グレイテスト・ショーマンのレビュー・感想・評価
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万人受けする映画
一流プロモーターの前身はただのショップ店員だった!? 彼が見せる最高のショーとは
町の小さな店の跡取り息子として貧しい暮らしをしていたバーナムは、妻のチャリティにプロポーズしたときに交わした『経済的に豊かな生活をさせる』という約束を果たすべく、様々な仕事を始めては失敗を繰り返していました。 そして誰も見たことのないショーを開くことを思いつき、町中の変わり者を集めます。 『人と違った特徴さえあれば経歴は一切問わない』という募集条件を聞きつけて続々と集まった人々を家族のように迎え入れ、ショーを作り上げていくバーナム。 しかし、そんな彼を快く思わない者たちもたくさんいて…。 何かを始めようとすると必ず風当りが強くなる。 そこを乗り越えられるかどうかが成功者とそうでない人を分けるのだと感じた映画でした。
Never Enoughを歌うジェニーに鳥肌
何年か間をあけて久し振りに観たくなる映画。
私は曲で言うとNever EnoughとRewrite The Starsが好きです。
私はいきなり心情を歌い出すミュージカル映画が苦手だったのですが、此方はとても良かったです。
(ディズニーは好きです)
Never Enoughのシーンは鳥肌が立ちました。本当にお美しい。
登場人物それぞれにストーリーがあって、
歌姫であるジェニーがバーナムに惹かれて輝きを増していく様子は正に恋する女性。
大人になってからの方がジェニーの気持ちに寄り添うことが出来ました。
勿論惹かれてはいけない相手ですが、バーナムに"本物"と表現されてからの彼女の何度も振り返り見つめる初対面での場面は凄く良かったです。
私も出し物の一部なのね…
が切ないです。
人種差別や主観で美醜を決めつける人間がまだまだ存在する世の中ですが、自分に誇りを持ってそんな偏見の塊の人間に対して屈せず闘い堂々と自分を魅せる人々は素敵です。
This is me
の"戦う為に姿を変えた!"はかっこよくて泣けます。
We are warriors
Yeah, that's what we've become
楽しませることに徹したのが勝因。
よさがわからずじまい。
何でこんなに面白くないのか映画鑑賞しながら考えてしまった映画です。笑
初っ端から、なんでこんな適当に作ってるのかな?後半に沢山詰め込みたいことあるからか?後半から盛り上がるそういうパターンもあるし、まぁまぁ、気にせず観よう!と、観ていたものの、
いっこうに面白くならず、、え??、、こんなことってあるの?
あんなに評判いい映画だったのに、まさかの話題作りだけ? レビュー評価もよかったのに?
すごく期待していたのに、
感性と合わなかったようで、とても残念でした。楽しみにとっておいたのに。。
唯一の盛り上がりシーンは、主題歌を
演者たちが歌い出すところだけでした。
そのせっかくの前後の繋げ方、感情の盛り上がり方をもう少し濃くして欲しかったです。
心理描写、動機づけが足りていない気がします。誰もが観て面白い映画を作る人ってすごいんだなと思いました。
追記
私の評価をみて、映画わかってない人ですね的なコメント書かれている方がいらっしゃいますが、、(笑)こちらの作品を満点評価されている方ですね。きっと、大好きな作品だったのでしょうが、ほんと、その方には申し訳ないですが、、
映画をわかっていないですか。。それこそナンセンスなコメントだと思ってしまうんですよね。見る人によっては素晴らしかったり、見る人によってはいまいちだったりするのは当然のことだからです。あらゆる芸術にあてはまることですが、人それぞれの、その時々の感性がありますので。本音レビューをする場所で自分の素直に出た気持ちをおさえて周りと合わせてまぁまぁよかったです(笑)というつもりはありません。
いわんとしたいことがわかっていても、やはり、表現の仕方でぼんやりしたように感じてしまったのですから仕方のないことだと思います。
毎週のように映画鑑賞をしている映画好きの友人たちで集まってみましたが、一同そろって残念ムード。。私達の感性には合わなかっただけ。というだけの話です。
ザ・エンターテインメント!
