否定と肯定のレビュー・感想・評価
全110件中、41~60件目を表示
映画の出来栄えについての是非はともかく、ガス室があった論拠とされた...
映画の出来栄えについての是非はともかく、ガス室があった論拠とされた覗き(のぞき)窓についてのアーヴィングの反論は弱い。しかし、リップシュタットが信奉するホロコースト定説派のプレサックは、シラミ駆除室にも(防護柵がついた)覗き窓があったと書いている。
つまり、覗き窓は虐殺が行われたことの何の証拠にもならないんだよなぁ。
偏見による歴史的事実の否定は罪
ストーリーは
1994年 アメリカ ジョージア州アトランタのエモリ―大学で、ホロコースト研究者として教鞭をとる歴史学者デボラ リープスタット教授は、自著の「ホロコーストの真実」を出版記念公演をする場で、沢山の学生たちの前で、ホロコースト否定論者のデヴィッド アービング教授から侮辱される。その上、このナチスドイツ学者から、デボラ リープスタットが著書の中で、アービングをホロコースト否定論者と断定していることで、彼から名誉棄損で訴えられる。訴訟を起こされたのは、リップスタットと彼女の論文を出版した出版社だった。イギリスの訴訟では、被告側が立証責任を負うため、リップスタットは、ホロコーストが歴史的事実であることを法廷で証明しなければならなくなった。アービングにとっては、豊富な財源をもとに、自分が活躍するイギリスで、若いアメリカ人の女性教授をやりこめることで、自説を大々的に宣伝することが目的だった。
弁護士チームに会うために、リップスタットは英国に渡る。リップスタットは、アービングに沢山の学生たちの前で侮辱され、自分が書いた論文が事実に反すると言われ、訴訟まで起こされて、怒り心頭に達している。法廷の場で、アービングと直接議論をもちかけて、ホロコーストが実際にあった事実を認めさせ、ケチョンケチョンに論破して恥をかかせてやらなければ気が済まない。ホロコーストが事実であることは疑いようのない事実であり、ユダヤ人に偏見を持つアービングなど、学者の資格はない。怒りと苛立ちで一杯の被告、リップスタットに対して、彼女の弁護団は、冷たい。
ロンドンのユダヤ人団体に会いに行くが、彼らはリップスタットを擁護するどころか、裁判がアービングのホロコースト否定論の宣伝に使われていることで、リップスタットが裁判を受けて立つことを迷惑がっている。ユダヤ人団体は注目されることを望んでいない。
他に誰も友人や親しい人も英国にはいないリップスタットは、肌寒く毎日雨ばかり降るロンドンで、孤独を噛みしめる。
アービングは自分の主張を宣伝するために陪審に訴える発言を繰り返し、自分の思い通りの裁判をしようとしていたが、弁護団は裁判官による決着を要求する。リップスタットと弁護団長のランプトンは、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に、地元の学者の案内で訪れる。裁判で、ホロコーストが本当にあったことだということを証明しなければならない。
アービングは強制収容所のガス室を設計した技師を法廷に出廷させ、ガス室の天井に張り巡らされたチューブには、ガスを放出させる穴がないので、ガスによる大量殺人などなかったことだと主張する。この主張はマスコミにも大々的に取り上げられて、ノーホール、ノーホロコーストとセンセーショナルに報道される。
