劇場公開日 2017年12月9日

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ルージュの手紙 : 映画評論・批評

2017年12月5日更新

2017年12月9日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー

フランスの大女優たちが魅せる、水と油だからこそ本音で向き合える母と娘のドラマ

母と娘とは、つねに近くて遠い、あるいは遠いようで案外近い、微妙な関係にあるものだ。女同士ゆえの絆とライバル心、守ってあげたいという母性と、反発する気持ち。両者が年齢を経るとともに、その関係性もまた徐々に変わってくる。それが本当の親子でない場合は、なおさら複雑だ。

ベアトリスとクレールは血のつながらない母と娘。クレールは30年前、最愛の父親の前から突然姿を消したベアトリスのことをずっと恨んでいた。ベアトリスを愛していた父はその傷を癒すことができず、クレールを置いて逝ってしまった。その後クレールは仕事一筋に助産婦をしながら生きている。一人息子がいるからには、それなりの出会いはあったのだろうが、女手ひとりで育てあげ、いまは他人のために献身している。

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そんなとき、急にベアトリスから連絡が入る。「今すぐ会いたい」と、相変わらず我がままで自己中心的なベアトリスにクレールはためらうが、結局会いに行く。そこからこの水と油のような母と娘の付き合いが始まる。

カトリーヌ・ドヌーヴカトリーヌ・フロという対照的な資質を持ったふたりの大女優を得たことは、本作のなによりの成功だろう。ヒョウ柄をこれほどゴージャスに着こなし、派手でギャンブル好きの“肉食系”を優雅に演じられる女優はまずドヌーヴを置いて他にいない。一方、ベアトリスに「ダサいコート」と言われるような地味な格好で化粧っけもなく、意固地なクレールの内側に潜む優しさと美しさ、人間的な魅力をそこはかとなく滲み出すフロの抑えた演技もみごとだ。そんなふたりが触れ合うことで、お互いに欠けていたものを見つけ出して行く過程を、マルタン・プロヴォ(『ヴィオレット ある作家の肖像』)監督は繊細に掬いとっていく。その眼差しは、女性への敬愛に満ちている。

身勝手なようで娘を誰よりもわかっている母と、厚い鎧の下にまっすぐな愛を秘めた娘。そんな彼女たちがよろけながらも新たな一歩を踏み出して行く姿は、凛として、この上なく清々しい。

佐藤久理子

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