Death Note デスノートのレビュー・感想・評価
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デスノート 海賊版
コミック/TVアニメに実写映画にTVドラマに舞台にと日本中を震撼させた、暇を持て余した死神の遊び。
狭い日本に飽きたのか死神が新たにあのノートを落としたのは、ハリウッド。
ずっと気になってた『デスノート』ハリウッド・リメイク版をやっと鑑賞。もう5~6年前なのね。
概要は日本版と大体同じ。“ライト”や“L”や“ワタリ”など登場人物名もそのまま。“ミサミサ”は“ミア”に。
“キラ”の由来が日本語からなど原作国・日本への意識も。(にしても、“キラ”=“殺し屋(キラー)”って…)
こちらのノートも細かなルール。日本人はそのルールを守ったり逆手に使うが、自由精神のアメリカ人は「ルールが多すぎる」と面倒臭そうにも。
所々アメリカ的なアレンジも。最たるは、死の描写。日本版はほとんどが心臓発作だったが、こちらはかなりスプラッター的。頭部切断とか『ファイナル・デスティネーション』みたい。
監督アダム・ウィンガートは日本版へのリスペクト込めつつと言ってたけど、別口の『ファイナル・デスティネーション』を作りたかったような…?
同じジャンプ漫画をハリウッド実写化したアノ世紀の大ケッ作よりかはマシだったけど、やっぱり日本版に比べると…。
元々のコミック/アニメは長期シリーズ、映画版も2部作だったのに対し、こちらは100分強。尺や展開の早さ云々より、色々と。
気になった点などを以下、順々に。
日本版の月(ライト)は天才大学生。一応ハリウッド版も同級生の宿題の代行をする秀才のようだが、何だかそれがあまり伝わって来ず。ハリウッド作品あるあるの平凡で何の取り柄もない青年って感じ。
まあそれで共感を呼ぼうとしたのだけれど、やはり月はキレる天才だからこそ異端のキャラに。デスノートを使い始めた理由もそこにあり。
法には限界がある。世に蔓延る悪や犯罪を一掃する為に。考えは間違っていないかもしれないが、やり方が間違っていた。真っ直ぐ過ぎる正義感だが、理想論でもあり独善でもある。やがて“新世界の神”を自認する。それが月だった。
が、こちらのライトの始まりは、母親を殺したマフィアへの復讐から。そこから世の悪を一掃しようとするのだが、何だか動機が弱い。日本の月のような絶対的な信念が感じられないのだ。
にしても、ライトが初めてリュークを見た時の驚きっぷりはコントかい…? ここだけで天才月と凡人ライトが全くの別人なのが分かる。
日本版では母親や妹がいたが、ハリウッド版では母親は殺され、妹はおらず、父親と二人暮らし。父親が刑事なのは同じだが、父親を尊敬していた日本版と違って母親の死が原因で父子仲は微妙。父親も警察内では一匹狼的存在。
日本実写版では香椎由宇演じるオリジナルキャラの恋人がいたが、一応『デスノート』のヒロイン的に当たるのは、ミサミサ。戸田恵梨香可愛かったね~。
本作のヒロイン“ミア”は恋人役だから香椎由宇のオリキャラと一瞬思うが、その名前やライトと共に“新世界”を創ろうとする設定からミサミサの方に当てはまる。が、日本版のアイドルではなく、同じ普通の学生。しかも、ライトよりデスノート使用を欲し、終盤など関係がピリピリムード。
これらの設定変えはいいか悪いか人それぞれだが、最大の“コレジャナイ感”は、言わずもがなL。
一応世界的に有名な探偵。本名は謎で、一人称は“私”で敬語で、甘いもの好きで、日本版を踏襲しているが…。
何か終盤はキャラ崩壊。終始冷静沈着なのがLなのに、感情爆発。挙句の果てに銃を持ってライトを追い詰める。ミステリアスや超天才の面が感じられない。
つまりは、日本版の一番の醍醐味であった月vsLの頭脳戦は期待出来ない。
ハリウッドLは一体いつどのタイミングでライトがキラであると確信したのか…? あまりにも突然。
二人のスリリングな頭脳戦こそ見たかったのに…。一応クライマックス、ライトがデスノートを操って…とはなっているが、所々おざなりで、一部ハリウッド典型のアクション描写になってしまっている。
ツッコミ所も多々。デスノートは本名じゃないといけないのに、オイオイ、ワタリは…?
