バケツと僕!のレビュー・感想・評価
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【ダウン症のボクと気弱な介護士見習いのボクとの柔らかなバディムービー】
個人的に思い出のある場所で撮影された映画ということ鑑賞。
役者としての経験が少ない二人がW主演。
・徳永ゆうき
”今作では鰻重は運んでいないし、鼻歌で演歌も歌わない。真摯にダウン症の青年を好演している。この人がダウン症の方を演じるとどうしても山下清を彷彿としてしまう。山下清の映画が製作される際には主演候補ではないかな。”
・紘毅(前川清さんの息子さん)
”誠実で不器用な青年を一生懸命演じている。”
石田和彦監督の、長い助監督時代を経ての初監督作品。
杉田かおる演じた児童養護施設の職員の怖さや、彼らを取り巻く環境を舞台にした今作は、観るべき部分はあったと思う。
<2018年6月4日 劇場にて鑑賞>
レオ様と比較してみた!
レオ様と比較してみた! 香取慎吾様とも比較してみた!
レオ様(レオナルド・ディカプリオ)も、香取慎吾様も、「知的障害」の少年を演じていらっしゃいますよね。
恐れ多いけれど、今回、里谷少年(さとやしょうねん)=15歳ー通称「バケツ」ーを演じた、徳永ゆうきくんと、お二人を比較してみた。
「ギルバート・グレイプ」
1993年 アメリカ映画 兄のギルバート(ジョニー・デップ)と、重い知的障害の弟アーニー(レオナルド・ディカプリオ)の物語。19歳のディカプリオは(役の設定18歳よりずっと「子供」に演じ)アカデミー賞にノミネート。
「未成年」
1995年 TBS系列(野島伸司 脚本) いしだ壱成、反町隆史、谷原章介、桜井幸子、浜崎あゆみ、らが織りなす青春群像劇。幼い頃、頭に深い傷を負った18歳の知的障害者=通称「デク」に香取慎吾(95年ザテレビジョンアカデミー賞で助演男優賞)。
本当に恐れ多いけれど、徳永ゆうきくんは、このお二人にヒケをとることがなかった…。と、思う。
この頃すでにアメリカのTVドラマ等で「天才名子役」として知られていたレオ様は、高いところ(町の給水塔など)に登った時の奇矯な声、バッタ(昆虫)をつまむ指の反り、これ以上やればあざとくなる寸止めのリアリティー、体当たり、「神がかり」的演技。
香取慎吾様の「デク」は、「知的障害」を前面に押し出さない、穏やかな少年として描く。「同じ言葉の繰り返し」のような場面で観客は、それと気付き、思えば、随所ににそれらしきところがあった、ことを知らされる、「美しい人」。
「パンツ一丁で映画主演!?』(週刊文春3月15日号) デジタル版→もあり
この「パンツ一丁で走り回る」シーンには、単なる客観としての「知的障害者」ではなく、その彼,里谷少年(さとやしょうねん)の主体をも含めた「本質」が表現されている…。
体毛がさほど濃そうに見えないが彼の腿には、若干の剛毛も含めたすね毛が見える。
のちに明かされることとなる「健常者への恋」。
養護施設内での虐待のシーンの続きでありながら、既にこの段階で、肉体=性欲、へのメタファーともなっている。
人は自らそれと気づかず、「優生思想」を持っている。
知的障害者の肉体は美しいのか醜いのか?
知的障害の性欲は美しいのか醜いのか?
またこの二者択一への答えを性急に求めることの是非は…?
目をそらすこと、タブー視というオブラート…。
誤解を恐れずに言わねばならないが、実は、この作品は、「知的障害の人が出ている」のではなく、タブーを含めた「知的障害そのものに向き合った」ものと言える。
誰もが褒める徳永ゆうきくんのこの役。
客観的すぎず、主観的すぎず、悲観的すぎず、楽観的すぎず。
石田監督が出演者たち全員に要求した「明るく、明るく、もっと明るく!」は、知的障害の本質を徳永ゆうきくんの肉体を通じて結実させるものとなった。
ひたすらに残念でした。
虚しさと悲しさのつのる映画でした。
人生って辛くて報われないんだよ、っていうメッセージをひたすら感じました。
コメディー映画かと思ったのですが全然違いました。
トレーラーも良くて、キャスティングも面白いなって思ってた分、とても残念でした。
主人公はバケツくんを大切に思っていると言うけれど、バケツくんの肯定的な側面はほとんど描かれていなかったと思います。
また、個人的に女性へのカメラの捉え方に他意が感じられ、そこもうーんという感じでした。
ラストの方の「これから僕たちどうなるんだろう」という感じの主人公のセリフに、なんだか気力も失われ、みなければ良かった...と感じました。
歌は良かったけど、すごく良かったけど。。
全然虹色じゃなかった。。
残念すぎる。。
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