「記号化された起承転結に、記号的な感動。」あしたは最高のはじまり 天秤座ルネッサンスさんの映画レビュー(感想・評価)
記号化された起承転結に、記号的な感動。
もはや安心印のついた「オマール・シー映画」。オマール・シー主演作なら安心して見られるだろうし、心洗われるようなほっこりした気持ちになれるだろう、なんて思うようになってしまいました。そういう意味ではこの映画はまさしく「オマール・シー映画」。善良な父親が愛娘の最高のパパになろうと奮闘し、感動的な結末へと突入する、実にいかにもな作品。分かってて観に行ったので、これでいいんです。
ただ、満足したか?というとそこまでではなかった。なんだか非常に物足らないというか、描くべき部分を描き飛ばしてしまっていたような印象を最後まで抱いていた。導入部分からしてそうだ。突然乳児を押し付けられ、しかも言葉も通じないロンドンの地で娘を育てるというのに、どのようにして乳児を育て、またそのロンドンの地で生活を送って行ったのかや、そういった過程で芽ばえる父性や人間的な成長、そして父娘の絆などといったものはすっかり描き飛ばして物語は8年後に飛んでしまう。それ以外でも、説明が必要な部分を華麗にスルーして展開してしまうので、なんだか都合の悪いところを飛ばして都合のいい分だけを描いているような印象になってしまった。
その後のストーリー展開においても同様で、親権裁判における父親としての試練や葛藤なども描き飛ばされてしまったし、ストーリーがまるで記号のよう。起=突然パパになる、承=うまい具合に成長した娘との家族生活、転=母親との再会と真剣裁判、結=悲しい別れ、という起承転結を記号的に描くばかりで、そこから生じる人間的なドラマまでは深く描き込まない。娘の病のことさえ、闘病の過酷さや病を隠して生活する辛さはやっぱり描き飛ばして記号化されてしまっている。そのくせラストにだけ感動の切り札みたいに振りかざしても、当然、記号のような感動しか生まれない。フランス映画なんだけれど、まるでハリウッドのコメディ映画っぽいご都合主義を全編に感じる作品だった。
そもそもオマール・シーは「最強のふたり」のイメージが強すぎて、本当にこういう感動系ハートフル・コメディの出演作ばっかりになってしまい、そろそろマンネリ感が出てきた。なんだか悪い意味で一時のロビン・ウィリアムズみたいになっていきそうで(名優なんだけど)こっちが心配になってくる。彼の喜劇俳優としてのポテンシャルが輝くような作品が観たいし、これまでと全く雰囲気の違う主演作も、そろそろ観たい気がするのだが。