三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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三隅の生い立ちをもう少し描いて欲しかった。
観終わって、なかなか感想が言葉にならなかった。それほど私には思い深~い作品であった。
『三度目の殺人』の「三度目」という言葉に引っ掛かってしまった。
最後の、三隅が証言を180度を供述を引っくり返す所、重盛同様に驚かされた。
これが題名『三度目』の殺人に繋がるのか?
この作品では、三隅が「生まれてこなければ良かった。」と言う場面がある。
ここで三隅のキャラクターがグッと親近感をもつが、彼の生い立ちがあまり描かれていない。
そこが惜しい所か。それを描けば(松本)清張作品のようになってしまい、あえて脚本において
避けたのか。法曹界を関連した作品ではありがちな裁判官を父に持つ弁護士重盛。
重盛を演じた福山。テレビ『ガリレオ』の湯川のイメージが強いため、作品自体
『容疑者Xの献身』と類似している所があった。『容疑者…』の石神が、今回の三隅と似たり
寄ったり。なかなか人を信用できないのと人生に悲観的な所。
しかし、今回は役所の演技が、他を寄せ付けない程の存在感。人間には、言葉にしなくても境遇が
同じ匂いを感じ取った人間であれば感じるものが判りあえるものがあるという所を鋭く描いた
ところは、監督の力量と言えよう。
今回は、市川実日子がかなり光った演技をしていた。テレビ『小さな巨人』では見せない
演技。新境地を開いたのではなかろうか。
広瀬の演技は、多くの作品が出ていることが仇となったのか表情の作り方が画面に映る表情等は
いつも同じ。キャリアが浅いからか。演技がつまらない。
「海街」の桜トンネルが絶妙であったが、今回の留萌の雪景色も圧巻であった。
「海街」が四季折々の情景描写が良く、今回は、情感を軸に描いた作品であると思うが、
山中食品の食品偽装を妻美津江が口を滑りかけて、耳を疑ったが、内容を盛り込みすぎた
感がある。食品偽装の事件の詳細は描かれていない。ラストに向けて、斎藤由貴の出番が
なぜか減ってきている。
最後の「(人間不信の)三隅の真実」を述べる所は、さすがに泣かずにいられなかった。
三隅と重盛の二重写しのシーンでは、やはり是枝氏は「映像の人」なのかなとは思った。
混乱させる器
犯人は誰か?
といったことは、あまり関係ない。
観た人を混乱させて、モヤモヤ感を持って帰る、あるいは起承転結がなくつまんない、あるいはひとり勝手にストーリーを解説する…正解はない。
ここが監督の狙い?
考えさせられる
司法制度ってなんだろう。人が人を裁くとは?監督が観客に投げかけるメッセージ。結末を曖昧にしたのもそのせいか。誰を裁くかは観るもの次第ということでしょうか。 それにしても、役所、福山の演技は見応えあり。特に役所さん怖すぎくらいの怪演。役所演じる三隅の「器」という意味は、相手によって観たいものが三隅に移るということかなあ?
