僕のワンダフル・ライフのレビュー・感想・評価
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犬を飼ってなくてよかった。
動物がメインの映画は普段好んで見ないのですが、犬が転生して元のご主人に巡るときいて鑑賞。久しぶりに映画館で泣こうと考えていました。
号泣。
とにかく、1番初めのベイリーが可愛くてたまらない。
犬種には詳しくないので分からないですが、レトリバー?と言っていたような。
毛並が綺麗で目も愛くるしく、濡れた鼻先や、仕草全てが可愛い。
アメリカがどうか分からないですが、ヨーロッパではペットショップがないとの話を聞いて、なるほど、確かに今まで観てきた映画の中でペットショップ描写はなかったし、この映画でもベイリーは保護施設行きを何とか免れ、一悶着ありイーサン家へ。
イーサンとベイリーの絆がよく描かれていたと思います。私自身は犬を飼ったことがないですが、幼少期を犬と過ごせたら多くの思い出に犬がいたのかと思うと、幼少期犬と過ごせた人が羨ましくてたまりません。
ベイリーは常にいろんなことを考えていて、イーサンのことを心配し、犬を飼ってる人なら誰もが思う犬の気持ちを早口に喋り続けます。
うちの犬もそう思ってるんだろうなーと思わずにはいられないと思います。
ただ、そんなベイリーにも寿命が来て亡くなってしまう。あんなに好きだった餌を食べず、横になり、動かなくなる。
最近身近な人の犬が亡くなった時に、その人の犬も食欲がなくなって逝ってしまったのを思い出しました。
ここからがこの話の肝で、ベイリーの魂?は次の犬へと移っていく。これを繰り返し、最後には年老いた元飼い主イーサンの元へ戻り、ベイリーの仕草を真似て、元飼い主にベイリーの生まれ変わりだとアピールして物語は終わります。
お世辞にも、ストーリーは御都合主義ですがそこを言ったら野暮というものだと思います。
最初のベイリーと出会うシーンも、犬が車内に放置されてる。窓を割って助ける。ってその車の飼い主メッチャ悪そうな人たちだったけど、大丈夫?とか、イーサンの家に上司が来た時、コメディのように上司の奥さんがテーブルを壊すけど、それはやりすぎでは?とか映画的雑念はかなり多かったです。
ただ、動物的な視点から人間を見たベイリーのセリフには、クスリとくるシーンが多かったです。
牧場の臭い匂いを嗅ぎ続けたいとか、人間のキスを舐め合いとか、絶妙なあんばいでした。
けれど、やっぱり飼い犬が死ぬシーンを通算3度も見せられるのはダウナーな気持ちにはなります。映画全体は明るいテイストなので、見ようによっては淡々と転生して行きますが、犬を飼ってる人にとっては鬱まっしぐらなのでは?
ペットロスが問題となる昨今、この映画は人によっては飼い犬が亡くなった時を思い出してしまう辛い映画になってしまうかと。
そう言った意味で、私は犬を飼ってなくて良かった。辛い別れをせずにすんだからと思います。
ただ、この映画を観て無性に犬を飼いたくなりました。かわいいあいつらとじゃれあいたい。
そう思えました。
全ての犬が幸せに生きられる世の中になってほしいと改めて強く思った一作です。
なんだかんだ、泣いた
ワンダフル!
人の手で創る映画なので動物がどう思って生きているのか実際にはわからないですが、映画からだと犬も生きる意味を見出だしながら生活しているのか、と意外とかわいいだけではなく真剣に観入ってしまいました。
何度も癒されて泣きましたが、前半の主人公と父親(酒乱)の争いには画面から目を背けたくなるくらい観れなくて泣きました。
動物は、人の心を癒したり、勇気をくれたり、人と人を繋げる不思議な力があり、私も一緒に生活したくなりました。
吹き替えで観ましたが、木梨憲武風で初めから笑えました!
