アイリッシュマンのレビュー・感想・評価
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ようやく見分けがついたデ・ニーロとパチーノ
『ゴッドファーザーⅡ』、『ヒート』、『ボーダー』に続いて4作目の共演となる二人。映画のネタともなった区別がつかない件もこの作品では違いがよーくわかる。黒子だけではなかった。キレたときの声質、落ち着き度が全く違っていたのだ。アル・パチーノは79歳になってるにもかかわらず、キレるときはキレる!全米トラック協会での演説なども凄い迫力だった。
個人的にマフィアものの映画は苦手な分野だったのですが、殺人のシーンはそれほど多くない今作はとても見やすかったりしました。むしろ会話劇が中心となり、無駄な会話なんてのがタランティーノっぽい気もするのですが、数々のギャング映画のオマージュも隠されているらしいです。まぁ、スコセッシ流と言ってしまえばそれだけなんですけどね。
スコセッシ監督はもともとシチリア系イタリア移民の家に生まれ、マフィアの支配する移民社会に育ったために、マフィア映画が多い。アル・パチーノもシチリア系移民の子、デ・ニーロもイタリア系の血を受け継いでいるという共通点。ちなみにラッセル役のジョー・ペシもイタリア系だ。
ストーリーとしても実在した人物を扱っているし、ジョン・F・ケネディ暗殺や弟のロバート・ケネディについても事実かわからないけどクローズアップしていた。トラック協会の組合と政治家との関わりや、大きな組織票となっていることを描く社会派面もあるのです。ジミー・ホッファは有名人すぎるのに対して、フランクは目立たずに暗殺をもこなす陰の実行犯。ちょっとしたことでキレてしまう、ラテン系の血が騒ぐといった様子や、それに対する地味に状況を判断して権力の構図を見極める能力。もう、一般人が立ち入ることが出来ないほどのマフィアのコミュニティが恐ろしいまでに描かれていました。復讐劇という点では『ギャング・オブ・ニューヨーク』の方が面白かったですけど。
音楽にも造詣が深いスコセッシ。自身でもジャズやロックのドキュメンタリーを撮っているのですが、この映画では50年代から60年代の音楽が満載。後半の転機となるところで流れていた「スリープ・ウォーク」が心情も表現していてとても良かった。
ただ、3時間超えやっぱり長い。フランクが1人残ったところからはカットしても差し支えなかった気もする。娘のペギーとの関係を描きたかったのもわかるのですが・・・。『アビゲイター』でもそうだったのですが、途中からお尻が痛くてたまりませんでした。ちなみに途中退席したカップルが1組。
人間は欲まみれで泥臭く生きていく
三時間半の長丁場だが、映画を観て長尺の必然性を納得した。どのシーンも全部必要なシーンで、無駄なシーンなどひとつもない。しかし物語は波乱万丈だ。削りに削った結果の三時間半だと思う。
大局的に言えば男たちの権力闘争であり、互いの肚の探り合いである。ロバート・デ・ニーロ演じる主人公フランク・シーランには、相手の言葉の端々に垣間見える本音を感じ取る鋭い感性がある。加えて「ペンキ屋」としての類稀な知識と行動力。これらを武器にフランクは、権力闘争をする男たちの間を乗り切っていく。それは一瞬でも気を抜いたら奈落に落ちてしまう厳粛な綱渡りでもある。
女たちは男たちの権力闘争を理解し安っぽい倫理観など捨て去って、清濁併せ呑みつつ男たちの稼ぐ金で贅沢をし、子供を育てる。思えば人類の歴史は戦争の歴史である。人殺しの大義名分の裏には私利私欲がある。そんなことは百も承知で男たちを受け入れ、したたかに生きてきた女たちの存在が人類を存続させてきた。
それがいいことなのかどうなのか、そんなことはどうでもいい。人間は欲まみれで泥臭く生きていくものだ。スコセッシがそう主張しているかのようである。そしてそれが本作品の世界観そのものだ。利己主義と保身と自己正当化が人間の本質なのだと冷徹に言い放っているかのようである。
出演者は大御所が揃っていて凡庸な演技は皆無である。スクリーンには常に緊張感が漂い、一瞬も目を離すことが出来ない。中でもアル・パチーノが特によかった。演じたジミー・ホッファは、常に裏の意味を持たせる会話をする登場人物たちの中にあって、ひとりだけ天真爛漫、子供がそのまま大人になったような人物である。表裏がないから絶大な人気を得ている。フランクもこの人物が大好きだ。
しかし自由奔放な精神は権力者にとって邪魔でしかない。フランクにはとても苦しい選択が待ち受けている。その時のデ・ニーロの淡々とした表情が凄い。苦しくて悲しくてやりきれない筈なのに、ただ黙々と運命を受け入れる。
タイトルは「アイリッシュマン」であり「アイリッシュパーソン」ではない。男は破壊と創造を求めるのに対し、女は融和と存続を求める。本作品は男の物語でなければならなかったのだ。
彼が守りたかったものは何だろうか?
