ジュラシック・ワールド 炎の王国のレビュー・感想・評価
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核兵器に匹敵するボタン
相変わらずCGは素晴らしい。ストーリーも途中までは良かった。しかしラストの展開が道理的ではない。
要するに冷静に見ると、ラストで少女が世界を破滅に追いやりかねないボタンを押してしまったこと、この少女の浅はかな行為によって何万、何十万、何百万人もの核兵器に匹敵する悲惨な犠牲者を出すかと思うと、少女のやったことは間違ったことであり、とても残虐で決して許されることではない。それなのにそんなことはどうでもいい作りになっている。
どうもジュラシックパークは面白いのだが人の命より動物の命の方が大切に描いている傾向がある。
今後の展開を面白くするためのエンターテイメント映画なのでうるさいことを言うこと自体間尺に合わないことはわかっているが、この映画を観た子供たちが動物より人の命を軽んじるようになってほしくないものだ。
恐竜が人間を意識しすぎている
そもそも『ジュラシック・パーク』は,「人間VS恐竜の戦い」ではなかった。自然という「より大きなもの」に放り込まれた人間が,自然の中で生き残ろうとする作品だった。自然の一部である恐竜にとって,人間というものは「人間」ではなく,ただの餌であり,食料であり,生存のための手段であった(ただし娯楽にする必要上,肉食恐竜はいちいち空腹かどうか確認されることなく,自動的に人間を襲うものとされているのだが)。
恐竜にとって人間が敵であるか味方であるかという考え方はなく,ただ人間は,動く動物であり,餌だった。空腹時に視界に入れば追って狩るし,満腹時には興味がない。ただ生きるという観点のみにおいて,人間という動くものを捕まえるかどうかという話になる。
『ジュラシック・パーク』の終盤。物語に登場する疑似家族ー父,母,姉,弟の四人構成ーを狩ろうとするヴェロキラプトルに割り込んだT-REXは,ヴェロキラプトルと争いつつ,天に向かって咆哮する。それと同時に,人間の建築したものは崩れて行き,「JURASSIC PARK」の横断幕も地面に向かってなびき落ちる。このシーンが印象づけるのは,人間が「PARK」のなかに自然を囲い込んで,押さえ込み,支配しようとしていたが,その囲みは破られ,空間に恐竜=自然が満ち満ちて,むしろ人間が恐竜=自然に取り囲まれ,放り込まれたのだということ。そしてその自然界の頂点に君臨する王が,ティラノサウルスであるということだ。
ここで強調したいのは,ティラノは決して人間を助けようという意図を持っていたわけではないということだ。人間という餌を得るために争いたかっただけで,もしもティラノがヴェロキに勝っていたら,人間は,ヴェロキからは逃れられたとしても,再び追われていただろう。やはり人間というのは,恐竜にとって敵だとか味方だとかではなく,単に生存のための食料なのだ。
ところが「ワールド」は違う。少なくとも当初は,人間は恐竜の制御に成功し,恐竜パークを商業化することにも成功している。恐竜の制御が試作段階であった「パーク」とは異なり,一度は恐竜の制御に成功してしまった時点で,もはや「ワールド」は「パーク」の趣旨を汲んでいない。
また「ワールド」ではヴェロキラプトルとティラノサウルスが人間の味方をすることによって,制御不可能な新種のインドミナス・レックスを撃退することに成功する。本来「パーク」にはヴェロキにしろティラノにしろ,人間に味方しようという意図も敵対しようという意図もなく,たまたま両者が争うことによって人間は逃れることができたのに,「ワールド」にはヴェロキやティラノを明確に味方にしようという意図を持って人間は作戦を立て,そして成功している。ヴェロキは明確に主人公たちに協力しようという意思を持ってインドミナスと戦っているように思えるし,ティラノに至ってはヴェロキと違って飼いならされていないにもかかわらず,そして食料を必要としているかどうかも問われずに人間(観客)の希望通り,開放された途端インドミナスにぶつかっていく。人間は,自分たちのために恐竜を制御し利用することに成功してしまっているのだ!
