サバービコン 仮面を被った街のレビュー・感想・評価
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ひねくれまくった黒人解放映画
コーエン兄弟の脚本らしいと言えばらしい、ブラックユーモアかというほどの皮肉たっぷりの作品だったね。
主に、黒人に対する人種差別をテーマにした作品だったけど、細かくよくよく見てみると、宗教間の対立や、兄弟間の差異など、もっと個人をよく見てね、という、立場や人種や信仰で人々をカテゴライズし判断すべきではないと、まあ、最近流行りのテーマだったね。
それで、酷評レビューが続いているわけだけど、その理由は割りと明白だよね。
コーエン兄弟はこのテーマをメインに据えずチープなサスペンスを軸にストーリーを構成したんだからさ。そこしか見えてない人には、そりゃ面白くないだろうよ。
でも個人的にはチープなサスペンス部分も面白かったんだよね。平凡な感じだった監督ジョージ・クルーニーに、ちょっと光るものを感じたからなんだけどね。
サスペンスの巨匠ヒッチコックの模倣かなってくらいヒッチコック風味の演出で、真似っこだから光ってないとも言えるけど、良いものをあっさり取り入れちゃう懐の深さを感じたし、まあ単純に目を引く面白い演出がチラホラあったよね。
ちょっと話を戻すけど、コーエン兄弟の脚本は思いっきり米国人向けで少し分かり辛いし、直感的に響かないから難しいんだよね。
例えばだけど、大阪の人は陽気でやかましく、よくしゃべる人たちだとしよう。大阪人を音を立ててはいけない真っ白い部屋にたくさん閉じ込めました、みたいなことをコーエン兄弟はするわけ。日本人だと設定の段階でツッコミたくなるほど可笑しいよね。だけど、日本人以外には恐らく意味がわからない。まあ仮にだけどね。あくまで仮にだよ。
今回の映画の場合だと、東京人しか住んでいない静寂が売りの町に大阪人が引っ越して来ました。
東京人たちは町の静寂がなくなると大騒音の大騒ぎ。
大阪人家族の隣の東京人家族では人死にも出るほどの喧騒で、まあ大変。
そんな中、大阪人は音も立てず静かにしているのでした。とまあ、こんな話なのよ。
あくまで仮の一例だけどね。
クルーニー、何を血迷ったのか・・
1957年、実際にNY郊外の新興住宅地、レビットタウンで起きた黒人一家迫害事件と蛇蠍のごとき非道な保険金殺人事件を無理やり重ねて社会派ミステリーを気取った最低の映画です。
人間に表の顔と裏の顔があることは否めませんが、平凡なビジネスマン、家族思いの父親の仮面の裏に妻や子まで殺して不倫の義妹とぬくぬくと生きようとする悪魔のような顔があったとは、もはやサイコ・ホラーの領域です。
人種差別問題を絡めたのでジョージ・クルーニーが乗ったのでしょうか、マット・ディモンもクルーニーに頼まれれば役者として出ない訳にはいかなかったのでしょうが、とんだ貧乏くじだったかもしれません。マット・ディモンの醸し出す誠実さを逆手にとっての悪役起用はファンを裏切る禁じ手でしょう。
それに加えて、この映画の何より許せないのは幼い子供を出汁に使っていることです、汚れきった大人の世界で純真無垢な子供たちは善意の象徴、対極の存在として描きたかったのでしょうが火中に巻き込むべきではありませんね。
後味の悪さと言い、こんな最低最悪の作品を観るのは久しぶりでした。
最後まで町と人が噛み合わないモヤモヤ
個人的には好きな部類。
登場人物がほぼ利己的でこれどーなのよ?って感じるが、俯瞰で見るのは面白い(かなりダークだが)
しかしこれを楽しめるぐらいではないとつまらないと感じるかもしれない。
アメリカンドリームを体現したような街であるが(所々引きで撮られる雄壮な街並みが良い)その整然とした街と違いそれぞれの思惑が浮き上がる部分は嫌な気分にさせる。
