ドリームのレビュー・感想・評価
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原題は「知られざる人々」といった意味だそうで。正に、当時その活躍が表面化する事の無かった黒人女性達3人を描いた作品です。人種差別が激しかった時代、まさかここまで酷かったとは…と衝撃を受けるのですが、それ以上に過酷な差別にも関わらず努力と才能と信念と勇気とで、道を切り開いていく彼女達の行動に驚き、もの凄く元気を貰える。スーパーヒーロー並に超カッコイイ!!!って思います。彼女達の行動で、変わっていく白人達の行動にもまた胸を打たれます。差別が当たり前だと、それが間違っていることすら気付かないし、見えなくなるんですね。その事にもハッとさせられるし、部長がトイレのサインをハンマーで壊すシーンは、よくやったーーー!って思います。それ以外にも随所で、彼女達が一歩一歩、自分の周囲から、時代を変革させていくところに、やったーーーーー!ってなります。差別の実態を観て嫌〜な気持ちになるよりも、それを打ち負かして相手の行動を変えさせる、何なら国家をも動かすパワーに、観ていてとても気持ちの良い映画です。
それに音楽もハッピーでダンサブル!まさか今作の為に書き下ろしたとは思えない、時代感を反映したお洒落なナンバーにアガるアガる!!ファレル凄いなぁ…。
これは万人にお勧めできる素晴らしい作品です。観て良かったなぁって思いました。
We are already there, sir. できる人間は肌の色は関係なし!
恥ずかしながらアメリカで表立って黒人差別が行われていたのって、もっと昔の話かと思ってました。50年程前って意外と近い昔もあれだけ差別があった事に先ずビックリ。飲み物別とか、トイレ別とか。あの当時だと日本人を含む黄色人種は「colored(有色)」の方を使ってたんでしょうね、きっと。勿論今も差別は残ってますし、個人的にも白人から差別された経験があるので白人は特に差別好きな人種なイメージがあります。実際は当時のNASAは既にトイレの区分けは無くなってて今回は映画の脚色だったとしても、巷にはああいう差別がまだ溢れていたんでしょうし、たった50年でも随分とマシになったんだなぁと思いました。
映画はスペースシャトル打ち上げの裏方で頑張っていた人々のお話。裏方の話って個人的に好きなんですよね。やっぱ裏方といえど天下のNASAは天才の集まりです!今は当たり前のようにパソコンがやる計算を人がやってたって驚異的。肌の色は関係なく仕事できる人材は貴重なんです!自分の才能で周りを黙らせる主人公キャサリンは観てて楽しかったです。
そんなキャサリンの活躍も才能に理解のある上司のハリソンがいたからこそ。ケビン・コスナーは年取って良い上司なポジションで出る事が増えた気がします。確かに見た目仕事できそう!黒人トイレの標識壊すのは名シーンです。無印「スパイダーマン」でヒロインを演じてたキルステン・ダンストが嫌味な上司で出ててビックリ。もともとオバサン顔(ファンの方失礼!)だったので顔に年齢が追い付いた印象です。Netflixのドラマ「ルーク・ケイジ」で狂った悪役コットンマウスを演ってたマハーシャラ・アリが良い感じの彼氏で出てましたね。プロポーズのシーンは何故か一番泣けました。
陳腐な言い方になりますが、周りの圧力に負けず主人公が活躍する「映画っぽい映画」でした。映画館行くのが上映時間ギリギリになって行くの止めようかと思いましたが、無理して行って観て良かった!