怒ったリップスタットは、かつてガス室から生還した生存者を証言台に呼ぶことを求めるが、弁護団はそれに同意せず、生存者の証言などアービングの巧な弁論によって侮辱されるだけなので、証言もリップスタットの発言も必要ないと、主張する。納得できないリップスタットは、法廷で発言を封じられたままで、不満は募る一方だ。弁護団はアービングの著作が、偏見に満ちたもので、事実の歪曲があることを、ひとつひとつ辛抱強く証明していく。そして、徐々にアービングの主張が論理的でなく不条理であることが明らかになる。論理によって追い詰められたアービングは、ユダヤ人に対する強い偏見と差別意識を法廷で露わにする。アービングの主張がいかに事実からかけ離れているか、差別主義者による思いこみに過ぎないか、いかに論理性のないユダヤ人を忌み嫌う感情論に偏っているかが、法廷で証明されていく。
2000年1月、裁判が始まって5年、1600万ドルという、とてつもない裁判費用をかけた裁判の判決はアービングの敗訴に終わった。リップスタットは、自分の名誉を守るために、常に冷静沈着に法廷闘争を戦ってくれた弁護士団に心から感謝した。
という事実に基ずいたお話。
アトランタに住むアメリカ人女性が訴えられて、自分の無実を証明するために、ロンドンの法廷に立つ。ロンドンは今日も雨で寒い。弁護士と訪れたアウシュビッツも冷たくて雨。デボラ リップスタットの心の中を映し出すような、寒々とした雨。裁判制度も気候も人々も全く異なるアメリカ人の目に映るイギリスを、雨で表現するカメラワークが実に上手い。アメリカ人とイギリス人の違いも、見ていて興味深い。
ことほどさように歴史修正主義者、ホロコースト否定論者、ネオナチ民族差別主義者、レイシストとの論戦は消耗戦だ。
この裁判の結審前に、チャールズ グレイ裁判長は、人が純粋信じていることを、嘘と断言して良いのかと、問いかける。虚偽を信ずる者は嘘つきか。それが歴史的事実のねつ造ならば、イエスと言えるだろう。明解な偏見による事実の否定ならば、イエスだ。かくしてアービングは敗訴したが、これはが正しい。転じて、日本の国民会議の面々を法廷に立たせて、彼らの歴史認識に誤りがあることを証明するためには、どれだけの労力と資金が必要だろうか。
訴えられたデボラ リップスタットを演じたレイチェル ワイズは、ル カレの書いた「ナイロビの蜂」の主人公を好演してアカデミー助演女優賞を獲った。とても心に残る良い映画だった。ル カレは、自身も英国のスパイでもあった興味深い作家だ。
法廷の争いを映画化すると劇的にも、退屈にもなるが、名画がいくつかある。代表は何といっても「12人の怒れる男」だろう。1957年アメリカ映画。原作レジナルド ローズ。主演はヘンリー フォンダだ。父親殺しで逮捕された17歳の息子の、法廷証拠も証言もすべて少年に不利。11人の陪審が少年の有罪を確信していたが、たった一人の陪審が無罪を主張し、証拠を一つ一つ再検討して他の陪審を説得していく姿は、感動的だ。娘たちは、インターナショナルスクールの授業でこれを観た。人が人を裁くことができるのか、こうした命題を考えるために、最良の教育材料だと思う。
1962年「アラバマ物語」「TO KILL MOCKINGBIRD」は、1932年人種差別の強いアメリカ南部を舞台とした映画。ピューリッツアー賞を受賞した小説の映画化で、監督ロバート マリガッツ、主演はグレゴリー ペックだ。白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の弁護をするフィンチ弁護士の活躍には目を奪われる。この映画でグレゴリー ペックはアメリカのヒーローになった。
最後に、2014年「ジャッジ裁かれる判事」原題「THE JUDGE」も良かった。監督、デヴィッド ドプキン、アイアンマンのロバートダウニージュニア主演。彼の老いた父の判事を演じたロバート デュヴアルが好演していて、アカデミー助演男優賞を獲った。ロバート ダウニージュニアは、不良中年の代表。8歳のころからマリファナを吸引していた本当の不良なのに、切れ者の弁護士を演じている。