この点において,もはや「パーク」の,完全な予測が不可能で,暴発する,制御不能な自然というコンセプトは緩められ,破れ,人間にとって都合のいい物語が成立している。もちろん「パーク」にも,嫌われ者が殺され観客の応援したがるキャラクタが救われるという勧善懲悪&因果応報の様式は持っているけれども,「ワールド」は「パーク」の持っていた人間には制御できない自然の中で,自然の一部として生き延びることによって得られる爽快感を与えることはできないのだ。
インドミナスレックスにしても,ティラノのように人間という存在を認識せず単に動く生き物,餌としてみなすのではなく,人間の技術を理解し,対抗手段を企て,それを掻い潜る。人間を餌とみなすのではなく,敵としてみなし,反抗を試みているのだ。「ワールド」のインドミナス・レックスはもはや人間であり,恐竜=自然ではない。自我や人間的知性を持った存在なのだ。
懐古厨,「そもそも」厨と言われればそれまで。しかし「ワールド」は「パーク」の趣旨を汲んでいるとは言い難い。あれは単なるディザスター映画だ。
『ジュラシック・パーク』は,恐竜を2つの側面から描いていたと思う。恐竜に襲われる恐怖と,恐竜を雄大で愛すべき存在だとみなす視点。ラスボスとも言えるティラノにも,この2面性が備わっている。離れてみれば雄大,襲ってくれば恐怖。ティラノは善でも悪でもなく,ただ生きているだけだった。恐竜を恐怖することなく人間の武器を以って制圧し支配しようとする人間の試みは失敗し,彼らは殺され,愛情や好奇心と慎重な恐怖を併せ持つキャラクタだけが,スピルバーグによって生かされた。
ところが「ワールド」や「炎の王国」が作り出してしまったのは,純粋悪,悪者とも呼べる恐竜だ。この恐竜の出現が,味方とか敵だとかの観点から恐竜に接する考え方を生み出してしまった。インドミナス・レックスや,「炎の王国」に登場する恐竜は,作品中の人間にとって純粋な脅威でしかなく,それゆえに愛護の対象であると観客に思わせないやり方で描かれ,そしてただ消滅させられるのみだった。
「愛情」と「恐怖」という2つの側面を持った恐竜の姿は,もはやそこにはない。
前評判より楽しめた
規模が小さいとか
色々言われてたけど、
全然楽しめた。
少しホラー要素もあって、
初期の頃を思い出しました。
印象的なシーンは島に取り残された
首長竜が煙に飲み込まれて行くシーンかな。
1.2に出てたおじさんのセリフがそのまま
この映画のメッセージになっててわかりやすかった。
猿の惑星かよとも思ったけど笑
まぁ、ぶっちゃけ言うと
前作からそうだけどブルーみたいなやつがいたらダメだと思う。
恐竜と人間の交流はない方がいい。
現実離れするし、主役のイケメンだけ特別な人になっちゃうし。
恐竜は恐竜。
人間は人間で堂々とパニックして欲しいです。
その中で命の尊さや、
自然の厳しさ等を描いて欲しい。
あくまでも個人的な感想ですけどね!
それでも普通に楽しめました!
おもしろかった。。
もう、生きているとしか思えない。。
素晴らしい。
できれば4dxで観たい映画です。
ストーリーも素晴らしいけれど、これは恐らく今後バイオハザードみたいになっていくんだろうなという感じで最後をむかえます。それはそれでおもしろい。
今後も期待します。。
続編が楽しみ
炎の王国、、の割には
火山の噴火から島から脱出が
意外とあっさり終わり
後半は、お屋敷でのバトル
ラストは恐竜が人間界に放たれて
次回へ、、、
次回作が、単に、人間界に放たれた
恐竜が暴れますだとしたら
既に、このシリーズで描かれてるから
きっと、恐竜を落札したセレブが
恐竜で軍隊を組織し、戦争を起こす
そこにクローン人間も絡んで、、、
なんてストーリーでしょうか?
