ダウンサイズのレビュー・感想・評価
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アジア人女性の声のトーン
欧米人には、甲高い声というイメージなのでしょう。
自分は苦手だが、甲高い声で喚く気の強いアジア人女性…それくらい強くないと生きていけないということか?
大きなアパートの大勢の人達に消費期限が過ぎた食べ物や薬を配ってボランティア活動。
個人の力では限りがありそうだが。
同室の友達に多めに薬を飲ませて、数日後ケロッと死んだ、と。え?
人を大事にしてそうでそうでもないような?
日々忙しい彼女、ノルウェーに行くとなったら、仕事は友達に丸投げするから大丈夫って。
本題からズレた。
最初のダウンサイズ処理するまでの過程は興味深いシーンが続いたが、それ以降は全く、である。
ポールの苗字、何度も間違えられる意味は?
コメディだと思って観始めたのに何も笑えなかったな。
ダークコメディ?
階上のパーティーも普通の大きさのパリピが騒いでるようにしか見えないし、大きいままの家族と会うことは一度もなかったのも意味不明。
環境がどうのとか問題提起する必要すらなかったのでは?と思えてきた。
ダウンサイズの施術シーンなぜか面白かった
環境問題、食糧難、その他社会問題を盛り込んだように見せかけたヒューマンドラマで、分かりやすく言えばお金では買えない価値を見出だす映画。
ダウンサイズすることは単なる舞台設定で、作品の本質とは直接的には関係ない。
それではダウンサイズは意味のない設定なのかというとそうではない。
マット・デイモン演じる主人公のポールは、自らの置かれた環境のせいで挫折と失敗を繰り返してきた。その中でももう後戻りできない失敗の一つ目がダウンサイズであり、そのあとラストでもう一度、後戻りできない選択を迫られる。この2つの「後戻りできない選択」がダウンサイズによってもたらされている。
「母が病気だから」「妻が望んだから」「◯◯だから」「◯◯だから」と、言い訳のような、環境や他人本意の理由で様々なことを選択し失敗してきたポール。
マンションの上階に住むクリストフ・ヴァルツ演じるドゥシャンは揶揄するように「何でも挫折してきた男」というが、他人任せのような選択の失敗と自分自身の選択の失敗では全く意味が異なる。しかも後で取り返せるならば取り返せばいい。
生き甲斐を見出だし人生を巻き返そうとするポールを応援したい。最後の選択は失敗ではなかったことを祈る。
ところで、東南アジアとか南アジアとか中東とか、あと日本人もかな、この辺の女性の声はどうしてあんなに甲高いの?人種の問題なの?インド映画とかみんな甲高いよね。まあ好きだけども。
変な映画
「ジャンゴ 繋がれざる者」を観て、クリストフ・ヴァルツをもっと観たくなって、アレクサンダーペインでまだ観てなかったダウンサイズを。全体的になんだか変なバランス。流れ作業で小さくなっていくところが絵的にはクライマックス?小さくなったあとにまた普通サイズの社会に入ってあたふたするかと思ったらそうはならず。ホエールに出てたホン・チャウがこちらにも出てて、おー!となった。一体どこに向かってるんだろう?という気持ちで観てて、最終的にはうーんという感じ。でもなんだか変な映画だったなという点では心に残った。
結局なに??
人類の大きさを小さくするという題材は面白いから期待して見た。
せっかく面白い題材なのに、体が小さくなってからはひたすらそちらの世界のみの視点で終わり。
主人公を裏切って、1人だけ急遽ダウンサイズを拒否した奥さんは結局どうなったのか分からないまま。
その後付き合っていたシングルマザーとは少しの口論のあとは一切出てこないまま。
そしていちばん勿体ないのは、折角普通サイズの世界と小さい世界があるのに対比する描写もあまりないので、小さい世界という感覚すら最後は忘れるレベル。
ベトナムはアメリカを許し『愛のファッ○』で結ばれる。
ベトナムはアメリカを許し『愛のファッ○』で結ばれる。
良かったと思う。
出鱈目なつまらない話だと思ってみていたら、思わぬ方向に話が発展して、かなり面白かった。(進撃の巨人見たい!)