法廷を題材にした良質な映画がいくつもあるが、この映画の邦題「否定と肯定」が、原題の「否定」を意図的に弱めるようで、意訳がちがうのではないか、という論争があるようだ。原題はなるべく触らないで、そのまま「デナイアル」とか、原作の「ホロコースト否定論者との法廷での日々」が良いかもしれない。
余所事じゃない
「ホロコーストはでっちあげだ」と主張する歴史修正主義者と戦う法廷劇。
いやーほんと余所事じゃないっていう……。
南京事件もだし、慰安婦も捏造って言う人までいるもんね……。
もし裁判官の思想が偏ってたら……ってくだりには背筋が寒くなった。
「人は2回死ぬ。肉体が死んだ時と、生者の記憶から消えた時だ。」
とか言われるけど、歴史修正主義者は虐げられ殺された膨大な人たちの、その存在自体を無かったことにしようとしているわけで、その無慈悲さは国籍とか民族とか関係なく、到底許されるものじゃないだろう。
ホロコースト否定論者のアーヴィングの存在がすごくリアルに感じた。
彼らは自分の主張がデマだなんて微塵も思ってなくて、ただ正しい主張をしていると思ってる。だから裁判に負けてもなお、泰然としている。
彼が裁判に負け、握手を求めてきても無視する姿に多少爽快感を覚えてしまうけど、そんな所で溜飲を下げずにきちんと現実を見つめていきたい。
国や民族間で対立が起こるのは避けられないとしても、命の尊厳を大切にするとか、他の国の人にも敬意を払うとか、苦しんでいる人の気持ちを考えるとか、個人としてそういうふうに思うのが当たり前だよね、とはならないものかなぁ。
真実であれ
非常に、本当に非常に難解な作品であったという感想でしか吐けない内容であった。決して愚作と言う訳ではなく、寧ろ流石BBCが制作した秀作といってもよい作品なのだが、その高い思想故、本来啓蒙しなければならない自分も含めた愚民である観客に疑問さえも浮かべることも出来ない『ぽか~ん』な状態を与えてしまっていることに、残念でならない事実も又存在している。
法廷戦術も含めて、法廷劇でもある今作はその辺りの下勉強が必須であるし、これこそパンフが必要なのであろうが、果たしてキチンとその辺りの記述がされているのか、そこも不明なのでおいそれと手を出しにくい。
今作の注意点は二つ。一つはイギリスならではの、立証責任の弁論を訴えられた方が行なうという『悪魔の証明』。もう一つは、本当に思い込んでいる人の言論の自由は守られるべきなのではないのか?ということ。この二つは本当に難しく、これを法律で裁けるのか、甚だ疑問なのである。その辺りのサジェスチョンを提示しつつの、肯定派の勝利でラストを向えるのだが、勝った側、負けた側、双方とも、何とも腑に落ちない結末で終わるところも又、この問題の根の深さを物語っていて、この複雑な問題こそが今作品のテーマなのであろう。敢えて結論をださない、否、出せないのである。
正統派!社会派映画。
事実に基づく映画。
この映画を観るまで、
この様な裁判があった事を
私は知りませんでした。
また、
「否定論者」や「ヒトラー信者」
と呼ばれる人達がいる事も。
ドイツの歴史に関する裁判ですが、
主な舞台はイギリスで、
基本的に言語は英語でした☆
イギリスの独特な裁判方式や
パフォーマンスが上手い相手に、
どう戦えば、「真実」を
曲げず、妥協せず、
傷ついた 人達を 傷付けずに、
「 勝 利 」する事ができるのか…
最後まで結末が分からず、
主人公と共に右往左往…
ドキドキしながら
最後まで楽しめる映画でした!
裁判モノで、
白黒はっきり結論が出るので
見終わった後は
スッキリした気持ちになれました。
裁判の相手、アーヴィンが
実にイラッとする人物で、
演じている俳優さんも
凄いなー。
どっかで見た事あるなー…
って思ったら、
ハリー・ポッターで
ネズミに化ける嫌な奴!
