エジソンズ・ゲームのレビュー・感想・評価
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発明家達の戦い 〜 直流か交流か
発明王トーマス・アルバ・エジソンをベネディクト・カンバーバッチが演じる。
エジソン、理論家の発明家ニコラ・テスラ( ニコラス・ホルト )、実業家ジョージ・ウェスティングハウス( マイケル・シャノン )、発明家達がしのぎを削る様、19世紀の生活スタイルが興味深い。
時間を忘れ研究に没頭していたとされるエジソンと、妻や子供達との関係性に救われた。
BS-TBSを録画にて鑑賞 (吹替阪)
正直言って偉人エジソンのイメージが壊れました。
期待ほどには面白くも楽しくもない・・が、正直な感想です。
2019年(アメリカ)
原題は「電流戦争」です。
発明王エジソン(ベネディクト・カンバーバッチ)とカリスマ実業家ウェスティングハウス
(マイケル・シャノン)の間で起こった電流戦争。
それを中心に描いた地味な映画で、心躍るシーンもなく、これと言って楽しい映画ではありませんでした。
1880年。
発明王として名声を欲しいままにしていたエジソンだが、アメリカ大陸の西部に、
電力の送電システムを広げる競争が勃発する。
送電の費用の安い上に遠くまで電気を送れるウェスティングハウスの交流送電と、
対するエジソンの直流送電は遅い上に費用がかかる・・・。
そして巻き起こる「電流戦争」の行方?
その戦いにエジソンが「交流電流は危険だ!!」とする、ネガティブ・キャンペーンを繰り広げる。
このあたりからエジソンの発明王の偉人伝から、大きく逸れてしまって、
なんだかなあ・・・と、ガッカリしました。
「発明は金なり」と思えて来ます。
生涯に13000もの発明をしたエジソンは、それはそれは勤勉な人だったのは確かです。
そして今、私たちは電気の恩恵を、それこそ数え切れないほどの恩恵を受けていますね。
照明、電気製品、インターネットそして人工知能まで、電気がなくては生きていけないのは、2018年の胆振東部地震でたった45時間停電しただけなのに、
テレビ、電話、冷蔵庫、インターネット(Wi-Fi)を使えないだけで、生きる限界を感じてしまいました。(心底、有り難さが、身に染みました)
そのエジソンさんですが、彼は他にも、蓄音器、映写機、カメラ、などなどを発明。
今では「映画の祖」と呼ばれ、映画の分野には大きな功績のある人でした。
つくづくと発明の複雑さ・・・決してエジソンひとりの発明品と言い切れない側面、
・・・特許権と、そして訴訟王とも呼ばれたエジソンの裏の顔など。
(電気椅子のエピソードなど・・・も、)
やや複雑で詰め込み過ぎの感もあります。
(ただし無数の白熱電球が、駅舎を照らすシーンは、感動ものでした)
ラストに華々しい点灯式を持って来たら、感動出来たかも知れませんね。
イメージが変わった・・・
発明王エジソンの伝記は幼い頃に読んだがその頃は小学校を退学になって母親の教えで育ったことの方に驚きをもっていた。子供のころから商売熱心で列車で手作りの新聞を売っていたり15歳の頃には駅で働くようになり電信を学んで定時電信機を作ったりしていた。もっともこれは夜勤で寝てもいいようなさぼりの為の発明だったらしく御咎めを受けて駅員を止めている。発明の知識は図書館通いで独学で習得しているのだから名言にあるように努力の天才ですね。22歳の時に改良発明した株価電信印刷機ストックティッカーの特許で4万弗の莫大な利益を上げ発明に一層邁進する。
映画はエジソンの伝記ではなく長じてから、JPモルガンの資金援助で電灯会社を立ち上げるようになりウェスティング・ハウスとの電流戦争(原題のThe Current War)を繰り広げる様を綴っている。
まさか電気椅子に関わっていたとは驚いた、どこまでが真実かは分からないが余りにも独善的で偏屈な人物に描かれているのでこれまでのイメージが壊れてしまったのは残念。
天才テスラをないがしろにしたのは大失敗だと思うが部下には後に自動車で大成したフォードもいたのだから人を観る目が全く無かったわけでもあるまい。
うがった見方をすれば映画業界はエジソンの特許料徴収や訴訟などで疲弊した歴史から辛辣なビジネスマンとしての側面も描きたかったのかも知れませんね。本作はトロント映画祭に出品されたハーヴェイ・ワインスタインのバイアスがかかった作品から追加撮影や再編集されたディレクターズカット版のクレジットがついています、トロント版は不明ですが悪名高いワインスタインの描いたエジソン像がどうだったのかちょっと気になります。