800メートル先の【異国】
以前からずっと観たかった映画。
なのに近くで上映してない。
高評価のレビューも相まって
期待しまくりで観に行った結果。
私史上、もっとも「ライト」な
人種差別をテーマにした映画だった。
想像絶する当時の人種差別に
明るく、軽く、あくまで
ライト【light】に
立ち向かう主人公3人。
その先で彼女達が手に入れたのは
NASAの誰もが認めた
ライト【right】スタッフの称号。
物語序盤。
毎日800メートル先の
有色人種専用のトイレへ
ダッシュするキャサリン。
それが物語後半。
ケピンコスナー本部長の
「キャサリンを探せ!」の号令で
800メートル先の「異国」まで
ダッシュで探しに来る白人男性。
最後は
自らが先頭に立ち
まるで導くかのように白人を従え
本部長のもとへ再びダッシュする
キャサリン。
孤独だった黒人のダッシュが
いつしか白人のダッシュを呼び
最後は黒人と白人のダッシュに変わる。
どんな御涙頂戴のシーンよりも
素晴らしいシーンだった。
加えて、これ以上ないくらい
この映画を象徴しているシーンだった。
夢があるから。
概ね高評価だった今作を観ると確かに胸のすく思いがした。
女性ならこんな風に困難や差別を跳ね除けてみたいものだ。
愚痴や嘆きよりはるかに清々しい。でもそれは何より彼女
たちに類まれなる才能があったから。史実とはかなり違う
描写や設定もあるようだが、今作で取り上げた試練や家族
愛には彼女らの功績を後押しする力があった。だから評価
されるのだろうと納得がいく。電子計算が当たり前の時代
からみると、あんな風に手計算を繰り返し宇宙飛行を成功
させていたことに驚愕する。ソ連との開発競争の中で凄い
ことが成し遂げられていたのだなぁという真実、一般人と
変わらぬ家事や生活をしながらの仕事ぶり(ママさんぶり)
を見て、ホラ女って凄くない?なんて言ってみたくもなる。
しかし支える側の男たちとて有能ぶりでは負けてはいない。
女だって良い上司や夫に支えられて仕事ができているのだ。
嫌味や虐めを繰り返す上司や同僚は男も女も同列、そんな
環境の中でも自分の希望を貫き成功させる術があることを
何度でも教えてくれるのが素敵。夢があるから前進できる。
(適材適所の配役。ケビン・コスナーは当たり役多いなぁ)
前向きにさせてくれる作品
人種差別が色濃い時代、生きるために時代に迎合しながらも、自分自身の志は決して失わず、誇り高く生きた女性たちのサクセスストーリー。
主人公はごく一握りの所謂天才だが、大枠のテーマは人種差別という非常にわかり易いもの故、誰もが楽しめる内容である。
報われないと思っている毎日に果たして意味はあるのか、成果を出すために、上司とはどうあるべきか、人は他人に対して、どうあるべきか。
誰もが日々感じるような疑問に改めて向き合う機会をくれる、そんな映画だった。
黒人女性の、偏見や差別をぶち破るパワーあふれる良作
他の映画を見ていた時の予告で見たかった「ドリーム」を鑑賞しました。
見たかったのは、映画の雰囲気が前向きで「自分の前に立ちはだかる壁をぶちこわす系」とふんだから。
あえて平日の高いたっかい鑑賞料の時に行ってみた。
【客層人数】男女比5対5。女性が主人公だが、NASAが舞台であるため男性も見やすいのだろう。
埋まり具合は二割くらい。
さて、ネタバレありの感想を書いていきたい。
【メインの主人公キャサリンめちゃ頭いい】
幼少期から頭が良かったのに、黒人ということで簡単には進学もできない状況。
そこから、本当に自分の実力でのし上がるキャサリン格好いい!
二人のお嬢さんも、母親思いで優しさがあり、関係性にも感動する。
【NASAの非白人への仕打ちひでぇ】
トイレは「白人」用と「非白人」用に別れている。黒人はもちろん、ヒスパニックもアジアンも全員非白人!
