北の桜守のレビュー・感想・評価
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泣いた… 「ちはやふる」より泣いてしまった…滝田監督演出もれなく号...
国民的女優で犠牲・ギャップ~国民栄誉賞もらえば~
「北の桜守」40点。
もう無理です。「昭和」をひきずるのは。
もう30年も経っています。流れの早い「映画界」では無理です。
「北の三部作(勝手に「東映」が銘打っているんでしょう)」全てがダメでした。全ての脚本の「那須真知子」がダメなんでしょう。
「三部作」だけではなく彼女の出演する作品の多くは、
人の世の「不幸(多くが「戦争」)」・「困難(欲望ゆえに罪を犯される)」・「貧しさ(恵まれていない環境)」の中で、
さらに「厳しい自然・時代条件」の中で、
「虐げられた人々(戦争犠牲者・罪を犯された人・ワケあって偏見を受け差別される人々・社会の下層の人々)」を取り上げ、
「ひたむきに」・「頑張って」・「決して落ちぶれず」・「情がわかり(特に親子の情)」・「(結果的に)くじけず強く」生きていく様子を描き、
多くが「肯定的な」・「決して非難されることのない」結果に落ち着きます。
+「お涙頂戴」的です。
結局=「昭和そのもの」なんです。
つまり=「文科省推薦」的作品ばかりです。
+いつも「キレイキレイ」な「アイドル(「120本」を全てを観たわけではありませんが。恐らく。この年齢になってもやっているんですから)」です。
つまり=「国民的女優」なんです。
したがって、どうしても「記念碑的」な作品になります。
「協力」=「稚内市」「網走市」「ニトリ(社長が「北海道」出身)」「伊藤園(お茶のシーンありました)」他の2つも何らかの関係が?
「特別協力」=「JR東日本」「JR北海道」
「協賛」=「ANA(勿論、飛行機映りました。せこいですが旅費は全てタダ?)」
「宣伝協力」=「宝酒造(お酒)」「LAWSON(「ローチケ」でチケット販売)」
「製作委員会」=「東映(社長があの「アカデミー賞」主催者「岡田裕介(「東映」の元社長の息子で、過去に彼女と共演)」「TV朝日系列(「北海道TV」も入っています)」「朝日新聞社(いかにも好きそう)」「北海道新聞社(オール「北海道」です。後でわかりました「北海度と命名150周年記念」と!)」「博報堂(「電通」があれですので)」などです。
何故こんなに多いんでしょう?また掲示しているんでしょう?
そして、「監督」が最近では「行定勲」「堤幸彦」「滝田洋二郎」「成島出」「阪本順次」「山田洋次」「大林宣彦」「市川崑」(過去にも一杯)と有名監督(食い散らし、多くの「条件・しばり」の中で苦しめて、結果的にその監督らしさを奪った?)ばかりです。
そして、どの作品に於いても「キャスト」の豪華さを言うまでもありません。
選ばれた「スタッフ」も一流でしょう。
どうしてこんなことが可能なんでしょうか?
「記念碑的」「文科省推薦」「国民的女優」だからです。
つまり、「国」「圧倒的多数の国民」によって製作されているのです。「国の花・象徴」である「桜」が散りばめられているのを観てもわかります。
で、作品そのものは「む~ん」でも、彼女の全盛期や支持してくれた人が多い時は良かったんです。
でも今は?ガラガラです。
観衆は圧倒的に「高齢者」です。涙を流されている方もおられます。それはそれでいいんです。昔を懐かしんでおられるんでしょうか。
しかし時が移るのは、「エンターテインメント」「映画」の世界は速いです。次々と時代を先取りして「新しいもの」を産み出していきます。「昭和」が終わって「30年」も経っています。そろそろ…。
「若い人(高齢者以外の全盛期を知らない人)はついて来ていないのでは?「温故知新」もいいですが。昔を懐かしむのもいいですが。それなら別の名優でいいのでは?
多くの「ひと・もの(お金)・こと」が「犠牲」になっています。
もう「引退」されて、静かに「余生」を送られ、死後「国民栄誉賞」を受けられたらいかがでしょう?大変失礼ながら。「映画界」への功績は凄いんですから。
もし作品が素晴らしいものであっても、同じことを言いたいです。
ただ「キレイキレイ」の「アイドル」を脱皮(? 今更?)して、映画の途中まで展開していた「汚れ役(老いぼれていく役や捨てられる役など)」を演じられるのであれば(ラストの舞台のシーンでそれも…)、「観に行こう」という気が起こるかも知れませんが。他の往年の女優のように。もう演じませんね?