いけ好かない野郎だなぁ
WHは最初からフェンスを作らず、エジソンと手を組みたがっていたのにね。
あんなに、いけ好かない描かれ方したら、WH側を応援したくなるよね。
優れた発明や技術を組み合わせて、より良い物が出来るなら、それでいーんです、大衆は。
当初は世の利便性を向上させる為に発明を具現化しようと努力するのだろうけど、
やっぱり人によっては、名声や金、自己顕示欲に塗れちゃうよねー、分かります。
でも新しい技術が普及した世になると、開発者や普及者が誰かなんて大衆は意識しないんだよね、当たり前だけど。
それでもやっぱり歴史には名は残る、それが最高のモチベーションなのかね、
知らんけど。
電流戦争
NETFLIXにて鑑賞
幼少の頃に読んだ漫画伝記シリーズの
エジソン。
発明王、絶賛な漫画でした。
エジソン好きな小学生
と言うか伝記シリーズの偉人はみんな好きでした。
で、エジソンズ・ゲーム
まあ、カンバーバッチにぴったりな役でした。
皮肉が詰まったエジソンばっちりです。
トム・ホランドな秘書、良かった。
電流戦争は、詳しく知らなかったので本作にて
ああ、こんなん攻防があったのかと関心しなが見てました。
結末は、直流交流てだけで分かったけどエジソンはウェスティングハウス、テスラと組んで欲しかった。
最後の万博でのエジソンとウェスティングハウスの会話は感慨深い
フェンスなんぞ作らなくていいんだ
広さが、2倍になる
たんなる、商業的な話なのか
私は、もっと世界規模に置き換えられないかと
思った。
意図は違うにしてもそう思わせてくれた考えさせてくれたこの映画に感謝
あ、エジソンさん、映画を作ってくれて本当にありがとうございました。
知らなかった…
ウェスティングハウスのことも、こんなにエジソンが対抗意識を燃やし、ネガティブキャンペーンをしていた人だなんて。。特にウェスティングハウスの考える交流方式の危険性を示すためとなった電気イスの下りは酷い。この映画だけを見ると、エジソンは天才肌だが、傲慢なのに対してウェスティングハウスの方が断然好感が持てる。カンバーバッチはこの手の役がよく似合う。二人がラストで話し合ったように互いに協力はできなかったのだろうか。テスラのことももっと知りたくなった。万博で人々が無数の光に感動するシーンと初めて電気イスで死刑執行されるシーンのコントラストは印象的だった。金のために人を殺す兵器などに電気が利用されることを拒んだエジソンも心に残った。
フェンスなど作らないことだ。庭は2倍の広さとなる
映画「エジソンズ・ゲーム」(アルフォンソ・ゴメス=レホン監督)から。
「原題:The Current War」(電流戦争)を、
わざわざ「エジソンズ・ゲーム」にした意図は何だったのか、
ちょっと気になるところではあるが、意外と面白かった。
私のお気に入りは「シカゴ万博会場で2人が出くわすシーン。
電力送電システムをめぐって繰り広げたビジネスバトル=電流戦争に、
勝利した側のウェスティングハウスが、エジソンにこう話しかける。
「フェンスは奇妙なものだ。
隣家が作ると家が2つに分かれフェンスは共有に。
問題は片方の家がフェンスを設計し、それを作り、
そのための費用も負担する。だが、もう一軒は無料でフェンスが手に入る」
と、繰り広げられてきた「電流戦争」を例えた。
「君の案を奪ってはいない」と呟きながら、
「解決方法はフェンスの費用を折半にするか、フェンスなど作らないことだ。
庭は2倍の広さとなる、違うか?トム」と投げかけたことだ。
負けたエジソンも「話せてよかった」とその意味を理解した。
「2人は、新しいエネルギーで現代社会を創る」という目的は同じ。
いつまでたっても、フェンス越しにお互いを罵倒するより、
フェンスを取っ払って、大きな世界を創ろうよ、そんな提案にも思えた。
彼らのこういった競争があったからこそ、現代社会がある。
「エジソンは『電流戦争』に敗北後、
キネトグラフ、キネトスコープの特許を取得。
新産業の『映画』を創った」というテロップを見つけた。
こうしてこの作品を観ることができたのも、
エジソンのおかげなんだよなぁ、感謝。
科学が未来を照らす
直流か、交流か。一応昔、学校の授業で習ったような…? なのに、ほとんど覚えちゃいない…。が、
19世紀後半のアメリカ、電力送電法を巡って繰り広げていた、直流派の発明王エジソンと交流派の実業家ウェスティングハウスの“電流戦争(原題『THE CURRENT WAR』)”。
そう見たら、なかなか!
