「人の一番の理解者は犬」僕のワンダフル・ライフ DOGLOVER AKIKOさんの映画レビュー(感想・評価)
人の一番の理解者は犬
ストーリーは
アメリカ東部の小さな街。1960年代
この映画のナレーターは、ベイリー。ゴールデンレトリバーの子犬で、彼の独り言がナレーションになって物語が展開する。「吾輩は猫である」の犬版だ。
野犬狩りから逃れてきた子犬のベイリーは、ごみ収集車の男に捕えられ、暑い夏の車の中に放置されて脱水で死にかけていた。そこを通りかかった少年に救命される。少年イーサンは、一人っ子。夫婦仲のあまり良くない両親に間で、イーサンとベイリーは喜怒哀楽を共にしながら、一緒に成長する。やがて父親は母親に暴力を奮うようになり、家を出て行き、イーサンにはガールフレンドができる。彼はアメリカンフットボールで花形選手となり、あこがれのミシガン州立大学に奨学金つき特待生として進学できることになった。ガールフレンドのハンナも奨学金を得て、一緒に進学できる。沢山の街の人に祝福されて幸せいっぱいの夜、それを羨んだ同級生に、花火を家に放り込まれて、家が全焼してしまった。ベイリーの大活躍によって家族の命は助かるが、イーサンは、崩れ落ちてきた屋根で足に大怪我を負う。イーサンは、家も、スポーツ特待生の資格も、大学進学の夢も、ガールフレンドも失った。
イーサンと母親は、祖父母の住む田舎の農場に身を寄せた。そしてイーサンは足の傷が癒えると地元の農業学校に行くことになった。肩を落として寄宿舎に向かうイーサンを、ベイリーはどこまでも追っていき、見送った。イーサンの居ない静かな農場でベイリーは年をとり亡くなる。
ベイリーの好奇心旺盛で、主人の為に役立ちたいという気持ちが強いため、ベイリーはその後4回も生まれ変わって、この世に帰って来る。
次のベイリーは、ジャーマンセパードとして生まれて来て、プエルトリコの警察官を主人に、k-ナインとして活躍する。何度も表彰されて活躍するが、誘拐犯にあっけなく撃ち殺される。
次の生まれ変わりは、コーギー犬で、飼い主は陽気なアフリカンアメリカンの女子大学生。一緒にピザとアイスクリームを分け合い、彼女が結婚したあとは、たくさんの子供達と愉快で賑やかな生活を楽しみ命を全うする。
最後はセントバーナード犬のミックス。貧しい夫婦に引き取られ、ずっと子犬時代は鎖につながれて運動もできない惨めな生活だったが、棄てられて放浪するうちに、ある日懐かしい匂いをかぐ。そう、それはイーサンが身を寄せていたおじいさんの農場だった。イーサンが居る。ベイリーは、年を取ったイーサンの胸にむかって飛んでいった。イーサンは、肩を落として放火で何もかも失ったときのままだ。わびしい一人暮らし。いつまでも鬱病じゃないだろう。ベイリーには、しなければならないことがある。農場に来る途中、公園でイーサンの恋人だったハンナの匂いをかいだのだ。迷わずベイリーはハンナを探し出して近付いて行く。すっかり年を取ったハンナは、ベイリーの名札を見て驚く。ハンナは半信半疑でベイリーを連れてイーサンの住む農場を訪ねて行く。 二人は数十年ぶりに再会する。嫌いで別れたわけではない。二人は再会して未だに、互いに魅かれ合っていることに気がつく。ベイリーの引き合わせによって、二人は結婚する。
やっと戻るべきところに、すべてが戻ってほっとするベイリー。イーサンは姿かたちも違う、この犬がベイリーの生まれ変わりだったのだということに気付くのだった。
という心温まるお話。
人と犬との結びつきが、よく表現されていて誰もが自分の犬を思い出して、ホロリとする様な映画。だからかもう4か月も劇場公開が続いている。見ようと思っていて見逃して諦めていたが、まだやっていて子供連れの家族やカップルで劇場がいっぱいだったので驚いた。
犬が動物の中で特別なのは、人の喜びを犬が自分の喜びとして捉え共感できる唯一の動物だからだ。嬉しい時、犬も一緒に飛び跳ねてくれて、悲しいときは一緒に嘆いてくれる。これは科学で証明されている。飼い主と犬が、同じ画面を見ながら脳波や断層撮影で脳の動きを調べてみると飼い主が嬉しくて活発な反応を示す脳の場所と同じ脳の反応を犬も見せる。犬はいつも飼い主の気持ちを知りたいと望み、飼い主の一番の理解者でありたいと思っているのだ。
癌末期の痛みの緩和にも犬の存在が効果をみせる。モルヒネで鎮痛効果の見られなくなった患者が犬が横にいてくれるだけで痛みが緩和された報告が沢山出ていて、実験的にホスピスなどで使われている。
痛みは科学的に計測することができない。どこか痛くて医者に行くと我慢できない痛みを10とすると、いまの痛みはいくつくらいですか、とよく聞かれるだろう。たいがいの患者は5か、6くらい、と答える。このような曖昧な痛みは、多分に心理的な影響によるもので、将来への不安や金銭的な心配がなくなり、検査で痛みの原因と解決方法がわかると、それだけで痛みが消失することが多い。一方、癌末期の痛みは、その進行によって鎮痛剤を増していくことになる。多くの場合モルヒネを連用して人は眠りながら死ぬ。しかし愛犬の鎮痛効果が効けば眠ってしまわずに最後まで自分を失わずに死ねる。犬は主人が辛い時共に痛みに共感を示すことができる。言葉をもたない犬だからこそ人に痛みを理論や科学や社会状況や財政状況や様々な問題を越えて、自分のものとして感じてくれる犬の存在が痛みの緩和に効果を示す。
また犬は人間生活の中で、時として家族の家長的役割を果たそうとして、外敵から家族を守ろうとする。自分より弱いものを守ろうとして、人助けを喜んでする犬の姿は神々しい。時として家長になり、時として育児係りを務めてくれる。手加減を知らない幼児が犬を掴んだり、体の上に乗ったり、踏みつけたりしても、それが主人の子供だったら驚くほどの辛抱強さで我慢して子供たちの世話係りとしての務めを果たしてくれる。
本当のことを言えば、犬を持って良い事ばかりじゃない。子犬のときのやんちゃぶりは手加減なしだ。家具はズタズタ ボロボロになるし、他人に迷惑をかけて謝罪してばかりいなければならない。映画に出てくるほど 良い事ばかりじゃない。それでも人は犬を、犬は人を必要とする。それは「人を散歩させてやってるときの犬」の満足そうな、鷹揚で理解のある顔をみれば、よくわかることだ。