実際の出来事を基にしているとのことではあるが、黒人に対する問題と、マット・デイモンファミリーとの関係性や噛み合わない具合が見ていてパッとしないしモヤモヤとする(笑)
マット・デイモンもジュリアン・ムーアももちろん素晴らしいが、子役の子が群を抜いて素晴らしい。
色々な表情や動作がしっかりできており、尚且つ可愛らしいw
本人達は至って真面目にやってるが、それが面白いと感じでしまった(笑)
コーエン兄弟の「バーン・アフター・リーディング」ほど笑えないが、クローゼットにのシーンは「あー、ブラピが撃たれるww」と気が散ってしまった(笑)
ラストも強迫しながら食事をする場面は「コントかな?w」と思ってしまった。
ラストの清々しいキャッチボールも好き。
物足りないかも
少し物足りない感を感じたが、最後の子供らのキャッチボールは良かった。子供には何も罪はない。
あとニッキーを脅しながらマギー特性毒入りサンドとミルクを食すガードナーも面白かった。
映画通視点ではなく、物語として
映画通ではないので、物語の視点でこの映画をたのしみました。
この映画は、サバ―ビコンという住宅街で、2つの物語が平行しています。
①白人一家について
②黒人一家について
①では、マット・デイモンがチンピラを金で雇い、妻を殺させて保険金をもらい、不倫相手の妻の妹と再スタートを画策している。
なんかの会社で偉い立場にいるマット・デイモンは、ギャングから金を借りたり、なんかだらしない一面があるみたい。妻を殺す理由も、若い妻の妹との関係、性欲、お金、物欲と、なんとも本能的な直情的な感情で動いていく。
唯一「理性」が垣間見えるのは、子どもと接している時だけだ。しかしそれでもほんのわずかの「理性」。
結局、チンピラに追い込まれ、保険屋には疑われ、亡き妻の妹のおまぬけっぷりに計画は破綻寸前。後先考えず保険屋を殺し、なんやかんやでチンピラも死に、妻の妹も死に、いろんな偶然が重なり、マット・デイモンの『正体』を知る者が、いよいよ「子ども」だけになる。
そこで、父親であるマット・デイモンは、子どもに「忘れるか・死ぬか選べ」と選択を迫る。
翌朝、死んでるのはマット・デイモン。子どもは、となりの黒人の子どもとキャッチボールを始める。
②では、白人の街に引っ越してきた黒人の家族に対し、最初、
【第1段階】白人の住人たちは話し合いで、自分たちの置かれた状況を理解しようとした。
【第2段階】やはり、黒人は受け入れられず、柵を設けることで一段落した。
【第3段階】それでも、受け入れられず、歌を歌うことで「グレーな騒音」でいやがらせをする。
【第4段階】いよいよ、住民全員で、出ていけ!と直接的な、攻撃的な「騒音」でいやがらせをする。
【最終段階】とうとう、暴動にまで発展し、今にも黒人一家の家に入らんとばかり暴れる住民たち。
ここでも①と同様、直情的な行動、欲に任せた合理主義、こうあるべきだ!という視点の視野の狭さによって、「理性」が失われていくさまが、描かれている。
①と②の物語の共通点は、「理性が失われていく」ことだと思われる。
閉鎖的な空間に、同じような人が集えば、無意識に『同じような人たち』が求められていると感じてしまう。
郊外にある『サバ―ビコン』という名前でくくられた街はのことを大人たちは、理解している。
しかし、子どもたちはそうではない。『サバ―ビコン』ではなく、『家』に住んでいると思っている。だから、周りのしがらみも「知らない」し、だからこそ、黒人差別の価値観は薄く、男女の関係にも疎い。
「知らない」ということが、無意識の選択肢「他人を拒否する/受け入れる」という選択肢から「拒否する」が薄く、「どう・受け入れるか?」という思考になっている。
最後のシーン、子どもがマット・デイモンを殺したのか。マット・デイモンが、「理性」を取り戻し、保険金殺人の容疑を迷宮入りにして、子どもに保険金が行くように自殺を図ったのか。