三位一体を暗喩する、人間の罪を問う作品
第74回ヴェネツィア国際映画祭のコンペティション部門正式出品。残念ながら金獅子賞(グランプリ)を逃してしまったが、是枝裕和監督のオリジナル脚本による渾身の作品であることは間違いない。
「そして父になる」(2015)以来の再タッグになる福山雅治主演の法廷サスペンスで、対峙する被告役に役所広司。ストーリーの鍵を握る女子高生役に広瀬すずと、キャスティングも申し分ない。
重く強く、"三度目"の意味は何かを考えさせる、深い意味を持った作品だ。観る人によって、殺人の意味や犯人像は変わるかもしれないし、あらゆる可能性がある。しかも犯罪の真実や、動機も最後まで明示しない。ぜひ自身の感性で確認してほしい。
映像はできるだけ彩度を落とし、モノクロームに近いルックで統一している。撮影は「海街diary」(2015)、「そして父になる」でも担当したフォトグラファーの瀧本幹也である。
テーマを暗示する映像テクニックが随所に使われている。"3"はキリスト教の"三位一体"の教義に由来し、3人の登場人物にも意味がある。重盛、三隅、咲江の各々が頬を拭う様子が印象的に繰り返す。他にも"3"が出てくる。
また十字架はキリスト受難を象徴し、人の罪深さのメタファーとなっている。殺人現場の跡、カナリアの墓、3人が雪上に寝転がる姿、エンディングの交差点などが十字架を表している。接見場の窓ごしに重盛と三隅の顔がオーバーラップするのも、同じ罪深き人間としての暗喩である。
映像と同じくらい注目なのは、イタリアの巨匠ルドヴィコ・エイナウディの映画音楽である。是枝監督のラブコールに応えたものだが、音楽と効果音も本作を支えている。
不倫疑惑を持たれる斉藤由貴の人物設定は実にタイムリーで、人生"3度目"の不倫報道は、映画の宣伝のための自虐ネタか? あまりの3尽くしに"世界のナベアツ"を思い出したりして(笑)。
茶化してごめんなさい。いい映画です。
(2017/9/9 /TOHOシネマズ錦糸町/シネスコ)
事件の真相、そして三度目の殺人とは
有能な弁護士の重盛(福山雅治)、彼は常に勝利にこだわる。
彼にとっての勝利とは、クライアントに有利な判決を引き出すこと。
法廷における裁判はビジネスである。
そんな彼のもとに訪れた案件は、同僚の摂津(吉田鋼太郎)が行き詰ったもの。
前歴のある三隅(役所広司)が起こした強盗殺人事件。
多摩川の河川敷で、元の雇い主を殺して金品を奪い、火をつけて燃やしたというのだ。
検察側の求刑は死刑であろう。
それを、無期懲役にまで減刑させて、勝利を得たい重盛は、摂津と若手の川島(満島真之介)をともに拘置所の三隅と面会するが、三隅の供述はころころと翻る・・・
というところから始まる物語で、三隅の一度目の殺人を裁いたのが、当時裁判官であった重盛の父親(橋爪功)であったことや、二度目の被害者の娘・咲江(広瀬すず)と三隅の間に交流があったことなどが事件に盛り込まれていきます。
法廷ミステリーといえば、おおむね、検察側と弁護側の丁々発止の末、事件の白黒がつけられ、被疑者は無実、観客は留飲を下げる、
もしくは、無罪を勝ち取った被疑者が、やっぱり真犯人で、仰天、というのが常套パターン。
しかし、この映画は、そんな「白黒はっきりつけます」とはならない。
事件の真相がわからないのではなく、その先を観客に投げかけている、そんな映画。
二度目の殺人(多摩川河川敷の事件)の真相は、こうである。
*----<以下、真相>----*
劇中、一度、咲江が証言しようと決心したもの、そして、それは回想シーンとして中盤に描かれているとおり。
三隅が供述をころころと変えるのは、咲江に起こった出来事を隠しておきたいためであり、それがゆえに、その場その場でもっとも事件の絵姿に近いと他者が思うようなものを選んでいるため。
そして、三度目の殺人とは、自らが強盗殺人の罪で死刑となること。
それで、咲江の秘密を最後まで守る・・・
*----<真相おわり>----*
と、真相としては、テレビドラマのミステリー番組に何度も登場したような事件ということになるのだが、この映画は、それ以上のものを観客に投げかける。
「誰を裁くかは、誰が決めるのでしょう」
三隅の台詞である。
何度も登場する十字架のイメージから、決める誰かは「ひと」ではない。
よしんば、「ひと」だとするならば、その裁きには十字架に似た重い責任が伴う。