それどころか、職場自体もメインの白人が働いているところから800m離れたところに非白人の部署がある。
そこに伝言をしにくるえらい人の秘書もめちゃ嫌々である。
キャサリンは、その遠いところから白人の部署に移るのだが、そこには非白人用のトイレしかない。
だから、トイレに行きたくなったらダッシュで800mむこうの元部署まで戻る。そして、またダッシュで戻ってくるのだ。
珈琲サーバーから珈琲を注いで飲んでいたら、後日勝手に「非白人用珈琲」という小さなポットが置かれ、しかもその中身は空である。
「黒人だから差別されてあたりまえ」「黒人だから我慢しないといけない」そう思って生きてきたキャサリンはそれらの仕打ちにも耐えるが
仕事内容がいよいよせっぱ詰まってきた時、いつものように雨の中を走ってトイレに行き戻ってくると、とうとう上司から「いつも抜け出してどこに行っているのか」と詰められる。
そこでキャサリンの怒りと悲しみが爆発する。
「知っていましたか、非白人のトイレは800m先にしかない!」
「黒人だからと服装も指定され、アクセサリーはパールのみと言われたけれど、そんなの黒人の給料で買えるわけがない!」
「誰も私にコーヒーを入れようともしてくれない!」
「そんな中で仕事をしているんです……だから、許してください。800m先の非白人用トイレを使用しに戻る事くらいは」
理不尽な差別に生まれた時から苦しんできた感情が、彼女の表情から伝わってくるシーンだった。
【その後の上司(ボス)のハリソンさん】
くそ厳しいと有名なハリソンさん。
しかしキャサリンの訴えを聞き、キャサリンが出て行ってしまった後にコーヒーサーバーに眼をやると、そこには小さなポットに「非白人用」と書かれている。
特にそれを誰がやったかなど責めることもなく「知っていたか、彼女の話」みたいなのを誰にともなく言う。
このシーンすげぇ格好良すぎてたまんねぇっす。
感情をみだりに爆発させるのではなく(すでにキャサリン大爆発してるからここでハリソンさんが切れても濃すぎるし)
静かに、そして自分をも責めるように小さく言っているのがすごい空気だ。
自分が白人であそこにいたらビビって漏らしとる自信がある。
翌日、キャサリンが出勤すると部署のところのトイレ前で轟音が。
なんぞやと覗くと、なんとハリソンさんがでかいハンマーのようなものでトイレの「非白人用」の看板をぶちこわしている!!
鉄製で、がっちり付いた看板が、ハリソンさんの振りかぶるハンマーのようなものでゆがんでいく!
ハリソンさんはなにげにガチムチなガタイをさらしながら、その太い腕でハンマーのようなものを振りかぶる!
通路に飛び出た看板がガラガラと音を立てて落ちると、ハリソンさんはハンマーのようなものをガランと放置して
「これでもう、誰のトイレでもない。誰が使ったっていい」と言い残して看板をずるずると引きずって去っていく。
その背中の格好よさたるやすげぇわ!!
ハリソンさんは終始イケシブ親父ですばらしかった。
【人種差別、NASAの仕事、恋愛、盛り込みすぎてブレとるような……】
当時本当にそうだったのだとは思うが、映画の濃さが
「人種差別6 NASAのお仕事2 恋愛1 女性差別1」という感じで
NASAの凄さや仕事の凄さというのがやや印象が薄く感じられたなぁ……。
それもこれも、人種差別に関することが実際に多かった、あとはそれを見ていた自分への衝撃も強かったからだと思うのだが。
【黒人のデモに対する黒人の思い】
主人公の一人メアリーには息子がいるが、一緒に出かけていた時にデモに遭遇する。
看板を掲げて荒々しく声を上げる男たちを見ながら、彼女は息子を隠すようにして「見ちゃダメよ」と言う。
同じ人種だとしても、考えることも違えば表現方法も違うんだよなぁ、と改めて思わされた。
それって結局イスラムへの偏見とかそういうのと一緒だよなぁ、とも。
<総評>
黒人である、女である、そのことのハードルの高さを諦めない気持ちで乗り越えた女性のパワー溢れる強い物語だ。
……と思って、史実を調べてたら、なんと彼女達がいたころのNASAはすでに「白人」「非白人」といった施設はなくなっていたとのこと!!!!!!!!
な く な っ て い た と の こ と !!!!!!!
これ大事ですわ、おおごと。話の根幹から覆るじゃろ。
そういった施設が無かったにも関わらず、差別や偏見はあったと思うのであの描写すべてが嘘だとは思わないが
「組織としてそういう体制だった=そこで働く人の感覚も組織に基づいている」とまずミスリードさせるじゃないですか。
その認識で見るものと、その認識が無いものでは相当違うと思うんですよね。
メインがその「仕事」であることを考えると、やっぱりかなりの根底がひっくり返されとる!
