三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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「三度目の鑑賞、だったように思う」
タイトルに意味はないのですが
意味ありげに、タイトルをつけて
しまったと、おそらく、感情的な部分で
要らぬ説明を入れてしまった。
と、言うことは、やはり私のタイトルに
何らか少しでも、興味を持って欲しいと
思う、本心があるのでは、ないかと
今携帯スマホをいじりながら、思っている。
わたしが、この作品を何回も見て、
毎回、毎回、レビューする。
わたしのレビューを読む人などは、
限りなく皆無と、私は思っている。
でも、レビューしたいのだ。
理由は、この作品『三度目の殺人』を
見た後は、心がざわつき、どこかに
そのざわつきを発散したくなる。
ただ、それだけなのです。
実際には、本心を、
書き込めないとも、なんとなく
思っている。
本当の心とは、なんだろうか?
自分自身の欲しかない、
気持ち、心、本心とは、存在するのだろうか、
目を覚まし、目を閉じ
開けてる目からの情報を、脳、心、感情が
閉ざし凍結させる。 そんなことは、
日常茶飯事なのに、日常茶飯事を無視出来ない
人こそが、本来の姿のように言ってしまう事は、今のわたしにはできない。
なぜだろうか?
もし、
不思議に思ってしまう人がいたら
自分自身の目を開け、
見た物すべてを理解し説明出来るだろうか?
と
考えてほしい。
わたしは、目にするもの、耳にするもの
肌にするもの、匂い、食感を感じ、
受け止め、置き換え、ふらつきながらも、
感情に問いながら、平静な心を保ち努めるように日々を重ねています。
皆さまは、どうですか?
殺人者とキリスト
これまでに観た中で、一番好きな映画です。
三度目の殺人、つまり死刑が大きなテーマなのは間違いないと思います。
「人を殺す人間と、殺さない人間では、種類が違う」と言いつつ、「あいつは死刑にすべきだった」と軽い口調で言えてしまう元裁判長は、「人を殺さない人間」なのでしょうか?
焼死体の跡、カナリヤの墓、雪の上に横たわる人の形、十字路。
何度も登場する「十字架」は、重盛が言ったように、裁きの象徴ではありません。
十字架が象徴するのは贖罪。
人間が生まれながらに背負った原罪が、イエス=キリストの死によって贖われたことの象徴です。
「大いなる器」である贖罪者、三隅。
とある接見のシーンでは、後ろからの光を背負い、神父と見まごう姿で登場しますが、彼は神の父ではなく、神の子なのではなかったか。
彼が贖おうとした人間の罪とはいったいなんなのか、是枝監督が想定する答えを、深く考えずにはいられません。
丁寧に作り込まれた映画なのです。
ピーナツバターを山盛りにつけたパンを頬張る、三隅の幼子のような表情に、「器」の中に何が入っているのかと首をかしげます。
片方だけ汚れた靴や、ハガキに描かれた絵など、一度しか登場しない画面にたくさんの情報が詰め込まれていて、何度見直しても発見があります。
演出が悪すぎる
タイトルから
自分で決める。自分が決める。嘘ばかりで優しくない世の中だから。
冒頭で流れたピアノとチェロ。メロディーが「最強のふたり」的だなと頭の片隅で気になってた。エンドロールでEinaudiの名前を見つけて同じ作曲家だとわかった。と、すっきりしたのは音楽だけだった。