三隅は、一度目の殺人で、そのことを感じた。
彼の生命の生殺与奪は、重盛の父親に委ねられた。
北海道留萌での二人を殺した殺人事件。
当初、強盗殺人事件だったものが、怨恨による殺人として裁かれ、懲役刑となった。
この事件が、強盗だったのか、怨恨によるだったのか、真相はわからないが、重盛の父親の「犯罪の原因は、当人のみによるものではなく、社会がつくるものという考え方が、当時あったんだよ」という台詞から、真相は前者(強盗殺人)だと思われる。
結果、三隅は生き延びる。
「生きているだけで、周りを傷つける存在」だった三隅。
しかし、現在は「誰かの役に立ちたい」と思う三隅。
そして、一度は奪われたと思ったのちに与えられた生、ただの『器』にしかすぎない肉体・・・
ラストカットは、十字路に立つ重盛の姿。
十字架に似た重い責任。
それは、ひと誰しもが背負っている、と観客に投げかけている。
<追記>
前半で登場する三隅、咲江、重盛の三人が雪原で戯れるシーンは重盛の夢なのだが、ちょっとやりすぎ。
それでなくても、役所広司の怪演でによって重盛同様、観客はひっかきまわされるのだから。
悪意
現実なのか虚構なのかメタ的描写が挿入され、変化する証言や登場人物の心情の変遷に加え、計算され尽くしたタイミングで明らかになる新事実に観客も混乱をきたす。
結局、実際の犯罪においても目撃証言が無い限りは真実は藪の中…ということなのか。
だとしたらこの作品は相当に監督の悪意が込められている。
技術的にはいつもの是枝タッチだと思うが、観ている我々が迷い考えてしまうようなミスリードが意図的には仕込まれているので、ハッキリ言って胸糞悪い。
反面、叙情的タッチを維持しつつもこれまでとは全く異なる印象を受ける作品に仕上がっていたので、いよいよ是枝監督も更に高い次元へと足を踏み入れたのではないか。
次の是枝作品を待つだけで幸せ。
もやもや
個人的には、結論を観客に委ねる映画は好きではない。主人公の重盛の「もやもや」と同じ「もやもや」を持ってしまった。
そして、三度目の殺人とは、死刑宣告のことを指しているのだろうか?
分かりにくい…。
内容としても、あまり抑揚がなく進み、途中で眠くなったのも事実。
そして一番謎だったのは、勝ちにこだわってビジネスライクな弁護士がなぜ、弁護人になったのか?
犯人は財産なんてないんだから、おそらくは、国選弁護人なんだろうけど、そうなると、摂津が国選弁護人であるわけで、手伝いは認めるとしても、法廷でしゃべるのは、摂津がするべきでは?
結局、設定で躓いているよね…。
また、普通、勝ちに拘るのなら、当然、上告するんだよね?
私はやってません。だけど、死刑です。はい。そうですか…にはならないよね…。
だから、余計にもやもや…。
号泣そして、戦慄
これは、紛れもないミステリ。ラスト数分で、それまでの景色が一変し、伏線が一気に回収される。そして、つらい動機。涙が止まらず、帰り道、今度は震えが止まらない。こういう動機が出てくるということは、多分長い間、監督自身、鬱々とした時期があったのだろう。「藪の中」の意図も十分成功している。しかし、欲を言えば、ラストの一言、決めゼリフだが、唐突感が否めない。「藪の中」性は、終始セリフで一生懸命説明しているが、ドラマとしてそれほど立ち上がってこず、ラストでやっと、「藪の中」がはっきりと、浮き上がる。そういう意味では伏線の回収なのだが、もっと、ドラマとして、途中の段階ではっきりと「藪の中」性を、描くべきだった。もうひとつ主人公の成長。冷静、合理主義者の福山雅治の弁護士が、終盤で突然、共感的人間に変身する感じがぬぐえない。もっと、心理の変遷を丁寧に、緩やかに描いてほしかった。よって、マイナス0.5。
☆☆☆☆ これは全ての証言が嘘で塗り固められている作品。 その中か...
☆☆☆☆
これは全ての証言が嘘で塗り固められている作品。
その中から観客自身が、本当の真実を記憶・反復しながら真実を導き出す事を委ねられる。
作品中に重盛は三隅に対して、(間違えていなければ)計7回接見する。
1度目
どことなく重盛自身はこの裁判に対して大した関心を示してはいない様に感じられる。同僚からの依頼に対して半ば「めんどくさい!」…とゆう態度を露わにする。
更には立場の違いが有るにはせよ、絶えず被疑者に対しての口調はタメ口だ!