絶望的なストーリーに最後だけ、「黒人の子どもとのキャッチボール」「父親の死」が、希望のシーンとして残っている。
俯瞰で引くとサバ―ビコンの街が地平線まで広がる画は、「こんな世界、結構続いているよ」というメッセージが感じられた。
おもしろかった。
『ポップで醜くって度し難い』
自宅にて鑑賞。新興地を舞台にドロドロした人間模様が渦巻くクライム・コメディ。洒落たオープニングタイトル。往年の米国製ソープオペラを髣髴するポップで明るい色調で統一された画面とBGMだが、内容はかなりシニカル。序盤、賊に入られた家の屋外では、越して来た隣人(黒人)をじっと見守る住人達。胸糞が悪い展開が延々と続く。O.アイザックの“バド・クーパー”が登場する中盤以降、漸く興味が出て来たが、それ迄が退屈で何度か挫折しそうになった。かなり取っ散らかった儘、ラスト迄突っ走るが、最後迄ノり切れなかった。50/100点。
・気味が悪いと云うよりも、生理的に嫌悪感を憶える世界観が構築されており、物語を動かすのは、上辺ばかり取り繕う腹黒く醜い内面の連中ばかり。街ぐるみのカタストロフィや地域丸ごとのディザスター等、大規模な破滅腐朽を期待したが、極めて小規模な核家族のみでの展開な上、全てが中途半端に集結し、余り感心出来無い。但し、ゴア描写はほぼ無く、グロテスクなストーリーながら、画面や雰囲気に合致したマイルドな仕上がりとなっている。ラストのN.ジュープの“ニッキー・ロッジ”とT.エスピノサの“アンディ・マイヤーズ”が塀越しに行うキャッチボールが、唯一と云って良い微かな希望を感じさせる。
・冒頭のナレーション要約──“心躍る夢が詰まった街 サバービコン”。1947年、数軒の小さな家から繁栄が約束された街として設立され、ほんの12年でグングン成長し、大都市並みに便利な環境ながら騒音や渋滞とは無縁である。米国全土から来た住民は六万人に迫る勢いで、町営の学校、消防署、警察署、ショッピングモール、設備の整った病院、街自慢の聖歌隊迄、存在する。
・'86年に完成していたと云うコーエン兄弟の脚本を基に『オー・ブラザー!('00)』、『ディボース・ショウ('03)』、『バーン・アフター・リーディング('08)』、『ヘイル、シーザー!('16)』とこれ迄に四度コーエン兄弟の作品に出演してきたG.クルーニーが(共同)製作・脚本、監督を手掛けた一作。画面に出る事無く、G.クルーニーが裏方に徹した初めての作品である。ちなみにG.クルーニー監督としては、HBOで放映されたTV用コメディムービー"Unscripted('05)"の五本(エピソード)を除くと、『コンフェッション('02)』を皮切りに『グッドナイト&グッドラック('05)』、『かけひきは、恋のはじまり('08)』、『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~('11)』、『ミケランジェロ・プロジェクト('14)』に次ぐ六作目の(劇場版)監督作となる。
・相変わらずコーエン兄弟の本では、簡単に人が死ぬ(本作では七人が作中で死亡)。毎度毎度、物語の終焉には屍人の山であり、それはこの二人が書くのは寓話的だと云う事の証なのだろう。
・“ローズ・ロッジ”と“ マーガレット(マギー)・オロリー”の二役を熟したJ.ムーア、“バド・クーパー”のO.アイザックは流石の存在感と演技を披露している。特に“バド・クーパー”が“ロッジ”家を訪問した後の“マーガレット(マギー)”との遣り取りは、見応えがあり、とても愉しめた。
・終始、控えめだったキャラクターである“ガードナー・ロッジ”を演じたM.デイモンは、いつになく抑え目の演技であったが、この物語の一番の悪人を考えた時、彼が一番に浮かぶ。中盤に自らの事務所で暴行を受けた後、テープで眼鏡を補強するが、よく見るとシーン毎にテープの貼り位置が微妙に変わっている。同様に終盤、返り血を顔とシャツの腹部等に受けるが、これらも微妙に位置や量が変わっており、どの順番で撮影されたかが、朧げに想像出来る。
