「綾瀬はるかより坂口健太郎が可愛い映画だった。」今夜、ロマンス劇場で 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
綾瀬はるかより坂口健太郎が可愛い映画だった。
邦画には疎い私だが、この映画だけは予告編を見て「絶対に映画館で観たい!」と思っていた。スクリーンに映し出されるオードリー・ヘップバーンを模したようなモノクロの綾瀬はるか(オードリーを模してギャグにならない日本の女優として彼女が選ばれたのには大いに納得)と、昭和のレトロなファッションに身を包んだテクニカラーの坂口健太郎が、これまたレトロな雰囲気たっぷりな映画館で向き合うシーンを見たら、映画好きの心が擽られてしまった。のだけれど、実際に作品を見たら、あぁ・・・所詮はアイドル映画だったのね・・・。
映画のスクリーンから、登場人物が現実の世界に飛び出してくる、という設定からいえばまぁ当然のようにウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」が思い出されるのだけれど、まぁ比較するまでもない。映画の登場人物が現実に飛び出てくるという設定を活かしたシーンなど数えるほどしかなく、それらも実に気の抜けたドタバタ劇。あとはもう少女コミックよろしくの純愛ストーリーに没入してしまう。せめて往年の映画作品に対するオマージュがあってもよさそうだが、冒頭で旧いB級映画をパロディしただけという敬意の薄さ。白黒のお姫様と素朴な青年、そして映画館・・・という組み合わせがあまりにも粋で、この設定を本当に活かすことができたなら、キャサリン・ヘップバーンとスペンサー・トレイシ―(ケイリー・グラントでもいい)が演じたような40年代のスクリューボール・コメディを現代の日本に復活させることさえ出来たんじゃないか?って風にも思ってしまうのだけれど、この作品にそんな志はなかったよね。
中盤では「触れると消えてしまう」という実に強引で都合のいい設定を後付けで加え、物語はますます感傷的に。その新たな設定を使ってやりたいことはきっとこういうことだろう、という予想をまるで越えないその後のストーリー展開にも首を傾げずにいられなかった。それに、ラストにかけてのだめ押しのような回想シーンと大袈裟な音楽、見え見えの展開を執拗に引っ張る演出で観客の涙を搾り取ろうみたいなのって、私からすると興醒めでしかないのだけれど、この手の映画を好む方々はこのくらい分かりやすくオーバーにやらないと感性が働かないくらい不感症なのだろうか?
ただこの映画の見所は、冒頭で言った「アイドル映画」としての楽しみだ。しかしそれは綾瀬はるかを楽しむものとしてではない。この映画は完全に坂口健太郎のアイドル映画である。気弱で素朴でちょっとオドオドしたような善良な青年を演じる坂口健太郎の可愛いこと可愛いこと。トラブルに巻き込まれて「んもう!やめてくださいっっ!」と叫ぶ姿がこんなに可愛いだなんて。完全に可愛さで綾瀬はるかを食ってます。
いい素材を持った映画だったと思うのだけれど、日本で量産される少女コミックじみた純愛映画のセオリーを注視するあまり、凡庸になってしまった感が否めなかった。