2度目
週刊誌の記事を読み大慌てで飛んで来る重盛。しかし、ピンチはチャンスとばかりに裁判の戦術を変え、刑の軽減を考える。
3度目
初めて1対1で三隅と対峙する重盛。
この時、三隅は「手を見せて下さい!」と重盛に言う。
ガラス越しに手を合わせる2人。
ほんの少し三隅の闇の深さを覗いたのか、思わず重盛は手を引っ込める。
この後、彼が三隅と接見する際にはタメ口が少なくなる。
4度目
2人の間で本格的に事件の真実に対する対話が始まる。
三隅は言う!「命を弄んでいる人間が居る!」…と。
その一言こそは重盛本人に突き付けられた言葉で有り、ひいて司法制度そのものに対して突き付けられた刃でもあるのだ!
5度目
重盛は三隅の本当の胸の内を探る。
しかし三隅は言う!「死んで当然な人間は存在する!」…と。
その言葉に対して重盛の若い部下は思わず一言呟く。
「産まれて来たのが間違いな人間なんていませんよ!」…と。
だが重盛の中での思いはどうだったのか?
部下と話す彼の言葉は、三隅の気持ちを理解している風に見える。
以前に三隅を裁いた裁判官は自分の父親だった。
上京した父親は言う。
「殺す人間と殺される人間との間には深い溝が有る」…と。
だが…。
6度目
判決が近づき、三隅は一転して証言を覆す。当然の様に慌てる重盛。
三隅の想いは何処に有るのか?重盛の自問自答は続くが、司法制度の歪みがその答えを赦さない。
映画は殆ど重盛側の目線で描かれている。時系列は違うが、被害者の娘と母親の目線から描かれるエピソードが時折入る。
母親役の斉藤由貴と娘役の広瀬すずが2人で話合う場面。
この時に広瀬すずの顔半分に影を作り。闇に堕ちる娘を想起させる演出は、思わず身ぶるいを起こすかと思った程に凄かった。よくぞ思い付いたものだ!
この演出による母娘の会話から。観客にはこの母と娘に対して疑惑の目が向けられるが、勿論真実は観客には分からない。
本来、保険金殺害を疑われた場合。マスコミ各社がこの母と娘を追い掛け廻し、普通の生活が出来ないのでは?とは思い。ちょっとだけ違和感を感じない訳では無いのだが。作品本来が描きたいのはそこでは無いのは最後に判明する。
7度目
重盛は三隅に対し、自身の想いを全身全霊を込めて真実を追求する。
が…重盛は弁護士として本当の真実を法廷で示す事が叶わず、なす術が無かった。今、彼は父親が言った言葉の本当の意味を知る。
重盛は、極めて薄い善と悪との間に存在する僅かなガラスの隔たりを今すり抜け、三隅と同調し三度目の殺人に加担してしまったのだ!
これは是枝版の『藪の中』
始めに書き込んだが、これは全てが嘘で塗り固められている。
1番確実な事は、被疑者の娘は(重盛の夢、又は妄想以外には)登場しない…とゆう事だけで。重盛の娘と被害者の娘(広瀬すず)は表裏一体の存在として描かれる。
その部分は必ずしも上手く処理されてはいない。
いないのだが…作品を良く読み込むと、重盛と三隅は最終的には。お互いの存在が、一対として描かれているのを観ても解る通り。登場人物達全てのセリフをほじくり返す事で、間違いなく真実に到達する。
個人的には『歩いても、歩いても』に迫る、是枝作品最高傑作の一つ。
(2017年9月10日 TOHOシネマズ/スカラ座)
素晴らしい。
初日に鑑賞。
とても重く心に残る作品でした。
観る者に解釈を委ねる作品で、とても考えさせられたし、いまだ悶々としています。
次に観た時にはまた違った解釈が出来るのか…?という思いから、もう一度観たくてたまりません(笑)
キャストも素晴らしかったです。
淡々と進んでいく作品でしたが、とても強く余韻が残りました。
また観に行きます。
_φ(・_・そういうことか、、、。
最後まで殺人の真相はわからず。
映画視聴者が三隅にどんな感情を入れるかで真相は変わってくるんでしょう。なるほど。犯人の可能性は三隅単独、三隅+奥さん 三隅+咲江 咲江単独と考えられるのはこんなもんだけど、これはどうでもいいみたいで、三隅にどんな感情を入れるかで真実は変わってくるということ。真実なんてそれを考える人たちの感情でいくらでも変わるということでしょう。映画の中で三隅の接見での表情が毎度違うことや、奥さんの情報、咲江の涙、娘の嘘の涙、いろんな情報が入ると真実は簡単に変わるということだと思う。
私は重盛の娘の嘘の涙と咲江の涙がダブり犯人は咲江単独だと思ったがこれはどうでも良い話で、作者の意図にまんまと騙されたのか?
