「モヤモヤを抱えつつも生き続けなければならない」彼女の人生は間違いじゃない りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
モヤモヤを抱えつつも生き続けなければならない
2011年の東日本大震災から5年。
福島県いわき市は、津波と原発事故の二重の衝撃に見舞われ、いまだ復興途上。
市役所に勤めるみゆき(瀧内公美)は2年ほど前から週末東京に出てきて風俗業(デリヘル嬢)を行っている。
理由は明らかにされない。
しかし、母を津波で喪い、田畑を失った父親(光石研)は、定職に就かず(就けず)、補償金でパチンコをして一日を無為に過ごすしかない・・・
といったところから始まる物語で、さらに、同じ仮設住宅の隣家の亭主は震災前から原発に勤務しており、震災後のバッシングが酷く、その妻(安藤玉恵)は精神を病んでいる。
また、みゆきの同僚の広報課の職員・新田(柄本時生)は、家屋敷は助かったものの、父親の経営する水産加工工場は流され、その後、母親と祖母は信仰宗教に傾倒し、まだ小学生の弟の面倒をみなければならない情況になっている。
と、映画のタイトルは「彼女の」であるが、みゆきを中心にしているものの主要な登場人物は渡る。
さらに、震災直後に地元を離れてしまったみゆきの元恋人(篠原篤)が戻ってきて、みゆきに復縁を迫るというエピソードもある。
この映画が実に巧みで、観る側に共感(良い感情も悪い感情も)を呼ぶのは、主人公のみゆきがデリヘル嬢にならなければならなかった理由を明確に描いていない点である。
津波に浚われ、その後更地になってしまった多くの土地を前にして、どうしていいかわからない、呆然としてしまった気持ち。
それを引きずるみゆきの父親。
市役所の広報という、他者の矢面に立たされ、「がんばろう」という言葉のもとに、ずけずけと心の奥底まで踏みにじられてしまう新田。
ただただ「働く」という目的であり、かつては地場産業の牽引役を担っていたはずなのに、掌返しにあってしまう隣家の夫婦。
親友も津波で喪い、本当は「逃げてしまった」だけなのだが、それを認めるのがつらいが、それでも故郷に(愛する女性に)未練を持っている元恋人。
そして、みゆきは、津波が襲ってきた際、その彼とホテルで情交を行っていた。
生きることの延長線上にあった毎日が、ある日を境に、延長線上にないこと遭遇する。
そして、まさしく、生きることが途切れてしまった人々がいる。
にもかかわらず、生き続けなければならない。
その生はつらい。
しかし、生きている限りは、生き続けなければならない。
東京でのデリヘル嬢生活で、彼女を守るスタッフの三浦(高良健吾)がみゆきに言う台詞がある。
「オレ、この仕事好きなんだよね。人間の、良い面も悪い面も、両方みられて。生きてる、って感じがするんだよね」
たぶん、これがみゆきがデリヘル嬢になった理由だろう。
だが、そう決めつけてはつまらない。
この映画では明確に描かれていないのだから。
そして、そんなモヤモヤを抱えつつも、生き続けなければならない人生。
それは決して、間違いであるはずがない。