歌ダンスが良ければそれでよし
大好きなミュージカル作品です。映画館でも自宅でも何度も観てます。
生の舞台ではなく映像となるとカメラ演出の影響力が大きいと思うのですが、そこの出来がとてもしっかりしている&センスが王道向けに垢抜けていて、画面越しでも臨場感があります。
また、最初は舞台設定に対して曲があまりに現代的で違和感がありましたが、曲を好きになってしまったらそんなことは関係なくなりました。
この曲しかないと思えるまでリピートさせ、引き込む力がこの作品にはあります。
歌が得意な俳優ばかりではないですが、ザック・エフロンは流石です。
彼の歌声が流れるとバチッとはまり、作品のクオリティが一段と上がる感じがします。
ゼンデイヤとのカップルで歌う場面が一番好きです。
ゼンデイヤは奇抜なピンクカツラを被りますが、なぜかそれが最高に似合っていて可愛いんです。変な髪型のはずなのに被ってる時方が可愛い…スタイルも二次元的で、舞台衣装だとリアルセーラームーンのよう。あのスタイルで自らアクションして歌って踊れて、それだけで目に楽しいです。
また他にもヒゲの女性、小人症の男性、台詞すらないアルビノの双子など脇役キャラたちもそれぞれ個性的に輝いていて、ちゃんと歌ダンスにも参加してくれるので飽きません。
歌ダンスには星5をつけたいのですが、全体を通した一本の映画と考えて星4にしました。
主人公P.T.バーナムの家庭内いざこざ等は取ってつけた感がある割に長尺ですし中だるみかなと。
彼の人生がテーマですから話の起伏を考えると必要なのでしょうし、些末な問題ですけどね。
畸形、見世物、ポリコレ
変わった人たちをあつめてショーをやった──とは、現代のポリティカルコレクトネスをふまえた言い方であり、これをバーナムの時代に即して、ダイレクトに言えば、畸形をあつめて見世物をやった、のであって、トッドブラウニングのフリークス(1932)とグレイテストショーマンは表裏である。と思う。
いつからか、その境目にはっきりした記憶はないが、世の中のさまざまなものの呼称が、変わった。
スチュワーデスがキャビンアテンダントになった。
看護婦が看護しになった。
孤児院という言い方があったが、養護施設になった。
いま、おもいつくものが、あまりなくて適切な羅列ができないが、いつの間にか、昔の呼び名ができなくなったモノは、たくさんある──と思う。
老齢の父を病院につれて行くと、父は大声で「おおい、かんごふさん、ちょっと」などと、呼びかけたりすることがある。
わたしは、一応「かんごしだよ、か・ん・ご・し」と訂正を入れるが、高齢者のことばづかいを、ほんきで是正したい、と思っているわけではない。
イーストウッドの運び屋にこんなシーンがあった。
Earlがあるとき路上でパンクして立ち往生している車輌をみつける。
黒人の若いカップルだった。旦那はスマホを高くかかげて、タイヤ交換の方法をネットで調べよう──としていた。Earlは「negroのタイヤを交換するなんてね」と言うのだが、女性がちょっとだけ怪訝になって「いまニグロは使わないよ」とやんわり忠言する。
Earlには蔑称の意図はなかった。女性も差別されたと思わなかったから「おじいさん、その言葉はいまは使わないんだよ」と訂正したわけである。
わたしたちがポリティカルコレクトネスに与するのは、その古い呼称によって、個人もしくは団体が、怒ったり、悲しんだりする──と予測されるからだ。
たとえば、昭和初期の求人には、ふつうに容姿端麗・委細面談と書かれていた。
いまは、たとえ容姿端麗なひとしか採用しなくても、容姿端麗という言葉で、それを条件化することはできない。
ポリティカルコレクトネスはひとを平等に呼ぶようになったが、むかしと比べて、ひとは博愛になったわけではない。すこしズルくなったのである。
バーナムが「畸形をあつめて見世物をやった」と言ってしまえば、現代の放送コードを超えてしまう。
映画は、社会からつまはじきにされていた人たちを、現代的なダイバーシティの俎上へ乗せている。
よって、かなり脚色されているはずである。黒人が奴隷売買されている時代であり、バーナムは、もっと山っ気な興行師だったであろうし、差別を打開しようと企図していたわけでもないだろう。
