「偏見による歴史的事実の否定は罪」否定と肯定 DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
偏見による歴史的事実の否定は罪
ストーリーは
1994年 アメリカ ジョージア州アトランタのエモリ―大学で、ホロコースト研究者として教鞭をとる歴史学者デボラ リープスタット教授は、自著の「ホロコーストの真実」を出版記念公演をする場で、沢山の学生たちの前で、ホロコースト否定論者のデヴィッド アービング教授から侮辱される。その上、このナチスドイツ学者から、デボラ リープスタットが著書の中で、アービングをホロコースト否定論者と断定していることで、彼から名誉棄損で訴えられる。訴訟を起こされたのは、リップスタットと彼女の論文を出版した出版社だった。イギリスの訴訟では、被告側が立証責任を負うため、リップスタットは、ホロコーストが歴史的事実であることを法廷で証明しなければならなくなった。アービングにとっては、豊富な財源をもとに、自分が活躍するイギリスで、若いアメリカ人の女性教授をやりこめることで、自説を大々的に宣伝することが目的だった。
弁護士チームに会うために、リップスタットは英国に渡る。リップスタットは、アービングに沢山の学生たちの前で侮辱され、自分が書いた論文が事実に反すると言われ、訴訟まで起こされて、怒り心頭に達している。法廷の場で、アービングと直接議論をもちかけて、ホロコーストが実際にあった事実を認めさせ、ケチョンケチョンに論破して恥をかかせてやらなければ気が済まない。ホロコーストが事実であることは疑いようのない事実であり、ユダヤ人に偏見を持つアービングなど、学者の資格はない。怒りと苛立ちで一杯の被告、リップスタットに対して、彼女の弁護団は、冷たい。
ロンドンのユダヤ人団体に会いに行くが、彼らはリップスタットを擁護するどころか、裁判がアービングのホロコースト否定論の宣伝に使われていることで、リップスタットが裁判を受けて立つことを迷惑がっている。ユダヤ人団体は注目されることを望んでいない。
他に誰も友人や親しい人も英国にはいないリップスタットは、肌寒く毎日雨ばかり降るロンドンで、孤独を噛みしめる。
アービングは自分の主張を宣伝するために陪審に訴える発言を繰り返し、自分の思い通りの裁判をしようとしていたが、弁護団は裁判官による決着を要求する。リップスタットと弁護団長のランプトンは、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所に、地元の学者の案内で訪れる。裁判で、ホロコーストが本当にあったことだということを証明しなければならない。
アービングは強制収容所のガス室を設計した技師を法廷に出廷させ、ガス室の天井に張り巡らされたチューブには、ガスを放出させる穴がないので、ガスによる大量殺人などなかったことだと主張する。この主張はマスコミにも大々的に取り上げられて、ノーホール、ノーホロコーストとセンセーショナルに報道される。
怒ったリップスタットは、かつてガス室から生還した生存者を証言台に呼ぶことを求めるが、弁護団はそれに同意せず、生存者の証言などアービングの巧な弁論によって侮辱されるだけなので、証言もリップスタットの発言も必要ないと、主張する。納得できないリップスタットは、法廷で発言を封じられたままで、不満は募る一方だ。弁護団はアービングの著作が、偏見に満ちたもので、事実の歪曲があることを、ひとつひとつ辛抱強く証明していく。そして、徐々にアービングの主張が論理的でなく不条理であることが明らかになる。論理によって追い詰められたアービングは、ユダヤ人に対する強い偏見と差別意識を法廷で露わにする。アービングの主張がいかに事実からかけ離れているか、差別主義者による思いこみに過ぎないか、いかに論理性のないユダヤ人を忌み嫌う感情論に偏っているかが、法廷で証明されていく。
2000年1月、裁判が始まって5年、1600万ドルという、とてつもない裁判費用をかけた裁判の判決はアービングの敗訴に終わった。リップスタットは、自分の名誉を守るために、常に冷静沈着に法廷闘争を戦ってくれた弁護士団に心から感謝した。
という事実に基ずいたお話。
アトランタに住むアメリカ人女性が訴えられて、自分の無実を証明するために、ロンドンの法廷に立つ。ロンドンは今日も雨で寒い。弁護士と訪れたアウシュビッツも冷たくて雨。デボラ リップスタットの心の中を映し出すような、寒々とした雨。裁判制度も気候も人々も全く異なるアメリカ人の目に映るイギリスを、雨で表現するカメラワークが実に上手い。アメリカ人とイギリス人の違いも、見ていて興味深い。
ことほどさように歴史修正主義者、ホロコースト否定論者、ネオナチ民族差別主義者、レイシストとの論戦は消耗戦だ。
この裁判の結審前に、チャールズ グレイ裁判長は、人が純粋信じていることを、嘘と断言して良いのかと、問いかける。虚偽を信ずる者は嘘つきか。それが歴史的事実のねつ造ならば、イエスと言えるだろう。明解な偏見による事実の否定ならば、イエスだ。かくしてアービングは敗訴したが、これはが正しい。転じて、日本の国民会議の面々を法廷に立たせて、彼らの歴史認識に誤りがあることを証明するためには、どれだけの労力と資金が必要だろうか。
訴えられたデボラ リップスタットを演じたレイチェル ワイズは、ル カレの書いた「ナイロビの蜂」の主人公を好演してアカデミー助演女優賞を獲った。とても心に残る良い映画だった。ル カレは、自身も英国のスパイでもあった興味深い作家だ。
法廷の争いを映画化すると劇的にも、退屈にもなるが、名画がいくつかある。代表は何といっても「12人の怒れる男」だろう。1957年アメリカ映画。原作レジナルド ローズ。主演はヘンリー フォンダだ。父親殺しで逮捕された17歳の息子の、法廷証拠も証言もすべて少年に不利。11人の陪審が少年の有罪を確信していたが、たった一人の陪審が無罪を主張し、証拠を一つ一つ再検討して他の陪審を説得していく姿は、感動的だ。娘たちは、インターナショナルスクールの授業でこれを観た。人が人を裁くことができるのか、こうした命題を考えるために、最良の教育材料だと思う。
1962年「アラバマ物語」「TO KILL MOCKINGBIRD」は、1932年人種差別の強いアメリカ南部を舞台とした映画。ピューリッツアー賞を受賞した小説の映画化で、監督ロバート マリガッツ、主演はグレゴリー ペックだ。白人女性への暴行容疑で逮捕された黒人青年の弁護をするフィンチ弁護士の活躍には目を奪われる。この映画でグレゴリー ペックはアメリカのヒーローになった。
最後に、2014年「ジャッジ裁かれる判事」原題「THE JUDGE」も良かった。監督、デヴィッド ドプキン、アイアンマンのロバートダウニージュニア主演。彼の老いた父の判事を演じたロバート デュヴアルが好演していて、アカデミー助演男優賞を獲った。ロバート ダウニージュニアは、不良中年の代表。8歳のころからマリファナを吸引していた本当の不良なのに、切れ者の弁護士を演じている。
法廷を題材にした良質な映画がいくつもあるが、この映画の邦題「否定と肯定」が、原題の「否定」を意図的に弱めるようで、意訳がちがうのではないか、という論争があるようだ。原題はなるべく触らないで、そのまま「デナイアル」とか、原作の「ホロコースト否定論者との法廷での日々」が良いかもしれない。