・T.エスピノサの“アンディ・マイヤーズ”とN.ジュープの“ニッキー・ロッジ”がそれぞれの寝床で聴こえていた音声は、R.ブラッドベリ原作、W.コンラッドがナレーションをA.ムーアヘッドが主演を勤め、NBC系列で'58年8月月31日に放送されたTVシリーズの"Protégé"である。
・当初、J.ブローリンが野球チームの監督として出演していたが、関係者を集めたテスト上映の後、全シーンをカットされてしまった。どうやらこの役は、コメディリリーフ的な役割があったらしく、監督自身は作品のメリハリをつける意味で少しでも出演個所を残したかったようだが、叶わなかったと云う。W.ハレルソンも何等かの役でオファーを受けたが、スケジュールが合わず、出演出来無かったらしい。主にロケーション管理等でR.ボキデスがスタッフとして携わっていたが、度々監督と衝突し、約二週間後に解雇された。彼の後任はM.J.バーマイスターが就いた。
・引っ越してきた“マイヤーズ”家への住民達のバッシングは進行と共に激化し、クライマックス附近では暴徒化するが、これはペンシルバニア州レヴィットタウンで起こった実話に基づいている。途中やラスト近くで流れるTVからの音声や映像は、この件を扱った"Crisis In Levittown、PA"と云うドキュメンタリーであり、この動画は「You Tube」等の動画サイトで容易に閲覧する事が出来る。
胸くそ悪い映画。人間のどす黒い一面のドラマ。日本人には馴染みがない...
胸くそ悪い映画。人間のどす黒い一面のドラマ。日本人には馴染みがないテーマで全く何も残らず。黒人差別に保険金殺人、そういう時代があったのか。。というくらい。
作品の意図を知るとより楽しめる。
映画館にて一人で見に行って来ました。
黒人一家へ対する町の暴動と白人一家を取り巻く事件が並行して流れていく映画でした。
私は映画を見ながらどんどんサックリと殺されていく悪い大人たちや主人公である少年に共感しながらも、ヒートアップしていく黒人一家への暴動騒ぎの迫力に圧倒され、素直に楽しめました。
たしかに、ラストシーンはハッピーエンドとは言えませんでしたが、人種差別や時代背景、登場人物達のキャラクターなど、見ていて楽しかったです。
あと、余談なのですが
たまたま私の左隣に座っていらしたお爺さんが中学生ぐらいのお孫さんを連れて一緒に映画を見ていたようで、お爺さんは「映画どうだった?」と感想を聞いていたので1人で来ていたため感情を共有できたらな、、と思い聞き耳を立ててしまいました。その後、孫は「別に〜」と返したの対し、お爺さんが「あれはね、黒人差別に気を取られて自分たちの中で起こっている恐ろしいことに目を向けられていない人達を風刺しているんだよ。」と、そのお爺さんの分析にはとても共感できましたし、映画の意図も理解できました。
キャッチボールと保険金詐欺
1950年代に実際に起きた人種差別暴動をモチーフにアメリカンドリームを絵に描いたような町サバービコンで起こる事件。メインはロッジ家の強盗事件。
さすがコーエン兄弟が絡んでる作品。ブラックユーモアたっぷり過ぎてお腹一杯になってしまいました。二人の強盗が入ってきた時点から、銃は持ってないし、父親ガードナー(マット・デイモン)の落ち着き払った雰囲気だし、ニッキーだけが子供だましの狂言に恐れおののいてた。ジュリアン・ムーアは双子役であり、ニッキーのママの方は交通事故に遭ったために車いす生活を余儀なくされていた。この設定だけで、ガードナーが偽強盗を雇ってママを殺そうとしてたのがわかるようになっている。
