三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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ただの器で終わるラスト
全く予備知識なく観ました。
見落とさないように、じっくり観られたら
犯人、三度目とは?、などなどわかります。
あなたはただの器? で終わるラストだけが
うーん、わからない…となりましたが
一時間くらい考えてたらわかってきました。
イビキをかいて寝ている人がいて
迷惑でした。
ただ、寝てしまう人も出るタイプの作品かもしれません、苦笑。
面会で福山雅治と、役所広司を重ね合わせる映像が気に入りました。
その前に、左右横顔で向かい合う二人だったのに、でした。
すずちゃんも、良かったと思います。
キャスティング、良かったと思います。
タイトルの意味は
広瀬すずに法廷で「レイプされていた」と告白させることが「三度目の殺人」を意味するのではないか。レイプ自体もそうだし、その事実を社会に知られることが殺されるのと同等ぐらいの苦痛なのでは。
だとすると、ぎりぎりで三度目の殺人は防がれたということか?
それとも、劇中終盤で描かれる司法の問題点というか、「人殺しの言うことなんて誰も信じない」という大勢から、役所広司が死刑に処されることが「三度目の殺人」だと言いたいのだろうか?
理解への挑戦
難しいテーマをいろいろと投げかけてくるだけでなく、スッキリと終わらないため、観終わった後はモヤモヤしながらあれこれ考えさせられる、実にやっかいで最高な映画だったな、との感想です。観応えがありすぎて、なかなか消化しきれない。
印象に残るのは、他者に関心がなく見て見ぬふりをする人たちと、他者に気持ちが向き、理解しようとする人たちの対比でした。前者は前半の重盛、裁判官をはじめとする司法関係者、咲江の両親、重盛父といった人たちで、後者は後半の重盛、咲江、川島ら若手の司法関係者、そしておそらく三隅でしょう。
事件の真実は煙に巻いた是枝監督ですが、上記の対比についてははっきりと前者に対する怒りを表明しています。本作は法廷ドラマの姿を借りた人間ドラマで、無関心で理解にチャレンジしない人やシステムを「お前ら意味ないぜ」と強烈にdisっているように思えました。
「何を考えているかわからない」と言われた怪人・三隅。しかし、彼の情動は丁寧に描写されている印象を受けました。理不尽な運命への怒り、娘への罪悪感、そのような中でも他者のために生きたいという意味への意志。他者の思いを受け止めて「器」になっても、「裁く」という復讐めいたやり方しかできない悲しさ。三隅を見ていて感じることは、悲しみでした。そこには無視され理解されない悲しみもあります。
なので、三隅は理解しようとしない人間を軽蔑します。だから、彼は合理的という名の下に事を進めようとする弁護士たちをコケにするのでしょう。
中盤、重盛に娘から電話が架かってくるシーン。ここが重盛のターニングポイントで、最も印象に残った場面でした。はじめ、自分の都合を重視し、重盛は娘を捌くように応対します。しかし、途中の無言のシーンで、重盛ははじめて娘の孤独さを思いやれました。彼の「…ごめん。もっと一緒に居れたら」といったセリフのトーンは今までとは異なります。
(福山雅治の演技にも感嘆!)