勿論専門的な言葉ややり取りは飛び交うものの、知的な実録科学映画ではなく、思ってた以上にエンタメ度が高かった。
テンポも有無をも言わさず進んでいき、引き込まれたり、所々ついて行けなかったり。
一番の面白味はやはり、電流の覇権を巡って争った人々。
直流一本。他は聞く耳持たず。
妻子は深く愛するが、部下や商売敵にはかなり冷たい。
が、私欲は無く、例え大金を提示されても自分の利に反するのであれば断る強い信念も。
表向きは傲慢だが、その実は孤高。
ベネディクト・カンバーバッチが演じた事でイケメンなエジソンになったのはご愛敬だが、さすがクセある天才役はハマる!
一方のウェスティングハウス。
別に彼はエジソンのように交流一本!…と頭固くなく、そこは実業家。電球の特許を持つエジソンと組もうとさえしていた。
実業家だが科学に理解を示すが、ある時失敗して大事な仲間を亡くし会社が崖っぷちに立たされるも、諦めず反撃に出、革命的な足跡を残す。
そして彼は電子産業の先駆者となった。
マイケル・シャノンがこちらもさすが巧演。
二人の間に、もう一人。
ニコラ・テスラ。
彼もまた私欲持たず、ただただ科学を信じる若き発明家だが、それ故悲運も。
才能認められ最初はエジソンの元で働くが、酷い扱われよう。
別の会社で働くも、騙され、特許も技術も設計も全て奪われ…。
そんな時出会ったのが、ウェスティングハウス。ようやく、彼の才が光る。
最も感情移入させられる人物であった。
ニコラス・ホルトの好助演。
エジソンの秘書役にトム・ホランド。
二人が並ぶとどうしてもアレを思い浮かべちゃう。
そういやシャノンも別会社でアレだし。
電流以外の発明秘話も興味深い。
有名な蓄音機。それで亡き妻の肉声を…。
我々が大好きな映画。
しかしショッキングだったのは、電気椅子。まさかそれに携わっていたとは…。おまけに電気椅子の発明をウェスティングハウスにしようと秘密裏に…。
かのエジソン。偉人や歴史の陰は分からない。
今私たちが当たり前のように使っている電力。
それを巡って当時、激しい争いが繰り広げられたのは当然だろう。それほど革新的。
ならば、それを初めて発明した時、どう思っただろう。
人によるかもしれない。が、信念を持った人ならば。
科学が未来を照らす、と。
元々は2017年の作品。
某プロデューサーのせいで長らくお蔵入りされたが、やっと光が照らされた。
正直後一歩惜しい作品であったが、知られざる歴史の逸話を知れただけでも見る価値あった。
主役はエジソンではない⁈
カンバーバッチとトムホが師弟役で共演⁈ということで公開当時見に行きと思ってはいましたが、近くの劇場で上映しておらず、やっと観れました。
感想
エジソンズ・ゲームなのでエジソンが主役だと思っていましたが、ライバル役のウェスティングハウスが美味しい役でしたね。主役のエジソンは手段が非人道的な方法ばかりで悪役のように演出されていて正直意外でした。結果、ウェスティングハウスを応援していましたw。しかし、エジソンと助手との友情は胸熱でその点でエジソンを応援している自分もいて、優柔不断な気持ちラストまで観ていました。ラストはウェスティンが勝ち、ステラまで勝利をもぎ取るというある意味予想外の展開!エジソンも勝利を認め、全員がハッピーで終わる。良いじゃないですか。
しかし、ドキュメンタリー番組をダイジェストで見せられているような物語展開には不満点を覚えました。NHKなどでゆっくり観たいとも思いましたね。
総評
エジソンの悪役的な演出が新しい映画で必見の一作だと思った。なにより、トムホとカンバーバッチが素敵すぎます!