気候変動を敏感に受け止める者に、警鐘を鳴らしているのかなぁと感じた。
誰が見てもそう思うだろうが、僕は『カルト教団』に感じた。何人か有色人種は含まれているが、白人至上主義そのものに写った。つまり、ノアの箱舟。 それを否定的に終わらせているのだから、共感が僕は持てる。
さて!そもそものサイズダウンの話したが、どこかの日本映画で見たような気がした。『PLAN75』だ。つまり、こう言った内容は稚拙な内容であっては駄目だと確信する。しかし!この映画は否定的にとらえて、最後は運命に委ねるも!自分の意志で生きて行く事を選ぶ。決断が裏目に出ようが、愛のファッ○の相手と生きて行く事を選ぶ。なんか、プラトーンのあとに見たので、涙が出た。もっとも、この女優はベトナム共和国支持者の両親を持つ。青いパパイヤの香りの監督と同じだが。
いいストーリーだったが
個人評価:3.8
いいストーリーだったが、小さくなる事の映画的面白さの追求と、テーマの掘り下げの両方が中途半端に終わっていると感じる。役者は素晴らしく、クリストフ・ワルツの贅沢な使い方は良かったが、後半の畳み掛けが勿体ない進め方に思えた。
ノアの箱舟という直接的なワードを使わなければ、もう少しだけいいストーリーだったかも。
小さい人の世界
小さくなれば今ある資産で豪邸に住めて一生楽に暮らせる。
でも小さい世界では誰が3kの仕事してるの?と思ってたら、小さい世界にもあった貧困の世界。
そして貧困層はそこでも南米系、黒人系、アジア系という…。アメリカの映画だね。
そして全体的にはコメディと思ってたら違ったけど、嫌いじゃない。
デッカイアメリカの小さな正義と言う名の偽善??
私はM・デイモンが好きなので、本作を観る時ちょっと子供騙しみたいで馬鹿馬鹿しいかなと考えつつも映画館へ行ったら、案の定、彼が演じるポールがいよいよ小人に(こういう呼び方は今では差別的な表現と非難されるかな?)変身をするシーンになると、どっぷりと深い眠りの世界へと落ちて行きました!
気が付いた時にはラスト15分位だったので???って感じで、意味が判らずに映画終了。
DVDレンタル出来るようになったのでリベンジ!最後まで見届けましたが・・・
やはり寝落ちはしなかったものの、米国の頭デッカチのリベラル派の映画作家達が環境問題及び、世界の貧困問題、格差社会をコメディーに映画として作ったとしか思えない作品に感じた。
人間という存在はどうも自己の置かれている世界には常に満足をしない生物のようだ。
それだから、その不便さを改善すべく、様々な発明が繰り返され人類の文化は進歩してきた訳だから、決して現状に甘んじないと言う事は悪い事ではなく、良い面が沢山有ると思うのだ。
そして人間が培ってきたこの社会は、沢山の問題を残しているが決して悪い世界では無いと思う。しかし、現実の世の中の出来事は悪い面が目立つので、加速する環境破壊問題を改善すべく、何かと策を講じる中でこんな映画が作られるのだと思う。
本作が描いているダウンサイズした世界はエコ生活で、理想社会なら、わざわざ貧困世界のスモールワールドを作る必要性は皆無だと思う。
如何にもディズニーランド等、夢のテーマパークを作り1日だけの現実逃避と言う安価な体験をして、日頃のストレス社会の出来事を忘れさせようと画策する、米国人達が発想しそうな映画だと思う。
結果、サイズが変わり、生きる環境は変化しても、自分は自分、ポールは何処へ移動しようともポールのままで、その人間の人間性は変わらず、生き様は変化しない言う事が本作の教訓なのだろうか?
ならば、ちょっと優柔不断で気弱なグッドガイのポールのキャラを描くのでは無くて、もっともっとこの世界には良い面が有り、良い面を伸ばす事で未解決の社会問題を解決へと導くヒントを描いて欲しかった。
ポールのようなキャラではなくて、一寸法師のような勇気あるヒーローを描いて欲しかった!
「光を見つけるには暗黒に入れ」と言うけれど、それも確かだが、光を得るには暗闇から離れろ、脱出しろとはならないのか?