重盛は無関心サイドから理解サイドへの転回を果たし、ここから物語はドライヴしていきます。
そして、重盛vs三隅のガチンコ勝負へ。
このガチンコ感が本作品のもっとも旨い部分ですね。合理的で上っ面な関係は楽かもしれませんが、やっぱりガチじゃないと人間同士のやり合いは面白くない。保身してちゃ、ガチンコの手ごたえは味わえないです。
また、三隅を演じる役所広司の演技が鬼気迫りすぎているため、緊張感もハンパではない。面接室の仕切り版に映る両者の顔が重なっていく演出など、他者が他者の真実に迫る凄みを感じました。同時に、重盛が三隅との間に自他の境界をなくしていく危うさも描かれているようにも思いました。
勝負の結果は、熱くなりすぎた重盛の完敗でしたが、ラストで重盛が語った「咲江を守るために殺人を否認したこと」は、真実かどうかはわからずとも、三隅はそのように生きたかったように感じます。三隅はその後重盛を突き放しますが、あの時の表情や柔らかい光を交えた演出から、三隅の韜晦なんじゃないの、なんて感じましたね。三隅は重盛の理解しようとしてくれた姿勢を嬉しく感じていたんじゃないかな。
最大のモヤりポイントは、咲江の意志が尊重されなかったことです。咲江も覚悟を決めていたのに、ガチンコおじさん2人の「咲江を守りたい」という先回りのおかげで、結局その覚悟は大切にされずじまい。これは、重盛が三隅に同一化してしまい、弁護士としてのバランスを失ったことが原因でしょうね。ガチンコも大事だけど、冷静さも大事だな、と思いました。冷静ならば3人で面会するとかも、法的にOKならばできたような。
とにかく、メチャクチャ面白い映画でした。ホント観応えありました。
言わない美学
何が本当で何が嘘だったのかわからないまま終わってしまいモヤモヤするが、それこそがこの作品の最大のポイントなのかなとも思える。「真実とはなにか?」「誰かを守るための嘘は真実よりも真実であるべきではないのか?」そんなふうに問いかけられているような気持ちになった。
福山雅治と役所広司のタイマンはとても見応えがあった。クサいけど「魂のやりとり」って感じだった。片方が喋っている時にもう片方がガラスの反射で、話している方に被るようにしていたのは意図的だと思う。福山雅治と役所広司を視覚的にダブらせたかったのだと感じた。広瀬すずも演技派に囲まれても浮かない演技力を存分に見せつけていた。「チア☆ダン」「ちはやふる」のような明るい役もいいが、「怒り」や今作のような役もまた合っていると思った。
是枝監督の作品は無駄な音が少なく、俳優の演技やストーリーだけでグイグイ引き寄せられる。
三度目とは
殺人事件に関するミステリーというより法廷で起こるサスペンス?
あまり知識もなく察しも悪い私なりに考えた三度目の殺人は、死刑が言い渡される法廷で行われたのだろう・・・と。
咲江と三隅の関係性や虐待や工場の不祥事など家庭の事情が映画で語られていることが真実であれば、予測できてしまってました。
でも何が本当で誰が嘘をついているのか、若しくは全員が嘘をついているのか・・・。
あやふやにしたまま終わらせる斬新さにまた脚本の意図などを色々と考えさせられました。
“三度目の殺人”は確かに行われた
是枝裕和監督の作品が好きだ。
法廷サスペンスのジャンルが好きだ。
なので、本作を期待しない理由が何処にも無い。
この秋…と言うより、今年公開作の中でも特に楽しみだった一作。
結構賛否吹き荒れてるようだが、確かに好き嫌い分かれる作風だろう。
まず、単純明快なエンタメが好きな人はダメ。
勧善懲悪、白黒はっきり付かないとダメ。
モヤモヤすっきりしない終わり方の映画がとにかく嫌い。…などなど。
映画はエンタメであるべきという考えは大前提だが、同時に観客に考えを委ねるような作品も好き。韓国サスペンスのような後味悪い作品が好きなのもその一例。
加えて書き出しの理由もあって、本作は非常に面白かった!
