「古典文学のような様式美香る秀作」婚約者の友人 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
古典文学のような様式美香る秀作
フランソワ・オゾンもついにここまで来たか!という感じだ。宛ら古典文学のような様式美が漂う本作は、大袈裟でも何でもなくまるで「アンナ・カレーニナ」や「ジェイン・エア」などを読むかのようなクラシカルな趣で溢れ、なんだか高貴ですらある。それほどに美しい映画だった。
主人公の男アドリアンと女アンナは、まるで鏡写しのような存在だ(物語自体も、前半と後半とでまるで鏡写しのような構成で紡がれている)。終戦直後のドイツとフランスを舞台に、それぞれ異国の地へとある人を訪ねて旅に出る。そしてドイツでアドリアンはアンナにある嘘を吐く。アンナの婚約者フランツにまつわる嘘をつく。そして嘘を積み重ね、その嘘が崩れ去った後、今度は女が嘘を重ね始める。フランツの両親を思うが故の嘘か、少しでもフランツの想い出を延命させたいが故の嘘か、あるいはアドリアンへの新たなる想い故か?そしてアンナはフランスでアドリアンと会う。そしてそこで女が積み重ねた嘘の先に見えてくる真実と現実・・・。あぁなんて美しいストーリー。この物語を書いたのはトルストイだと言われても、私ならきっと信じてしまう。
映画の原題は”Franz”。戦死した婚約者の名前だ。そしてモノクロの世界の中に、まるでフランツの魂が降り立ったような時、シーンは一瞬カラーになる。夢の中でフランツを蘇らせたとき、またアドリアンの中にフランツが宿ったような時、そしてフランツが美しい思い出として気化されたとき、世界はモノクロからカラーになる。あぁなんて粋。
ラブストーリーが、ただ恋や愛の物語ではなく、戦争の狭間では運命と生命の物語だったということをこの映画に思い出させられたようでもあったし、ただただ単純に、映像の美しさ、物語の美しさ、演出の粋、古典文学のような気品に完全に魅了されていた。
フランソワ・オゾンを好きで良かったと、改めて思った。