「リベラルな家族向けの冒険活劇」ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー Nakagakiさんの映画レビュー(感想・評価)
リベラルな家族向けの冒険活劇
私は、エピソード「1」で、スターウォーズから撤退しましたので、レビュー書く資格はないかもしれません。スピンオフ作品というのは、本作品を知っていないとちゃんと評価するのは難しいと思います。ただ、いちばん好きな映像作品は『ブレードランナー』ですので、間接的ながら、評価できるのではと思います。
無い物ねだりの評価は、いちばんしてはならないことだと思います。『ハンソロ』は、おそらくは『スターウォーズ』関連作品のファンをおもに対象としたもので、人間的なドラマというよりは、映像的なインパクトやクリーチャーやドロイドのかもし出す世界観そのものが好きなのだと思います。さらに、映画は昨今の映像技術の進歩によって、ある意味での原点に帰ったのです。つまり、「ムービー」「活動写真」という、動く画像そのものにスペクタルとしての刺激を求める方向です。そのような意味で『ハンソロ』に、何か人間性の深みを描き出すような要素が足りない、とかいうのは、お門違いだと思うのです。そのような文学的要素を見出したい人は、文学そのものにそれを求めればいいのです。
それを踏まえた上で、『ハンソロ』は、やはり娯楽として作りにくい部分があったのではないかと推測されます。主人公は「アウトロー」としての位置づけを与えられながら、悪役にはなりきれないことはわかりきっています。また、『スターウォーズ』本編との関連から、一つの銀河を救うような<善>の立場にいることも難しいのです。
『ハンソロ』の<悪>が行き着いた先は、 先住民を搾取する「帝国主義」そのもののような<悪役>にあらがい、その原住民を解放し、さらにそのいかにもマイノリティーを思わせる原住民からなる反乱軍に、不法に得た武器や資金を調達する役割であり、実のところ、現代のアメリカが親米的な民主主義世界を拡大するために、実際にウクライナなどで行なっている「悪」であるとも言えます。つまりは、正義の名の下に行う居心地のいい「悪」かなと思います。『ハンソロ』には、そのほかにも、女性やマイノリティーにかなり気配りを見せていて、リベラルな家族にとっては安心して見ていられる娯楽であると言えましょう。
ハリウッドの「リベラル」化は、別に『スターウォーズ』に始まったことではないですが、またハリウッドに限られた話でもありません。メジャーな娯楽の提供者は、やはり無難な路線に行かざるをえないのでしょう。これ以上のことを書くと、やはり私も「無い物ねだり」になってしまいます。しかしながら、フォースのような超能力要素や、親子の確執と復讐、「お姫様を救う」などの王道路線まで、本編とのバランスを考えてある程度制約されるとなると、やはり一個の作品としては地味にならざるを得ないかなと思います。そこは残念ですね。
『シンゴジラ』でもありましたが、本編をリスペクトするがゆえに、わざと時代遅れの映像を入れるのはやめてほしいです。映像としての面白さくらいしか楽しむ「活動写真」であればこそ、せめて最新鋭の映像技術の粋を見せてほしいです。