とはいえエンターテインメントにするための単純化/モダン化であり、バーナムの来歴/人物にせまろうとしている話ではない。
これを美化と見てしまうのは醒めすぎであろうと思う。
興行のあいだに、演者との間に絆が生まれたのは、真実だったにちがいない。
映画は、たんに人と身体的な違いを持っていること──だけでなく、人が抱えているなんらかの負い目にたいして、広汎に作用する。
人がなんらかの抑圧/差別をこうむっているとき、それに拮抗したい気持ちと、わたしなんか死んでしまえばいいという気持ちが、葛藤しているもの──ではなかろうか。
その琴線へ触れる良心がグレイテストショーマンには、あった。
だけど、それはアメリカなリベラルだと思う。
日本の学校では、人と違うことをおそれるな──とは教えない。
その意味で、閉塞した日本での大ヒットは頷けた。
さいしょに感じたのは、いささかとうが立っていること。
ジャックマンもウィリアムズも壮年である。
中堅というより、かんぜんにベテランで、冒頭の少年少女が、青年期を飛ばして、いきなり壮年になる。
この装丁のミュージカルなら、20代がやっていい。
むしろふたりでよかったが、ちょっとした違和はあった。
人生の山と谷が、ジェットコースター的に展開する。
ものすごい省略をする映画だと思う。
そのことが退屈させない躍動を与えているが、スピードを落とさず、ドラマ部が空虚化しない人材を配置する必要があった。──ゆえのベテラン起用だと思った。
ところで、世のなかには、This is meこれが私です、とか、私はそれを気にしない、と言って出るだけでは、解決しない差別がある。
たとえば、ふとっているひとが、私は肥満を気にしないわ──と主張して、放胆にふるまってみたりする──なんてことが、業界ではよくある。
個人的には「なんだかなあ」と思ったりする。
わたしは肥満を中傷も差別もしないが、肥満にたいする中傷や差別にあらがってみることが、みずからの存在証明だと矜持するのは、些末すぎる。
芸能人でなければ、そんなことには、なんの価値もない。
おそらく、ほんとの差別とは、芸能人のSNSのコメントにならぶようなものではない。と思う。
15歳のDorothy CountsがHarry Harding High Schoolに登校する写真をご覧になったことがあるだろうか。「私はあなたのニグロではない」(2016)で、それを見た。一連の写真はこの世でもっともおそろしいイメージだ。
憎悪と罵倒の群衆のなかで、かのじょは文字通りの孤立無援、文字通りの四面楚歌だった。
Dorothy Countsは、これが私、私は気にしない──と言って、それを打開することはできなかった。
人と違うことはいい。
だけど芸能人がやるような自己肯定を、一般人がやると、たんに無秩序なだけになる、ことがある。
グレイテストショーマンを見て勇気づけられるのは素晴らしい。が、健常な現代人が、抑圧を感じるとき、なんらかの差別をこうむっているのか、自分が勝手だからなのか、慎重に振り返ってみても手遅れにはならない。
おとなになるとたいくつな冷静さがそなわってしまうが、これを受け取れないほどひねくれていはいない。大衆に寄り添う、高揚する、いい映画だった。
最高傑作。
成功と挫折と…
実在した興行師の半生を描いたミュージカル映画。
貧しい少年時代を送り最愛の人と出会い
ハングリー精神でアイデアと挑戦を重ねてショーを作り上げ成り上がっていく。
しかし家族の為に頑張ってきたはずの興行が
いつしか現状に満足出来ず更なる成功を目指していき、
結果的に家族や仲間を置いてきぼりにしてしまう。
失ってから何が大切なのか気付き、
見つめ直し再起していく。
といった内容。
105分という映画の時間としてはそこまで長くないけど
ボリューム満点で全く短く感じさせない。
内容も分かりやすい。
何しろ劇中の曲が全て良くて見応えがある。
特に劇中とエンドロールで流れるThis Is Meは感動した。
とても満足のいく作品だった。
P.S. アンチとファンは紙一重
グレイテスト・ショーマン
全1274件中、141~160件目を表示
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