「原作小説を読んでビックリ!」あゝ、荒野 後篇 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
原作小説を読んでビックリ!
今回後編を観る前に寺山修司の原作小説を読んでみた。
予想に反してまったく左翼的でもなく、自殺サークルも登場するにはするが、社会の閉塞感を苦にしてのものではなかった。
ただ自殺してみようというノリの自殺だった。
あくまでも焦点は新宿新次とバリカン建ニの2人の関係性であり、時代性を差し引いてもおそろしいほど面白かった。
それにひきかえ本作は……相変わらず酷い左翼傾向、原作の改悪、よく原題の『あゝ、荒野』をそのまま使えたものである。
見上げた根性だ!
筆者はある程度映画はなんでも観てみようと思っているから本作を観ているだけであって、そうじゃなかったら誰が本作を観るのだろうか?
もちろん映画館には筆者以外に客はいた。
しかし前編を観た時点で嫌になる人もいるだろうし、それ以上にそもそも本作のうざい政治思想を嫌って観ない人がほとんどなのではないか?
本作のテーマのどこに現代の需要があるのか全くわからない。
親しい友人にあらすじを話したら「金をドブに捨てるようなもの」と吐き捨てられた。
また寺山の原作を必要以上に膨らませ過ぎている。余計な話が多過ぎる。
原作の新次の両親は健在だ。そして登場しない!
自衛隊の海外活動を苦にして父ちゃんが自殺することもなければ、母ちゃんが新次を教会に預けることもない。
新次が少年院から帰還したのはいっしょだが、オレオレ詐欺なんかしていないし、詐欺仲間との確執もない。もちろん詐欺仲間も登場しない。
建二の母親は韓国人でもない。親父が自殺志願者なのはいっしょだが、原作では自殺するまでの間思う存分飲み食いできるという理由から自殺志願しただけである。
むしろ殺されそうになって一命を取り留めて新聞沙汰になっている。
本作で高橋和也が演じた宮木は原作ではインポテンツ気味で生身に興奮できない男である。
建二といい仲になりかける恵子役の今野杏南も原作には登場しないから、本作のとってつけたような建二の甘い体験もない。
流産からのあの強引な展開はなんなんだ?
芳子の母親のセツは原作では登場したようなしないような存在感であり、もちろん片目といい仲になることなんかない。
でんでんの演じたトレーナー馬場も本作のオリジナルキャラクターである。
自殺サークルの中心人物の川崎敬三〈そっくり〉は原作では思想もない軽薄な男で自分は自殺なんかしない。
そして何より許せないのは、建二の改変である。
原作の建二は最後までずっと弱いままである。
年齢も新次より年下の痩せたノッポで、同じジムに通う間2人はそれほど仲が良いわけではない。
吃りでまともなコミュニケーションの取れない建二は新次と殴り合うことで絆を深めたくて移籍するのだ。
弱いから新次にボコボコにされ、途中打ち所が悪く頭をコーナーに打ってさらにボコボコに殴られて死ぬ。
移籍には大きな意味があるし、彼の死にも納得がいく。
しかし本作はどうだ?
新次以上の実力がある建二のどこに新次に殴り殺される必然性があるのか?
本作の流れ通りに普通に考えれば新次に殴り勝てば建二のコンプレックスは解消されるのではないだろうか?
建二役がヤン・イクチュンという韓国人だから「忖度」して強くしたはいいが、でも最後は原作通りわざと無防備で死なせたと勘ぐらせるようなわけのわからない展開になっている。
「殺す」とか「殺せ!」とか「憎め!」とかいう言葉も原作には一切登場しない。
左翼的な作品性と相まってなんだか制作者たちの今の日本社会への恨み節に思えてならない。
原作にはセックスシーンもそれほど出てこない。
ちっぽけな左翼的テーマのために寺山の原作小説を利用するな!だからとってつけたような東北震災ネタも単なる左翼利用に堕すんだよ!
これをクソと言わずして何をクソと言うのか!
寺山の原作を踏襲して余計な話を加えなければ前後編2部作にすることなく1本の映画にまとめられたはずである。
俳優陣の渾身の演技は後編を通じても変わらず拍手を送りたい!
木下あかりや今野杏南、河井青葉が惜しげもなく見事な裸体を披露してくれたが、本作のような駄作では明らかに単なる脱ぎ損である。
本作は早くもBD/DVD化されているが、未公開シーンを加えたR-18版で5時間になるのだとか。
寺山が描きたいのは過激さではない!
劇中で登場人物を使って「殺せ」と言わせている場合ではない!
寺山が生きていたら殺されるのは誰か考え直した方がいい。