ラストでFBI捜査官が、主人公に問う。
「みんな死んだ。誰のために秘密を守っているんだ?」と。
彼は何を守りたかったのだろうか?
国を守るため、第2次大戦で戦った。
家族を守るため、収入を増やしたくて、コソ泥を始めた。
(「グッドフェローズ」にも、ギャングがトラック運転手に賄賂を渡して積荷を頂くシーンがあった)
「副業」として、クリーニング屋を吹っ飛ばそうとしたら、親分(Hカイテル)が出資してる会社だと実行直前に判明。そうなれば、自分が生き残るために、依頼主を消すしかない。
それから「殺し」を請け負うようになる‥
本作は、マフィアもの、ではあるが、「ゴットファーザー」「グッドフェローズ」他のマフィアものとは違う。それは、「主人公が下っ端」ということ。
下っ端は言い過ぎか。「主体性が無い」というか「サラリーマンっぽい」というかな。
だから、「殺し」を請け負っても、特に自分の意思はなく、淡々の「仕事」をこなしていく。まるで「日常業務」かのように。
それは、その「日常業務」をこなすことが「家族を守る」ことになるから。
本作は「アメリカの戦後史」という面もある。
トラック労組、ホッファ、Rケネディ、JFK、キューバ、ラスベガス開発‥
特にホッファの人気は現代日本人から見れば驚き。ただの労組のリーダーでしょ。
(「グッドフェローズ」でも、羽振りが良いことの言い訳として「労組幹部だ」と嘘をつくシーンがある。ソ連(労働者の天国!)と冷戦中で、「最強の資本主義国」であるアメリカで、労組が巨大な権力を握っている、というのは皮肉ではないだろうか)
単なる「人気」に留まらず、自分を避けている娘が、ホッファのことは大好きで慕っている、ということが本作の肝でもある。
家族を守るために、汚い仕事を請け負い、刑務所まで行ったのに、
その家族は徹底的に自分を嫌い続けている。その悲哀が泣かせる。
仕事漬けのサラリーマンの父親が、家族から疎まれる、という日本中の家庭で見られる光景と、この「アイリッシュマン」がダブって見えてしまった。
(そこまでしたのに、若い介護職員はホッファが誰だか知らない、という現実まで見せつけられる。)
だからこそ、ラストシーンでは、自室の扉を開けて、外の音が聞こえるようにした。何も言わないが、それだけ孤独だ、ということ。
派手さは無い作品ではあるが、主人公たちの演技を見るだけでも価値がある映画。
惜しむべくは、主演俳優たちが年寄りすぎ。動きにキレがない。
彼らが俳優として最もアブラがのっていた頃、20年前頃かなあ。
その頃に本作が作られていれば‥と思うが、その頃は原作自体が無いし、CG技術も無いし、本作に資金を出そう、というNetflixもない、という無い物ねだりだな。
次は原作を読んで見よう。それでまた本作を見てみよう。
Bullet Painting
正直、もっと期待してた。スコセッシ、デ・ニーロ、アル・パチーノの顔ぶれなのに。
見慣れた、見飽きた、見尽くした感はあるマフィアワールドだけれど、決して退屈って訳じゃ無く。でも、深く心に滲みるって言う訳でも無く。だからと言って中途半端でも無く。ちょっと不思議な映画でした。
組合貴族の「暴力装置化」したマフィアでヒットマンを含む何でも屋をこなすデ・ニーロ。食肉を横流ししながら無罪を勝ち取った弁護士と組合への驚嘆がキッカケだとしても。戦地で簡単に捕虜を殺害して来た来歴があったとしても。ヒットマンへの転落だったり、娘のココロが離れていく様だったりは、じっくり描写して欲しかった気もするけれど。劇場版1本の尺には収まらんか。と言うか、無理やりに劇場版にしてないだろうか、って言う気もしました。