うーん、なんかこう……それを知ってしまうと納得できんというか……
いい話だったことには違いない。
いろいろ映画を見ていて思ったが、自分は基本的にノンフィクションが原作(史実)としてある作品が好きらしい。
それは自分が好きな映画のトップに挙げられる「最強のふたり」もそうだ。
黒人の使用人として雇われた主人公が、当時の黒人に対する偏見や「ただの召使い扱い」を受け入れながらも
心の奥ではあらがい、純粋な心でもって打開しようとするパワーと人を思う優しさに溢れている。
史実にしか語れない説得力というのがある。
打破
彼女たちの献身と不屈の闘志に頭が下がる。
境遇を嘆かず前進する話しだった。
アメリカによるNASAの有人飛行を達成するまでの話しが軸にある。
ロシアの成功に後陣を拝する形で計画は進められていくのだが、文字通り前人未到の計画で、人間の叡智の限界を更新するような計画なのだが、その背景には白人社会があり、未だ差別がまかり通ってる状況がある。
アメリカの威信がかかってる訳なのだが、そのチームから黒人の名前は除外される。
彼女以外、誰も出来ない仕事をしてもだ。
だが、彼女たちは存在を主張する。
自分たちの限界を決めはしなかった。
前例がない事に異をとなえ、「第一人者」である事の重責を背負い誇りを手に入れた。
自由の国アメリカは、この時点では黒人にとっては自由ではなかった。
この作品の随所にその不遇さが挿入される。
閉じられたドア。
辞令。
名前の載らない報告書。
アメリカの過ちを隠す事なく表現してるシーンもあり、好感がもてる。
IBMの導入が現代のAIにも置き換えられそうで、皮肉を感じたりもするが、彼女たちのようにそれでも人の可能性を信じたい。
作品のエンドロールに彼女たちの功績が2016年に国から認められ賞を授かったと紹介されてた。その事自体は凄い事なんだが、それを認めるまでの歳月に、未だ横行する白人社会の軋轢を想像したりもする。
「DREAM」という邦題は綺麗過ぎる印象だった。そんな幻に向かうような内容ではなかったし、そんなモノが語られる事もなかった。原題は「隠れた人物」と訳されるそうな。なるほど、激しく的を得てる。
邦題が……
肌の色など気にした事がない日本人である自分は、やっぱり人種差別のシーンは本当に憤りを感じるし、胸糞が悪い。
そんな時代に更に女性であるという自分では変えようのない事で、心ない言葉を吐かれ差別される。
実際にはもっと大変な事が沢山あったであろう事を想像するだけで、胸が痛くなります。
そんな中、自分の出来る事をやり、やりたい事はやりたいと声を上げる勇気があった彼女たちは本当にかっこよかったです。
自分にも、もっと出来る事があるはずだと勇気をもらいました。
にしても、この映画に限らず邦題っていうのは、なんでこんなにセンスがないのか……
なんでわざわざ邦題をつけるのか。
この映画に関しても、夢っちゃ夢ですけど、ドリームってカタカナにしちゃうと安っぽい。
感じ方は人それぞれかと思いますが、個人的にはなんだかなーと感じました。
隠れていた重要な数を表舞台に立てずにいた女性たちが見つけた、という素晴らしい原題
近年でこれほどに知的であるという面で力強く、なおかつ華麗でありリーダーシップにも優れているという女性たちを描いた作品があっただろうか。人種と性別によって不当に虐げられた彼女たちが能力を示していくことで多くの困難を乗り越えていく物語の意義をひとえに評価したい。
当地でこうした作品をローティーンの女の子たちがどのように受け止めたのかは、数年後の大学入試で明らかになるのかもしないが、多くの女の子とその親たちに教育の重要性を伝えることになったことは間違いない。
いくつかの点において映画的に予定調和であったとしてもそれが当事者たちの苦悩と努力を損なうことは無い。今作を観るにあたって事前に『ライト・スタッフ』を、鑑賞後に『遠い空の向こうに』を改めて観たが、それら名作においてもまったく語られることのなかった多くの“ブライテスト”の存在と数学的な才能の魅力をこのように見せてくれたことに感謝。
彼女たちが勝ち取ったものは全くの平等や中立的な関係性でないこともまた示されているが、それが同じ人種、同じ性別によっても不寛容であるとも描写されていて丁寧な作りだなと思う。キャサリンが数百メートル離れた有色人種用のトイレに走って往復するという繰り返されるシークエンスも【タラジ】の演技によってややコミカルにもなっているが、それが単一の理由でないことが彼女の見せ場ではっきりするあたりも上手い。彼女たちが感じていた不公平さをまさに身体で表現していた。
