「稀有な女優・綾瀬はるかのキャラクター傑作」今夜、ロマンス劇場で Naguyさんの映画レビュー(感想・評価)
稀有な女優・綾瀬はるかのキャラクター傑作
"綾瀬はるか"という女優は、日本映画における孤高の存在である。
共演者のひとりとして作品に溶け込むこともあれば、天性のコメディエンヌとして、無類の存在感を爆発させることもできる。そして"綾瀬はるか"ファンは、そんな彼女の両極を愛してやまない。
稀有の女優"綾瀬はるか"は、作品の枠を超えたキャラクターであり、それ自体が独立したシリーズ、あるいは"綾瀬はるか"というジャンル映画と呼べるかもしれない。
だから、作品が"綾瀬はるか"を輝かせるのではなく、まず"綾瀬はるか"ありきで、新しい設定と旬の俳優をゲストを迎えるという格好になる。
さて、最新作の設定は、モノクロ映画の中のヒロイン"美雪"が、現実世界に飛び出して、青年と恋をするファンタジー。迎える共演は坂口健太郎。ちょうど1年前に「君と100回目の恋」(2017)でmiwaとラブストーリーを演じた、まさしく旬の俳優である。
本作が、いくつかの作品を彷彿とさせるのは、定番プロットを組み合わせたパロディであるから。それらは、多くの人が好きになるエッセンスとして散りばめられている。
まず映像的に大きなモチーフとなっているのは、ディズニー映画の 「魔法にかけられて」(2007)である。”おとぎの国プリンセス”が”現代のニューヨーク”に降り立つという設定だけでなく、アニメーションから実写への映像展開を、モノクロからカラーへの転換するアレンジでファンタジックに応用している。
「魔法にかけられて」では、画面アスペクトも拡大する演出がなされているが、本作は本編にビスタサイズを選択しているので、モノクロ映画のスタンダードサイズは劇中スクリーン内だけにとどめている。本編をシネスコにすれば、スタンダード→シネスコへの拡大転換で面白かったかもしれないが、オープニングシーンだけのために、テレビ放送しにくいシネスコサイズは選べない(ワーナー+フジテレビ映画だから)。
さて単に"画面から、綾瀬はるかが出てくる"だけでは、「リング」(1998〜)の貞子になってしまう(笑)。
そこで、それを補ってコミカルにするのは、"高飛車なプリンセス"設定であり、お城を抜け出して騒動を起こす、「あんみつ姫」(1949〜1955/1986〜1987)的なキャラクター。さらに、"プリンセス"と"下積み助監督"の恋愛関係は、そう、「ローマの休日」(1953)の王道設定を持ち込んでいるのだ。
そしてもうひとつ、映画ファンの心を揺さぶるモチーフは、「ニュー・シネマ・パラダイス」(1988)である。映画監督をめざす健司が通う映画館"ロマンス座"は、「ニュー・シネマ・パラダイス」の"パラダイス座"を引用しており、また映写技師"アルフレード"的なポジションで、映画館館主・本多(柄本明)がいる。作品後半で、健司がロマンス座の館主を引き継いでいるのも、映画技師を継いだサルヴァトーレと同じだ。
また、映画そのものを題材にした作品は、映画ファンのノスタルジーを煽るズルいテクニックである。映画「アーティスト」(2012)や「ヒューゴの不思議な発明」(2012)、はたまた「蒲田行進曲」(1982)など、時代とともに変遷していく撮影現場や映画館のようすだけで、映画ファンは1ラウンド・ノックアウトである。
綾瀬はるか演じる"美雪"は、人のぬくもりに触れると消えてしまう。互いに惹かれ合う健司と、指先さえも触れあえない究極の"プラトニック・ラブ"である。しかもモノクロ映画の世界から飛び出して健司に近づくため、その苛酷な交換条件を受け入れてしまった。これはアンデルセンの「人魚姫」の悲劇モチーフである。
こうして数々のパロディだとわかってくると興覚めしてくるはずだが、ここからがこの作品の意外性であり、綾瀬はるかのコメディエンヌ性とシリアスのギャップ効果が発動される。
「ローマの休日」や「魔法にかけられて」、「あんみつ姫」の主人公は皆、ヒロインが元の世界に帰っていく。しかし本作の意外性は、そんな"元サヤ結末"を大きく裏切る。かといって「人魚姫」のような悲劇にもならないところが、すごい。
このエンディングを選んだことが、本作の唯一にして最強のオリジナリティになっている。
監督は、「テルマエ・ロマエ」、「テルマエ・ロマエⅡ」、「のだめカンタービレ」シリーズの武内英樹監督。どんな監督より安打率の高いヒットメーカーで、その映画術なのか、パロディなのに作為的な不自然さがない。オマージュセンスの高い感動作である。
(2018/2/10/TOHOシネマズ上野/ビスタ)