「女は二度決断する。そして私は、」女は二度決断する ウシダトモユキ(無人島キネマ)さんの映画レビュー(感想・評価)
女は二度決断する。そして私は、
自分の家族の命を奪われた!
犯人が憎い!!
でも現代の法治社会では、罪人を裁くのは司法の役目。だからちゃんと法に訴えた。
でもその裁判で犯人が無罪になっちゃった!
さあ、主人公はどんな決断をする???
ざっくりそういう映画。
現実ならツラすぎるけど、映画の話としてはありがちっちゃあ、ありがち。
でもガッツリ見応えある映画になってるのは、主演のダイアン・クルーガーという女優さんが、すっごく深みのある演技をしてるのが良いんだと思います。
ダイアン・クルーガーの演じる「悲しい」が、うるさくなく、汚くなく、高い純度で「悲しい」のです。僕にはそう感じられました。
でも、ダイアン・クルーガーの演技から「怒り」を感じ取る人もいるでしょう。
「怒りの話」として観るか、「悲しみの話」として観るかで、作品の後味もだいぶ人によって違うんでしょうね。
主人公はどんな決断をしたのか?
どんな決断をしても失われた命は元に戻らないので、その決断というのは100%「自分がどう折り合いをつけるか」という問題です。言い方を変えると、「どうしたら自分の気が済むのか」ということですね。
「復讐したって、死んだ夫は帰ってこないんだぞ!」とか、
「天国にいる君の子どもは、復讐なんて望んでいないよ!」とか、
んなこたどーでもいいのです。夫や子どもを失った“私の心は”どうすればいいの?ってことだと思うんです。主語が違う。「べき論」も「正論」も届かない。
この映画は、「主人公はどんな決断をしたのか?」が論点になる映画だと思います。
「ボクは仕方がないと思うなぁ」とか、
「ワタシは共感できないわ」とか、
そういう話ができる映画ですし、そういう話が僕も誰かとしてみたい。
でもたぶん、主語が違う。
主人公は、そういう決断をしたんだな。と、その「悲しい」もしくは「怒り」を思いやることくらいなんだろうなと思いましたね。