「まず原題が「否認」であることの意味を考えなければならない。」否定と肯定 ハルさんの映画レビュー(感想・評価)
まず原題が「否認」であることの意味を考えなければならない。
現在ではフェイクニュースがSNSを席巻し、自分にとって都合の良い情報であれば真贋問わずに拡散させてあたかも決定事項のようなコメントを添える。事実から目をそらす否認行為、ポスト・トゥルースということだが、この作品で扱われている「アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件」はSNSなどが広まる以前の1996年にアーヴィングによって提起され、4年の歳月を経て2000年に結審となった。
というようなことは自分にとってのメモでしかないが、2016年にこの作品が作られ、こうして遅ればせながらも日本で公開されていることの意味を考えながら鑑賞していた。
導入から訴訟を受けての弁護団が形成されている第一幕は非常に緩やかでかつ与えられる情報は少ない。これから何が始まるのかの重みを観客は感じられないし、それは登場人物たちでさえ理解していなかった。ただしこの時点で「歴史修正主義」について考えさせられるのが現代の日本人だろう。
被告の弁護団が裁判への準備を進めるにつれて彼ら自身もまたホロコーストの真実について深く知るようになり、やがて原告であるアーヴィングとその背後にいる差別主義者たちへの嫌悪と激しい怒りを増していく様子は上手いなと思う。デボラでさえも彼らの変容に驚き、またそのプロフェッショナルに感嘆し、否認していた他人(概ねユダヤ人以外だろう)の良心を信じられるようになる。この点においては邦題がカバーしていると言うこともできるが、好意的な見方だなあ。
劇中でも語られるように、ホロコースト被害者を法廷に立たせるということは筋が通っているようでそうではないというのも考えさせられる。同じ土俵に立って単純に比較されていいはずがない二軸ということなのだ。邦題に関しての問題点も挙げられているが、本来ならこの裁判自体が茶番であるとも言える。並び立つようなものではないから。事実について肯定は必要ないのだ。
また特筆されるのは【トム・ウィルキンソン】の演技プランであり、【アンドリュー・スコット】同様、キャスティングでのミスリードからの見事なカタルシスが彼によってもたらされる。
レイシストで自称歴史学者の罪を暴くために徹底した理詰めで進められていく極めて地味な法廷劇がこれほど心地よいのかと感じ入ってしまった。とにかく【デヴィッド・ヘアー】の本が良かったし、弁護団の若き弁護士の卵がボーイフレンドに「不満しか言っていないのに何故続ける」の答えとして「不満よりも重要なことだから」と返す。これが本当に良い。