テルマのレビュー・感想・評価
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解き放つ
埋められていた記憶を掘り起こすとき、
音をたてて世界が動き出す。
彼女の様々な初体験を目撃するとしか表現のしようがない。
繋がれたいくつもの鎖が容易く壊せることを知ったテルマは欲望を解き放ち、そして世界を、観るものの心さえも吸い込む。
「キリストはサタン」
スリラーやホラーというより、“ダークファンタジー”の色が強い作品である。いわゆる『超能力』を持ってしまった女性の誕生譚というストーリー設定であり、多分日本ではここから、この女の子がどういう魔女に育つのか、それともどこかで改心してダークヒロインに改心するのか、そのプレリュード的意味合いが濃い内容である.キリスト教やジェンダー、はたまた青春時代の影などのプロットを織込みながらも、人ならざる者の犯した罪への怖れを描きながら、しかし自己肯定に転換するそのポイントは、それでも“生きていたい”という生存への偽らざる渇望なのである。そしてその壁を越えたとき、より少女は禍々しく輝くという演出になっている。
構成的には“ヘレディタリー”に近いのだが、あちらはオカルト。こちらは、欲望と理性との葛藤が常に付きまとう。癲癇検査のシーンでのフラッシュの演出は確かに効果的で、プチトリップ感を観客に与える。
それにしても、北欧女性の美しさはこの上ない芸術品であると改めて思い知らされる主演女優である。
家族を犠牲にし、そして奇跡を見せ、開き直りと覚醒を経た少女の無敵感は、この作品のシリーズ化を企画しても不思議ではない、作品の重要なファクターとして力強くスクリーンに映し出されていた。
ソファーや凍った池、プールの下、窓ガラスの中、等々そのアイデアと、場面転換の残像感(凍った池の次に、大学キャンパスのタイルが映し出されることでの概視感を演出させる映像効果)も巧みに取り入れられていて、その計算し尽くした作り込みにも驚愕である。アバンタイトルの父が幼い娘に銃口を向けるシーンも、これからのストーリーへの引っ張りをかなり上手く演出されていたのも素晴らしい。
別のサイキック物の少女のプリクエルという観方も出来る、なかなかの凝った作品であった。
親と子の葛藤
星🌟🌟🌟 最初ホラー映画かと思って見に行ったのですがサスペンスぽい作品でした❗名作キャリーに近い感じがしましたが中途半端な内容であんまり感情移入は出来ませんでしたもっと家族に重点を置いた方がストーリー的には良かった気がします 弟が亡くなって父と母のテルマへの葛藤とか…
作品に込められた宗教的寓意は分かるのですが...
特異なオカルト能力を持った主人公・少女テルマが、ノルウェーの片田舎町から大学生としてオスロに出て来て自我に目覚めるまでを描くホラー作品。厳格な父親の元で、宗教や一般的な倫理観に束縛された少女期を送った主人公が、最終的にそれらの相剋を乗り越えて精神的自由と自立を獲得する、と言えば聞こえは良いのですが、家族を犠牲にしてまで正当化出来るものなのでしょうか...? 主人公が得ようとしたものと失ったものを見較べた時、そのバランスの余りの悪さに正直当惑を禁じ得ませんでした。この作品は飽くまで(宗教的)寓話と捉えるべきものなのでしょうけれど、主人公の最後の幸せそうな笑顔にはとても違和感が残ってしまいました。
キリスト教の教えに従って禁欲的に育てられた主人公テルマが実は「願っ...
キリスト教の教えに従って禁欲的に育てられた主人公テルマが実は「願ったことを実現させる」能力を持っていて、好きになった女・アンニャを(同性であったがゆえに)消してしまう。両親の下に帰り懺悔をするが、最後は父を殺し、再び出現?させた好きな女の下に帰る……。こうして見ると自分の欲求を殺してきた少女が解放される物語かなと思う。
最初から自分の欲望を肯定できていればアンニャを消さなかったし、父親も殺さずにすんだろうに……。と思わんでもないが、父親も自業自得な感はあるがちょっと不憫ではある。息子(テルマの弟)をその能力で残酷に殺した娘を、殺そうとしたのをやめてまかりなりにも育てた訳だし。父親が最後消えない炎に焼かれて死んだのは、子供のテルマに蝋燭の炎をかざしながら「地獄はずっとこうだ」と語った意趣返しだろうか。
自由に愛する人を愛するテルマの未来は否定できないが、欲望を手懐けられるかという恐怖に駆られている人は、それそれで共感できる。最後のテルマの笑顔は少し悪魔的にも見える。
不穏な空気に圧倒され続ける傑作
冒頭の父親が幼い娘に銃口を向ける衝撃的なシーン。一体この親子に何があったのか?