こうした作品は繰り返し、新しい世代に向けて作られなければならない。そう思うわせる快作だ。
黒人じゃなくても全女性に響く戦いの物語。
黒人で女。1960年代のアメリカにおいては決して生きやすくなかったであろう人々が、自らを認めさせた物語です。
人種差別と性差別の2重ハンデを、自らの才と言動で克服した英雄譚ですから、とってもスカッとします。
明るく軽やかに事をなしえたように描かれているため、エンターテインメントとしても優秀という点で、より受けがよいという寸法ですね。
本国アメリカではラ・ラ・ランドよりもヒットしたとか、ファレル・ウィリアムズによる60年代調のオリジナルスコアがいいとか、キャサリンはまだご存命であるとか、聞けば聞くほど気になる要素が目白押しです。
主役のキャサリンを演じた役者さんは知らない人でしたが、ドロシーを演じたオクタヴィア・スペンサーは、『help』でむかつく雇い主に作ったパイにう○こを入れて逆襲したメイド役がかっこよかった彼女でしたし、メアリーを演じた方はムーンライトに出てた、シャロンが懐いた麻薬ディーラー(この人はキャサリンの夫になった軍人役で出てた)の奥さん役の人で、知ってる顔だったので入りやすかったです。
メアリーとキャサリンは常に濃く口紅を引いていて、よく似合っていました。衣装も華やかで、常にハイヒールな彼女たちにうっとりもしましたが、あんなヒールで800m先のトイレにまでかけこまないかんというのは、面白いシーンではありましたが、なんつうヒドイ扱いかと憤慨しました。
キャサリンの上司の本部長役が、どっかでみたなー誰やっけ?と思っていたら、なんとケビン・コスナー。久しぶりすぎて全然分りませんでした。すごく久しぶりにみたなぁと思いました。
また、東コンピューター部の白人管理職をやっていたキルステン・ダンストもよかったです。
宇宙飛行士との交信が一時途絶えて、計画失敗か?という辺りの引っ張りは、ちょっとうっとうしいと思いました。
もうキャサリンが万事解決でええやんけと思いましたが、ま、皆さんに楽しんでもらおうとおもったら、仕方がないのかなーと。
あと、本部長がかっこよく書かれすぎと思いました。
それと、字幕が前後の文脈と、俳優のリアクションとちょっとニュアンス違うくない?って思ったシーンが幾つかありました。
英語聞き取れてないので、あれですが、家で予告を見て、やはり予告と字幕がちがうね、予告の字幕のほうがしっくりくるねって思いました。
まあ、そんな引っかかりは瑣末なことです。
キャサリン、ドロシー、メアリーの3人が、差別を潜り抜け自分を認めさせる過程が肝です。
ドロシーは黒人が集められた西コンピューターセンターの実質管理職だけど、会社の扱いは管理職ではありません。昇格させて欲しいと直訴しますが、取り合ってもらえません。
メアリーは新しく配属になった部署で、エンジニアを目指せよとユダヤ人の上司に励まされてエンジニアを希望しますが、白人向け高校での受講がないとの理由で却下されます。
キャサリンはめちゃくちゃ優秀な数学者なのですが、コンピューターとして配属された新しい部署で、人種差別と女性差別にさらされて四面楚歌状態です。
そんな状況を、彼女らは正攻法で克服します。
ドロシーはIBMにコンピューターたちの仕事が奪われる未来を踏まえて、独学でコンピューターマシンの勉強をして、ついにはIBM担当の管理職になります。
メアリーは訴訟を起こし、判事を名演説で説き伏せて白人向け高校の受講を勝ち得えます。そして夫をも改心させます。
キャサリンは勢いからですが、トイレが近くにないし、コーヒーポットは空のまま区別されるし、服装規定も差別的でむかつくってことを本部長と部員の前で咆哮します。
それと並行して仕事では成果をあげ、女は入れないという会議に入れてもらえるよう声を上げ、中に入っては大活躍し、その能力の高さを無視できないように発揮し続けることで、やりたいことをできるようになっていきます。
意地悪に意地悪で返すようなことはしません。正攻法で、尊厳をもって、自分が正しいと思うことをやり続けます。その姿の神々しさ、美しさ。
また、軽やかに描かれてはいるけれども、実際にはもっとひどい扱いをうけ、もっともっと傷ついて苦しんで、戦っていたのではないかと想像しました。