如何に藤原月と松山Lの演技対決が凄かったか。デスノートの特性を活かした凝ったストーリーが面白かったか。
ユニークだったのは、リューク役のウィレム・デフォー。声とパフォーマンス・キャプチャー演技だが、この人ならCGでなくとも素でイケるでしょう。
吹替は、お馴染み中村獅童が担当。
でもこのハリウッド・リューク、日本のリュークのような何処か愛嬌さは無く、姿もはっきりとは映さず、暗闇に紛れたホラー的な演出。
日本では『デスノート』はサスペンスやスリラーのジャンルだが、ハリウッドではB級ホラーの位置付けなのが決定的な違い。
よく日本映画はハリウッド映画に比べると…なんて言われる。
が、本作に限っては、圧倒的に日本の方が。全てにおいて。
決して見るも無惨な…ってほどではなかったが、やはりどうしても、日本版をまた見返したくなった。
何だかんだ、日本版『デスノート』面白かったからね。
原作関係無くひどい。
監督は原作リスペクトで作ったと言っているがそんなものの片鱗さえ微塵も感じない作り。
映画が始まって早い段階で無駄なグロシーン、ただのファイナルデスティネーション。
主人公は夜神月では無く白人のライトターナーなので一部のファンから「ホワイトウォッシュだ!」などと炎上。
そして主人公が兎に角頭悪い。
初めてリュークを見た時のパニックっぷりはただのコント。
挙げ句の果てにはデスノートに「ワタリ」と書くとフルネームでは無いのにワタリが死ぬ。
そして終盤、Lが拳銃片手に ライトを猛ダッシュで追いかけながら拳銃バンバン撃ちまくるという珍シーン。
頭脳戦はほぼ皆無。
実写版ドラゴンボールに耐性あった方は大丈夫かと。
アリータみたいに本当の意味で原作リスペクトで作ってくれる監督もいればこういう監督もいるんだなっていう対比がとても分かりやすくなる映画でした。
ちなみに一点だけ凄く良かったのは、リュークの英語吹き替えがウィレム・デフォーだという事。
これだけはナイスチョイス。
個人的にですが原作関係無くひどい映画でした。
USA版 Death Note
どんなのかなぁ?とずっと興味があって…やっと鑑賞。
本家の「Death Note」が好きなので、それ故 辛口にならない様にしてみた。
本家の「Death〜」とは、大分ストーリーは違い アメリカならではのアレンジを上手く加えていた様に思う。
日本版の死因は、心臓麻痺が多かったのに比べて こちらは なかなかワイルド?な死に様が多くて、アメリカらしいなとw
ミサミサみたいなアイドル像は想像つかなかったので、どんなキャラが出て来るのかと思ったら普通に同級生(ガールフレンド)だったという。
「Death Note」で面白い、裏の裏をかいた戦略などの複雑な展開がなかなか出て来ないと思ったら、最後にライトがノートに書き連ねていた部分で表現されていた。
ただ 全く違っていたのは、LがDeath Noteを使って、ワタリの復讐をしたという点。
その為、ライトは死なずに 罪の告白をすることで法の裁きを受けるであろう展開は 、今風なのかな。
LもDeath Noteの恩恵に与った一人となった所も意外だったかな。
まー、展開が速すぎるのは、尺が短いので そんな制約の中で何とか纏めようとしたから仕方がないのかな?…っと思った。
因みに…ライト役の役者さんの芝居は好きじゃないね。上手くないし。
Don't trust Ryuk. ツッコミの練習に最適
この映画によると「キラ」は日本語で「殺し屋」の意味があるそうです。知らなかった、そんな日本語があったなんて・・・ってそんな訳あるかーい!!
という様に色々とツッコミを入れながら観るのが正しい鑑賞方法だと思われます。いいんです。映画には色んな楽しみ方があっても。ストーリーを楽しむ作品があればアクションを楽しむ作品があります。そしてこの「デス・ノート」はツッコミを楽しむ作品です。
色々と残念な所を語れる作品ですが、何はともあれ一番の失敗はウィレム・デフォーのリュークをCGにしてしまった事ではないでしょうか?本人そのままメイクなしでもリューク演じれるのにもったいない!!
そして何より残念なのはこの映画の監督アダム・ウィンガードさんが2020年公開予定の「ゴジラvsキングコング」の監督だって事です。タイトルだけで楽しみにしてたのに、もはや期待できねぇぇぇぇ(;´д`)
デスノート・ミーツ・ファイナルデスティネーション
ゴアシーンが強烈さすがNetflix!!
人が死ぬという事はこういう事だ。
命の重さを分かっている映画だよ。
天才vs天才という原作最大の見所が弱い。
そもそも製作陣はそう作ろうとしていないのだろう。
人間離れした超人vs超人ではなく、人間vs人間にしたかったのだろう。
ライトが初めてノートを使う過程が“リュークにそそのかされて使う”という点でファウストとメフィストフェレスのイメージなんでしょう。
そういう悪魔感、死神感があるんだろうな。
原作と違うからダメだと評するのはアホ丸出しだけど、さすがに原作の方がスリリングで面白かったかな。
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