ガリバーや、親指姫はポールをどう見るのだろうか?疑問が残った・・・
人類は成功した種とは言えん
映画「ダウンサイズ」(アレクサンダー・ペイン監督)から。
人口増加による環境、食料問題を解決するために、
人類が縮小可能になった未来社会を舞台にして、繰り広げられる。
身長180センチなら13センチにまで小さくなることが可能になった世界、
それは、全人類が地球危機を意識し、実行に移せば、
環境、食料問題は解決したのかもしれないが、そうはいかない。
物語では、ダウンサイズしたメリット、デメリットを描きながらも、
それでも、環境悪化は進行し、遂に人類滅亡の危機に直面する。
そんな現状をみつめながら、ダウンサイズを開発した博士は、こう呟く。
「人類は成功した種とは言えん。
高い知能を持ちながらかろうじて20万年だ。
ワニは2億年生き延びた、クルミほどの脳でな」と。
どんなに技術が発達しようとも、人類そのものが滅亡したら、
それはなんの役にも立たないことを警告している気がする。
昨今の異常気象を例にとるまでもなく、確実に地球は変化している。
「地球が悲鳴をあげている」と表現する人もいるが、
地球は、長いサイクルの中で、予定通りの変化かもしれない。
悲鳴をあげているのは、人類でしょ?と地球に笑われそうだ。
こういう社会風刺的な作品も、悪くないなぁ。
面白い設定
人間の縮小化に成功した社会。使用する資源が少ないから生活維持にお金が掛からない。
仕事をしたくない人達が集まる小人の世界と、
強制的に縮小化されたベトナム人の女性。
最後はパラダイスに閉じ籠る人々。
ちょっと支離滅裂だけど、設定は面白い。
含有量
コメディかと思ったら全く違った。
設定としては突飛だが色々と含むものの多い作品だった。
結構シリアス。見方によっては。
自分の居場所を探す旅にも思えるし、どんな世界であろうとも愛する人が居なければ、全て無意味と語ってる風にも思える。
箱庭的な自由を制限と受け止めるか、強制された環境であっても自由を謳歌できると受け止めるか。
いずれにせよコメディだと思って観るとげんなりする作品になってる。
とはいうものの、クソマジメにこの作品を宣伝されても、メッセージが崇高的なので観ようかなという気さえ起こらないかもと思う。
なんにせよ、この作品に出会えた事には感謝する。
笑いも感動もしなかったけど、鑑賞後の後味は悪くない。
死ぬまでの時間なのか、生きている間に出来うる事なのか…まあ、自己啓発本的な内容だったようにも思えるかなあ。
ユニークな着想も、ただの企画オチ
アレクサンダー・ペインの映画にハズレはなし、と思っていたけれど、今回は正直ハズレだったとしか言いようがない。人工が増えすぎたこの世界で、人間の体を13cmに縮小させる技術の開発に成功。そしてそれを実践した男の悲哀と喜劇を描いたこの物語は、そのユニークな着想にグッと引き付けられるものがあるものの、蓋を開けてみると、思ったほどの可笑しさもアイロニーは存在しない。
映画が始まってしばらくすると、突然気づくことがある。映画を見始める前までは面白い着想だと思っていた「人間を縮小化させる」という設定が、いわゆる「出オチ」というか「企画オチ」のように感じられてくるのだ。これが、例えばチャーリー・カウフマンあたりが脚本を書くなりしていたらまた違っていたようにも思えるのだけれど、アレクサンダー・ペインがそのユニークな着想をそれ以上の悲劇にも喜劇にも結びつけることができず、結果「企画オチ」じみた仕上がりになってしまったような印象が強い。
視覚的に考えても、マット・デイモン扮する主人公が身体を縮小させて以降は、同じく身体を縮小させた人々の暮らすコミュニティ内における物語になるので、見ている側として身体を縮小させたことによる変化を感じにくいというのがあるし、また、物語としても、生命体としての人間の存在の是非について深淵な問いかけをしているようで、それを表現するのに人間を縮小化させることが最善の設定だったか?あるいはそれによってドラマが広がりを見せたか?と疑問が湧く。アレクサンダー・ペインの考えたストーリー自体、いつになくまとまりのないもので、物語が進めば進むほどに、支離滅裂な方向へと落下していくような感覚だった。