大学生となり都会で一人暮らしを始めたテルマには幼い頃の記憶がない。突然の発作による検査の過程で過去の記憶が、そして彼女の持つ「力」が明らかになっていく。
しかし重い。実に不穏で重い空気に圧倒される。親にも、宗教にも、医学にも救われることはない。
決して贖うことのできない罪を自覚してもなお生きようとするテルマ。その「力」ゆえ、生き続けることが罪なのだろうが…
サイキック ファンタジー
ホラーというよりも、不気味な不穏な雰囲気の映画。
前半は意味が分からず、何の話?と退屈だったが、後半特に残り1/3からは引き込まれていく。
ラストは、現実なのか妄想・幻覚のことなのか・・・
想像力が膨らみ、確かに頭から離れない。
心が凍りつくサイキックホラー。
北欧の清く重々しい空気感と共に、少女テルマの“何か”に対する戸惑いを 美しくスタイリッシュに観せる画面に引きつけられました。
ただその重々しい演出が観念的すぎて… ホラー、サイキック、難病?と作品の核心を見えにくくしている様にも感じましたが、そこが最近のハリウッドホラーに欠ける新鮮な所かも知れません。ラース・フォン・トリアーにも通づる、精神的にも心が凍りつく演出は儚く唯一無二の物を感じました。
彼女には選択肢が無い
テルマとアンニャの恋模様を中心に、恐ろしい能力と過去をホラーテイストで描いた作品。
テルマが自分自身を受け入れ欲望を認め、抑圧から解放されるまで。
蛇が喉に入ってくるカットがとても好き。
映像は綺麗だけど冗長に感じることも多く、幻覚的なシーンと現実を交互に見せられるので途中まで正直退屈だった。ホラーと謳っているけどそうでもないし。
また若くて綺麗な女の子が何かに目覚めてしまうのか…と若干辟易としていた。
しかしラストの展開で急に恐ろしくなる。
強く想う人が消えてしまうのは今まで自分の能力に自覚が無く、混乱半分に力が暴走してしまっていたからだと思う。
封じ込まれていた過去の記憶を取り戻し、力を思うように使えるようになったらそれはもうテルマの思うがままに出来るということで。
無事にアンニャと再会できて幸せにキスを交わして歩いて行くけれど、そりゃそうだ、テルマがそれを望んでいるのだから。
今後アンニャと取り返しのつかない喧嘩をした時にまた力が暴走するのではと思ったけど、そもそもテルマが強く願えば二人の仲に亀裂が入ることもないんだなと。
もう別れたいとテルマが思うようになった時は別として。
「彼女には選択肢が無い」という父トロイの言葉が身に染みる。
何でもかんでも思い通りになるわけでもない気はするけど、テルマにとっての愛に溢れた未来は相手や周りの本当の気持ちは無視されてしまうんだなと思うとゾッとする。
誰もそのことに気付かずに生きていくんだろうけど。
そして自分を抑え込んできた父親のことは消滅させたままにしているということは、夫がいなくても一人で生きていけるように母親の脚を治したんだと思った。車椅子生活ではあまりにも不自由だから。
それ以上に母への愛情があるようには見えなかった。
決して派手なホラーではないけれど、「意味が分かると怖い話」的なジワジワ来るものがあった。
あくまでも個人的な解釈ではあるけれど。
一見ハッピーエンドに見えるものが視点を少し変えるとメリーバッドエンド的になる作品はしばらく頭から離れなくて好き。
行き交う人々から徐々に一人にズームインしていく最初と対称的なラストカットが印象的。
☆☆☆☆ 『エクソシスト』 簡単に。 オープニングは何やら曰く有り...
☆☆☆☆
『エクソシスト』
簡単に。
オープニングは何やら曰く有り気に始まる。
そして場面は変わり、大学の構内を俯瞰で捉えた映像が。
その時…
テルマは怖れていた。
自分の中に有る何か?に。
産まれ持っ邪悪な力に。
テルマは敬虔なクリスチャン。
テルマは心から神に祈る。
その祈りに神からの答えはない。
テルマは恋をする。
然し…その恋は邪悪な恋愛だった。
本来ならば、決して赦されない恋。
テルマは悩む!
そして神に祈る!
それでも神は答えない!
テルマは邪悪な恋のテレパシーをキャッチする。
恋とは、テレパシーとテレパシーの探り合い!ぶつかり合い。
遂に、それまで抑えていた《モノ》が増幅され。世に放たれた!