警察もロッジがマフィアに借金していたことを疑っていたし、保険調査員もかなり疑いを持っていた。ガードナーが義妹と共謀し犯した保険金詐欺により、この調査員、さらに狂言を請け負った強盗たちも裏切られることを危惧して義妹と息子を殺す計画。可哀そうなのが伯父のミッチ(ゲイリー・バサラバ)だ。ニッキーを守るために必死の思いで強盗たちに対峙。まぁ、最後にはみんな死ぬんだろうなと予感もさせる。だってコーエンだもん。
ジョージ・クルーニーらしさといえば、黒人一家の描写。このサバービコンという町も6万人という住人がいながら、黒人がまったくいなかった事実に驚くが、そこまで有色人種に対して差別的、排他的になるものなのかと人間性まで疑ってしまう。スーパーでは黒人だからという理由で値段を吊り上げ、大勢で暴動を起こして彼ら一家の車にも火をつける有様。
家族をすべて失った少年ニッキーが隣家の黒人一家の息子とキャッチボールをするラストが素晴らしかった。この町で真に心を通わせてる子供は彼らだけだったのかもしれない。
ちょったおもってたのと違う
ブラックといいながら深く立ち入るわけでもないし、まぁそんな裏でこんな事件があったというようなサスペンスですよね。
子供はええ子に育っててそこだけはハッピーエンド
期待し過ぎてしまった
主人公の奥さんの姉との不倫の末、他人任せな保険金殺人を犯して色んな人を巻き込んでいく話と、白人だらけの街で有色人種迫害に遭うお隣さんの話が、全く絡み合わないままラストシーンでやっと交わる。
問題は見えないだけですぐ近くで起こっている、ということと、子供=これからの未来は差別ない世界が開かれていく、ということが言いたかったのか…?
スローペースだったので、悶々とする作品だったなぁ。
狐につままれたような作品・・・^^;
レビューが低いなって思いつつ情報入れずに鑑賞・・・
主演・監督・脚本にこの名前が並んでたらハズさんと思いますよね。
1950年代の風情がいいアメリカ映画って感じから一転、サスペンス風になったと思ったら同時進行な人種差別のサイドストリーいる!?
子供同士は、絡むもののイマイチ繋がりは?????
オスカー俳優同士の夫婦もどこかコミカル・・・これコメディか!?
登場人物もスプラッタームービー的にどんどん死んでいくホラー仕立て@@!
前振り見てるだけに最後もそうなるよね^^;;;
で、この子供どんな大人になるんやろ!?ってのが気になる〜☆3.2
あっ・・・SWのポーさんこんな演技するんや!ってのは発見!
お暇ならDVDかケーブルTVで是非!
日本公開前に機内で鑑賞
コーエン兄弟とジョージクルーニー監督の作品。
計画的に作られた白人の住宅地に黒人が引っ越してくる。
まだ偏見のある時代で、嫌がらせや抗議活動が起こり、それが過熱して明白な差別へと進んでいく。
それと並行して隣の家では、事故で車いすになった母・父・小学生の子どもと、母の妹との幸せそうな家族。
そこに強盗が入り、車いすの母が殺される。だがそれは叔母と父が結ばれるための依頼殺人だった。
プライドが高く子どもにも一線を画す父と姉を殺されても冷徹な叔母。でも保険調査員がちょっとした罠に見事はまりウソがばれるという小心者な部分も。
表面は気品高く住宅地の共同体に属して協調性もあるのを装い、裏では自分たちの願望のためにしか動いていない人たちの集まりであるブラックユーモアたっぷりの作品。
ちゃんとした結論出さない終わり方も嫌いではない。
大量の睡眠薬(だと思われる)を食べ物に仕込まれて、それから覚めた後の父はどうなるのかを想像するといろいろなことが想定されるがそれがまた面白いかも。
それに構わずTVに集中する子どもの最後のシーンがこれまたシュールでいい感じ。
それで終わり?
要するに保険金殺人だけど、奇抜なトリックも無いし、隣家の怪しそうな黒人が絡むのかと思いきやそれも無し。
最後も、それで終わりなの?って感じだし、日本のTVの2時間サスペンスドラマの方がまだまし。
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