展開は淡々と。静か。
派手なシーンは皆無で、退屈との声も出ているが、本作に派手なシーンがあったらそれこそ違和感あるだろう。
邦画法廷モノの大傑作『それでもボクはやってない』だって、派手なシーンは皆無で、淡々と静かだが、凄まじく引き込まれた。
本作も然り。
さらに本作は、サスペンスとしての醍醐味もあるのだからケチの付けようがない。
容疑者、三隅。
開幕早々、殺人シーン。明らかにクロ…と、まず思う。
しかし、取り調べするや否や、供述がコロコロコロコロ変わる。
何々だったのか、したのか?…と問われると、曖昧に「はい」と返答。
後から違うじゃないかと問い詰められると、「そうでした」「ちょっと勘違いして…」と、どうもしっくり来ない。
また、意味不明なのか意味深なのか分からないような言動もしばしば。
人柄は穏やか。が、彼の言う事に本当に見てるこちらも翻弄される。
抑えた演技ではあるが、そこから異様な凄みを滲み出す、いつもながらさすがの役所広司。
主演は福山雅治演じる弁護士・重森。真実よりも勝ちにこだわるエリート。
福山×エリートは、同監督の『そして父になる』同様のステレオタイプでもあり、彼が三隅に翻弄され次第に真実を知ろうとする動機もちと弱い気もするが、彼目線で見る側も真実を追求したくなる入り口として一役買っている。
福山と役所の度々の対峙シーンは素晴らしい緊迫感。
監督と福山の2度目のタッグも上々。
相思相愛だったという初タッグの監督と役所。
是枝監督×福山雅治×役所広司のケミストリーは見事だった。
もうちょっと演者について言及。
奇しくも本作には、嫌われ女優と渦中のお騒がせ女優が揃って出演しており、おそらく作品を見もしないで、作品の中身関係ナシにその部分だけ叩くであろう輩が沸いて出るだろうが、そんなの言語道断!
両者共、非常に良かった。
特に広瀬すずの、事件のキーパーソンで陰と悲しみの演技を見せられると、女優としての才は素晴らしいものと改めて思わざるを得ない。
吉田鋼太郎演じる弁護士も何だか本当に居そうと思わせ、満島真之介演じる若い弁護士はなかなかいい所を付く。
にしても、市川実日子がスーツを着ると、どうしても尾頭さんにしか見えなくて…。
供述が二転三転する三隅。
嘘か真か、本当の事を語り出す。
そして、被害者側もまた隠された話を…。
捻り歪んだそれぞれの証言の中に、筋道通り繋がった、真実の姿が…。
ところが…
本作は根底に、是枝監督の十八番である家族の関係をそれとなく織り混ぜつつ、裁判の不条理を鋭く突いている。
裁判に於いて真実とは?
本当に真実とは、尊重されるものなのか?
それが、明かされて誰かの心に深い陰を落とす真実ならばやむを得ないが、本作の場合は違う。
裁判は時に己の利益の為にただ事務的に処理され、誰も真実などどうでもいい。
真実を欲し、真実を知りたい者は居ないというのか…?
“三度目の殺人”。
が、劇中語られる殺人は、二度。重森の30年前の事件と、今回の事件。
最初の事件なんて正直省いても良かったのでは?…と、途中まで思っていたが、見終わって意味を成している事が分かった。つまり…
30年前の“一度目の殺人”。
前科者が関わっているから、今回も当然犯人。“二度目の殺人”。
誰も彼の真実を信じてくれない。
そして下される“三度目の殺人”。
この“三度目の殺人”こそ、最も罪深い。
…いや、“一度目の殺人”重森も“二度目の殺人”咲江も、同情の面はあるとは言え、殺人を犯している以上罪深い。
だからこそ、真実から目を背けてはならない。
真実とは裁くとは
重盛が血を拭うシーンから三度目の殺人とは真実と向き合おうとしなかった重盛が三隈を殺したということだと思うが、人によって考え方が変わる作品だと思う。
重盛・三隈・咲江3人が本当に咲江の父親が殺されるべき人間だと思ったということで三度父親は殺されたということなのかもしれない。