ツッコミどころ満載。ハリウッドらしさを楽しむ映画
ハリウッド大作が好きで、暇つぶしに何か映画でも・・・という方にはちょうどいいのでは、という印象。
正直ツッコミどころ満載で感情移入はほぼできず。
実は一番悪いのって主人公側じゃないの? って思えるほど片面だけの正義感を振りかざしているし(少なくともどっちもどっち)、そこでそういう行動する?っていうオンパレード。
記憶は曖昧ながら・・例えば
・俺に考えがあるといって、恐竜たちを解き放ち、かき回すだけかき回す主人公。俺の考えには一切触れられず。回収なし。
・屋敷内から屋外に恐竜を解き放つ女の子。ここにいたら恐竜たちが死んでいく→かわいそう→扉を開けるボタンを押す。逃げ出す恐竜たち。
結果、恐竜たちに2、3人(悪玉たち)瞬殺されます。
世界、どうなんだ? いい人達には無害か。
ちなみにボタンを押した子供を、主人公たちは「その判断仕方なし」と見守っている。そういう判断をするからイスラエルやアフガニスタンが心配に思えてしまう。
・最強の恐竜を倒したと思い、自ら檻のなかに入る悪玉
もちろん、恐竜は死んでおらず、瞬殺。
40代以上なら、志村ー、うしろうしろ。それ以下なら押すなよ、絶対押すなよを想起させるハリウッド芸を見せられる。
・女の子や主人公たちの前ではかなり弱い最強恐竜。
そもそもパワーポイントのレーザー光線みたいなので狙うと襲う仕掛けの最強恐竜って・・・面倒だし、弱い。今流行りのかわいそうな生き物シリーズ行き確定。
まあハリウッド映画なので、こういうところをお約束ってことで割り切って鑑賞する・・・でいいんだけど、それでも危険な恐竜たちを自分たちがかき回した挙げ句、世に放っただけでも終身刑。
共存とかテーマ云々って浸ってる場合じゃないだろ。
新しい問題提起による新シリーズ
前作で「遺伝子操作による新種」が登場したとき、なんだか1作目のシリアスなSF要素が薄まって、浅い娯楽方面に大きく舵を切った気がして残念に思ったものだが、それが大きな勘違いだったことを今作を見て気がついた。
ジェラシックワールドは、ジェラシックパークとは根本的にテーマを変えた、新シリーズとみなすのが正しいようだ。
面白い映画というのは、必ず何か現実の世界に対する問題提起が含まれている。
ジェラシックワールドにおいては、遺伝子工学という化け物のような技術を、人間は使いこなすことができるか、ということなのだろう。
今作で、そのテーマ性がより明確になった。
ひと昔前はヒトに対する遺伝子操作はフィクションの世界の話だったが、ゲノム編集の登場によって、ヒト受精卵に対する実験が重ねられている。
これまで隔離されていた恐竜たちは、実験室の中で隔離されていた技術や遺伝子組換え生物を象徴し、今作で世に放たれた恐竜たちは、『不可逆』な形で『世界』に放たれた技術や遺伝子組換え生物を表しているのだろう。
遺伝病の治療を目的としたゲノム編集ベイビーが誕生するのは、そう遠い話ではないはずだ。
遺伝子工学技術、生殖補助技術の発展というのは不可逆であり、いくら規制しようともそれを利用しようとする人間の欲には歯止めが効かない。
だから、世界に放たれた恐竜たちに対して、「それがあるべき自然の姿ではない」と否定することは無意味であり、彼らを受け入れ、共生する、という選択肢しかない。
しかし、人為的に生み出されたこと生命でも、尊い生命には違いない。
次作も、遺伝子工学を中心にうずまく人の欲と思惑に翻弄される主人公たち、生命を軽視する者たちと、生命の尊厳を守ろうとする者たちの戦いが描かれるのだろう。
人間の恐ろしさ
恐竜のビックリワクワクの映画の中で、一番怖いのが人間。
過去作は、恐竜を作って自然を冒涜した愚かさ怖さ。
今回は、人間が人間を作る恐怖映画。
後半の怖いホラー館と相まって、ジュラシックパークの新たな面白さ。
少し期待はずれ
まず、あまり良いキャラクターがいなかった。ありがちなキャラしかいなかったと思います。そこがあまり良くなかった気がします。
次に、映画後半の部分で恐竜のオークションが行われます。そこでインドラプトルが紹介されます。この恐竜は、武器として使われるのですが、その利用方法が、「赤いレーザーで標的を狙いボタンを押す」というものでしたが、普通に銃で狙って撃つ方がいいと思いました。
あと、サブタイトルに「炎の王国」とありますが別にこのタイトルじゃなくてもいいと思います。炎の王国はほんの一部だったし、
ただ火山が噴火しただけなのでもっといいタイトルがあったと思います。
でも、恐竜のCGとかはよかったです。何も考えないでみるのがいいと思います。
このシリーズにとって重要なテーマ
終始ハラハラドキドキ!恐竜達のシーンは特に迫力満点でとても面白かったです!!