そんな中で、唯一画面を活気づけ、笑いと生命力を感じさせていたのがホン・チャウという女優さん。ベトナムの刑務所から体を縮小させられてアメリカへ渡ってきたという女性を実にユニークに演じていて、台詞回しから声色からすべてがユニークかつチャーミング。ホン・チャウの存在は最早この映画の良心であり救世主。彼女がいたお陰で、どうにか最後まで映画を見ることができたと言っても強ち嘘ではないかもしれないと思う。それほどまでに、135分という決して短くはない上映時間をさらにそれ以上の長さに感じ、ユニークな着想は出オチで使い捨てられ、あとは完全に迷子になったようなストーリーを見ていくことは苦痛だった。ホン・チャウがいなければ、私はこの映画をもっと扱き下ろしていたに違いなかった。
考えさせられる
人口増加、環境破壊が進み、このままだと人類滅亡はおろか、地球滅亡が避けられない。その解決策としてノルウェーの研究所が生物の細胞を14分の1にする技術を発明した。そこは経済的な心配が全くない楽園。老後の社会保障が見えない今の日本にも魅力的に響く。
善良な主人公の平凡な生活はどこか行き詰っていて、妻とダウンサイジングを決めたのに、妻が直前に急に恐くなって小さくなるのを止め離婚、ひとりぼっちで豪邸が逆に空疎。しかし上の階のパーティ好きなヨーロッパ人との付き合いから、ダウンサイジングを悪用されたベトナム人女性と出会う。一見、楽園のようなコロニーにも壁の向こうにスラム街があり、明らかな格差があったのだった。
しかし愚かな人間は環境破壊を進め、人類が生き延びるためには更なる解決策が必要となり、技術の進歩は既に新しい世界の創出に成功していた。
あり得ない設定でありながら、あり得そうにも思える。テイストはコミカルな風刺劇だけど、メッセージの量は多い。
ゴールデングローブ賞等でノミネートされていたベトナム人役の女優さんに注目だった一方、マット・デイモンってあんなに肉付き良かったっけ?役作り?
コメディ色はおさえめ
環境問題、食料問題を解決するために人類を小さくすることに成功した近未来を描いたSF 映画。
小さくなった社会をコメディタッチで描くのかと思ったが、コメディ色はおさえめ。人間社会の風刺の方が強めだ。でも、それをそんなに説教くさくせずさらっと描いていたのは好感が持てた。ただし、根本的な問題が解決してないまま終わっていくのは若干モヤモヤする。
妻が結構早めにいなくなるのは意外だったが、代わりにヒロインを見事に演じたベトナムの元活動家役の女性が素晴らしい。
超シリアスで、笑えないコワーい映画
人類の縮小が可能になった未来を描く、突飛なシミュレーションドラマ。
予告編につられて、単なるコメディかと思ったら、超シリアス。それもそのばず。
アレクサンダー・ペイン監督といえば、「ファミリー・ツリー」(2012)や、「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」(2014)などで、"家族と自分"の距離感を描いて、アカデミー賞やゴールデングローブ賞で評価されてきた人。
さらに、"ハリウッドの良心"マット・デイモンが脚本を選んだわけだから、そりゃそうだ。エンターテインメント性とメッセージ性を兼ね備えている本作は、まさにマット好みかもしれない。
近未来、ノルウェーの科学者によって発見された技術で、身長180cmの人間を13cmにすることが可能になった。人口増加による環境・食糧問題を解決するため、"人類縮小200年計画"が始まる。
主人公のポール・サフラネックは、ダウンサイズ計画に賛同して、夫婦で参加を決めたが、土壇場で妻が不安になり、逃げてしまう。独り13cmのサイズで生活をしなければならなくなった、ポールの身に起きる出来事を描く。
意外なのは、環境問題に警鐘を鳴らすのではなく、環境活動家たちのエゴに対してのブラックジョークがてんこ盛り。
結局、"人類の未来"や"子供たちの将来"を考えることができる人っていうのは、恵まれた環境で生活できている人だけ、なのではないか。
しまいには、"ノアの方舟"は、選ばれし富裕層のこと。と断罪するようなキツーいメッセージが飛び出してくる。とても笑えないコメディ。
人類の未来を訴える前に、いま困窮している人を救ってあげないのか?と言われると・・・地球温暖化問題ってどうしたらいいの(笑)?