内容はすっきりする結末ではなかった。もやもや感で終わった。すごく重かった。あのピアノのメロディーのように繰り返す流れに身を任せるしかない映画だった。ひたすら画面を追って三隅と重盛の会話をただ見たまま聞いたままを受け入れるしかない。でも意外に不快でなくそれが生きることのようにも思った。逆らわない、自分自分と思わない、流れる、サラサラと漂う。悪いことをしながら生きてる人、誰かが生きてるがゆえに苦しまざるを得ない人、見て見ぬ振りをする人、生死に関わることをスケジュールとして消化していく人がいる。理不尽なこの世。
「裁判官はすごいなあ。今、自分でそれができるかも知れない」
役所広司はこの映画でも素晴らしい。「孤狼の血」では楽しそうに演じていたが、この映画は大変だったろう。でもそれを感じさせない。プロの役者だから当たり前か、でも凄い。
馬鹿「なんで弁護士は悪い人を庇うの?」
映画館では2017年9月11日地元のイオンシネマで鑑賞
それ以来二度目の鑑賞
決して駄作ではないしむしろどちらかといえば良作で間違いないが何度も観たくなる作品ではない
原作未読
是枝監督に豪華な俳優陣
是枝作品に役所広司初出演
映画賞も獲得した話題作
映画comもプッシュするだけはある
福山雅治役所広司初共演に被害者の妻に斉藤由貴で映画館で観ることに決めた
おまけに広瀬すずだし
ユーモアはほぼ皆無
内容が内容だけに全体に話が重い
死体を焼いた殺人事件だがグロい要素はない
全体的に見応えはある
社会派是枝監督らしい知的な人間ドラマだ
是枝作品が大好きな人にオススメ
日本映画になんの感慨も無い人には向いていないし眠くなるのも無理はない
担当する被告の死刑を回避することを目指し弁護士が犯行動機を探る話
とにかく被告の証言がコロコロ変わる
主人公の弁護士の娘役に『朝が来る』の蒔田彩珠
万引きを犯し父に助けてもらうもファミレスで太々しい態度を見せる若いわりにかなりの実力者
チョイ役だが印象深い存在感を示すくらい細部にも是枝監督の拘りを感じた
是枝作品のせいか吉田鋼太郎にしてはかなり抑えめの演技だ
「同じ船に乗っている」というセリフは印象的
検察官を演じた市川実日子
セリフで弁護士批判を面と向かってやっているが法学部を出た公務員が今更10代しゃべり場のような青臭い発言をするとは思えない
弁護士と検察官というインテリ同士であんな5ちゃんねるレベルの幼稚なやりとりはありえない
是枝監督の思想を代弁させているとしたらがっかり
雪合戦して3人が大の字になるシーンは好き
三度目の殺人とは死刑制度のことか
最後に接見室で福山雅治と役所広司が重なる演出は謎
評価の仕方がよくわからない
おもしろい、おもしろくないでは評価しずらい作品。
最後までじっくり観ることのできる作品で、映画にひき込まれたが、もう観ることはないだろう。
星もどうつけていいのかわからないから、3というだけ。
5でもあるし1でもあるというか…
んー…つまらなかったのかもしれない。
おもしろく感じたらおもしろいとはっきり言えるから。
自分には合わない作品でした。
結末、真実は観てる方にお任せします的な作品は映画でも小説でも漫画でもアニメでも私は好きではない。
真実を明かされたとき、そういうことだったのか…と、ハッとしたい。
真実がわからずモヤモヤした弁護士の気持ちを観客に感じてほしいなら、真実を明かした上で脚本と役者の演技で観せてほしかった。
映画を少々観てるくらいの初心者には難しかったな…
タイプキャスト
眠たくなってきちゃった
最近は役者連鎖形式(?)で過去作を見ています。
「来る」妻夫木聡→「ザ・マジックアワー」妻夫木聡→「1度死んでみた」妻夫木聡,広瀬すず→「三度目の殺人」広瀬すずという感じに。
こういった風に見る映画を選ぶの、オススメです。
さて、賛否両論の今作どうかな...?