結構泣いてる方がいましたが、私は泣きませんでした。泣きそうになったシーン(ミッチェルがドロシーではなくミセスヴォーンと呼んだシーン)がありましたが、我慢しました。
それは面白くなかった、感動しなかった、という事ではありません。
映画を観て感動して泣く、というのは、いい気分になった、気持ちよくなったということも含むので、この映画での戦いを気持ちよさのツールとして消費したくないと思ったからです。
女を低能だとみくびる男の言動、人種分離政策を当たり前だ・自然なことだとする白人の言動に、一箇所一箇所強く怒りを覚えながら観ました。
キャサリンは結構すぐに軍人(むかつきすぎて名前覚えてない)を許していましたが、初対面で思いっきり女を馬鹿にした事を私は許しません。
キャサリンより明らかに無能なのに、黒人で女だからものすごーーーーーく見くびって意地悪をするポールを私は許しません。
女が男の仕事であるエンジニアを目指すとかやめとけってゆうメアリーの夫(最後には応援してますが)を、私は許しません。
ドロシーを昇格させず、常に高圧的にふるまうミッチェル(最後には昇格させましたが)を、私は許しません。
2010年代でも依然として残る人種差別・性差別に対抗するために、沸いた怒りを感動で薄めたくないと思うからです。
もちろんどう受け止めるかは個人の自由なので、単純に気持ちよくなることもアリです。おそらくこの映画は単純に気持ちよくもなれるように、マイルドにハッピーにつくっているので。
でも、フェミニズムよりぎすぎすしてなくてよい、明るく朗らかだからフェミニズムより優れているっていう評価のされ方がむかつくので、噛み付いてしまいました。
この映画に感動したならば、あなたもフェミニストのはしくれなんですよ。そこんとこわかってる?って思います。
自分の道を進む
この映画を語る上で、黒人や女性に対しての強いたげられてきた差別の部分に目がいってしまうだろうが、この映画はそれだけでなく、いかにして自分の探求心を仕事で発揮して能力を開花していくのかが描かれていた。
主人公のキャサリンは計算能力が高く、気になり出したら計算せずにはいられない気質で、それを上司のハリソンにみいられ、重要な会議にも出席を許可される。
その会議の場でパイロットにも実力を認められ、ロケットの打ち上げの前の計算の確認にもキャサリンが指名される。
ウキペディア情報では彼女たちが働いていた時期には、トイレを差別するような極端な差別は無かったようだが、最後のロケットの打ち上げ直前の計算の確認にパイロット自ら、キャサリンを指名したのか、実際のところがすごく気になった。
集団の中で自分の力を出すのは難しいものだけど、でも自分を圧し殺すのではなく自分の進みたい道を進む姿勢はなくしたくないと感じさせる映画だった。
邦題にダマされずに、黙って観てください❣️
邦題に最初「私たちのアポロ計画」と入っていたものの、内容はマーキュリー計画のことじゃないかということで問題となり、結局「ドリーム」に落ち着いたんですが、これは作品には全く罪はなく、単に配給会社(20世紀FOXジャパン)にヤル気と知恵が無かったからです。
縁あって映画館じゃないトコロ(国際線フライト)で二度観たんですが、本当に良作!
感動場面は無数にあるんですが、特に感動したのは、NASAエンジニアに合格するために白人しか受講が認められていない州立大学講座を受講すべく主人公が裁判所に訴え、その合否審査が行われる場面。 主人公が白人判事の前で「私自身が前例となれば、その前例を切り開いた判事ともども、百年先まで語り継がれる。 今日の判例の中で そのように世紀をまたいでまで語り継がれるモノは他にありますか?」と訴えるシーン。.... 歴史の1ページが確実に塗り替えられた瞬間.... アフリカ系米国民のみならず多くの人々の深い感動を誘う場面と思います。
物語もモチロン素晴らしいし、モデルとなった3人の女性たちの近影などが最後に出て来るんですが、後にはその素晴らしい功績を讃えられて 正当に評価されたり懸賞されているのがまた素晴らしい。 やれ レイシストだの オルタナライトやの トランプやのと クダラない様相が目立つ傾向の最近の米国なんですが、他方でこういう真っ当な態度も示していて 救われる思いがします。
上述した通り、配給会社にはもう少し工夫と情熱を加えて最適な邦題を付けて欲しかったですね。 「ドリーム」なんて.... プロの仕事じゃないでしょ!