スコセッシにしては、ちょっとPOPな感じの演出も、俺的には違和感もあり。軽くおバカに話を運びながらも、グサグサ刺して来るタランティーノって、地味に凄いんだと思ったりしました。
人は、歳をとらないと時間の速さに気付かない
映画の長尺に負けず、デニーロを含めて登場人物も30代くらいから老齢までをこなす。それも立派にそう見える。すごい役者だなあと思った。重厚な造りにも目を見張り、人殺しばかりの話のわりには、ゆったりと分厚い交響曲をふっかりとしたシートにもたれて聴く時間と似た贅沢感を味わう。・・・だから、寝てしまった。だって、大きな山場がない。時間が長い。そもそも僕は、マフィア映画に、興味が、なかった。
時間の速さとは、時間を無駄にすることの愚かさを知る者のみ感じ得るもの。だけど人は、歳をとって時間の速さに気付いても、その使い方はまだまだ下手だ。
アメリカの黒歴史
スコセッシ、デ ニーロ、アル パチーノ マフィア これるだけの情報があれば見なきゃと、観賞後時計を見て驚いた 日付が代わっている 三時間半かよ‼️ アメリカの歴史的事件が起こるたび、裏社会は関わっていく 人間の社会は皆そうなのか? 過去のマフィア物の大作名作とは少し違った感じでした 登場人物が多すぎて大変でした
3時間半のアメリカ裏社会大河ドラマ
Netflix配信のみと諦めていたが、まさかの我が県での1館1日1上映だけだが歓喜した。
40年代から現代までの裏社会をマフィアの殺し屋フランク"アイリッシュマン"の視点で描いている。突然激昂する短気な一面もあるが基本的には寡黙で不器用なほど素直な性格だ。
コツコツ汚れ仕事をこなすうちに州を束ねるボスに気に入られ、あのホッファにも信頼され組合幹部に抜擢される。殺し屋を続けながら。
末娘ペギー(子供の頃の子役が可愛い)には彼の正体を見破られて、ボスやその仲間には懐かなかった。唯一懐いたのがホッファだった。そのホッファを殺した事も彼女には気づかれていた。娘たちが巣立ち、老人ホームに入ったフランクとは遂に死ぬまで会うことがなかった。
意外と辛くなかった3時間半だった。
アメリカの戦後史をマフィアの視点で
久しぶりのマフィア物。
裏アメリカの歴史に興味がないと、この長さについていけないかも。
自由で民主主義のアメリカで、どうして組合関係がconfuse and complicateなのか、いつも理解できない。自動車組合とか、こないだもGMで大々的にストライキしてたし、欧州も組合活動はドロドロしてた。
きっとそこには人間としての性が何か関わるのだろう。
そう考えると、日本のヤクザものなども同じ雰囲気で撮れるのだろうかと思ってしまいました。
アメリカの歴史的な出来事が、テレビニュースで、挟まれて、あの時代こういう出来事があったのかと思わされました。現代社会学を学ぶ人は、観ておいた方がいいかもです。
Netflixで4日後にはみれるのに、知らずに見てしまった。3時間...
Netflixで4日後にはみれるのに、知らずに見てしまった。3時間は長い。この映画は、背景とかwikipediaで調べながら家で見る方が、面白い映画だわ。最初のコマーシャルのアクエリアスの方が涙腺がうるんだわ。
3時間30分も耐えられるか? 最近こんなに長い映画みたことないぞ ...
3時間30分も耐えられるか?
