「猫で釣っているわけじゃない」ボブという名の猫 幸せのハイタッチ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
猫で釣っているわけじゃない
見てからだいぶ経つが、この映画におやっとなったのは監督のクレジット。
映画を遡って、サムペキンパーを履修した人なら、かならずロジャースポティスウッドという名を見かけたはずである。
ただし、いつ見ても、だれの映画で見ても、ずっとエディターだった。
その古い名前を、ひさしぶりに、監督として見かけたのだった。
編集で名が売れた珍しい人だった。──との記憶がある。その後ペキンパーの後継者ウォルターヒルの48時間で脚本にまわった。
いわばアクション映画の巨頭から学んだ筋金入りの職業映画人である。
猫補正または犬補正、あるいは小動物補正──というマーケティングがある。
ひとの目を惹きつける3つのBがある。
ひとは3Bをクリックするように創られている。
Beast、Baby、Beauty。
ネットにころがっている猫の動画に、わたしもついつい誘われる。
しかし動物のかわいさに依存しているドラマは個人的には白ける。かわいけりゃいいという輩もいるかもしれないが、わたしはかわいいに屈しない。(キリッ)
海外には動物(または婦女子など)がかわいいことによって、ドラマ・映画のクオリティを寛恕しうるという構造=萌えがない。
たとえばギフテッド(2017)という映画がある。
マッケナグレイスと隻眼の猫フレッドで、日本市場向けの「萌え」は完遂している。しかし、ギフテッドはドラマもしっかりしていた。ようするに「かわいいんだからクオリティは甘く見てね」とは言っていなかった。
逆に言うと、クオリティを確保できない日本のドラマ・映画が、小動物に依存することを猫補正とか~補正と言う──わけである。
よって、この映画は日本市場では、補正含みで捉えられ、好評を獲得したわけだが、じっさいの真価はスポティスウッドの演出にあった。
まさにエディターが撮った映画。映し過ぎず、適時で場面転換し、シーン中も頻りに割ってくる。いちども長回ししない。巧みに猫視点が挿入される。中毒者にとって難所となるメタドン抜けも苦悶と猫の数カットだけで描写してみせた。編集が、まさにアクション映画のそれであり、映画に決定的な活気を与えていた。それもそのはず。なんたってペキンパーの編集人やってたひと。
猫を狂言回し的に用いながら、実は、しっかりした人間のドラマになっているところが、この映画の光るポイントだと思います。