を演じてた人でした…(^_^;)
まず原題が「否認」であることの意味を考えなければならない。
現在ではフェイクニュースがSNSを席巻し、自分にとって都合の良い情報であれば真贋問わずに拡散させてあたかも決定事項のようなコメントを添える。事実から目をそらす否認行為、ポスト・トゥルースということだが、この作品で扱われている「アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件」はSNSなどが広まる以前の1996年にアーヴィングによって提起され、4年の歳月を経て2000年に結審となった。
というようなことは自分にとってのメモでしかないが、2016年にこの作品が作られ、こうして遅ればせながらも日本で公開されていることの意味を考えながら鑑賞していた。
導入から訴訟を受けての弁護団が形成されている第一幕は非常に緩やかでかつ与えられる情報は少ない。これから何が始まるのかの重みを観客は感じられないし、それは登場人物たちでさえ理解していなかった。ただしこの時点で「歴史修正主義」について考えさせられるのが現代の日本人だろう。
被告の弁護団が裁判への準備を進めるにつれて彼ら自身もまたホロコーストの真実について深く知るようになり、やがて原告であるアーヴィングとその背後にいる差別主義者たちへの嫌悪と激しい怒りを増していく様子は上手いなと思う。デボラでさえも彼らの変容に驚き、またそのプロフェッショナルに感嘆し、否認していた他人(概ねユダヤ人以外だろう)の良心を信じられるようになる。この点においては邦題がカバーしていると言うこともできるが、好意的な見方だなあ。
劇中でも語られるように、ホロコースト被害者を法廷に立たせるということは筋が通っているようでそうではないというのも考えさせられる。同じ土俵に立って単純に比較されていいはずがない二軸ということなのだ。邦題に関しての問題点も挙げられているが、本来ならこの裁判自体が茶番であるとも言える。並び立つようなものではないから。事実について肯定は必要ないのだ。
また特筆されるのは【トム・ウィルキンソン】の演技プランであり、【アンドリュー・スコット】同様、キャスティングでのミスリードからの見事なカタルシスが彼によってもたらされる。
レイシストで自称歴史学者の罪を暴くために徹底した理詰めで進められていく極めて地味な法廷劇がこれほど心地よいのかと感じ入ってしまった。とにかく【デヴィッド・ヘアー】の本が良かったし、弁護団の若き弁護士の卵がボーイフレンドに「不満しか言っていないのに何故続ける」の答えとして「不満よりも重要なことだから」と返す。これが本当に良い。
・最初ホラーかと思った ・弁護士の作戦をもどかしく感じるの分かるな...
・最初ホラーかと思った
・弁護士の作戦をもどかしく感じるの分かるなぁ。自分のことを人任せにするのが嫌な性格だと客観的には冷静に見えないんだね
・ 主人公に共感してたせいか、映画に入り込んで裁判を傍聴してる感覚になる
報道の真実をどこまで見極められるのか?
ハラハラする法廷劇で、
最後はそれなりに気持ちよく観終われますが
ホロコーストものというよりは
昨今話題になってる様々な「フェイクニュース」や
インタビューの切り抜きによる印象操作の恐ろしさが
いやと言う良く判る作品ですね。
歴史的にほぼ確実にあったことでさえ、残された資料の、
ごく一部だけど取り出して大仰に言い立てれば
無かった事に出来てしまう。
この映画の恐ろしさ〜〜!!
どれほど中身の詰まった資料や書籍があっても
人は自分の知りたい事、信じてる事しか読み取らないんだな〜
で、自分の信じてる事以外は無かった事にしようとする。
ホロコーストのような過去の話だけではなく
今、巷に溢れる様々な報道やニュースについても
もっとアンテナを張って、広く見回す力が無ければ
あっと言う間に私たちも愚民に堕ちていくんですわ〜
自分自身の戒めとして観て良かった映画です。
★もう一度観るなら?「有料チャンネルやレンタルでじっくり観たい」
実話といえど、もっと演出があっても…
裁判の準備段階までに比べて、裁判開始以降の展開が雑な気がする。
この映画は、
ホロコーストの否定vs.肯定の戦いを描きたかったのか、
否定論者を否定することでホロコーストが事実であることを肯定して見せた弁護団の戦略を描きたかったのか。
被告側が無実を証明しなければならない英国の裁判ルール。
訴えは名誉毀損だから、主人公がホロコースト否定論者に対してぶつけた言葉が名誉を傷つけたかどうか、という争点で不利な戦いを受けて立ったという図式だと思った。
ホロコーストが事実であることを証明しても、言論の自由、主張の自由を否定できるものではない。
しかし、裁判はお互いのホロコースト論の不備を突き合う展開となり、
しかも意外と敵はあっけない。
そこで最後の裁判長の言葉が急転直下を告げるものか?