あらすじと解説(?)
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【要約】19世紀末、米国全土にわたる都市配電網敷設にあたり、非効率な直流方式にこだわるエジソンは、経済性で大きく優れる交流方式を推すウェスティングハウスに後背を喫するあまり、交流方式の危険性をこじつけ、電気椅子の醸す死のイメージとウェスティングハウスとを結びつけようとするが、1893年のシカゴ万博における電気設備の落札に失敗したことで勝敗が決した。
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【解説】邦題は『エジソンズ・ゲーム』となっているが、原題は"The Current War"とあり、「電流戦争」「通貨戦争」「時事戦争」を意味する。"current"とは、流通するもの、流れるものの意味であり、複数の意味合いを持つダブル(トリプル?)ミーニングとなっている。
このような邦題となったのは、本作の主演の1人ベネディクト・カンバーバッチの知名度と、彼が主演したヒット作『イミテーション・ゲーム』(2014)にあやかってのことだろう。
そもそもカンバーバッチは『ドクター・ストレンジ』(2016)やドラマ『SHERLOCK』でも見られるように、偏屈で天才的な役柄が多い。
もちろんエジソンの名声もあるだろう。(エジソンはやたらと有名であり、発明家、天才といった称号に併せて1+1=2が分からなかった等の逸話も知られているが、実際のところ電球の発明以外に何をしていた人物だろうか?)
(ここであまり関係のない『モリーズ・ゲーム』(2017)を思い出す)
『エジソンズ・ゲーム』という邦題からすると、天才エジソンの頭脳のなかで繰り広げられる戦略的バトルのような(主観的チェスのような)イメージを受けるが、実際にはこの映画の主役は2人いる。
この映画は、エジソンがチェスの盤面を支配して駒を動かすような天才無双モノではない。(そちらがお好みであれば、ガイ・リッチー版の『シャーロック・ホームズ』シリーズがおすすめだ。第3作が製作進行中という噂もある)
マイケル・シャノンのことを映画好きなら当然知っているだろうし、立派な(業績ある)俳優で、本作でカンバーバッチと双璧を成すにまったくふさわしい画面映えだけれども、一般的な知名度はまったく劣るので、興行的判断からエジソン=カンバーバッチを題することとしたのだろう。
つまり映画の内容は、エジソンとシャノン=ウェスティングハウスが並び立つ内容となっており、むしろ後者に軍配が上がる構成となっている。どころか、観客としては有名なエジソン=カンバーバッチよりもウェスティングハウスのほうに好意的な視線を送りたくもなる。(が、これは観る者の思想や立場によるだろうか)
・
エジソンは発明家で、自分の発明に固執するあまり経済的に効率の悪い直流方式を推す。
一方実業家ウェスティングハウスは、エジソンの発明を土台に改良された効率のよい交流方式を推進することで、米国全土に配電網を整備しようとしている。
というのが本作の製作者が用意した対比的構造だ。
(送電方式と電球は別々の発明として分離できる気もしなくはないが、映画のなかでは、送電方式と電球はゆるく一体化したものとして描かれている。交流方式は直流方式とは別物であってなお、各家庭や街灯に灯る電球はエジソンの発明であって送電網とともに電球を普及させようとするWHは盗作者だ、というのがエジソンの思惑だろうか)
どちらかというとエジソンは、人々の暮らしを豊かにするとか電気設備維持コストを考えるというよりもエゴの固まりで、「自分が発明した電球だから、この関連分野には関わるな」という強い縄張り意識から動いている。