実際誰が父親を殺したのか分からないが、法廷の人達にとって都合の良いことが世の真実となり、それによって人は裁かれるものと思った。実際にあった真実は必要ない。というより誰も分からない。
返り血や重盛と三隈の顔が重なる演出など、考えさせられるシーンが所々にあり、脚本も素晴らしかったと思う。特に罪を犯した理由によって罪の重さが変わるというようなセリフが印象に残った。
Cover one’s butt
自己保身と自己犠牲、本作のテーマだと感じる。始めに断って置くが、今作品は決してスッキリとしたエンディングは用意されていない。それよりも、イメージとすればガリレオシリーズの『容疑者Xの献身』に近いかも知れない。まぁ、主人公が同じ福山雅治ということもあって似てしまうのかも・・・
そして、今作品に流れる本当と嘘の境目を完全に曖昧にしてしまっている点においては、犯人役である役所広司以外は全て煙に巻く、木で鼻を括るスタンスを貫いていく。アバンタイトルからして、ストーリー途中には、それを否定してしまうようなシーンもあったりするし、これは単なる法廷闘争劇ではなく、どちらかというと、スティーブン・キング原作的な内容に近いのではないだろうか。何か人に見えない不思議な力なのか、それとも稀代のペテン師、もしくはインチキ占いの類、もしかしたら神?悪魔?そんな劇中では『器』と呼ばれる男が、果たして自己犠牲において守りたいものがあるのか、それとも、自己保身に走る『司法』という舟に乗っている弁護士、検事、裁判官を断罪しに地上に遣わせたのか、そんな世界観を重く暗い映像で観客に問いかけるのである。ミステリーとすれば、少々イレギュラーなプロットではあるが、邦画の一つの可能性を指し示せたことにおいて、是枝監督の相変わらずの秀逸な出来映えに満足している。法律用語や、時系列、過去シーンでの登場人物の若返りの姿がないこと(役所広司は同じ顔つき)など、かなり観覧者のイマジネーションや知識を必要としなければならないところもあるので、着いていくのが厳しいと思うし、何と言っても時間が長く、自分のようなジジィだととにかく生理現象には勝てず、せっかくの面会室でのクライマックスで中座してしまう始末・・・
提案だが、逆にもっと上映時間を長くして、4時間位の途中休憩というプログラムではどうだろうか?もう少し、福山とその娘の間のストーリーや、食品偽装が法廷闘争に関わってくる内容とかも深く盛り込めると、観ている人のミスリードを最大限誘発できるとおもうのだが・・・
ラストシーンでの十字路の中央で立ちすくむ主人公、人を『裁く』という現実にどう立ち向かうか模索する象徴シーンでもある。
果たして、神か悪魔か・・・・
結論なき映画
殺人映画といえば
殺人があり犯人が見つかって
何で殺したかと言うのを描き
「ああ!そうだったのか」と観ているものを
納得させて終わるものですが
この作品はそれがありません
なので終わった後がとっても後味が悪くもやもや感が残ります
しかしこういう作品もありなのかとも私は思いました
観ている側も 福山雅治演じる弁護士と一体化して
頭の細胞をフル回転して犯人演じる役所広司は何を考え
どうしたいのかと 嫌がおうでも考えせざるをえません
もしかして世間一般の事件でもこのように
真実はわからないことが多いものですよね
事件ものでは だいたいが法廷闘争が見どころになりますが
この映画は法廷のやりとりよりも
は犯人の役所とそれを弁護する福山とのやりとりが
メインとなりそこの場面は緊迫感がただよい
観ているものは引き込まれます
殺された夫の妻を斉藤由紀が演じていて
取材陣に追われているシーンがあって
現在週刊誌でも追われているので
それがかぶっていて 何だか複雑やら彼女には申し訳ないのですが
