「難解すぎる」きみの鳥はうたえる R41さんの映画レビュー(感想・評価)
難解すぎる
この作品は難解で考察しにくいものの、若者たちの心を丁寧に描き出している。
まずタイトルの意味 それが象徴だというのはわかるが作品からはうまくつかめなかったのでWikiを利用した。
ビートルズの曲 それを知り益々難解度が上がった。そもそも割愛されているのでわからない。
村上春樹のノルウェイの森と同じ。そこに明確な意味などないのだろうか? 割愛した理由はどこにあったのだろうか?
しかしこの作品は起承転結というものが主人公の心境の変化としてだけ描かれていて、純文学を映画にした作品だ。難解さのなかに「わからないでもない雰囲気」がある。それが「若さ」の特徴のひとつなのだろう。あの3人の中に「私」を存在させて、考えてみるのだ。
さて、
この作品の特徴の一つが、主人公に名前がないことだ。小説をそのまま付け加えずに映画化したのか。
誰もがそうであるように、主人公もまた、自分自身の正義というのかポリシーをはっきりと持っていて、それが店員のモリグチに「なんかお前、わかってないな~」と言って殴りつけたことに現れている。
主人公は自分を縛ることはしたくない。だから他人も縛らない。
そんな主人公を誘い出したサチコの意図は明かされていないが、彼女は店長との関係に辟易していたと思われる。店長の雰囲気から神経質で粘着質なのが想像できる。彼女は主人公の不真面目な自由さに惹かれたのだろう。
男女関係を仕事場でしか見つけられないという閉塞感がこの作品に出ている。小説の舞台が東京で、それを函館に変えている理由がこの閉塞感の演出だったのかもしれない。
主人公は最初「よくわかんない女」からの誘いを受けるべきかどうか悩むが、そもそもその日仕事をさぼっていることで、仕事場の傍まで出かけるのが億劫だったはずだ。
そして1.2.3…と140まで数えて彼女が来なかったら帰ることにした。
彼女は来たが、あえて一度自宅に戻って出直す約束をしたのは、おそらく自分の予想が外れ、本当に彼女が来てしまったからなのではないかと思った。
主人公は日常的に嘘をつく。それはおそらく他人との衝突を避けているからだろう。その場限りの体裁としての嘘は、人を傷つけたくないという意味もあるのかもしれない。逆に言えば、それだけ頭が回り、人の気持ちをよく気づいているということだ。
彼は誘ってきたサチコの心がわからず、行くという約束を破ったが、実はお金がなかっただけかもしれない。
そんなことも忘れたように平気な顔で彼女に話しかけるが、そんな不誠実ながらも自由な生き方をしている主人公を好きになる。店長と真逆。
同じ店員の女性とサチコが話すシーンがあるが、彼女はSexに興味があり、簡単にそんな話をしている。その裏にあるのが20代後半の「焦り」であり、恋愛という最も興味あるものは「ウソつき」つまりお互い嘘の中で駆け引きしていることが伺える。
そして「若さって、なくなるものなのかな?」というこの作品の核となる言葉。
主人公はシズオと一緒に暮らしているが、そこにサチコが加わり、夜な夜な3人で遊び始める。
彼らの遊びには嘘がなく、今しかない青春を取りこぼさないようにして遊ぶ。
「オレはカラオケって好きじゃないんだよ」という主人公のセリフには、本心を言えない自分自身を暗示しているようにも感じた。
サチコが歌った「オリビアを聴きながら」も、女が男をフる歌詞で、二人の今後を暗示している。
「人の楽しみを邪魔しない」主人公は、サチコの店長との関係を終わらせる相談にも向き合わない。「どうにでもなる」 だから、したいようにすればいい。万引きだって見逃す。主人公にとって「どうでもいい」ことなのだ。
仲のいい三人だが、それぞれ少しずつ性格や考え方に差があることがわかる。
「めんどくさいのは嫌」 最初そう言ったサチコだが、何にも介入しない主人公とに間隙ができる。シズオと一緒に映画に行くことやキャンプに行くことも自由にさせる。
シズオには家庭内の問題がある。病気の母と兄、それに無関心なシズオ。誰もそれ以上のことはわからないが、冒頭にシズオと母が一緒に飲んでいるシーンがある。「お前は優しい子だ」 母はお金がない。会えばお金を渡すことになる。シズオはおそらくそれが嫌なのかもしれない。
サチコとシズオのデートで、シズオが主人公を「何を考えているのかわからないけど、何も考えていないのかも。でも裏表がない」と話している。
サチコに「さっき嘘ついたでしょ。帰って来た時起きてたでしょ」と聞かれ、投げ捨てるように「ああ、嫉妬した」 サチコにはそれが本音なのか当てつけなのかわからない。だからシズオとキャンプに出掛ける話を持ち出して本心を確認したが(私の妄想)、彼は「二人で行けば」のように言ったのだろう。
その間、冒頭に主人公が帰宅したのと同じようなシーンになる。本屋に新人が入り、女子店員のウキウキした様子、モリグチの無断欠勤、主人公は行く当てもなく一人散歩。
モリグチに棒で襲われ、シズオの母の訪問。おそらく彼女はお金を借りに来た。
当てが外れた代わりにリンゴを持たされ帰る母。人々の心のすれ違う様子が象徴的に描かれている。
母が倒れても何も動揺しないシズオ。シズオにとっては家族などあまり気にしなくてもいい存在なのかもしれない。そんな時に3人はまた飲みに出掛ける。プールバーで遊ぶ。
朝になってもまだ遊び足りない女子店員と新人。モリグチを説得した店長。
寝ていなかった主人公はひとり何を考えていたのか? 結局シズオは一人で病院へと出かけた。
そしてサチコの告白 「あのね、私、シズオと恋人として付き合うことにしたよ」
主人公「オレは二人がうまくいけばいいと思ってた」
彼女をいつもの駅まで見送ると、主人公は冒頭の時のように数を数え始めた。しかし、140まで数えることなくサチコを追いかけた。
「全部嘘、嘘ついた」
「やめて」
「オレはサチコが好きだ」
困惑するサチコの表情で作品が終わる。
難解なのは、主人公の心がわからないからだ。自分自身にもおそらくはわかっていないのだろう。これが「若さ」なのだ。独特のポリシーを掲げてプライド高く生きているつもりでも、自分が他人と関わる時、そのポリシーやプライドを捨てなければならない場合がある。
主人公はようやくそれができたということだろう。その自分勝手さは、それまでの彼の生き方と真逆になっている。
タイトルの意味を考え、ビートルズの曲を調べてみると下記のような言葉があった。
「この歌詞は、愛の失敗や人間関係の複雑さを描いており、鳥が歌うことができるが、人々はその歌を理解できないという意味を持っている。これは、愛や感情が他人には理解できないことを表しているとも言える」
この作品は、そもそも理解できないように作られている。