役所の接見ごとに変わる演技と福山とのカメラワークは素晴らしい!
病んだ奥さん役の斉藤由貴も良し!広瀬すず大女優の予感大、だがスキャンダルに注意!
よく判らない、府に落ちない映画
封切り9/9でTジョイ久留米シアター3の19:00の回で視聴、50名くらい、年齢は20代から50代くらい、男女はほぼ均等
序盤、中盤とすっきりした話でなく、終盤ではすっきり話をまとめてくれるのかなと思っていましたが、最後の最後で無理やり、視聴している者を「これで納得するだろう!」みたいな感じの運び。「三度目~」とありましたのでなのが「三度目~」は何か何かとと考えさせられました。2時間視聴は「流行語の「忖度」のセリフにもがっかりしました。時間的な余裕があれば「忖度」を使わない選択もあったのでは・・・・、広瀬すず演じる少女ですが、足を引きずる先天症となっていますが、当方、医療系技師として非常に不自然さを感じました。嘘、実、嘘、実・・・・の繰り返し・・・・
帰りのエレベーターで50代くらいの夫婦かなと思われる方と同乗、奥様が「よく判らない映画だったね」と言われましたので、思わず「そうですね」と相つちを打ってしまいました。
真実を目的としない答え
釈然としない証言を繰り返す三隅、勝ち目にこだわっていたはずが三隅に惑わされたり明らかに咲江を庇い始めたりする重盛、見て見ぬ振りばかりの美津江、辛すぎる仕打ちを告白する咲江、
出てくる人 語られる言葉に頭を痛めながらずっと惑わされる。
少しずつ静かにささやかに落とされる真実の欠片がどれもこれも悲しく辛く衝撃的に重いもので、私は到底この映画の受皿、器にはなり切れそうもない。
誰も本当のことを言わない、真実を目的としない裁判はただ結果を受け取ることしかできない。
明確な答えは出て来ず、頭がぐるぐるしたまま終わる。
劇中で一番大きく示唆された「本当のこと」も、結局は重盛や私達がそう思うことで自らを救いたいだけなのかもしれない。
タイトルの意味を真っ先に考えた時、三度目の殺人は裁判で死刑になった三隅のことと私は思った。
他人の受難を受け取る器であった三隅が、司法や今までの殺人で関わった人物に殺されていくさまなのかと。
正しい一つの裁きなど存在せず倫理や司法に乗らない答えもあるっていうのは、表に出ないだけで多分みんな分かってるのかも。
殺されて当然の人間や生まれてこない方が良かった人間は存在するのかも。
本人の意思とは関係なく命の選別はされていて、例えば仕事終わりに映画を観て深夜の帰路につく私が後ろから刺されて殺されたとしたら、それはもうそういうことなのかも。
長回しや舐めるようなカメラワーク、陰影を大きくつけたりガラスの仕切りに重なり写る顔など、映される画に執拗なまでのこだわりを感じた。
特に重盛と三隅の面会や咲江と美津江が話すシーンは異常な程に静かなのに張り詰めていて、こちらの神経もやられそうになった。
司法に対する疑問や批判を含めて考えさせ、我々の普通の正義感を露わにしそれもまた疑問視させる凄い映画だった。
かなり引きずって精神的にどん底に落ちるけども。
3日は悶々とする映画
ここ数年で一番の映画。
とにかく役所広司が凄い。接見室という動きのないシーンが多いのに、一瞬たりとも目が離せない緊迫感を持つ映画。
「真実」は明らかにされず、張られた数々の伏線も、回収されないまま。
この物語での「真実」など、しょせんは犯人しか知らない、という現実そのままの"真実"を弁護士の重盛と同じように観客も思い知らされる。