そんな偏屈なエジソンをも受け入れる広い度量の男として実業家ウェスティングハウスは登場する。元々ウェスティングハウスは技術者エジソンを取り込んで、共に、交流方式を推し進めて行きたかったようで、仕方なく「カレント・ウォー」にもつれ込んだのも、エジソンが頑なに直流方式にこだわるのみならずウェスティングハウスの評判を下げるという手段に出たからだ、という描かれ方だ。
原題には"war"とあるが、どちらかというと躍起になって戦争(というよりやっかみ?)を仕掛けているのはエジソンのほうで、ウェスティングハウス側はそれを意にも介さず立ち回っているように思える。
というのも経済のこととなれば、より少ないコストで広範囲かつ無数の工場・公共設備・家庭により多くの電力を提供できる交流送電が勝つに決まっているからだ。
・
この目に見えて勝敗の明らかな(というのは現在的な視点だから言えてしまうことだろうか?)陣地争いだが、まるでエジソンが1893年のシカゴ万博で落札に成功すれば彼が挽回できるかのように、決着は終盤にもつれ込む。
「各州都市が直流-交流どちらの送電方式を採用するか?」に関しては、明確にウェスティングハウスが優位であり最初から勝敗が決しているようにも関わらず、その点は曖昧なまま、シカゴ万博前の競争入札においてエジソンの直流方式の電気設備が落札すればWH交流式に「勝つ」ことができるかのように物語は展開していく。(ここは映画を盛り上げる展開だろう。)
実際には、エジソンは純粋に発明一筋でそれ以外は何もできないというわけではなく、多量の特許を元に会社を経営する実業家の側面も持ち合わせていたようだから、本作における天才発明家VS実業家(WHも技術者としての側面を持ち合わせていた)という両極化した対比構造は成り立っていない。
ただ、実業家エジソンが経済的効率の劣る直流方式を推し進めようとしていたのは事実のようで(この辺りについてはよく知らない)、WH交流方式を蹴落とす悪あがきとして電気椅子をもちいた印象操作を行なっていたのもまた史実のようである。
経済的効率性の面でエジソン式が劣るのは明らかだった(エジソンがその点を公の場で認めているようにも思えなかったが、理解し、知ってはいただろう)が、エジソンは安全性に訴えることでWH式を押し下げようとした。高電圧の設備に触れれば即感電死だ、というのが彼の主張だった。なんなら街頭の電球に触れただけで人は死ぬ、とまで主張する場面が劇中には存在した。
感電死の危険性については交流方式を推し進める者も対応・対策するであろうし、仮に「電球に触れでもすれば必ず感電死する=確率100%」にしても、防護策が取られたうえで、「実際に感電死が発生する確率(頻度)はどれくらいか」を考慮して技術は使用されるものだろう。その点については触れられていないし、エジソンも劇中で述べてはいない。
(たとえば飛行機事故に遭えばほとんど必ず死ぬとしても、飛行機事故に遭遇する確率がとても低いのと同じ)
・
エジソンは、交流送電方式の危険性を主張するとともに、交流を利用した電気椅子という新しい処刑方法の開発に秘密裏に知見を提供することで、交流=死のイメージを一般に形成しようとする。(とはいえ、"より人道的な処刑"を目指した結果の電気椅子でもあるらしいのだが)
が、影で暗躍していることが新聞に暴かれたばかりか(劇中ではここでWHもエジソンが内密にやり取りした手紙を盗んで新聞社にリークするという非合法的な手段に打って出ている)、初の電気椅子処刑が囚人に惨たらしい死をもたらすという結果に終わる。つまりエジソンはWHを蹴落とすために悲惨な死を招く協力をしたということになる。
が、処刑に臨む囚人のシーンはまるで神々しく、この辺りも「映像と音楽の調整で盛り上げようとしているな」という気分を誘う。(コーエン兄弟監督『バーバー』の静かな終わりを思い出す)
