「伝記モノは難しですね」喜望峰の風に乗せて marochanさんの映画レビュー(感想・評価)
伝記モノは難しですね
私自身も趣味でヨットを楽しんでいたこともあり、多くの外洋レース参加や一人で世界の海を航海した経験があります。
なので、皆さんのレビューとは異なった視点になることをお許し下さい。
まず、このドキュメントは、本国の英国含め、欧米では非常に有名で、タイトルこそ違えど映画、TVドラマ、小説、オペラ等で繰り返し世に出ています。
日本で言えば、ミステリアスな歴史モノが何度もリメイクされる感覚です。
今回の「The Mercy」は、コリン・ファースが国民的俳優ゆえ、必然的に配役となったと取られています。
この映画で初めてこの出来事を知った方には、主役のドナルドの背景情報が少なすぎると思うので、消化不良で中途半端な作品と見られるようですが、実話はもっと深遠で豊かな愛と、人間の存在、神との対峙の葛藤が描かれています。
そのへんを知るには、これの100%実録映像作品「Deep Water」をご覧になられると良いと思います。有名なのでyoutubeで見れます。
欧米のファンはこれらの事前情報がある上で、今回は名優コリン・ファースを賞味するという構図なので、ストーリの本質は二の次になります。
映画には描かれてない点ですが、ドナルドが何故無謀なチャレンジに邁進したのか?経済的理由から賞金を狙う形になっていますが、
実際は、彼の幼少期時代、父の死と一家の財産の消失による生活の困窮、その後の流転で味わう英国のノブレスリージュ的な責任感、そこから生まれた家、家族を守るというマインドセットが絡み合い単独世界一周を成し遂げたチチェスターの背中にその解の全てを見た。ということだと思います。
ドナルドは週末セーラーとして近海セーリングしか経験のない身、それでもシーマンの端くれ、外洋、特に南極海の波の危険は誰でも知っています。
自分の船の艤装も明らかな準備不足。本人は延期を考えるがそれでも出航しなければならなかった理由と義理。それを知っている妻クレアの心痛。
何もドナルドが無鉄砲に走っていた訳でなく、止めることもできた、と後にDeep Waterの中で妻クレア自身が深い悩みを語っています。
Deep Waterではドナルドの生のログブック(航海日誌)、生の無線通信の状況が見れます。
彼の直筆ログの文字に、葛藤と孤独がいたるところに見られ、その苦しみが伝わります。
ターニングポイントとなったアフリカ沖、スクリューを失い、転覆防止復元用フロートも破損。(その先のアフリカ喜望峰や南米ホーン岬を回航するには、転覆必至、荒れる海面を抜け出すには動力重要)
戻れば屈辱、進めば死、の選択。彼はその中間を選び定期連絡を断ちました。その結果が偽装航海。
最初は罪悪感に始まるものの、最終的には人間としての存在の真理や究極の価値観を求めることに行き着きます。
何のためのフェイクだったのか?一見大嘘つき野郎ですが本国では彼をヒーローと見る人が大勢います。
社会は白黒分かりやすい単一的な因果を求めがちですが、この実話の核心は、インチキの審判ではなく、人間の弱さと愛の強さなのでしょう。
実録映像に見る、彼の瞳ににじむ寂しさ、静かに見送る家族、妻の不安と包む愛、、その心模様の立体的な奥深さは超一級の感動ストーリです。
作品が意図的に単調な表現に徹し、脚色なしで起きた事実のみを伝えるのは、献身的フェイクとは罪なのか正義なのかの永遠の問いかけなのだと思います。
もちろんそこに答えはなく、彼が到達した世界は命と引き換えに神への救済Mercyだったのだと思います。
同じヨットマンから見たマニアックなネタになりますが以下少々。
ドナルドの時代以降、単独無寄港世界一周の最短記録チャレンジは頻繁に行われています。
1969年彼が参戦した初回のレースは、その後ヨット界のレジェンドとなったノックス・ジョンストンが優勝で記録した313日。
その後多くのセーラーが挑戦し2004年フランスのフランシス・ジョワイヨンが72日の新記録を作ります。
この記録はしばらく破れないだろうと見られていましたが、翌年2005年、なんと英国の28歳の女性エレン・マッカサーにより破られます。新記録71日。
当時、屈強で命知らずのオジサン達が独占する戦場へ、うら若き女性が参戦するとして大きな話題となり、衛星中継ライブ映像が毎日届けられました。
プロセーラーなものの容姿もアイドル系で可愛く、英国の名誉挽回と支援者達の期待を一心に背負い出航しましたが、やはり南極海では猛烈な魔海の洗礼を受け、死の恐怖から連日キャビンの中で発狂、辞めたい辞めたいと大泣きを繰り返す状態でした。新記録(現在は更新されてます)で無事ゴール後はその偉業に英国女王より最年少でナイトの称号が与えられました。
その後、エレンは新記録を作ったトリマランに乗り世界各国を周ります。横浜のベイサイドマリーナに寄港した際は滞在中親しくさせて頂き、BBC取材陣を横目に記録映像を撮らせていただきました。
優しく繊細で奥ゆかしさがあり、出航時のキュートな笑顔は今でも忘れられません。
ドナルドの実際の映像を見ると、彼の顔がエレンに非常に似てるんです。なんの因果か、不思議なものです。
他にも、SSBによる定期通信、CWによる隠蔽工作、終盤罪の告白のためMZUW(エレクトロン号)が沿岸局に妻へ直接フォーンパッチを依頼する場面など、臨場感があり楽しめました。
今回のThe Mercyでご不満の方は是非Deep Waterをご覧になってみてください。
映画では妻役のレイチェル・ワイズの最後の言葉が良かったですね。こんな感じでしたでしょうか、、
「夫は貴方たちマスコミの犠牲になった。準備不足で無謀だと出航を断念するところを強引に背中を押したのは貴方たちです。皆成功を祈っていたはずなのに、失敗するやいなや海に落とし笑いものにし、更にその頭を押さえつけるのが貴方たちマスコミです。夫はもう戻りません。でも今でも毎日夫の帰りを待つ子供たちがここにいるのです」
映画を観て打ちのめされたあとにWikipediaなどでも個人的に補完したつもりでしたが、marochanさんのレビューがとても興味深く参考になりました!
良いものを読ませていただきありがとうございます。
deep waterも観てみたいと思います。