わんこ可愛すぎ〜♪
犬の気持ちになれました。
こういう映画、いいですね。
優しい気分になりました
人の一番の理解者は犬
ストーリーは
アメリカ東部の小さな街。1960年代
この映画のナレーターは、ベイリー。ゴールデンレトリバーの子犬で、彼の独り言がナレーションになって物語が展開する。「吾輩は猫である」の犬版だ。
野犬狩りから逃れてきた子犬のベイリーは、ごみ収集車の男に捕えられ、暑い夏の車の中に放置されて脱水で死にかけていた。そこを通りかかった少年に救命される。少年イーサンは、一人っ子。夫婦仲のあまり良くない両親に間で、イーサンとベイリーは喜怒哀楽を共にしながら、一緒に成長する。やがて父親は母親に暴力を奮うようになり、家を出て行き、イーサンにはガールフレンドができる。彼はアメリカンフットボールで花形選手となり、あこがれのミシガン州立大学に奨学金つき特待生として進学できることになった。ガールフレンドのハンナも奨学金を得て、一緒に進学できる。沢山の街の人に祝福されて幸せいっぱいの夜、それを羨んだ同級生に、花火を家に放り込まれて、家が全焼してしまった。ベイリーの大活躍によって家族の命は助かるが、イーサンは、崩れ落ちてきた屋根で足に大怪我を負う。イーサンは、家も、スポーツ特待生の資格も、大学進学の夢も、ガールフレンドも失った。
イーサンと母親は、祖父母の住む田舎の農場に身を寄せた。そしてイーサンは足の傷が癒えると地元の農業学校に行くことになった。肩を落として寄宿舎に向かうイーサンを、ベイリーはどこまでも追っていき、見送った。イーサンの居ない静かな農場でベイリーは年をとり亡くなる。
ベイリーの好奇心旺盛で、主人の為に役立ちたいという気持ちが強いため、ベイリーはその後4回も生まれ変わって、この世に帰って来る。
次のベイリーは、ジャーマンセパードとして生まれて来て、プエルトリコの警察官を主人に、k-ナインとして活躍する。何度も表彰されて活躍するが、誘拐犯にあっけなく撃ち殺される。
次の生まれ変わりは、コーギー犬で、飼い主は陽気なアフリカンアメリカンの女子大学生。一緒にピザとアイスクリームを分け合い、彼女が結婚したあとは、たくさんの子供達と愉快で賑やかな生活を楽しみ命を全うする。
最後はセントバーナード犬のミックス。貧しい夫婦に引き取られ、ずっと子犬時代は鎖につながれて運動もできない惨めな生活だったが、棄てられて放浪するうちに、ある日懐かしい匂いをかぐ。そう、それはイーサンが身を寄せていたおじいさんの農場だった。イーサンが居る。ベイリーは、年を取ったイーサンの胸にむかって飛んでいった。イーサンは、肩を落として放火で何もかも失ったときのままだ。わびしい一人暮らし。いつまでも鬱病じゃないだろう。ベイリーには、しなければならないことがある。農場に来る途中、公園でイーサンの恋人だったハンナの匂いをかいだのだ。迷わずベイリーはハンナを探し出して近付いて行く。すっかり年を取ったハンナは、ベイリーの名札を見て驚く。ハンナは半信半疑でベイリーを連れてイーサンの住む農場を訪ねて行く。 二人は数十年ぶりに再会する。嫌いで別れたわけではない。二人は再会して未だに、互いに魅かれ合っていることに気がつく。ベイリーの引き合わせによって、二人は結婚する。
やっと戻るべきところに、すべてが戻ってほっとするベイリー。イーサンは姿かたちも違う、この犬がベイリーの生まれ変わりだったのだということに気付くのだった。
という心温まるお話。
人と犬との結びつきが、よく表現されていて誰もが自分の犬を思い出して、ホロリとする様な映画。だからかもう4か月も劇場公開が続いている。見ようと思っていて見逃して諦めていたが、まだやっていて子供連れの家族やカップルで劇場がいっぱいだったので驚いた。
犬が動物の中で特別なのは、人の喜びを犬が自分の喜びとして捉え共感できる唯一の動物だからだ。嬉しい時、犬も一緒に飛び跳ねてくれて、悲しいときは一緒に嘆いてくれる。これは科学で証明されている。飼い主と犬が、同じ画面を見ながら脳波や断層撮影で脳の動きを調べてみると飼い主が嬉しくて活発な反応を示す脳の場所と同じ脳の反応を犬も見せる。犬はいつも飼い主の気持ちを知りたいと望み、飼い主の一番の理解者でありたいと思っているのだ。
癌末期の痛みの緩和にも犬の存在が効果をみせる。モルヒネで鎮痛効果の見られなくなった患者が犬が横にいてくれるだけで痛みが緩和された報告が沢山出ていて、実験的にホスピスなどで使われている。
痛みは科学的に計測することができない。どこか痛くて医者に行くと我慢できない痛みを10とすると、いまの痛みはいくつくらいですか、とよく聞かれるだろう。たいがいの患者は5か、6くらい、と答える。このような曖昧な痛みは、多分に心理的な影響によるもので、将来への不安や金銭的な心配がなくなり、検査で痛みの原因と解決方法がわかると、それだけで痛みが消失することが多い。一方、癌末期の痛みは、その進行によって鎮痛剤を増していくことになる。多くの場合モルヒネを連用して人は眠りながら死ぬ。しかし愛犬の鎮痛効果が効けば眠ってしまわずに最後まで自分を失わずに死ねる。犬は主人が辛い時共に痛みに共感を示すことができる。言葉をもたない犬だからこそ人に痛みを理論や科学や社会状況や財政状況や様々な問題を越えて、自分のものとして感じてくれる犬の存在が痛みの緩和に効果を示す。
また犬は人間生活の中で、時として家族の家長的役割を果たそうとして、外敵から家族を守ろうとする。自分より弱いものを守ろうとして、人助けを喜んでする犬の姿は神々しい。時として家長になり、時として育児係りを務めてくれる。手加減を知らない幼児が犬を掴んだり、体の上に乗ったり、踏みつけたりしても、それが主人の子供だったら驚くほどの辛抱強さで我慢して子供たちの世話係りとしての務めを果たしてくれる。
本当のことを言えば、犬を持って良い事ばかりじゃない。子犬のときのやんちゃぶりは手加減なしだ。家具はズタズタ ボロボロになるし、他人に迷惑をかけて謝罪してばかりいなければならない。映画に出てくるほど 良い事ばかりじゃない。それでも人は犬を、犬は人を必要とする。それは「人を散歩させてやってるときの犬」の満足そうな、鷹揚で理解のある顔をみれば、よくわかることだ。
予想通りでしたが、
期待以上!
