ローサは密告された : 映画評論・批評
2017年7月18日更新
2017年7月29日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー
怖くてタフなフィリピンの素顔。警察の腐敗と家族の絆をドキュメンタリータッチで活写
マニラ・スラム街の肝っ玉母さん。そんな風体のローサがスーパーで買い出しをしているシーンから映画は始まる。帰りに拾ったタクシーが入るのを拒むほどの狭く薄暗い路地の奥に、家族の自宅兼雑貨屋はある。店番のはずが2階でクスリをやっているダメ亭主。ローサの店は、スーパーで仕入れた雑貨をバラ売りして稼ぐが、それだけでは夫婦と子供4人の大所帯は暮らせない。麻薬を売人から仕入れ、やはり小分けしてこっそり売っている。
近所の店で買った夕食を食卓に並べ、ようやく家族が揃って食事というその時、警官たちがなだれ込む。彼らは目当ての覚醒剤を早々に発見。そう、「ローサは密告された」のだ。
世界三大映画祭の常連で、本作でも昨年のカンヌ国際映画祭のコンペ部門上映を果たしたブリランテ・メンドーサ監督は、警察署に連行される夫婦、警官らの恐るべき“取り調べ”、子供たちの奔走を、手持ちカメラによるキュメンタリータッチの映像で追う。そうして、フィリピンの素顔とも言うべき貧困層の暮らしと警察の腐敗に迫っていく。
警察署の裏手にある分署で展開する、取り調べとは名ばかりの警官らの所業が怖すぎる。法外な手打ち金を要求し、払えないなら売人を密告しろと強要。本作の元々のタイトルはタガログ語の「Palit Ulo」で、「頭の交換」を意味する。自分や家族を守るためには、身代わりになる誰かを密告するしかない。そんな絶望的な連鎖が警察によって生み出されているのが母国の現実なのだと、メンドーサ監督は訴える。
それでも、暗いだけの映画では決してない。序盤では身勝手でばらばらに見えたきょうだいが、両親の逮捕という危機に一致団結し、釈放してもらうためお金を工面しようと駆け回る。家族の絆はもちろん、彼らを取り巻く人々とのエピソードがじわりと胸を熱くする。
そして何より、警察での不当な扱いにも必死に耐えて粘り強く交渉し、絶対諦めずに家族を守り抜くローサに扮したジャクリン・ホセのタフで温かみのある演技。カンヌで女優賞を勝ち取った彼女が体現した大いなる家族愛こそが、格差社会の暗澹たる現状に差す一筋の光なのだと映画は教えてくれる。
(高森郁哉)