そして咲江の「誰を裁くのかは、誰が決めるんですか?」というセリフがこの映画のメインテーマなのだろうけど…
観賞後、明かされない真実を悶々と考え続ける映画だな、これは。
「三度目の」というタイトルの意味を考えると、「真実」は2~3の候補に絞られるのだけど、故意にその中のどれかを決められない描かれ方をされている。
撮影に入ってからも何度も改稿されたというシナリオに、一分の隙もないから、狙い通りに悶々とさせられる映画に仕上がったのだろうな。
映像も素晴らしい。
終盤、重盛の顔を接見室のアクリル板に鏡のように反射させることによって、対面する重盛と三隅を同時に見せる撮り方、接見室や法廷の印象的な光の使い方、特に三隅や咲江への光の当て方、いずれも「映像」というものを知り尽くした人たちが知恵を振り絞って表現しようとする迫力を感じる。
「海街diary」で是枝監督ってなんて繊細な映像を撮る人だ、と思ったが、本作ではさらに映像から目が離せなくなっている。(撮影の瀧本幹也の力量も大きいのだろうが)
役者も役所広司だけでなく、みな素晴らしかった。
広瀬すずは、観客の判断を迷わせるという意味で、監督の狙いどおりの絶妙の演技。
福山雅治も、他の映画では失礼ながら何を演じても「福山雅治」にしか見えなかったのだけど、「そして父になる」と本作では「良い役者じゃん」と素直に思える。
木村拓哉も、是枝作品に出れば、ちゃんと「役者」になれるのだろうか…?(笑)
ちょっと見てみたいかも(笑)
なんともいえない。
是枝裕和オリジナルのミステリーは、やはり一筋縄ではいかなかった。
冒頭、三隅(役所広司)が殺人を実行するところから始まるので、彼が犯人だということは疑いのない事実として提示される。
単純な事件と思われた本件、弁護にあたった重盛(福山雅治)は無期懲役に減刑することをめざす。
ところが、三隅の供述が要領をえない。
結論からいうと、三隅は相当頭をフル回転させて重盛との接見に臨んでいた。
弁護士たちの質問に答えるだけなのだが、どうすればいいか、常に考えて話している。
映画で示されたストーリーラインは、役所広司の芝居に対して相当浅いものになっている。むろん三隅はなにも認めていないので、このストーリーラインが真実かどうかはわからない。
それだけ役所広司はすごいということだ。
昔、「CURE」(黒沢清監督)で萩原聖人に翻弄されたそのリベンジを果たした格好だ。
。。。なにをどう言っても陳腐にしかならない。
やはり一筋縄ではいかない。
それぞれの心の闇に
最初から最後まで物静かなモノトーンな映像と語り口で綴られていくイヤミスな法廷ムービー。
犯人・役所が抱えた心の闇に翻弄される弁護士・福山。その葛藤の狭間に立ち、このストーリーの中で救われたのはいったい誰だったのだろう?
そして三度目の殺人の意味するところは何なんだろう?
とても深い心の闇を、お互いに封印し合って成り立つ社会への警告にも感じる作品。いったいラストをどう捉えたらいいのか…真犯人は…?
いろいろ考えさせられる作品でした。
違う周波数
果たして、
どちらが、
裁き、裁かれているのか。
救い、救われているのか。
問い、問われているのか。
その境界線が曖昧になっていく。
その曖昧さに絡め取られた途端、
別の次元の本質の気配がする。
見事な演出でした。
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