最後に一点追加。 挿入曲がいずれも素晴らしい。 音楽センスもまた秀逸ですね。 ロケット打ち上げ直前のほんの5ー6秒だったんですが、マイルスの So What が流れるのにも驚きです。
アパルトヘイト
教科書で南アフリカで当時現役だった COLORED / WHITE のベンチの写真を見せられたのが、1980年頃。
その二十年前には NASA にも同じ状態があったのは衝撃であった。
それは、NASA Langley が南軍側の Virginia にあったからだろうか。
北軍側の隣接州 West Virginia ではどうだったろうかと思う。ベンチやバスの席のような目に見えるものはなかったとしても、人々の意識の上で。
数年後に WV に住んだが、その時の実情を両親に訊く機会を逃した。話したくないような状況があったのかも知れない。
一方、NASA の「計算係」は白人黒人ともに女性しかいなかったように見えた。
NASA にとって供給が足りなかったから仕方なく黒人に門戸を開いたのではないかと想像した。
白人にも優秀な女性はいただろうに、その人々がここに来なかったのは、もっと厚遇される職業に門戸が開かれていたからか?
その職業は何だろう。待遇はよかったとして、その人々の才能を活かすものだったのだろうか?
計算係は、その必要性に比して地位が低かったのだろうから、白人の計算係が女性だけだったのはまだわかるとして、黒人の男性が採用される余地はなかったのか?
とてもよかった
数学を武器に、黒人差別と戦い、ロケットを飛ばす。本人が飛ばしたわけではないけど重要な部分を担っていた。差別との戦い、数学、ロケット、ソウルミュージックの組み合わせが素晴らしくて気持ちがいい。
ただ、数学の天才なだけに人生の参考にはならなかった。幸い差別にもあっていない。もし自分が何かの天才で理不尽な差別に苦しんでいたらすごく参考になって勇気付けられただろう。差別されてないけど天才でもない。
現実にはすごい人生を送っている、偉人がいるのだなという映画だった。
差別と英才教育
NASAもので忘れられないのはアポロ13。実話の映画化は嘘っぽくなりがちだがよいできだった。あの映画ようなドキドキハラハラは少ない。
でも嘘っぽさがでなくてよかった。
公民権運動以前に有色人種が英才教育を受けられたのが興味深い。理不尽な偏見と理想を追求するdynamismが入り混じった社会は絶望と歓喜を生み出すのだなあ。もう少し落差を緩やかにできないものか。
ケビン・コスナーは声がいい。
「正しさ」を押し売りしている映画
絶賛のレビューが多い中でこんな意見は恐縮なのですが、正直そこまでの傑作というようには感じませんでした。個人的には脚本が練り込み不足とも感じます。
この映画に好感を持つ人が多いのも分かります。なぜならこの映画が伝えようとしていることは、社会倫理的に「正しい」ことだからです。「正しい」主人公が「正しい」ことをして「正しい」結末を迎える、という映画なので、賛同を得やすい映画ではあります。
ただ、この映画、主人公の「正しさ」との対比として「正しくない人々」が登場しますが、この「正しくない人々」の描き方があまりにも表面的過ぎます。
同僚の白人男性を代表するキャラであるポールは、ただ単にキャサリンに間違いを訂正されるということに終始し、白人女性のミッチェルはあの時代に女性が働いているということで差別される側でもあったはずなのにそこの部分は全く描かれていません。彼らもNASAで働いているということは優秀な人物であり、主人公たちと目標が一緒なはずなのに、彼らが主人公たちと力を合わせるような場面が無いあたりに、映画の作り手側の大人気なさを感じます。
ケビン・コスナー演じるハリソンは忙しいキャラで紹介されてたけど、そんなに忙しいようには見えませんでした。トイレの看板を外すぐらいならわざわざお前がやらなくても業者に任せれば良いじゃん笑
そんなに忙しくなさそう、というのは映画全編がそうで、一応「お母さん、最近帰るの遅いね」的な台詞を子供たちは言いますが、その場面以外で忙しくて家庭生活の方が疎かになってるような描写がそんなに無かった気がします。逆に友達と揃ってパーティを開いてる場面は印象的でした。
プライベート描写のせいで映画全体が鈍重になってる気もします。プライベートの描写は出来るだけカットして100分ぐらいの小ぶりにまとまった作品だったら良かったです。
