の着地点は、そこに落ち着く。
モノクロとカラーを行きつ戻りつする語り口は流麗華麗でありながらも、安易なハッピーエンドに帰結しない物語は辛辣で底意地が悪い。
フランツとアドリアンの関係は映画半ばで明かされ、秘密と苦悩は主人公のアンナが抱え込み、少しばかり見えた希望も瞬く間に潰えてしまう。
しかし、泥の中でも咲く蓮の花のごとく、屍累々・重ね重ねた嘘の中でも女性は生きることの何かを見つけ出す。
モノクロ画面が陰鬱な生としたら、カラー画面は歓び(といっていいのかどうかわからないが)溢れる生。
カラーで写されるラストショットは、まさにオゾン監督らしい。
なお、女性に対する観方がばかりでなく、戦争の対する観方もオゾン監督は辛辣。
敗戦後、ビールジョッキを持った年老いた仲間たち(誰もがみな、息子たちを戦争で喪っている)の前で、フランツの父親が言う台詞が印象的。
「今日は何人もフランス兵を殺したといって儂たちはビールで乾杯し、今日は何人ものドイツ兵を殺したといってフランス人たちはワインで乾杯する。儂たち父親は、息子たちの死を肴にして酒を飲んでいるのだ」
あ、戦争に対する観方ではなく、男に対する観方が辛辣なのかも・・・
大きく深い傷
婚約者を失う、たった1人の息子を失う、大きな償いようのない罪を犯す…
戦争はそういう傷ついた人達を作りだす。
残された者も一度死んで再生していく、そんなお話なのかな。
音楽が良かった。
婚約者の友人の正体
フランスで戦時中に婚約者が戦死し、ドイツの彼の実家で暮らす主人公が、亡骸の無いお墓の前で彼の友人と名乗るフランス人青年を見るところから話は始まる。
敢えて、三分に分けるなら、1部はフランス人青年と彼の父、そして婚約者との関係性の変化、
2部は、正体を知った婚約者の葛藤
3部は、婚約者がフランスに行ってフランス人青年を探し出し、その後といったところ。
1部、2部で徐々にストーリーにアクセルがついたぶん、3部が拍子抜けな展開だったかもしれない。フランス映画的ではあったが。。
ただ、全体的に、モノクロとカラーの映像を自然に切り替え、婚約者の感情を表していて、そこが新鮮に思えた。
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