CGやアニマトロニクスによる恐竜達は表情も細かく表現されて感情がより伝わってきました!ブルーとオーウェンの絆には感動しました(T ^ T)
前作よりエンタメ感が減った分人間のエゴや生命の尊さを描いたメッセージ性が強い作品になっていて考えさせられました。
展開には賛否両論あると思いますが、〝生命〟について描いたことはこのシリーズにとって重要な事であり良かったと思います。
微妙〜〜〜
毎回恐竜CGの映像凄さに観に行きますが、やっぱり一作目で終わりにしておいた方がメッセージ性はあったように思います。やればやるほど、生命倫理がちゃちぃというか。。
皆さんも言ってましたが、インドラプトルの動きがセコイというか、ベッドの上にいる女の子などがおっと一噛みでしょうし、所構わず殺しまくりでしょうからね。
人間って勝手な生き物ですね、何かを作っては、作ったものを管理しきれず。
でも、最後がダメですよね。もし解き放つならこっそり逃げちゃった一匹がベガスパリスの上にいたとか、海にいたやつは??的なメッセージなら良いけど、堂々と逃がしすぎwあんなあからさまに恐竜と共存した社会になるわけありません。アメリカには行けないなw
本当はIMAXで観たかった!
前半の映像が、番宣とかで流れてるから。それからそれから。。。\( ˆoˆ )/って思うんですが、後半バイ○ハザートですね。
昔のプレステの恐竜のホラー映画思い出す。
日本の、シン・ゴジラ観たんでしょーかね。。。。?監督。
シンゴジみたいな目をしてたのは俺の気のせいか?
後半やってくる、ハーフな新恐竜。
前半は良い
噴火が起きて、最期に恐竜が煙に消えるシーンは本当に心に残った。
だがしかし後半は何だあれは。
爺さんを枕で殺すとかディズニー映画かな?
人工的に作った恐竜が口元をニヤリとさせるシーンが特に酷い。顔の表情でコミュニケーションとる人間じゃないんだからそこの筋肉動くの変でしょ?
ベッドに隠れた子供が被った布団をそろりと触ろうとする手とか、サイコスリラーって感じで気色悪かったです。
恐竜と言うか人間がやる事。
頭のいい人間的な恐竜との戦いより、本能で人間を襲ってくる恐竜が見たい。
前半はとても良かった、本当に。
ただの怪獣映画
ロストワールドを超える駄作…ってなって悲しかったけど、子供の頃にロストワールドをはじめて見たときはそれなりに楽しかったので、子供は楽しいのかも。
とにかくスケールが小さい。前半で「炎感」が出尽くしたけど、サブタイトルが炎の王国っていうくらいだし水素爆発でも起きるんかなって思ったのに、ただただ一頭の恐竜と一緒に屋敷で暴れて終了。そういうの見たいんだったら、予告でやってたプレデターでいいよ。プレデターシリーズ見たことないけど。
そもそもインドラプトル小狡い割に弱すぎる。ほーら、今から君を食べちゃうよー?なシーンはいらないから!恐竜ってそういう生き物じゃないでしょ!溢れ出る小物感がすごかった。死に方も漫画みたいだったし。ハイブリットなんだよね?とっても強いんだよね?たった一頭のヴェロキラプトルに負けちゃうの?