オープニングの後に映った俯瞰映像。
最後もやはり大学の構内を俯瞰で捉えた映像。
この時に映る画面には、最初と最後もテルマとアンニヤの2人。
これは、現代版の『エクソシスト』
神と悪魔の戦いと言える。
果たしてテルマとアンニヤは神なのか?悪魔なのか?
その答えは、カラスと蛇が知っているのかもしれない。必ずしも神が勝つとは言い切れないのが恐ろしいところだ。
観ている時に、テルマのキャラクターが。フォルカー・シュレンドルフの名作『ブリキの太鼓』のオスカルを思い出していた。
2018年10月31日 ヒューマントラストシネマ有楽町/シアター1
凛とした空気感
誰にでもある経験かと思うが、「あいつ居なくなればいいのに」とか「あの人さえ居なければ私は…なのに」とか、心の中で思ったことはありませんか?
ある、と思う人には、興味深い物語です。
ない、と思う人は、見ない方がよいかな。
邪悪さと純真さを合せ持つ人の心、天使のような顔をした子供にさえ潜む心のパワーは、悪にも善にも転びうるのだが、物語の最後を悪(絶望)と見るか善(希望)と見るかは、あなた次第?
私はテルマの10年後が見てみたい。続編希望します。
それにしても、オープニングの氷上のシーンがとても美しい。魚が足元にはっきり透けて見える程の氷の上を歩くって、割れて落ちないの?と思ったけど、魚や鳥、湖上を渡る人、などキリスト教にまつわる要素だったのかな、と思うと、あのシーンも充分意味のある伏線だったのかな、と見終わった今、凛としたあの空気感と共に映像が蘇ります。
美しいファンタジー
無宗教の有神論者の自分からすると聖書とか経典とかの現代版のようなものに感じる。
見る人によっては宗教映画だし、サスペンスとか、愛の物語ともとれる。
これは、排除される側が実は排除する力を持ち、力は如何様にも使えるという寓話。
特別な力など無くても誰かが必ず見守ってくれてる。
曇天のオスロに漂う禍々しい空気感
厳格なキリスト教徒の両親に育てられたテルマはオスロの大学に進学、両親の元を離れて一人暮らしを始める。ある日テルマは図書館で突然発作を起こして昏倒するが、それをきっかけにアンニャと知り合う。すぐに意気投合した二人だったがどんどんアンニャに惹かれていくことに抗えなくなっていくことに罪の意識を感じるテルマはたびたび発作に苛まれるようになる。テルマは意を決して病院で検査を受けるが、そこで自分の知らなかった事実を知らされる。
冒頭から立ち込める不穏な雰囲気、自身の感情と信仰心に引き裂かれそうになるテルマの葛藤に時折挟み込まれる喪われた過去のフラッシュバックが不協和音を奏でる様は非常に不快で、オスロを覆う曇天の空が鉛のように重苦しい。『キャリー』ほどの阿鼻叫喚はありませんが通底する禍々しさは悠然と横たわっていて、年頃の娘を持つお父様方の目には地獄の業火に焼かれる自身の姿を連想するかも。纏わりつくような意味深なカットがあちこちに雑然と散りばめられているのが気に入らない人も多いかも。個人的には冷徹な空気感は気持ちよかったですが、物足りないと思う人の方が多いと思います。
「二面性」あるいは「相反する性質の同居」
主人公テルマは生物学を専攻する大学生。
量子力学の講義では「光の粒子性と波動性」が言及されることによって、「二面性」が暗示される。
テルマは生命の起源について神を必要としない説明を好む一方、父の導きによって、キリスト教の規範を深く身につけている。禁酒、禁煙、禁欲(異性愛)。
ところが旧約聖書の「楽園追放」さながら、彼女に"蛇"が忍び寄る。アンニャは、同性愛、酒、タバコによってテルマを誘惑する存在である。
幼少期から身につけてきたキリスト教的価値観と、反キリスト教的快楽による誘惑とのあいだで、主人公は揺れる。同時に、テルマの身に起こった痙攣発作の原因について、科学的説明の探求と、超自然的説明の探求が(観客のなかで)並進する。主人公はまた、両親に対して相談することもあれば、隠すこともある。信頼することもあれば、秘密のままにしておくこともある。これもまた、二面性かも知れない。
しだいに明かされる主人公の秘密は、公平でもなく、また善や悪のどちらか一方に全面的に加担するわけでもない。キリスト的(キリスト教的、ではない)側面も、悪魔的側面も備え持つ。本人の欲求にしたがって用いられる、人間的なものである。善行にも使えるし、自らの欲望のためにも使える。善意も欲望も併せ持ち、共に自分で制御しながら、テルマは自らの人生を選択していくのだろう。
全51件中、21~40件目を表示