近隣に吹替しかないから妥協したのが悪いのか。
何度も見たい、いい映画でした。
予告編でも出ていた「犬がデニスクエイドの背中をジャンプするシーン」。デニスクエイドは、最後の20分しか出ないけど、とてもいい演技をされています。さすがベテラン俳優。また、主人公のワンちゃん「ベイリー」が、生まれ変わる中で、苦労したり、人を助けたりと、大活躍する場面もなかなか見応えがあります。すごく丁寧に作られた良質の作品だと思いました。あと2、3回は見たいです。ただ、皆さんが言われるように、ベイリーの声が「おじさん」なので、違和感あります。あの、アニメ、バックスバニーに出る可愛い黄色い鳥「ツイティー」も、おじさんの声だし、アメリカ人は「おじさんの声」を可愛いと感じるのかもしれません。(笑)
ちなみに、ベイリーの声の主は、「アナと雪の女王のオラフ」の声を担当した俳優さんだそうですよ。
感動的な物語だけど、根底に違和感が。
かつて愛犬を亡くした経験のある人なら、もう一度会いたい愛犬がいる人なら、否が応でも涙腺を刺激されてしまう内容。私も子どもの頃に愛犬を飼った経験とその後に亡くした経験があるため、別れのシーンはどうしてもそんな思い出を突かれてしまう。最後の感動的な再会も、胸にぐっとくる。一度別れた愛犬とあんなふうに再会が出来たら・・・と懐かしい自分の愛犬のことを思い出すと目頭が熱くなった。
しかし、だからといって私はこの映画を良いとは思わない。なんだか映画を観ている間中、ずっと違和感というか、居心地の悪さを感じたからだ。なぜならこの映画は、「人間に飼われている」ということを最低条件に設定した上で、原題である”Dog's Purpose”を定義・探求するという、実に人間に都合のいい解釈と価値観における犬の命の扱い方をしているようにしか見えなかったからだ。犬のベイリーは生まれ変わるごとに人間の「飼い犬」としての生涯を送る。そもそも人間に飼われることが犬にとっての幸福なのかや、それが”Dog's Purpose”になるのかといったところはまったく考察されず、犬は人間に飼われて当然で、寧ろ人間に飼われることが望ましく、さも人間に媚びを売ることを是とするような空気がスクリーンにあるのが非常に居心地が悪かった。最終的にナレーションではっきりと「人間と暮らし人間の役に立つことが犬の目的だ」と言い放ってしまった。それを見て涙を流せるほど、私は厚かましい人間ではないつもりだ。
確かに人間と犬は歴史的にも厚い友情があると思うし、共存し家族のように暮らしていく姿に温かさを感じることもある。それを否定するつもりはまったくない。撮影中の疑惑云々についても実際のところ真相は分からないので脇に置いたとしても、私はこの映画が動物の命に対して独善的だと思ったし、あまりにも人間本位な”Dog's Purpose”の考え方だなぁと思ってしまった。
とにかく泣くだけ。
地元では吹き替えしか上映されないこともあり、渋々吹き替えで観ました。
これは字幕だったらどうなんだろう、もっとワンコに感情移入できたかな?という感じです。
吹き替えは芸能人じゃないだけマシレベルです。
ベイリーの声がおじさん過ぎで冷めます。
でも泣けます。
例えワンコの声がおじさんで、ヒロインの声が花澤香菜で違和感があっても泣けます。
これは犬好きなら問答無用で泣けます。
泣くしか選択肢ないです。
ただ、50年後、転生したベイリーがイーサンの家を見つけて追い払われてもドアの前にいて、それに困ったイーサンが真っ先にベイリーを保健所に連れて行ったことに「ウソでしょ〜〜!!?」って思った。
犬を可愛がっていた人間が、そんなすぐ保健所に連れていくか!?と。
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