ラプトルは、昔の作品でものすごく強くて恐ろしい恐竜として描かれてたよね?あのころ憧れてたよ。え?ブルー、お前なんで普通に味方してんの?
前作も、調教してんの?え?何してくれてんのラプトルだよ?って思ったけど、最終的に「味方になりきらないが、調教してあるので利用できる。もしかしたら心通じてる可能性もある」くらいの立ち位置だったのに、なんで一気に全面的な味方になってるの?おかしくない?
遺伝子操作や行き過ぎた科学技術の使い方、動物に対する倫理観へのメッセージ性は強いし、敵側だけじゃなく、本来ヒーローであるはずの主人公側も自分たちのエゴまみれ、矛盾まみれなところは訴えたかったことなのかもしれないけど、それを入れることで後半のテンポが恐ろしく悪い。娯楽映画なのか社会派映画なのか、立ち位置をはっきりさせてくれ。50:50は無理だよ。
「ジュラシックワールドへようこそ」というセリフを言わせたかっただけなんじゃないかなって思っちゃう。上手いけど、なんか製作陣のおじさんたちのドヤ顏が透けて見えるんだよな。ドヤ、ええセリフやろ?上手いやろ?って。酷い映画を見てしまったことによる被害妄想かな……
作中の旧作へのオマージュは、SWシリーズ並みにわかりやすくてちょっとクスッときたし、嬉しかったです。
ワールドかぁ
恐竜をよみがえらせて、見世物にしたらそらそうなるよ…という流れが前作。
人間の住む環境に、恐竜を連れて来たらそらそうなるよ…という流れが今作。
島からの脱出までがドキドキハラハラ連続でした!しかし、後半から一気に冷めてしまいました。
火山大爆発、溶岩から逃げる、海に落下…絶体絶命のピンチを、主人公たちがどうにかこうにかして島から逃げ切ります。
取り残された恐竜がすごく可哀想…(泣)となるのですが、火砕流や噴石が降る範囲ってもう少しデカくない?というツッコミが頭に浮かびます。なぜ海にでると平和なのか。
恐竜オークションで悪役があっさり片付けられるのは洋画のお約束ですかね。スカッとするので私は好きです。
多分次回作は世界中で恐竜たちが大暴れで大変!どうにかしなきゃ!…となるはずです。
大作映画を蔑むような書きぶりで申し訳ないです…。
とうとう世界はジェラシックワールドになった
ジュラシックワールドは、2015年に14年ぶりにジェラシックシリーズとして発表されたが、今回の「炎の王国」はその続編。すでにこの作品に続きがあることが映画の最後で予告されているので、これはジュラシックワールド3部作の第2作目に当たる。シリーズの最初からスピルバーグが引き続き製作総指揮に当たっている。
前作ではテイラノサウルスとTレックスなどをDNA操作で合わせたハイブリッドの新種インドミナスレックスが、暴れ放題で、テイラノサウルスとデスマッチを繰り広げていたが、新種の方が、血の匂いに誘われて海からやってきたモササウルスに水中に引きずり込まれて食われてしまうシーンで終わった。オーウェンが親代わりになって育てた孤児の4頭のベロキラプトルは、この決闘で3頭殺されて、ブルーだけが生き残る。この映画は、その続きだ。
ストーリーは
深海探査艇が恐竜たちが生息するイスラヌブラ島の海底に向かう。モサザウルスに海に引きずり込まれて死んだインドミナスレックスの死体からDNAを採取して、さらに強い新種を作る試みが進行している。彼らは海底で見つけたレックスから骨を切り取って、無事に引き上げることに成功したが、深海探査艇に異変が起こる。モサザウルスが予想を超えて巨大に成長していて、、、、。
一方沢山の恐竜が生息するこの島に小規模の火山噴火が頻発している。専門家は火山が大爆発し、このままでは、すべての恐竜は絶滅することになると予想した。議会では、恐竜を救うべきかどうか、専門家の数学者マルコム博士を呼んで意見を聴いたが、博士は恐竜の運命は自然に委ねるべきだと主張する。恐竜はこのまま手をこまねいて 再び絶滅するのを待つしかないのか。