★エジソンは、囚人に対しては「人道的な処刑だから」と、ある意味での殺人に関与しながらも電気椅子開発を正当化。それでもなお残る後ろめたさゆえに、開発関与を極秘にすることで世間からの非難を逃れようとする。さらに、開発に関与したのは自分であるはずなのに、まるで電気椅子による処刑がウェスティングハウスによるものであるかのように「交流=死」のイメージを大衆に植えつけようとする。
「人道的な処刑は善」「殺人は悪」という二両取り(ダブルスタンダード)をして、自分は陰に隠れる。そこまでしてなお直流で勝ちたい。この政治力、人間臭さは(現代的な視点での)ステレオタイプな機械オタク科学オタク、ナードのイメージとは程遠い。
元々は「生命第一」主義者であるという描写なのだが、一線を越えてしまったのだろうか……。交流送電方式による事故発生についてもそこまでリスクは高くなさそうだと理解はしていたように思えるあたりからも、「自己」の勝利ということへのこだわりが至上命題だったのではないかと思われる。
・
よく歴史で語られるように、直流VS交流というとエジソンVSニコラ・テスラの構図だと思っていた。
(ノーラン監督『プレステージ』(2006)でも、鬼才テスラがエジソンに追われる描かれ方がされている)
が、テスラはどちらかというと実業家ウェスティングハウスに「組み込まれた」ようで、本作でも脇役(のわりに張り切った配役)として登場する。
ただ本作におけるテスラは、目立つ人物として描かれているが、主役というわけでもなく、また勝敗の決着に貢献した描写もない。
ウェスティングハウスという人物に注目し(注目させ)、彼の業績を引き立ててやることが本作の一般に対する仕事かも知れない。
・
結局エジソンは、送電方式の陣地争いに負けたばかりか、シカゴ万博での落札も叶わず、敗北することとなったが、なぜか晴れ晴れとした幕切れが目指されており、「なんかエジソンも幸せになれたんじゃね?」という雰囲気が醸し出されて終わる。
映像の華やかさと音楽の心地よさで終盤を乗り切ったかたちだ。
実験室と家族に寄り添うのがエジソンの小さな幸せだよね?と言いたかったのだろうか。
発明王として知られるエジソンの裏側を描いた映画
発明王として知られるエジソンだが、自分もこの映画を見るまで知らなかったが、ダブルスタンダードな面をみせるなど裏では色々と汚いことをやっていたという人間としてのエジソンを描いていた。
反面、ジョージ・ウェスティングハウスは人格者として描かれており、電流戦争で対立した人間としてだけではなく、対照的な描かれ方をしていた。
さて、この電流戦争に絡んでくるもうひとりの人物、ニコラ・テスラは卓越した才能をもっていたのに不運な人だった印象が強い。
エンディングでの彼の晩年を知ると努力が報われるという言葉とは何なのかと考えさせられる。
それでもエジソンはすごい
実話を題材に、描かれるエジソンという人間の闇の部分
「光があれば闇もまた生まれる」
今回の作品は、そのように感じる作品であった
エジソンが、人類にもたらした貢献は素晴らしいものだが
その特権争いに、エジソンという人物の闇が現れた
「直流電流の電気」vs「交流電流の電気」は、誰がどう見ても交流電流の方が素晴らしいとわかるが
エジソンは、頑なにそれを認めず、「交流電流」を使った悪評を広げるようにしていた
例えば、馬に対して交流電流を流し、絶命させたり
電気椅子などの処刑道具に使わせたりなど
発明家どころか、人間としてやってはいけないことを、自分の名誉のために行った彼の行動に恐れた
本当の事実かどうか、今で確かめる術はないが、これが事実であれば彼はとんでもない人物だと言える
この作品の悪い点として、
途中で、別の発明家の話が入ってきたりして、誰が誰だかわからなくなってしまう
電流戦争?