何だか可笑しい気分になりました
広瀬すずも今回も良かったです
暮らしの中に闇をかかえている少女を見事に演じてました
誰を裁くのかは誰が決めるのか
殺人サスペンスというより法廷サスペンス
司法のあり方を考えさせられた
現実もあんな風に真実が見捨てられてるのか
ドラマのようにはうまくいかないとはいえど
初めから真実の追求はなし得ないという暗黙の了解のもとで裁判が行われてるなら
正しい司法の世界はただの理想でしかないんだろうかと思う
「三度目」の殺人 の意味もこの世界ではすごいしっくりくる
死刑だって真実による判決ではなければその裁判を進めた人全員が殺人犯といえる
裁判長が目配せするシーンが今になって一番不快で、どうも行き場のない怒りが募る
現実がこの通りになってるならほんと恐ろしい
人間が人間を裁くことの難しさ 、その限界を感じる
広瀬すずが「怒り」の時からこういうノット青春ものではファンなので今回の演技もすごい好きでした、一瞬も笑わなかったしね
福山雅治はガリレオの湯川役ぐらいしか見たことなかったから新鮮
役所広司は狂った役が本当にすごい
といった具合に役者の演技には全く文句なし
接見室のガラスに写った人の像と直で見える人の像が重なるシーンは印象に残る
暗い部屋で広瀬すずと斉藤由貴が親子で暗い話を途切れ途切れで語り合うシーンも好き
本編終わってエンドロールでの余韻が良い
目つぶりながらのあのピアノは響く
終わった後モヤモヤする点が多くて映画らしい映画でした
これから是枝監督には要チェックかな
なるほど三度目の意味
この作品に関しては、そこそこ映画を観慣れているか、たまたま感性が合うか、頭の回転が早かったり理解力のある人…でなければ、淡々としている点と解釈や意味が二通り以上あるシーンが多いので、モヤモヤしたまま終わってしまうのでは?と思う。
評価は二分するだろうなぁ、と。
私は楽しめましたが、同行者はまるで面白くなかったようです。
三度目の殺人、というタイトルの意味、私は広瀬すずの最後のセリフに集約されていると思ったけれど、そこを読み取れていないと結局はどうだったのか、何を言わんとしてるのかを明白にしてくれなかった気がすると思う。
その同行者はピースの揃わないパズルみたいな感じを受けていたよう…
実父からの性的虐待があったと勇気を出して告白したのに実父は死んだことにより社会的に裁かれることもなく済み、助け出し庇ってくれた大人が裁かれることに対しての「誰を裁くのか誰が決めるの」
そして法により、死刑という形でその人は殺される。
私はそう解釈しましたが、全く異なる見方をした人もいるでしょう。
映画はそういう話をし合うのも楽しみの1つだしね。
三度目の殺人を鑑賞。斉藤由貴と役所広司の怪演が福山雅治を完全に食っ...
三度目の殺人を鑑賞。斉藤由貴と役所広司の怪演が福山雅治を完全に食ってた。一度目は本当の殺人、二度目は嘘をつくことで誰かの心が殺される殺人、三度目は司法の恣意的な殺人。考えさせられるテーマであるが、何が真実かを観客にゆだねる部分は、上手くまとめきれなかった気もする。
よくある筋書き
衝撃のラスト、全く新しい心理サスペンス、と公式ガイドブックは謳いますが、そんなに目新しい結末ではないです。
監督は神の視点や裁かれる犯人という分かり易い型を敢えて外したそうですが、もっと唸りたかったかな、と思います。
犯人が自死を望むその根源をもっと深く掘り下げてもらいたかった。
三隅の生い立ちをもう少し描いて欲しかった。
観終わって、なかなか感想が言葉にならなかった。それほど私には思い深~い作品であった。
『三度目の殺人』の「三度目」という言葉に引っ掛かってしまった。
最後の、三隅が証言を180度を供述を引っくり返す所、重盛同様に驚かされた。
これが題名『三度目』の殺人に繋がるのか?