脚本に関して、映画のラストに宇宙船が無事に大気圏突入出来るのかどうかを盛り上がりポイントとして入れてますが、史実に基づいている映画って言っちゃってるために、「無事に生還できました〜」とか言われても、「うん、そうだろうね」という風にしか思えませんでした。こういう実話ベースの場合は、映画の冒頭に達成された歴史的偉業を持ってきて、そこに至るまでにどの様なドラマがあったのか、ということで観客の興味を引っ張っていく方が良いと思います。
今作は数字の計算における「絶対的な正しさ」と、差別・偏見に対する「社会倫理的正しさ」という2つの「正しさ」がどこか混合してしまっている感じがします。
物語の中に、観客に対して具体的にキャサリンがどの様な計算をしているのかを分かりやすく説明しているが一切無かったために、彼女がどんなに複雑そうな計算を解いても、カタルシス的な盛り上がりは薄かったです。作り手側がそんなに数学の部分に興味が無かったんじゃないかとも思えてしまいます。
記録文章に自分で自分の名前を挿入するあたり、「まあ、正しいことしたにしても、図々しいよね」って思いました。キャサリンからではなく、ハリソンまたはポールからの提案で名前を挿入するという流れならスマートだったと思います。
良かった点としては、差別描写がヘビーじゃ無かった部分です。全体として軽い雰囲気なので、誰でも楽しめる映画であるのは間違いないです。
音楽を含めて軽快な雰囲気は良かったけど、120分は長いかな…。
あとは、メアリーの裁判所での場面はグッと来ました。でもメアリーは本筋とは関係無かったな…。
全体的に現在におけるポリコレ的な「正しさ」を詰め込みすぎたせいでダラダラしてしまった印象です。
社会倫理的な「正しさ」にかまけて映画のネジを締める作業を忘れてしまった感のある映画でした。
「正しさ」を詰め込んだからって良い映画になるわけではないと思います。
全てがかみ合ってます!
ほとんど予備知識なしで、
評価が高いことに気づいて、
ふらりと観てきました。
三人の女優さんが、本当に素敵です。
久しぶりにケビン-コスナーさんも
いい味出してました。
中学生くらいからなら、
家族でも楽しめる映画です。
音楽が元気になれそうなので、
サントラ欲しくなりました。
脚本、出演者、音楽、映像などバランスが良い。
観た後に、ホッとする映画でした。
今のところ、今年最高の映画だと言えます。
残念なのは、
あまり宣伝してないので、
みんな知らないのではないか。
邦題は、他になかったのかなと思いました。
帰ってきて、アマゾンプライムで
ライトスタッフ観てます!
社会派と思いきやスポ根
まず全体の感想から
差別と闘う社会派な側面とキャラクター達の人間模様とアメリカの宇宙開発を、バランスよく描いた作品だと思いました。
次にお気に入りのシーンを
外せないのはやはりキャサリンが職場で不満をぶちまけるシーンでしょう!
あのシーンのセリフでキャサリンは「私のトイレが無い」と語りました。
つまり当時は、被差別者側も白人と有色人種のトイレが別という差別を当然のように受け入れているのです。
この描写は非常にリアルで大変胸に刺さります。
映画全体を通して、メインのキャラクター達はあまり差別と闘うというような直接的な行動は起こしません。ただ自分達のしたい事に向かって行動しているだけです。
この映画のなかで現代に近いような意識を持っていたのは、メアリーの旦那さんだけだったのでは?と思うほどでした。
軽快なロックに乗せて、あまりに醜い差別が映し出されます。
当時の人々の諦観に近いようなものが伝わってきて非常に切なくなる所もありました。
しかし自分の目標だけは譲れないという強い想いに、心を動かされました。
公民権運動といえば激しいデモなどを思い浮かべてしまいます。
しかし、そういうデモなどは行わない本当に普通の人達の地道な行動が、国を動かす原動力になったのだなと思いました。
心が震えるストーリー
映画館で映画が観たくて良さそうなので鑑賞。
観てよかったー!
黒人女性が能力を発揮してどんな境遇でもぐっと堪えて認められていくのはとても心地いい。音楽もいいな、と思っていたらファレルのクレジット。なるほど、好きなわけだ。
ケビンコスナー、キルステンダンストと大物がアクセントとなり、ジムパーソンズが出てるのがまた良かった。スクリームクイーンズのチャドもでてた。キルステンダンストが対等に話をした時、私まで嬉しかったな。
島国日本では日常ではないけど、意識してない差別というのはされてる側しかわからないものだと思う。
なんてちっぽけな悩みでいじけてるんだ、私は。贅沢。とも思った。がんばろっと。
映画らしい映画。ぐっとくるシーンがたくさんあります。
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