と、思ったが、そうでもなかった。
要するに呆気ない決着。
問題は、布石をちりばめ過ぎてかたずけられていないこと。
思わせ振りだったのに、それっきりのシーンが多過ぎた。
しかも、主人公はさした戦いはしておらず、むしろ弁護団と内輪もめをしただけだったような印象だ。
だけど、なんとなく感動的に終わったのは、演者たちの力量・存在感なのかな、と思う。
観る意義はあった。
演出的には物足りなさは感じたけど、事実がそうなら仕方ない部分もあるけど。なんかもう一息な惜しい作品でした。いい映画なんですけど。
レイチェルはちょっとあってなかったかな。弁護団の演技はとても良かった。
ある意味で馬鹿らしい話?
実話とのことだが…。
題材が題材だけに、今や大富豪となっているユダヤ系の人々から多額の支援があって成立した裁判なんだろうけど、支援がなかったら、どうなっていたんだろう?
そして裁判に負けたとして、ホロコーストの事実は歪められるのだろうか?
そうなってくると、単に個人の名誉だけの問題なのだろうか?
事実の論証よりも、原告の信憑性あるいは人間性?を争点にした法廷心理戦ドラマで、まあまあ面白かったけど、途中、眠かった。
あり得ない裁判も良い子も安心なストーリー展開
原題は「denial」
今回のレイチェルワイズは、武闘派女性タイプで売られた喧嘩はとことん買って相手を徹底的に叩きのめすタイプも、思わぬところから売られた異種格闘技戦にどう対抗していくかというお話。
題名は原告側のジョン・アービングのことを指すのだと思っていたが、むしろ主人公のことを指しているのかと感じた。
実話に基づくとのことだが、確かジョン・アービングの本を持っていたはずで、それをどうしようかなんて事が頭の片隅にありつつ、予定調和、勧善懲悪ものだったので新年初映画としては良かったかな。(よく調べたら違う作家と勘違いだったので一安心(^^;;)
法廷弁護士の役者は実力十分で年輪を重ねた俳優の好演を存分に楽しめた。
「人生はシネマティック」に続きイギリス映画の良さに感服。
法廷での丁々発止のやりとりがもうちょっとあるのかと思っていたら、...
法廷での丁々発止のやりとりがもうちょっとあるのかと思っていたら、意外とそうでもなく、淡々と追い詰めていく内容となっていた。事実に基づく映画だからこそだろう。
むしろ映画のポイントは、訴訟に勝利するために最も効果のあるやり方を取る弁護団と、被害者の苦しみを解消するために事実を認めてほしい主人公と間の葛藤にあったのだと思う。
ちょっと気になったのが、ガス室を視察した時に足下に引っかかった鉄条網の針が結局あとで使われなかったこと。ひょっとしてあれは鉄条網ではなくて、ガス室のドアに設置されていた金網の破片なのだろうか。
女優が終始怒り口調で不快!!