この作品では、三隅が「生まれてこなければ良かった。」と言う場面がある。
ここで三隅のキャラクターがグッと親近感をもつが、彼の生い立ちがあまり描かれていない。
そこが惜しい所か。それを描けば(松本)清張作品のようになってしまい、あえて脚本において
避けたのか。法曹界を関連した作品ではありがちな裁判官を父に持つ弁護士重盛。
重盛を演じた福山。テレビ『ガリレオ』の湯川のイメージが強いため、作品自体
『容疑者Xの献身』と類似している所があった。『容疑者…』の石神が、今回の三隅と似たり
寄ったり。なかなか人を信用できないのと人生に悲観的な所。
しかし、今回は役所の演技が、他を寄せ付けない程の存在感。人間には、言葉にしなくても境遇が
同じ匂いを感じ取った人間であれば感じるものが判りあえるものがあるという所を鋭く描いた
ところは、監督の力量と言えよう。
今回は、市川実日子がかなり光った演技をしていた。テレビ『小さな巨人』では見せない
演技。新境地を開いたのではなかろうか。
広瀬の演技は、多くの作品が出ていることが仇となったのか表情の作り方が画面に映る表情等は
いつも同じ。キャリアが浅いからか。演技がつまらない。
「海街」の桜トンネルが絶妙であったが、今回の留萌の雪景色も圧巻であった。
「海街」が四季折々の情景描写が良く、今回は、情感を軸に描いた作品であると思うが、
山中食品の食品偽装を妻美津江が口を滑りかけて、耳を疑ったが、内容を盛り込みすぎた
感がある。食品偽装の事件の詳細は描かれていない。ラストに向けて、斎藤由貴の出番が
なぜか減ってきている。
最後の「(人間不信の)三隅の真実」を述べる所は、さすがに泣かずにいられなかった。
三隅と重盛の二重写しのシーンでは、やはり是枝氏は「映像の人」なのかなとは思った。
考えさせられる
司法制度ってなんだろう。人が人を裁くとは?監督が観客に投げかけるメッセージ。結末を曖昧にしたのもそのせいか。誰を裁くかは観るもの次第ということでしょうか。 それにしても、役所、福山の演技は見応えあり。特に役所さん怖すぎくらいの怪演。役所演じる三隅の「器」という意味は、相手によって観たいものが三隅に移るということかなあ?
三位一体を暗喩する、人間の罪を問う作品
第74回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門正式出品。残念ながら金獅子賞(グランプリ)を逃してしまったが、是枝裕和監督のオリジナル脚本による渾身の作品であることは間違いない。
「そして父になる」(2015)以来の再タッグになる福山雅治主演の法廷サスペンスで、対峙する被告役に役所広司。ストーリーの鍵を握る女子高生役に広瀬すずと、キャスティングも申し分ない。
重く強く、"三度目"の意味は何かを考えさせる、深い意味を持った作品だ。観る人によって、殺人の意味や犯人像は変わるかもしれないし、あらゆる可能性がある。しかも犯罪の真実や、動機も最後まで明示しない。ぜひ自身の感性で確認してほしい。
映像はできるだけ彩度を落とし、モノクロームに近いルックで統一している。撮影は「海街diary」(2015)、「そして父になる」でも担当したフォトグラファーの瀧本幹也である。
テーマを暗示する映像テクニックが随所に使われている。"3"はキリスト教の"三位一体"の教義に由来し、3人の登場人物にも意味がある。重盛、三隅、咲江の各々が頬を拭う様子が印象的に繰り返す。他にも"3"が出てくる。
また十字架はキリスト受難を象徴し、人の罪深さのメタファーとなっている。殺人現場の跡、カナリアの墓、3人が雪上に寝転がる姿、エンディングの交差点などが十字架を表している。接見場の窓ごしに重盛と三隅の顔がオーバーラップするのも、同じ罪深き人間としての暗喩である。
映像と同じくらい注目なのは、イタリアの巨匠ルドヴィコ・エイナウディの映画音楽である。是枝監督のラブコールに応えたものだが、音楽と効果音も本作を支えている。