社会問題をマクロで見るか、ミクロで見るか。実に知的な映画である。
(2018/3/2/ユナイテッドシネマ豊洲/シネスコ/字幕:種市譲二)
ノルウェーの科学者によって人類縮小化が可能になった近未来。食肉工場...
ノルウェーの科学者によって人類縮小化が可能になった近未来。食肉工場で地道に働くポールは妻オードリーとともに現在の資産で優雅な生活が出来る縮小化社会で暮らすことを決意し手術を受けるが、麻酔から覚めるとオードリーが手術を受ける寸前で逃げ出したことを知り動揺する。ポールはコールセンターの職を得て暮らし始めるが様々な出会いを経て人生が更に想定外の方向へ転がり始める。
マット・デイモン演じる主人公が散々な目に遭いながらも、理想郷だと思っていた縮小化社会の裏側を知り、現実を突きつけられ翻弄されながら辿り着く境地がユニークで面白い。ポールを悩ませる能天気な隣人をクリストフ・ワルツとウド・キアーという個性が切り立ったベテランで固め、縮小化を実現した科学者ヨルゲンを『幸せなひとりぼっち』の独居老人オーベ役が印象的だったロルフ・ラスゴードが演じているので作品トーンは欧州産の香り。ポールの人生観を激しく揺さぶるベトナム難民の家政婦ノク・ランを演じるホン・チャウの素っ頓狂なツンデレぶりも胸に染みる、味わい深いキュートな小品でした。
人生に迷っている人に、お勧めです。
他の人のレビューをが良くないのであまり期待していなかったが、思った以上に面白かった。
このような映画、たぶん若い人にはあまり受けが良くないと思いますが、中年以上の人達には色々と自分の過去の人生をオーバーラップして見れて良いのではないかと思います。
また大人しい映画のわりには次へのストーリー展開がちょっとSF風で間延びなく見れました。
後日追記としてまた書きますが、マットデイモン演じるポール・サフラネックは物事をすぐに信じてしまう凄いお人好しなので軽い気持ちで妻の気持ちもあまり考えずにダウンサイズしてしまう、それにより妻にも裏切られまた、変なカルト的な集団に感化され、地下の世界に行こうとしてしまうのだが、最後の最後に愛の力で行く事を断念出来たというストーリー。
なので、この映画は人生の岐路に立っている時や迷っている人には良いヒントになるのではないかと思いました。
ただし、アメリカ映画のお決まりのみんなでウォーというシーンには、またかとウンザリしますね。
それと残念なのは、デイモンが太って横っ腹が出ていて昔のカッコいいイメージとは随分かけ離れているという事ですね。
、
風刺がきいている
ノルウェーの科学者によって人間の身体を縮小する方法が発見され、身長180センチなら13センチにまで小さくなることが可能になった。人口増加による環境、食料問題を解決する「人類縮小200年計画」が立ち上がり、一度小さくなれば二度と戻ることはできないが、それでも各国で小さくなること(ダウンサイズ)を選ぶ人々が徐々に増えていく。アメリカのネブラスカ州オマハでストレスフルな生活を送る、どこにでもいる平凡な男ポール・サフラネックは、少しの蓄えでも裕福で幸せな生活が遅れるという縮小された世界に希望を抱き、ダウンサイズを決意。しかし、土壇場で妻のオードリーが逃げ出してしまう。ポールは縮小された人間たちの世界で、ひとり寂しい生活を送ることになり、自暴自棄になる。ポールはヴェトナム人の足が不自由な革命家の娘と出会って徐々に変わっていく。そこに人類存続のため地下の世界に住む計画に誘われ、一度は同調するポールであったが、最終的には今の世界を選んで生活していく事となる。マット・デーモンにピッタリの役回りで納得の作品。
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