さらに多くの(?)レビューに書かれているように、舞台のシーンの必然性です。監督はインタビューで答えています。「実写として描けば具体的悲惨しか伝わらない。抽象化することで心象風景がわかりやすくなる」と。
ここに大きな「ギャップ」が存在します。
私たち多くの(全国津々浦々の)観衆は、「舞台」を鑑賞する機会が実際に(TVなどは別にして)ほとんどありません。舞台の「抽象化」だの、「特色・魅力」など理解していません。突然に「舞台シーン(これまた有名な「ケラリーノ・サンドロヴィッチ」演出。ついでに主題歌が「小椋佳」)」が映されても戸惑うだけです。
「心象風景」?「舞台」など多くの「エンターテインメント」に触れている「都会」の「通(?)」の「映画人」と、「観客」の間に大きな「ギャップ」が存在することをわかっていません。
この「ギャップ」が「国民的女優」にも言えるのではないでしょうか。
恐らく「吉永小百合」は「スゴイ人」なんでしょう?性格が良くて(「堺雅人」が「謙虚でストイック」と絶賛)、才能があり美しく知的で、「ひたむきに」役に取り組む、まさしく前述の「国民的女優」と呼ばれるのにふさわしい「魅力たっぷり」の人なんでしょう?「何十年にひとり」の逸材なんでしょう?「大スター」なんでしょう?
でも全てに「?」が付きます。
何故なら今の彼女しか知らない世代の観客には、それほどには思えないからです。ガラガラが証明しています。私個人としては演技がうまいとも、美しいとも思えません。
もし多くの「映画人」のように実際に会ったら?「間接的」には一杯見ています。それらしくは感じます。でも「直接会ったがゆえに感じる魅力」についてはわかりません。「スター」と呼ばれる人とは比較にならないほど、会った人たちは魅了されるんでしょう。だからこそこれだけ多くの「映画界・エンターテインメント界」の人々がついてくるんでしょう。
魅了された「映画人・エンターテインメント人」と、その巨大な「+α」がない人との「ギャップ」は、特別な存在の彼女と他の「スター」との違いが顕著過ぎる分、「ファン」でない限りはわかりません。残念ながら。
わかりにくいですか?
圧倒的多数の「スター」とは圧倒的多数の観客は会えません。「番宣」や「SNS」で「素顔」が覗けても。だから「120本」ものある意味「異常な数の作品」を作ってもらえる彼女だからこその「ギャップ」です。
以上、長々と、誠に「エラそう」に申しました。
「神をけなすな!」というクレームも受けますので。
言い換えれば、このままでは
彼女も「国民・昭和という時代」の「犠牲」とも言えます🍀
TV放映で十分です
意外とハードコア
全体的には良かった
吉永小百合 ただそれだけ
良かった。
☆☆☆ いっそのこと劇シネで上映してはいかがでしょう。 上映が始ま...
☆☆☆
いっそのこと劇シネで上映してはいかがでしょう。
上映が始まり暫くすると、いきなり舞台場面になり狐に化かされた様な気分になる。
咄嗟に「嗚呼!これは、実は舞台劇でした!」とゆう内容なのだろう…と思ったものの。あれ?違うのかい!
以後、この舞台劇は終盤に1度現れるだけ。
う〜ん!何となく意欲的な試みとして取り入れているのであろうけれども。この舞台劇の方が(尺が短い事も有って)本編よりも面白く観れてしまい。結果的には、中途半端に浮き上がってしまっている気がする。
内容自体は、極めて日本映画らしい内容で。そんなに悪いとは思わないのですが。
じゃあ〜面白いのか?と問われると…と言った作品。
主演の吉永小百合は、現在72歳との事だが。いつまで経っても本当に若い。
でも若さと演技とはまた別の話ですけどね。
来年の日本アカデミー賞取っちゃうんだろうなあ〜。組織…ゴホン! 日本にはサユリストが多いからね〜。
息子役の堺雅人ですが。年々演技のパターンに引き出しが無くなって来てないですかね?