最近こんなに長い映画みたことないぞ
退屈だったらどうしよう
寝たら嫌だな
なんて思ってたが、なんのなんの
最初から最後まで圧倒されっぱなしでした。
役者個々の演技に痺れました。
スコセッシ、デニーロ、パチーノらの遺作っぽく感じてしまい、観終わったあと少ししんみりしてしまいました。
やっぱ、映画は映画館で観たい(^^)
アップリンク渋谷という、とっても小さな小屋で、マーティン・スコセッシの「アイリッシュマン」を観る。Netflixが配給権を買ってしまったし、東京国際映画祭の特別公開はあっという間に売り切れちゃったので😱、映画館で観られない😢、とおもっていたら、こじんまりと期間限定公開したので、3時間半の長尺が気になりながらも鑑賞。
さすがにスコセッシで、映画文法的にもよく出来ており、見応えあるのだが、意外と地味な作り。二十世紀の実在の人物の映画なので、あまり飛んだり跳ねたりできないとは思うが。
欠点はやはり長すぎること。特に終わりのほう。映画館でなく、ネット配信なので、上映時間の縛りが甘くなっちゃったんだろう🤔
ロバート・デ・ニーロはいつもながら抑制効いた演技で達者なのだが、やっぱり、アル・パチーノはいくつになっても、ある意味老けない、筋の通った役者だなあ、と思う。
この2人(+ジョー・ペシ)の絡み合いを観るだけでも、2000円の価値あり。ネット公開じゃ勿体ないなあ、やっぱ。⭐︎4つ。
スコセッシ監督の犯罪映画の集大成
90年代の米国のとある高齢者施設。
そこで暮らすアイルランド系移民の息子フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)は、イタリアンマフィアの一員だった。
仲間になったキッカケは些細なことだった。
第二次世界大戦後、トラック運転手をしていたフランクは、トラックの故障で立ち寄った辺鄙なガスステーションでひとりの男に助けられる。
男は名前を名乗らず立ち去ったが、バファリーノファミリーのボス、ラッセル(ジョー・ペシ)だった。
その後、運搬していた牛肉を横流ししていたフランクは窃盗容疑で起訴されるが、彼を弁護したのがラッセルのいとこビル・バッファリーノ(レイ・ロマーノ)だった・・・
というところから始まる物語で、その後、フランクは全米トラック運転組合(チームスター)の委員長ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)とも懇意になり、ずぶずぶの裏社会にまみれていく・・・
映画は、50年代から70年代までの30年間を中心に描かれていくが、フランク夫婦とラッセル夫婦が連れ立って結婚式に出席するための自動車旅行と、フランクが抜き差しならない状況になっていく様を交互に描いていく。
その語り口は、ゆったりとしていて、焦らない。
かつては、スタイリッシュで、どこか狂騒的なところも感じられたスコセッシ演出だったが、今回はこのゆったりとしたテンポがいい。
といっても、ワンシーン、ワンシーンのキレは流石。
言うまでもないが、音楽の使い方は抜群に上手い。
デ・ニーロ、ペシ、パチーノのベテラン俳優陣、いずれもいいが、ホッファ演じるパチーノのエキセントリックぶりに感服。
(そういえば、1990年代にホッファをジャック・ニコルソンを演じ、ダニー・デヴィートが監督した『ホッファ』という作品も観たが、こんな感じだったのだろうか・・・思い出せない。)
映画はその後、フランクと娘ペギー(成長したペギーをアンナ・パキンが演じている)との確執なども盛り込まれているが、そこのあたりはあまりウエットにならない程度に抑えられている。
3時間半の超長尺作品だけれど、それほど長く感じませんでしたが、最晩年になったフランクについてのエピローグはちょっと長いかなぁ。
扉を開けておいてくれ
年をとって初めて、時間がどんなにはやくたつのかわかる、というデニーロの言葉が身に沁みた。扉を開けておいてくれ、と言った彼は、ジミーが自分を匿って同じホテルに泊まった時の、ジミーのおんなじ振る舞い(扉を少し開けてあちらに行った)を想いたかったんだろうか。
こういう分野の映画に疎い。でも、ドライだけれど、熱い義理と人情の男の世界が、麻薬や売春無しで、回想として描かれていたのは、面白くてかっこよかった。
扉、湖、車、八百屋さん、結婚式、教会での洗礼式、お祈りの言葉など、ゴッド・ファーザーのシーンを沢山思い出した。
デニーロもアル・パチーノもカイテルも味わいあって、素晴らしい役者!