ジュラシックパークの創設者、ロックウッド財団はパークの運営責任者だったクレアと、恐竜行動学者オーウェンに、島に行って出来るだけ恐竜を捕獲するように依頼する。クレアとオーウェンは数年ぶりに再会し、ジャステイスとジア、二人の助手を連れて現地に向かう。着いてみると、すでに現地ではロックウッド財団の傭兵たちが恐竜捕獲作戦を始めていた。オーウェンは、自分が親代わりになって育てたベロキラプトルのブルーと再会を果たす。ところが傭兵たちはブルーとオーウェン双方に麻酔銃を発射した。オーウェンが昏倒している間にも火山の大噴火が予想以上の速さで始まっていて、マグマが流れ落ちてくる。オーウェンは危機一髪のところでマグマから逃れ、クレアたちと合流するが、そのころにはすべての恐竜たちが命からがら海岸線まで逃げ延びて来ていた。
病に伏せているロックウッド財団創始者のベンジャミン ロックウッドから仕事を引き継いで実質経営者となったレイフポールの傭兵たちは、大型船に捕獲した恐竜たちを収納し島を去るところだったが、クレアたちは船出の寸前に船に忍び込むことができた。乱暴に捕獲されたブルーは出血多量で虫の息だった。クレアとオーウェンはインドミナスレックスから血液を抜き取りブルーに輸血する。船から大型トラックに乗り換えた一行の行先はロックウッド財団の大きな屋敷だった。そこには財団の創始者ベンジャミンと孫のメイジ―が住んでいた。
屋敷に世界中から招待客が続々と集まってきていた。そこで恐竜たちが、1頭ずつ檻で引き出されてきて競りにかけられ、落札された値段で売られていく。ベンジャミンの命令で保護された恐竜たちが、レイフポールによって売られてしまう。孫のメイジ―は祖父に、レイフポールの裏切りを伝えるが、それを警察に通報しようとしたベンジャミンはレイフポールに殺される。
事情を知ったクレアとオーウェンはメイジ―と一緒に、恐竜たちを守ろうと立ち上がる。オークションにかけられて最も高値で引き取られそうになったのが、インドミナスレックスのようにDNA操作でハイブリッドされた新種のインドラプトルだった。各国の要人たちはこれを無敵の武器として使うために購入したがっている。しかしオークションの最中に檻が開いて、数頭の恐竜が会場で暴れ出して、逃げ惑う人々とで大混乱に陥る。逃げ出したインドラプトルは執拗にメイジ―を追いかける。それをオーウェンとクレアを助けるブルーの登場によって危機を回避、インドラプトルは屋敷の屋根から落下して死ぬ。レイフポールはテイラノサウルスに食い殺される。ロックウッドの屋敷の地下に閉じ込められていた他の恐竜たちは、破壊されたた地下にシアンガスが充満してしまい、このままでは全頭が窒息死することになる。
少女メイジ―は、殺される前のレイフポールから、自分がベンジャミンの娘が事故で死んだとき、そのDNAから作られたクローンであることを知らされた。本物のベンジャミンの孫ではなかったのだ。自分のようにDNA操作で作られた恐竜たちを、このままガスで窒息死させるわけにはいかない。メイジ―は地下室の檻を解放する。次々と恐竜たちは外界に出て行き、ブルーも「安全なところで一緒に住もう」、というオーウェンの言葉に躊躇するが振り返りながら去っていく。
こうして恐竜は生き延びて人々の住む世界に自由に放たれた。
議会で再びマルカム博士が発言する。今や人と恐竜とが共存して生きて行かなければならない。いわばジェラシック時代と呼ばれる新しい世界となったのです。
というお話。