この息子のキャラクターが、作品の出来を決める位に大事だと思えたのですが。観ていて全く感情移入が出来ず、全体の印象を悪くしてしまっている様に感じました。
極めて日本映画らしい日本映画と言いましたが。特に貶している訳ではありません。
元々その様な日本映画を観て来ている訳で。嫌いなのでは決して無いと言わせて貰いたい。
でも、人気の有る俳優に乗っかった様な。おんぶに抱っこした企画は、出来る事ならばあまり観たくは無いのが個人的な希望。
演出や撮影・美術面等は(時々入るCGはイマイチでしたが)なかなか頑張ってはいましたが。
じゃあ!この作品から何か新しいモノが生まれるのか?と言えば、それは無いだろう…と思ってしまうので。
※ 余談
1945年にセルフタイマー式のカメラが有るのか?と思いググったものの、詳しい事は分からず。
しかし、裕福とも思えない生活で。当時にセルフタイマー式のカメラを持っている事自体が、ちょっと信じられなかったのですが…。
1971年に24時間営業のコンビニが有ったのか?…と、こちらもググってみる。
日本のコンビニ第1号店は諸説有り、その内の1店は北海道で1971年らしい。
でも、当時に24時間営業のお店自体が有ったとは到底思え無いのだけれど…。
因みに、セブンイレブンが登場するのは1974年。
朝7時〜夜11の営業形態は当時としては異例中の異例で、世間を驚かせた程だったのだから。
2018年3月10日 TOHOシネマズ市川コルトンプラザ/スクリーン8
割と良かったと思う
「老い」は誰しもとはいえ。。。
吉永小百合120本目の出演映画。年代的には彼女より相当若い滝田洋二郎監督作品。
「北の零年」(行定勲監督)「北のカナリアたち」(阪本順治監督)に続く「北の三部作」とくくるらしいが、それなら那須真知子の名前をフィーチャーすべきではないか。
これはまったくの個人的な意見であるが、吉永小百合にはいつも凛としていてほしい。年齢的には認知症が出てきてもおかしくはないとは思うが、吉永小百合に「老い」は似合わない。
てつ(吉永小百合)の行動が少しおかしくなり、修二郎(堺雅人)の妻 真理(篠原涼子)が病院で診てもらったら、と提案すると修二郎が「失礼なことを言うな」と叱るシーンがある。
1971年の設定なのでそれが当たり前の反応だとは思うが、少し気になった。
物語の進行につれて、時々舞台で表現するところがある。これは微妙なさじ加減で、もっと若い役者が中心の話なら、斬新、ということでかたづくと思うが、この構えのしっかりした映画でされると、戸惑いが大きい。僕は嫌いではないが。
キテレツな映画といってもいいと思うが、「吉永小百合主演」と「滝田洋二郎の斬新」は本来相入れないものだと思う。
吉永小百合は日々鍛えていると思うが、よく走り、よく泳ぎと、かなり過酷な撮影を乗り切ったようで、その女優魂には頭が下がる。
泣きました。
70代の母と連れ立って見に行きました。この歳(40代)となり、今まで目を背けて来た戦中戦後の話を見ておくべきだと思ったからです。
何しろ、私は『戦争を知らない子供たち』を知らない子供達世代なもので、(本当に知らずに、今回これを書くに当たりググってってみて、初めて歌のタイトルだと知りました)。あとは堺雅人さんのファンなもので・・・。
映画自体はとても良かったと思います。途中に織り込まれる舞台には若干違和感を覚えましたが、舞台は好きなので、それはそれと思いながら見ていました。吉永小百合さんの映画はこれまでに1本しか見たことがなく(玄海つれづれ節)あまり先入観無く見られました。
極寒の世界での余りに辛い生活に、身に詰まされる思いがしました。夫の帰りを信じて、待ち続ける芯の強さ。真似できません。最後のシーンで彼女の思いが報われたので、良かったと涙しました。
厳寒の地での撮影は本当に大変だっただろうと思いました。俳優さんて本当にスゴイですね。
幾つになっても吉永小百合❣️
皆さん仰るように、確かに吉永小百合さんの為の映画かな…と思います。しかし、30代から最後は70代くらいまでの役を違和感なくやり遂げられるのは、さすがです。
戦中、戦後の激動の時代を生きた、昭和の母の物語。劣悪な生活環境や戦火の中を、子供の為に自分を犠牲にして生き抜いて来た母の思いは、同じ時代を生きてきた人達には感慨深いものがあるのでしょう。あちこちですすり泣きが聞こえてきました。
ちなみに、鑑賞していた年齢層は50代の自分が一番低かったかな…。昨日は中高校生が殆どの「ちはやふる 結び」を観ただけに、そのギャップは大きかった(笑)
実写の中に所々、舞台劇が組み込まれ、戦争の悲惨さを抽象化した演出がされていて、途中までは、その意図がわかりませんでしたが、ラストに来て納得。カーテンコールが起きるような素敵フィナーレへと回収されました。
日本人好みの感動物語でした。
吉永小百合さんのイメージが大きく変わった。
予告などを見て見たいなとは思っていた作品
国際線のANA飛行機にて見れたので見ました。
結論から言うと機内というのを忘れて号泣してしまいました。
吉永小百合さんの映画を見た記憶があまり無く、ベテランで演技が薄っぺらく、やる役を選ぶ人かなと思っていましたが、そのイメージを持っていたのを後悔するぐらい衝撃な演技でした。
認知症になりどんどん記憶と行動思考が変化して行く女性を完璧に演じており、厳しい環境の演技を求められてもいい演技だなと感じさせる女優を発揮しておりとても、良かったです。
映画一本で、何十年も経過して行く映画なのでどの役者さんも年齢設定が厳しく違和感を感じるので、点数を下げましたが、全体的には良い映画です。
吉永小百合さんを知らない若い人達に見てもらいたい映画でした。
吉永小百合 初の的年齢の高齢者役に?
吉永小百合
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