んー、微妙だなぁ。。。
役者はいいしストーリーはいいのだが、テンポが非常に悪く前半は特に退屈した。
勝つことにこだわる弁護士の重盛(福山雅治)は、河川敷で元々勤めていた会社の社長を殺害し放火したとして捕まった三隅(役所広司)を、仕方なく弁護することとなった。
終始緊迫感はあり音楽もよかった。
流石、是枝裕和監督といったところ。
ハマる人にはハマるだろうな、この人の作風
役所広司の静かな口調に圧倒される。
正直、大声を出して悪を働く役所広司の方が好きなのだが、今回のような役も悪くなかった。
ただ、先程も言ったようにすんごいテンポが悪い。
いきなり始まっていきなり終わる。是枝流なのだが、個人的には気に食わない。万引き家族は面白かったが、今回はなぁ...法廷映画ってこともあってもっとしっかりして欲しかった。
ミステリー要素があると思ったのが間違いだったのか、ただひたらすら同じシーンが続くので退屈でこれといった衝撃もなくあっけなく終わってしまった。
人物背景の描きが薄く、感情移入も出来ぬまま。
後は自分で考えてください形式は嫌いじゃないんだけど、あまりにも考えさせ過ぎなきがする。
んー、この監督苦手かもなぁ。
他の作品も見てみることにします
何が嘘で何が本当か、裁判官・弁護士体験ができ、そして裁く裁かれるを考え込ませられる。
映画を見ながら、一つ一つの出来事の事実確認の作業が、弁護士や裁判官の様に、させられる、推理司法映画?として見事なつくり。殴打により被告が殺したのも財布がガソリンに濡れていたのも、映像があり事実。実父によるレイプも、母親による示唆あり本当と判断可能。被告と被害者娘に心の交流があったのも、写真があり事実。
ただ、足が悪い理由は不明。そして、本当だとすると美しい話だと話す、役所演ずる被告人。何故、証言を変えたのか?広瀬すずこと被害者娘を傷つけないためと思っていたのだが。福山演ずる弁護士と同様、見ているこちらも、被告人の本当の気持ちがわからなくなり、混乱させられる。今も尚、分からない幾つかの謎。真実は、こちらの見方を反映する、空っぽの器の様なもの?
そしてさらに、生まれてくる価値さえない人間がいる、いない。そして、裁かれるものと裁くものを分け隔てる正当性への疑問や懐疑が、ベースに流れている様だが、十分に解釈できずいる。
被告は鳥も人間をも裁く人間になりたかった様だが、その結果は死刑。それを決める裁判官にとっては、沢山の処理業務の1つで、その大きな差は何か?またどこに、監督の軸足があるのか?解けない謎が残った状態で、もどかしい部分もある。
考え込み変化する福山の心情を写し込む映像美。内に秘めた強い意志を感じさせる広瀬すずの眼差し、視聴者を揺さぶる根源的な幾つかの問いかけは、十二分に魅力的ではあったのだが。
法廷で、真実を話す人はいない
ストーリーも含め、是枝監督が練りに練り上げて提示した、真にすごい映画ですが、賛否が激しく二分するのだろうなとも感じました。
たとえば無言のシーン。
テレビだと「放送事故」なんて言って忌み嫌われるものですが、この映画の白眉こそ、これでもかと多用される無言のシーンなのです。
物語を真に紡ぐのは言葉ではなく、無言である。その監督の強い意志を、二人の名優がこれでもかと絵にしてくれています。
二人の心理の揺れ動くさま、ほんとうに楽しめました。
また裁判についても、実際にそれを手がけたことがある人だけが知る、これぞリアルな日本の裁判だと納得するものに仕上がっていました。
リアルだけど、決しておちゃらけることはない。この描き方は、キモの坐った人でないとできないものだと感心しました。
ドラマで見る裁判は、あんなの裁判でも何でもなく、単なる裁判劇に過ぎないでしょ、クソ喰らえ! というシニカルな思いなのかも知れません。
「法廷で、真実を話す人はいない」。
奥の深い映画で、ほんとうに楽しめました。
器
あの人は器が大きいだとか、小さいだとか、よく耳にする言葉ですが、本作の中では“器"がキーワードであると思います。
誰かのレビューに、役所広司さん演じる容疑者の三隅そのものが“器"なんだと書かれていました。
私もそう思いました。
三隅は自分自身は生まれてくるべき人間ではない。生きていても傷つけるだけだ。というようなことを劇中で言っています。
一体彼の過去、生い立ちにどんな事があったのか。これがとても気になりました。
作品の中で描かれる、裁判に関わる人間達は、裁判官、弁護士、検事。どの立場にいる人も事務的で、己の評価、己の都合で仕事をしているかのように描かれていました。もしも、これが真実であるならば、私はこの国で絶対に裁かれたり、あるいは裁かなければいけない人間と関わるのも嫌だ。と思いました。
法というものがありながら、結局は人間という大したわけでもない生き物が人の生き死にを裁くなんて、よく考えればアホらしくも思えてきました。。。まぁ、無くなってしまうと大変なんですけどね。
福山さんは相変わらずカッコ良かったけれど、役所さんと絡んでしまうと、やはり飲み込まれてしまいますね。どちらも大好きな方々なので、演技に見惚れてしまいました。広瀬すずちゃんもただの可愛い女性では無いなと、初めて演技を見て思いました。今後が楽しみな女優さんです。
簡単な話ではない映画でしたが、見ているうちに心を持っていかれてしまうくらい魅力的な話でした。
なぜ「三度目」なのか?