不倫疑惑を持たれる斉藤由貴の人物設定は実にタイムリーで、人生"3度目"の不倫報道は、映画の宣伝のための自虐ネタか? あまりの3尽くしに"世界のナベアツ"を思い出したりして(笑)。
茶化してごめんなさい。いい映画です。
(2017/9/9 /TOHOシネマズ錦糸町/シネスコ)
事件の真相、そして三度目の殺人とは
有能な弁護士の重盛(福山雅治)、彼は常に勝利にこだわる。
彼にとっての勝利とは、クライアントに有利な判決を引き出すこと。
法廷における裁判はビジネスである。
そんな彼のもとに訪れた案件は、同僚の摂津(吉田鋼太郎)が行き詰ったもの。
前歴のある三隅(役所広司)が起こした強盗殺人事件。
多摩川の河川敷で、元の雇い主を殺して金品を奪い、火をつけて燃やしたというのだ。
検察側の求刑は死刑であろう。
それを、無期懲役にまで減刑させて、勝利を得たい重盛は、摂津と若手の川島(満島真之介)をともに拘置所の三隅と面会するが、三隅の供述はころころと翻る・・・
というところから始まる物語で、三隅の一度目の殺人を裁いたのが、当時裁判官であった重盛の父親(橋爪功)であったことや、二度目の被害者の娘・咲江(広瀬すず)と三隅の間に交流があったことなどが事件に盛り込まれていきます。
法廷ミステリーといえば、おおむね、検察側と弁護側の丁々発止の末、事件の白黒がつけられ、被疑者は無実、観客は留飲を下げる、
もしくは、無罪を勝ち取った被疑者が、やっぱり真犯人で、仰天、というのが常套パターン。
しかし、この映画は、そんな「白黒はっきりつけます」とはならない。
事件の真相がわからないのではなく、その先を観客に投げかけている、そんな映画。
二度目の殺人(多摩川河川敷の事件)の真相は、こうである。
*----<以下、真相>----*
劇中、一度、咲江が証言しようと決心したもの、そして、それは回想シーンとして中盤に描かれているとおり。
三隅が供述をころころと変えるのは、咲江に起こった出来事を隠しておきたいためであり、それがゆえに、その場その場でもっとも事件の絵姿に近いと他者が思うようなものを選んでいるため。
そして、三度目の殺人とは、自らが強盗殺人の罪で死刑となること。
それで、咲江の秘密を最後まで守る・・・
*----<真相おわり>----*
と、真相としては、テレビドラマのミステリー番組に何度も登場したような事件ということになるのだが、この映画は、それ以上のものを観客に投げかける。
「誰を裁くかは、誰が決めるのでしょう」
三隅の台詞である。
何度も登場する十字架のイメージから、決める誰かは「ひと」ではない。
よしんば、「ひと」だとするならば、その裁きには十字架に似た重い責任が伴う。
三隅は、一度目の殺人で、そのことを感じた。
彼の生命の生殺与奪は、重盛の父親に委ねられた。
北海道留萌での二人を殺した殺人事件。
当初、強盗殺人事件だったものが、怨恨による殺人として裁かれ、懲役刑となった。
この事件が、強盗だったのか、怨恨によるだったのか、真相はわからないが、重盛の父親の「犯罪の原因は、当人のみによるものではなく、社会がつくるものという考え方が、当時あったんだよ」という台詞から、真相は前者(強盗殺人)だと思われる。
結果、三隅は生き延びる。
「生きているだけで、周りを傷つける存在」だった三隅。
しかし、現在は「誰かの役に立ちたい」と思う三隅。
そして、一度は奪われたと思ったのちに与えられた生、ただの『器』にしかすぎない肉体・・・
ラストカットは、十字路に立つ重盛の姿。
十字架に似た重い責任。
それは、ひと誰しもが背負っている、と観客に投げかけている。
<追記>
前半で登場する三隅、咲江、重盛の三人が雪原で戯れるシーンは重盛の夢なのだが、ちょっとやりすぎ。
それでなくても、役所広司の怪演でによって重盛同様、観客はひっかきまわされるのだから。
☆☆☆☆ これは全ての証言が嘘で塗り固められている作品。 その中か...