ホロコースト否定派がナチス賛美なので、どちらも極端すぎますし初めから茶番だと気づく必要があります。二項対立は両建構造の基本戦術なので、本作は単なるプロパンダ映画です。初めに名誉棄損で訴えると言った教授が、裁判で人格攻撃を含めて責められ続けるまるで中世のような内容で、決して法廷ものではないと思います。主人公ば自分に都合の悪い調査や意見は強い口調でねじ伏せるだけで知的な女性とは真逆の甘えた思考の持ち主です。裁判中は何もしないのにいちいちカットが入るし、ラストの勝ち誇った感も非常に鬱陶しいです。終始怒り口調でレイチェル・ワイズってこんな不快な女優だとは思いませんでした。
イギリスの裁判制度
ホロコーストが実際にはなかったと主張するアーヴィングがイギリスで提訴をします。それに対して、弁護団は徹底的にイギリスでは被告側が立証しなければいけないとか、多弁になってはいけないとか、冷静沈着に裁判を進めます。アメリカの裁判を見ることが多かったので勉強になりました。この裁判のやり取りが緻密に描かれていて、おもしろかったと思います。これが事実に基づくというところも、また、裁判ってなんなんだろうと考えさせられました。
見ていて、史実の一つ一つを頭から信じていることを不安に思った。 ア...
見ていて、史実の一つ一つを頭から信じていることを不安に思った。
アーヴィングの主張や感じ方に、人には本当にいろいろな感じ方があるなと感心してしまった。
主人公の強さや真っ直ぐな主張に、同調ばかりしている自分をふがいなく感じた。半分の主張もできていない気がする。でも、反面その主張は必要なのか?と疑問に思うこともあった。
傷つくことよりも、自分の良心を守ることを譲れない生き方を正しいと思う。
でも、弱いからできない。
ほかのテーマで作ってもおもしろく見られた映画でした。
それぞれの俳優の演技も良かった。
主人公には、頑ななまでの自己主張に途中いらっともしたけれど、憧れた。
ジュリアスの知的さはスマートでかっこよかった。
アーヴィングのいやらしさを感じさせる話し方、雰囲気はストーリーに感情移入させてくれた。
ランプトンの熟練した弁護士の雰囲気、眼差し、温かさが心地よかった。
白を黒と言い張る人々
当たり前のことのように思っていてもいざそれを証明しろとなると結構大変だ。地球は丸い、プレスリーは随分前に死んでいる、そんなことは証明するまでもなく誰もが知る事実だ。しかしそれを証明しろとなると、途端に難しくなる。ましてや法廷で証明するとなると、どんな展開になるのか見当もつかない。
ホロコーストがテーマの映画は2か月前に「ブルーム・オブ・イエスタデイ」を観たが、登場人物はそれぞれの価値観で過去としっかり向き合っていて、過去の事実をなかったものとする考え方は登場しなかった。しかし考えてみれば恐ろしい。過去の事実をなかったことにすれば戦争犯罪そのものを否定できることになる。
日本でも南京大虐殺や従軍慰安婦をなかったことにしようとする動きがある。極右団体の日本会議や暗愚の宰相アベシンゾウなどが明に暗にそう主張している。
アメリカが、広島や長崎の原爆投下などなかったと主張したらどうなるのか。原爆資料館にあるものはすべて捏造だと主張したら、資料のない我々は説得力のある反論ができないかもしれない。専門家の反論を期待するだけになる。
この作品では、ホロコーストをなかったことにしようとする仰天の説を堂々と大々的に喧伝する歴史学者とそれを否定する歴史学者の争いであるが、学術論争ではなく法廷闘争だから裁判の進め方や陪審員制にするしないなどで、テクニカルな駆け引きがある。観客は主人公と同じ立場で弁護団の戦術を固唾を飲んで見守るだけだ。
それにしても国家主義者たちのごり押しは世界的に猖獗を極めている。白を黒と言い張るのだ。金正恩、アベシンゾウ、トランプなどの頭の悪い指導者がいること自体、信じがたい話である。世襲の金正恩は別として、アベもトランプも選挙で選ばれたナショナリストだ。つまりアメリカ国民と日本国民がそれを望んだのである。アベはモリカケ問題を説明すると言いながら、結局国会でも選挙でも説明せず、総選挙で大勝した後は、すでに説明してきたと開き直った。こんなのが日本の総理大臣なのである。来年もお先真っ暗だ。
全110件中、41~60件目を表示