・他人ごとじゃない法廷ドラマ
・日常のなかで「君って◯◯だよね」って言われて、一理あるけどちょっとずれてるなと違和感を感じるときがある
・それは人が自分のことを正確に見れていないじゃんって感じるから
・要するに人は、それぞれなりの視点で他人を推測している。
・ときにはこうあってほしいという願望もある。
・それでいておのおのは自分のことをあけっぴろげに話すことはない。よっぽどじゃないと答えを出さない。
・だから誰も他人の本当の姿を捉えることはできない。
・できないがこれが一番近いであろう答えを出すだけ。
・人間関係にはそういうあやふやさが大前提としてある
(親子であっても、踏み入れられない領域がある)
・司法の場ではそれでも白黒つけたり数値化して結論を出そうとするから、妙なことになる。
・かえって人間の捉えきれなさがあらわになる。
・他人に対する疑いを晴らすためには、
自分の価値観や時間やすべてを投げうって相手に寄り添って相手を知らないといけない。
・実際はそれぞれ自分の生活もあるし、損得感情もあるし、相手の本当の姿を知り尽くすことは現実的には不可能。
・それでもなぜ人は他人が気がかりなのだろう。
・被告人のキャラクターは、空っぽの器と表現された
・被告は自分の主体性よりも、相手の意向を優先した生き方。
・そして、理不尽に反抗し続けた人生だったのではないか。
・自分が法律的に死刑を免れ生き残ることが、彼にとってはそれもまた理不尽だったのではないか
・つまり、理不尽に反抗するために自分を殺したのではないか?
・それでも自分は生まれてきてよかったと思いたかったのではないか?
・そこが強烈な動機だと思う。
・殺人が誰かの役に立つ状況がある。「あの人の役に立ちたい。」だから、彼にとって殺さないではいられない状況になる。
・被告は純粋に「誰かの役に立ちたい」と思ってただけかも。
そして「役に立たないとだめだ」とも思っていた。
・自分の無価値観に苛まれると人は、自分を肯定するために、どんなことでもしてしまう。それがたとえ殺人でも。
・それは誰にでも起こりうる。
・これでもかというほど、人の心を見つめた映画。
・答えがないことが答えのような映画。
・とにかく観終わったら、ほかの観た人と話がしたくなる良作。
揺らぎと論理
正直言って全く意味するところも、意図するところも理解できず、ストーリーの展開も結末も分からなかった。この点が監督の意図するところだとすると、この映画の評価はもっと高くしなければいけないし、そうしても良いだけの説得力と画面の緊張感があった。それはひとえに役者たちの演技力と演出、そして何よりもそのシナリオにあるのではないか?シナリオに混沌のを付加する時は通常精密に構築した論理を一度解体し組み立て直す。この手法だと論理性は失わぬまま監督だけだ理解できるロジックで物事が進み、最後の結論で観客がそのパーツを組み立て直したり、与えられた事実で一気に時制に整合性が出たりする。しかしこの手法は初見の観客は最後まで手掛かりなく、ゲームの進行のように進みストレスが倍増する。最後まで付いてこれない観客が生ずる。しかし本作は時系列は極めて明確だが起こっている事象が揺らぐのである。その為観客は最後まで飽きることなくエンディングまで緊張感を維持して連れて来られる。そして最後にモヤモヤだけが残り置き去りにされる。勿論その最後には何処に何がテーマとして眠っているかは薄々気が着いてはいるのだが、どうもその姿が見えぬまま放置される!そして考え込む。そしてこの考え込むモヤモヤ感がひとえに監督の狙いだとしたらこの映画は監督の美事の勝利で、その事実、その内容は二次的なお楽しみに過ぎないのである。
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