「祝!板尾監督第3作目」火花 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
祝!板尾監督第3作目
筆者は今までTVのお笑い番組を熱心に観てきたわけではないので、お笑いとしての板尾創路の普段の活躍はほぼ知らないに等しい。
しかし本作のメガホンを板尾が取ると聞いてすごく嬉しかった。
なぜなら彼の監督した前2作品を観ていてその独特な創造性を知っていたからだ。
はじめは落語の「粗忽長屋」を下敷きにした第2作目の『月光ノ仮面』を映画館で観たのだが、人間のアイデンティティの危うさを問う重い題材を扱っているにもかかわらず、決して笑えないのにどこかシュールという奇妙なアンバランスさを持った語り口にえらくはまってしまった。
すぐに気になって長編監督作品の第1作目に当たる『板尾創路の脱獄王』をDVDで観た。
同作は『月光ノ仮面』に比べると面白くはなかったが、やはり監督としての個性はしっかり感じ取られたのでこれからの監督作品を楽しみにしていた。
この時期は松本人志も積極的に監督作品を発表していて、決して一般受けはしないものの彼らの作品が硬直した日本の映画界に新風を吹き込んでくれたようでわくわくしていたのだが、その後両人ともに作品を発表しなくなってしまったのでとても残念に思っていた。
それが今回本作の監督と脚本(豊田利晃と共同)を担当することになり、聞けば原作者の又吉直樹も板尾に全幅の信頼を寄せているという。
本作は原作ありきなので板尾監督らしさは全面に押し出されているわけではないものの、むしろ普通に一定水準以上の映画になっていることにびっくりした。
芸人を描いた映画であってもお笑いライブの場面では観客の露骨な笑い声や笑うカットなどを入れるなどの過剰な演出をしていない。
本作を観て興味を持ったので原作小説の『火花』も読んでみることにした。
脚本はだいたい400字詰め原稿用紙1枚が1分の計算になる。本作は121分の作品になるからそこからエンドロール分を引いて原稿用紙およそ115枚といったところだろうか。
原作小説は文庫本で本編が165ページ、400字詰め原稿用紙に直すとおよそ245枚になり、脚本はあくまで会話主体なので原作の地の文はそれほど反映されないから2時間の作品に映画化するのにちょうど良いと思う。
実際に原作のほとんどの部分が本作に活かされていた。
この作品では神谷と徳永の関係を軸に10年の歳月が流れるわけだが、原作では多少何年後という描写が入るものの時間経過は主に主要人物たちの関係性の変化が地の文で説明されることで感じられる仕組みになっている。
本作でも何年後というテロップなどは流れないが、原作にはない演出を仕掛けて問題を解決している。
熱海では興行の後、神谷と徳永は始めて飲み屋で盃を酌み交わすのだが、身重の女性店員を登場させる。
そして10年を経て神谷と徳永が2人で熱海旅行に行き、そこで再度同じ居酒屋で飲むのだが、同じ店員が小学生高学年になった女の子に宿題を教える場面に出くわす。
言葉による説明のいらない時の流れを瞬時に思わせる映像として見事な演出である。
また原作では木村文乃演じる真樹が井の頭公園で子どもを連れているのを徳永が目撃する場面は徳永が真樹と最後に会ってから10年以上経過している設定なのだが、徳永がサラリーマンになってすぐに変更したのも同じ意図であろう。
それに原作では真樹の髪色を思わせる描写はないが、神谷と同居していた時は金髪で後に見かけた際は黒髪にしたのも時間の経過であからさまな変化を見せる演出だろう。
渋谷で風俗店上がりの真樹と徳永が気付かずにすれ違うシーンと徳永が相方の山下に「お前に神谷さんの何がわかんねん!」と激昂するシーンも原作にはない。
しかしこちらは、視覚的にわかりやすい演出として理解はできるが、一般的な青春ドラマに少々堕した感があり追加する必要はなかったようにも思える。
徳永役の菅田将暉は以前に田中慎弥原作の芥川賞受賞作を映画化した『共食い』にも主演していたので、芥川賞受賞作に縁があるのかもしれない。
菅田は『海月姫』や『明烏』『セトウツミ』『帝一の國』『銀魂』などの作品でコミカルな役も無難にこなすが、本作や『共食い』『そこのみにて光輝く』『ディストラクション・ベイビーズ』などの文芸作品でこそより力を発揮する俳優に思える。
神谷に扮した桐谷健太は演技がうまいのか良くわからないところがあるが、雰囲気のある俳優と言える。
ただ監督である板尾の意図もあるのか、彼ら2人のやり取りやそれぞれの相方との漫才はさすがにそれほど笑えるわけではない。
菅田の相方の山下役は実際のお笑い芸人である2丁拳銃の川谷修士らしいが、プロを相方に迎えてもやはり片方が素人だと笑いをおこすのは難しいのだろうか。
桐谷の相方の大林を演じる三浦誠己も元お笑い芸人らしいから、それだけ笑いの世界というのは奥深いのかもしれない。
なお三浦は本作が出演映画100作目になるらしい。
筆者も彼の出演作品を15本以上観ているようだが、映画での三浦の存在を意識したのは本作が初めてで、テレビ東京のドラマ『侠飯〜おとこめし〜』の火野丈治役で馴染みができたからである。
筆者も20代半ばから30代前半に映画学校に通ったりしながらドキュメンタリー映画を自主制作していたので、たとえ当時の先生や同期の生徒など少数であっても自作の欠点を指摘されると自分の全存在を否定されたように思ったものである。
理解してもらうにはどうしたら良いか、もう一度撮ってきた素材を吟味して何時間も編集し直してその間ご飯もろくに喉を通らない時もあったりした。
又吉の原作小説を読んでいて分野は全然違うし真剣さも足下にも及ばないだろうが、共感できるところが多くあった。
ピースの漫才自体は全く観たことがないのだが、きっと彼本人や周囲の今までの経験が存分に活かされているのだと思う。
またNetflix版のドラマは観ていないのでわからないが、映画版の本作では原作で描かれる神谷と徳永の間に流れる繊細な空気は伝えきれていないように感じた。
原作小説は文章もうまいし時々笑えるところもある。芥川賞受賞者の中で筆者が読む数少ない作家である西村賢太や田中慎弥にも通じる独自の作家性も感じる。
だからこそ本当は第1作目で芥川賞を受賞してほしくなかったという気もある。
話題作りで芥川賞を受賞させられたことは又吉本人が一番理解しているだろうから釈迦に説法だろうが、これからもずっと作家活動を続けてほしい。
2作目の『劇場』も今年上梓しているし、今後に本当に期待したい。
また板尾創路にもオリジナル脚本で4作目・5作目と続けて監督作品を制作していってほしい。
さらに言うなら松本人志にも映画監督として復活してもらいたい。
たとえ初めは理解されなかろうと映画として破綻していようと、だからこそ継続していれば絶対に新しい価値が見出されると筆者は信じる。