三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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重たい、限りなく重たい…
わっかんね~映画だなぁ。
考えろ、考えろってことなのだろうけれど、それにしても・・・
女優広瀬さんの魅力がなかったら、爆睡におちてたかもしれないという不安もあり。
純文学、心の中、不条理感。これって自分が十代の頃、つまり70年代の日本映画みたいだ。
何が本当なのかわからない。そんな中でも、判決は下される必要がある。今回の事件は、自白以外に証拠がないという状況。原則は自供のみで他の証拠がない場合には有罪判決は出せないはず。だが、「容疑者は、残虐なやり方で、過去にひとり殺している」という事実が、今回の裁判で死刑判決を下すことを後押ししたのではないか。そうだとしたら、"裁判" という名の第3の殺人が行われたのではないか。そういう大きな課題を投げかける映画なのかと思う。
裁判をしても、一体どの程度真相が明らかになるのか、という不安を高まらせる。
クールで有能な弁護士だった主人公も、犯人の二転三転する供述を聞いているうちに、司法の世界のそんな不条理さに気づくというか、飲み込まれていく。
とても大切な映画なのだろうけれど、心が押しつぶされそうなほど重かった。そして「真実は必ず見つかるものではなく、見つからない場合もある」という当たり前の事実を感じさせられることにより、俺たちの押しつぶされ感はいや増す。
みんな、とてもハードな映画ですよ。心して観るべし。
見終わった方、芥川龍之介の短編小説「藪の中」をぜひ読んでください。同じ気持ちが味わえますよ。
理解への挑戦
難しいテーマをいろいろと投げかけてくるだけでなく、スッキリと終わらないため、観終わった後はモヤモヤしながらあれこれ考えさせられる、実にやっかいで最高な映画だったな、との感想です。観応えがありすぎて、なかなか消化しきれない。
印象に残るのは、他者に関心がなく見て見ぬふりをする人たちと、他者に気持ちが向き、理解しようとする人たちの対比でした。前者は前半の重盛、裁判官をはじめとする司法関係者、咲江の両親、重盛父といった人たちで、後者は後半の重盛、咲江、川島ら若手の司法関係者、そしておそらく三隅でしょう。
事件の真実は煙に巻いた是枝監督ですが、上記の対比についてははっきりと前者に対する怒りを表明しています。本作は法廷ドラマの姿を借りた人間ドラマで、無関心で理解にチャレンジしない人やシステムを「お前ら意味ないぜ」と強烈にdisっているように思えました。
「何を考えているかわからない」と言われた怪人・三隅。しかし、彼の情動は丁寧に描写されている印象を受けました。理不尽な運命への怒り、娘への罪悪感、そのような中でも他者のために生きたいという意味への意志。他者の思いを受け止めて「器」になっても、「裁く」という復讐めいたやり方しかできない悲しさ。三隅を見ていて感じることは、悲しみでした。そこには無視され理解されない悲しみもあります。
なので、三隅は理解しようとしない人間を軽蔑します。だから、彼は合理的という名の下に事を進めようとする弁護士たちをコケにするのでしょう。
中盤、重盛に娘から電話が架かってくるシーン。ここが重盛のターニングポイントで、最も印象に残った場面でした。はじめ、自分の都合を重視し、重盛は娘を捌くように応対します。しかし、途中の無言のシーンで、重盛ははじめて娘の孤独さを思いやれました。彼の「…ごめん。もっと一緒に居れたら」といったセリフのトーンは今までとは異なります。
(福山雅治の演技にも感嘆!)