☆☆☆☆
これは全ての証言が嘘で塗り固められている作品。
その中から観客自身が、本当の真実を記憶・反復しながら真実を導き出す事を委ねられる。
作品中に重盛は三隅に対して、(間違えていなければ)計7回接見する。
1度目
どことなく重盛自身はこの裁判に対して大した関心を示してはいない様に感じられる。同僚からの依頼に対して半ば「めんどくさい!」…とゆう態度を露わにする。
更には立場の違いが有るにはせよ、絶えず被疑者に対しての口調はタメ口だ!
2度目
週刊誌の記事を読み大慌てで飛んで来る重盛。しかし、ピンチはチャンスとばかりに裁判の戦術を変え、刑の軽減を考える。
3度目
初めて1対1で三隅と対峙する重盛。
この時、三隅は「手を見せて下さい!」と重盛に言う。
ガラス越しに手を合わせる2人。
ほんの少し三隅の闇の深さを覗いたのか、思わず重盛は手を引っ込める。
この後、彼が三隅と接見する際にはタメ口が少なくなる。
4度目
2人の間で本格的に事件の真実に対する対話が始まる。
三隅は言う!「命を弄んでいる人間が居る!」…と。
その一言こそは重盛本人に突き付けられた言葉で有り、ひいて司法制度そのものに対して突き付けられた刃でもあるのだ!
5度目
重盛は三隅の本当の胸の内を探る。
しかし三隅は言う!「死んで当然な人間は存在する!」…と。
その言葉に対して重盛の若い部下は思わず一言呟く。
「産まれて来たのが間違いな人間なんていませんよ!」…と。
だが重盛の中での思いはどうだったのか?
部下と話す彼の言葉は、三隅の気持ちを理解している風に見える。
以前に三隅を裁いた裁判官は自分の父親だった。
上京した父親は言う。
「殺す人間と殺される人間との間には深い溝が有る」…と。
だが…。
6度目
判決が近づき、三隅は一転して証言を覆す。当然の様に慌てる重盛。
三隅の想いは何処に有るのか?重盛の自問自答は続くが、司法制度の歪みがその答えを赦さない。
映画は殆ど重盛側の目線で描かれている。時系列は違うが、被害者の娘と母親の目線から描かれるエピソードが時折入る。
母親役の斉藤由貴と娘役の広瀬すずが2人で話合う場面。
この時に広瀬すずの顔半分に影を作り。闇に堕ちる娘を想起させる演出は、思わず身ぶるいを起こすかと思った程に凄かった。よくぞ思い付いたものだ!
この演出による母娘の会話から。観客にはこの母と娘に対して疑惑の目が向けられるが、勿論真実は観客には分からない。
本来、保険金殺害を疑われた場合。マスコミ各社がこの母と娘を追い掛け廻し、普通の生活が出来ないのでは?とは思い。ちょっとだけ違和感を感じない訳では無いのだが。作品本来が描きたいのはそこでは無いのは最後に判明する。
7度目
重盛は三隅に対し、自身の想いを全身全霊を込めて真実を追求する。
が…重盛は弁護士として本当の真実を法廷で示す事が叶わず、なす術が無かった。今、彼は父親が言った言葉の本当の意味を知る。
重盛は、極めて薄い善と悪との間に存在する僅かなガラスの隔たりを今すり抜け、三隅と同調し三度目の殺人に加担してしまったのだ!
これは是枝版の『藪の中』
始めに書き込んだが、これは全てが嘘で塗り固められている。
1番確実な事は、被疑者の娘は(重盛の夢、又は妄想以外には)登場しない…とゆう事だけで。重盛の娘と被害者の娘(広瀬すず)は表裏一体の存在として描かれる。
その部分は必ずしも上手く処理されてはいない。
いないのだが…作品を良く読み込むと、重盛と三隅は最終的には。お互いの存在が、一対として描かれているのを観ても解る通り。登場人物達全てのセリフをほじくり返す事で、間違いなく真実に到達する。
個人的には『歩いても、歩いても』に迫る、是枝作品最高傑作の一つ。
(2017年9月10日 TOHOシネマズ/スカラ座)
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