恐竜が本物にしか見えない。この映画の見どころは「上等なCGテクニック」。実に恐竜が本物の様によくできている。円谷プロダクションの着ぐるみ怪獣の特殊撮影に騙されて本気で怖がって震え上がって育ってきた。そんな自分の目からすると隔絶の進歩だ。シンと鎮まって、え、、何が起こるの、といぶかしがっているうちに影が映り、ギャー本物が現れるというパターンが幾度も繰り返されるが、何度やられても慣れることがなく本当に怖い。CGがこれほど進歩したのは、ジョージルーカスとスピルバーグの天才的な才覚によるものに違いない。一連のジェラシックシリーズのおかげで恐竜が大好きになった人も多いだろう。
火山大噴火で燃えるマグマに満ちた島に取り残された草食恐竜アパルトサウルスが、「連れて行って連れて行って」と島から去るオーウェンとクレアに何度も何度も呼びかける。やがてマグマの毒ガスにまかれて姿がみえなくなっていく様子が哀しくて、ここで涙を流さなかった人は居ないだろう。
またオーウェンに育てられたベロキラプトルの孤児で1頭だけ生き残ったブルーがオーウェンに寄せる想いもとても共感できる。こんなに可愛い奴ら、誰もがペットに欲しいと思うだろう。
かくしてジェラシックパークの恐竜たちの大半は火山で絶滅し、財団に捕獲された恐竜たちは、恐竜同様DNA操作でクローンされた少女メイジ―によって野に放たれた。地下室の恐竜たちを生かすか、見殺しにするか二者択一を迫られて、クレアはようやくの思いで自分の思いを押しとどめて、恐竜をあきらめようとするが、それではメイジ―の存在をも認めないことだ。メイジ―はオーウェンとクレアの堅い決意に反して、恐竜を自由にし、この世で人と恐竜を共存させることでクローンとしての自分の命を自己肯定したのだ。勇気ある決断だったと言える。
母親が事故死した後メイジ―はお祖父さんと乳母に育てられたが、乳母役に出てきたのが、ジェラルデイン チャップリンだ。再びこの女優を見ることができてとても嬉しかった。喜劇王チャップリンの娘。映画「ドクトルジバゴ」でジバゴの妻役だったころの知的で美しい姿は、1970年代の他のどの女優よりも抜きんでていた。いまはしわくちゃだったが、全然かまわない。気品に満ちた雰囲気をまとい、キリッと立つ美しい立ち姿と、洞察に満ちた眸、可憐な様子は、むかしのまんまだ。
オーウェンとクレアのやりとりが面白い。前回の映画で二人はハッピーエンドで、あれから3年も経っているから、家庭を持って2-3人子供でもいる頃かと思ったら、二人はあのまま別れていた。その理由というのが聞けば、クレアが腹を抱えて馬鹿笑いするほど単純な、クレアの言葉を誤解して取り違えたオーウェンが、自分から去っていったからだった。そんな二人が再会して互いになくてはならない存在になっていく。オーウェンは単純で武骨な男。クレアは困っても、命の危険にさらされても男に助けてもらうことを全く期待しない。男をアテにしない自立した女として描かれていて好ましい。
クレアの二人の助手に、ラテイーノとアフリカンアメリカンを起用したことは良いことだ。アメリカの人口比からいっても自然なことで、これが正しい。正しいことをしないハリウッド映画が多すぎる。ジャステイスがIT技術者で眼鏡をかけてオタクっぽいがアフリカンアメリカン。そしてジア獣医がラテイーノ女性だ。ジアが姿が見えないのに声だけで誰かわかって彼女が車から出て天を仰ぐと、ゆっくりと森から巨大なアパルトサウルスが姿を表すシーンは、感動的だ。
この映画、安心して子供に見せられる。12歳のメイジ―の名演技。恐竜たちの生き生きとした立ち回りにもほれぼれする。ハリウッド映画は娯楽映画と馬鹿にすることなかれ。とても満足した。
この世も、とうとう人と恐竜とが共存する本当のジェラシックワールドになった。空を見上げればプテラノドンが普通に飛んでいて、海で泳げばモササウルスが何気なく近付いてくる。次作が待ち遠しい。
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