書いてたレビューが消えたので
もう書けないから適当に。
名の知れたカリスマ エジソンと
真面目な経営開発者 WHと
天才 テスラ
の3人が軸になってるのはわかるけど誰も彼も魅力が伝わってこない。伝記は見てるので3人のことは知ってるけども。
創造の苦労とか
泥沼の利権争いとか
天才の奇抜なすごさとか
どれもこれも盛り上がりにかけて電気椅子ばかり目立つ。
せっかくの世界がこれから変わるんだっていう感じがパッとしなくて
エジソンを悪く描きつつ、最後むりやりシカゴでの二人での立ち話で丸く納めた感がいまいち。
カンバーバッチの目色はやっぱり素敵♡
まあまあだった
エジソンが電気椅子の開発に関わったとか、本当に面白くないし、見たいのはそれじゃないと言う感じが続く。終盤、電球の開発に成功したエピソードが語られ、その場面が見たかった。エジソンで見たいのはそれ。
テスラが開発するモーターも見ることができないまま終わる。きちんと開発されたのは電気椅子とレコードと映画。
ウェスティング・ハウスの人柄がやたらといい。テスラは気の毒だった。
天才の激突が生み出すアメリカの歴史
延期する前から結構楽しみにしてた作品
この作品調べるとセクハラ大王ハーベイ・ワインスタインが
横やり入れまくってメチャクチャになってったところを
監督の師匠のスコセッシの協力でどうにかなっていった
紆余曲折ある作品だったようですね
1880年代のエジソンの電球発明以後のアメリカ
電化に際し直流派のエジソンと交流派のウェスティングハウス
そして電気自動車に名を遺すテスラの奮闘を描きながら
JPモルガンやGEなどアメリカの隆盛を知る大企業の
成り立ちも知ることが出来ます
発明王トーマス・エジソンは直流配電を推進しますが
自身のアイデアを盗用されることに非常に過敏な性格で
訴訟を繰り返したり有能なエンジニア候補を冷遇するような
側面がありました
対して交流配電を推進したジョージ・ウェスティングハウスは
今でも鉄道の非常ブレーキにそのメカニズムを残す
自動エアブレーキの発案などを実現した天才です
当初はエジソンと共に電化普及を目指すような意思も
あったようですが盗用を嫌がるエジソンの工作によって
対立構図が生まれていきます
エジソンは名声を得た以後病で最愛の妻を亡くすなど
不幸も経験しますが自身の知名度を使ったメディア誘導で
ウェスティングハウスの交流が人体に危険であると喧伝し
実際に動物実験でそれを証明するまでします
対するウェスティングハウスは当初は意に介さなかった
ものの交流配電に耐えうる発電機を共同開発していた
フランクリン・ポープの研究中の事故死を経験し
一旦は開発をあきらめ会社を売却する事も考えますが
ポープの遺志を継ぐことやエジソンのやり方に
徐々に怒りを覚え真っ向勝負を決意します
そんな時交流発電をエジソンに提案し大まかな設計まで
頭にあったもののエジソンに報酬未払いなど冷遇されたり
資金不足で実現できずにいたニコラ・テスラという
青年エンジニアのうわさを聞き付けたウェスティングハウスが
テスラを引き入れ交流配電計画が具体化
ウェスティングハウスは心を鬼にし
人体への危険性を喧伝しながら電気椅子による死刑執行の
アイデアを提案していたエジソンの裏文書を見つけ出し
やり返すなどし結局エジソンは「電流戦争」に負けてしまい
自身の会社も出資者JPモルガンによって合併させられてしまい
「ゼネラル・エレクトリック(GE)」と名前も変えられてしまいます
そもそもエジソンとウェスティングハウスが共同で
アメリカ中の配電計画をしていれば最高のシステムが
生み出されたのかもしれませんがプライドが許さなかった
でもその過程で起こった周囲の動きがその後のアメリカを
支えていく大企業の誕生を後押ししたと思うと
競争の功罪とも言えるかもしれません
映画は全体的に予告編のようなエンタメ感ある
対決構図でなく史実に沿った割と淡々とした展開
エジソンの曲者っぷりをベネディクト・カンバーバッジが
絶妙に演じ1890年前後のアメリカの美術表現は
なかなか見ごたえがありました
シカゴ万博の映像化というのもなかなかないかも
また電気が都市の夜を照らす明かりとなっていくのと
絞首刑に変わる死刑執行法として電気椅子が使われる
新しい技術が人に与える影響のまさに「明暗」を
あからさまに描写するシーンは印象的でした
テーマに小難しさを感じる人もいるかもしれませんが
別に専門的な知識はいらないと思います
天才の譲れないプライドと葛藤
成功に最も必要なのは何か?情熱か?アイデアか?人材か?資本か?名声か?