「ドアをキッチリ閉めるな」
約3時間30分という長丁場で、自分の膀胱がどれだけ耐えられるだろうかと躊躇したが、意を決して鑑賞した。しかし、思いの外我慢できたのは今作品の作りが大いに影響されたのであろう。それ程集中力を切らさず観れたのは我ながら驚きである。
巨匠マーティン・スコセッシ、ロバート・デ・ニーロそしてアル・パチーノという映画界のレジェンド達が久々に重厚な内容を仕上げたのだが、マフィア映画とはいえ、抗争でのドンパチは余り無く、所謂暗殺ものの側面が多い。そしてこの辺りが馴染みがないのだが、1975年の元全米トラック運転組合委員長失踪事件に絡めたストーリーということ、そしてあのケネディ暗殺事件をも組み込んだ作りである。原作未読だが、実録モノとしての建付けで、コンビニで売っている『ナックルズ』的要素も匂う。
一人の男の特異な運命を丁寧にそして執拗に描く作りは最近の映画では行なわれにくく、ネットフリックス作品だからこそ可能な内容なのだろうと頷ける。
鑑賞していると色々と疑問が湧いてくる内容でもある。それは今作品のディテールに対してというより、そもそも作中のエクスキューズが一般的に説明し得ているのであろうかということ。例えば、大戦中の捕虜殺害の任務をこなす内に倫理観が麻痺してしまうことは、理由としては納得するのだが、大戦中は世界中で人類は殺人を行なった筈で経験者は皆そういう病理に侵されてしまっていたのだろうか? そこがこの主人公の根源になっているのではないだろうかとしみじみ感慨に耽ってしまうのだ。その麻痺故、最後迄娘とは打ち解けぬ儘であるし、逆にカリスマ性を帯びたホッファに対する娘の信用度の高さの比較とを効果的に折込ながら、しかし結局この二人の違いは何なのだろうかと思考が巡ってしまうのである。陰と陽と一言で言ってしまえば簡単だが、人間としてはどちらもまともではなく度が行き過ぎなのは誰の目が見ても明らかだ。だからこそ恨まれたり逆に信頼されたり、周りの影響力の圧が高い。こういうタイプは今ではワイドショーの格好の餌食にされるのだろうが、実際こういう人達の周りにいれば遠心力の強力さに恐れ戦く以外無い。自分も経験があるだけにそれが痛い程理解出来る。今作品は殺人という法の外側の話なのだが、そこまでではないがしかし人としての限度を超えた感覚の持主は実際に存在し、そんな“台風の目”は日夜周りを脅かしながら続いていく。そして、今作の意義である、そういう人種も又等しく年老いて朽ち果てるという“盛者必衰”をもきちんと描いているところが興味深く、集中力を切らせない作りなのであろう。表題にもあるとおり、扉を閉めないのは、分かり合えない娘に対する赦しの乞いであろうか、それとも心から信頼を分かち合った男を殺した贖罪なのか、神への縋りなのか、全ての関係者がこの世から消え、独りぼっちになった主人公の人生の終末を冷徹な視点で表現せしめた巨匠の凄腕に敬服である。
さすがに長い。
スコセッシ、デニーロ、アルパチーノ、ジョーペシ…レジェンドたちの最後を飾る記念碑的な作品。
死に水を取りたい人は映画館でやっているうちに行くべし。
面白いかどうかはこの際置いておきましょう。
イオンシネマ様有難うございます‼️
東京国際映画祭のチケットが取れなかった時は長く待たないと映画館で鑑賞出来ないと思いました。
いつか、ローマの時みたいにイオンシネマで上映されるかな?と・・・現実になるとは!イオンシネマ様これからも宜しくね!
スコセッシのファンとしては、ちょっと物足りないです。
作品の印象は他のギャング映画とは違った感じなんですが、出ている役者が同じなので新鮮さが無い。アル・パシーノは初めて参加ですが、過去の演技の焼き直し的な演技がいただけない。
スコセッシ様、映画愛が違う方向に向いていませんか?
何が言いたい?
前半1950年代の米国のトラック運転手組合での権力構想、後半 家族との断絶。前半後半 つながりもなく だらだらと長い。
ホフマン主演なので観たが、ホフマンの良さも感じられない。
老いたスコセッシ。
人はだれしも年老いていくものですが、この作品を観たときは愕然としました。スコセッシ、完全にヤキが回っています。登場人物の動作が緩慢で、会話のみで話が進行していきます。年を取った監督の多くに見られる悪弊です。年を取った俳優が身の丈に合った年相応の役どころに収まっていればいいのですが、デニーロにしてもアル・パシーノにしても若作りして若干、痛々しいところがあります。自動車が次々に爆破されていきますが、一人ひとり殺していくことが、若干、面倒くさくなったのか、スコセッシ、まとめて処理していきます。そこには殺していく側の心の揺れなどは読み取れません。全体的になんだか、肩透かしを食らったような気分です。上映自体がとても長く、また、登場人物がやたらと多く、字幕でプロフィールが紹介されてもとても把握しきれませんでした。あれもこれも、と話しを広げ過ぎたきらいがあります。デニーロはともかく、アル・パシーノには十分に演技するだけのスペースが与えられていないようにも思えました。
この監督に於いては本作品を遺作とすることなく、立派な死に花を咲かせて欲しいものです。
なにはともあれ上映してくれた、あつぎのえいがかん kiki に感謝。
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