色々考えながら見られる作品だと思います
ありがちな「天才の人間性の暴露」
何なんだろ。この原作既読作品を観てる様な、ドキドキハラハラ感の無さw
偉人エジソンが表も裏も知られ過ぎやからだと思うんですが、にしても。フィクション要素でも良いんで、なんか盛り上がる大ネタとか、派手な人間模様とかが欲しかったです。
天才テスラには、も少し活躍して欲しかったし、ウェスティングハウスは良い人すぎるし…
ピーター・パーカーじゃないトム・ホランドは久しぶりに観た気がするw
総じて、物足りなかったです。
−− −− −− −− −−
6/26 追記
「発明する実業家」だったエジソンは、科学技術ではテスラに負け、実業家としてはウェスティングハウスの後塵を拝すことになった。社員だったテスラが開発した交流システムに見向きもせず、出すと言ったボーナスは「アメリカのジョークは君には通じなかったな」で済ましたりするから自業自得なんですけどね。エジソン対ウェスティングハウスが、天才発明家と実業家と言う構図になってる所にも抵抗があり、盛り上がる事が出来ませんでした。
イーサン・ホークのテスラ、待ってます。
最初が、入り込みづらい。
なかなか面白かった。ウェスティングハウス夫妻は2人とも素敵な人で、この2人すごく良いなあと思いながら見ていた。ウェスティングハウス(夫)の役者さん素敵ですね。ファンになりそう。シェイプ・オブ・ウォーターでてたらしい。覚えてない😫
エジソンの秘書役のトム・ホランドも、最初はちょこまかエジソンに振り回されてたのに最後の方は成長してきて、もう可愛さ全開だった。この人の、溢れる可愛さはなんなんでしょう。このまま可愛いおじさんになって欲しい。
ニコラス・ホルトがテスラ役。最初、ベネディクト・カンバーバッチがテスラって言ってなかったっけ?と思ったけど、神経質で天才肌の学者役(素敵な部屋に住んでいる。2度傾いてるけど)がハマってて良かった。
のだけれど、なんか完全にはのめり込めなかった。
その1。導入部、誰が誰だか分かりにくい。明確な人物紹介がなく、チャカチャカ シーンが移り変わりすぎて、人間関係が把握しづらかった。みんな、髭で同じような髪型だし!お前誰やねん?って思いながら、前半見てました。
その2。エジソンの人間像が複雑すぎて、感情移入できない。最近薄々感じていたんですが、ベネディクト・カンバーバッチ氏の演じる人物は、概して複雑すぎて なかなか感情移入しづらい。ファンの贔屓目で、この人は複雑な人物を演じているなあと思ってたんだけど、なんというか、彼が演じるキャラクターは人間性に共感しづらいというか、結局どんな人なのかよく分からない、ことが多い。
人間とはそういうものかもしれないけれど、こちらはあくまでも物語の中のキャラクターとして彼に演じる人物を見ている。複雑とは言っても、どこか1本芯が欲しい。その芯がぶれているのか、細すぎて私の映画スキルでは読み取れないのか。キャラクター内での乖離が、私の中では上手く処理できない感じがしている。うーん、ファンじゃなくなったって事なのかなぁ。
エジソンの家族もも、仲がいい割に彼の人間性に関与してないというか。仕事の鬼なのか、自己中心的なのか、仕事の鬼だけど家族を愛する実は優しい男なのか、最後までよく分からなかった。
米国の電力事情についての前知識のないワタシには、全体に説明不足の映画であった。
ポプュラーな作品ではない
歴史や科学に疎く映画を通して学べればいいかな、そして何よりカンバーバッチ主演ということもあって観賞したが、率直な感想としては万人受けするようなポプュラーな作品ではないかなといった印象。
恥ずかしながら知識不足の自分にとっては退屈に感じてしまった。
電気供給権の話が最初から最後まで続くわけだが、その辺りに少しでも退屈に感じてしまうとやはり長さを感じ焦ったく感じてしまった。
幸いにも歴史に疎い自分にとってはエジソンの面倒くさい性格と知り、覇権争いに敗れたというこの二点の意外性は初見の為楽しむことはできた。
見ていて少し疲れは感じた。
電気に詳しい人、伏線気付けるかな?
映画ってやっぱり見やすくて理解しやすくて面白いのが一番良いね。
カンバーバッチはこういう知的で理屈っぽい役を演じるの本当に上手い。見入ってしまう。
少し電気の仕組みに詳しい人には序盤に伏線が張られており後半回収してくるので期待して見てほしい。
放題のゲームというのは最後までよくわからなかった。原題の通り戦争の方がしっくりくる。
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