重盛は無関心サイドから理解サイドへの転回を果たし、ここから物語はドライヴしていきます。
そして、重盛vs三隅のガチンコ勝負へ。
このガチンコ感が本作品のもっとも旨い部分ですね。合理的で上っ面な関係は楽かもしれませんが、やっぱりガチじゃないと人間同士のやり合いは面白くない。保身してちゃ、ガチンコの手ごたえは味わえないです。
また、三隅を演じる役所広司の演技が鬼気迫りすぎているため、緊張感もハンパではない。面接室の仕切り版に映る両者の顔が重なっていく演出など、他者が他者の真実に迫る凄みを感じました。同時に、重盛が三隅との間に自他の境界をなくしていく危うさも描かれているようにも思いました。
勝負の結果は、熱くなりすぎた重盛の完敗でしたが、ラストで重盛が語った「咲江を守るために殺人を否認したこと」は、真実かどうかはわからずとも、三隅はそのように生きたかったように感じます。三隅はその後重盛を突き放しますが、あの時の表情や柔らかい光を交えた演出から、三隅の韜晦なんじゃないの、なんて感じましたね。三隅は重盛の理解しようとしてくれた姿勢を嬉しく感じていたんじゃないかな。
最大のモヤりポイントは、咲江の意志が尊重されなかったことです。咲江も覚悟を決めていたのに、ガチンコおじさん2人の「咲江を守りたい」という先回りのおかげで、結局その覚悟は大切にされずじまい。これは、重盛が三隅に同一化してしまい、弁護士としてのバランスを失ったことが原因でしょうね。ガチンコも大事だけど、冷静さも大事だな、と思いました。冷静ならば3人で面会するとかも、法的にOKならばできたような。
とにかく、メチャクチャ面白い映画でした。ホント観応えありました。
最後は鑑賞者任せかい・・・
スポンサーや大人の事情考慮抜きで、監督の構想のみで最後まで撮りました!って作品。
結局、1度目も2度目も含め、真実はどうであれ司法は裁くってお話で、3度目は、鑑賞者さんご自由に受け取って下さいって結末。。。☆2.8
役所さんは自由に俳優スキルを出して演じてはりました。
後、斉藤由貴の魔性ぶりが現実と伴い凄すぎる〜^^;;;
考えさせられる映画
モヤモヤとモヤモヤと
広瀬すずの覚悟
この映画、確かに福山雅治と役所広司の鬼気迫る演技が売りかもしれない。
福山は弁護士のもう一つの顔である合理主義と言おうか、早く片付けたいという職業病という態度から、本当はどうなんだ、という事実を求めていく役を熱演していた。役所は犯人とされる人物の複雑さを、その日の気分いやその時の気分によって移り変わる(でもこれってこの男特有のものではなく、自分自身にもある人間の感情かもしれない)男を微妙な仕草で表現していた。都会派エリートの福山と、さびれた田舎の底辺の役所。初めはそんな対比が明確だった二人が互いに触発さて、混じり合う、そんな光景が垣間見える演技だったが、この二人なら熱演は当たり前ともいえるだろう。
この二人より異彩を放っていたのが、一貫して不気味な、退廃的な娘を演じた広瀬すずだ。生まれつき、いや、事故で足を不自由にしてしまった(本当はどっち?)殺された社長の娘。いつも足を引きづり、無表情。母親との関係も微妙。死んだ父親との関係はもっと複雑、といった役どころである。
広瀬すずといったら、青春を満喫しているような「ちはやふる」や「チア⭐︎ダン」などのアイドルの役が多い。それが一般的な彼女の評価だろう。でも、それだけでは済まない別の面が広瀬すずにはあるのだ。この映画の監督作品「海街diary」で見せたちょっと複雑な4女役。それに「怒り」で演じたレイプされ、それを黙っていてと叫ぶ少女役など。
旬の女優としてなら、青春満喫路線でいくべきだし、周りの人もそう思ってるだろう。(そうであったなら、僕との出会いはなかったに違いないだろうが)あえて、こういうシチュエーションの役を選んだのは彼女自身ではないだろうか?青春路線の表情とは違って、腫れぼったい空虚な目をした不幸な少女が最後に自らの主張を叫ぶ、でもそれは本当のことかもわからない。
この映画、全てが闇の中にあるといえるだろう。確かなものとされたことが、突き詰めていくと迷宮のようなところに行き着いてしまう。確かに、物事は簡単ではない。これでいいんだとどこかで割り切らないと前には進めない。そんなことを思わせる映画だったような気がする。
言わない美学
何が本当で何が嘘だったのかわからないまま終わってしまいモヤモヤするが、それこそがこの作品の最大のポイントなのかなとも思える。「真実とはなにか?」「誰かを守るための嘘は真実よりも真実であるべきではないのか?」そんなふうに問いかけられているような気持ちになった。
福山雅治と役所広司のタイマンはとても見応えがあった。クサいけど「魂のやりとり」って感じだった。片方が喋っている時にもう片方がガラスの反射で、話している方に被るようにしていたのは意図的だと思う。福山雅治と役所広司を視覚的にダブらせたかったのだと感じた。広瀬すずも演技派に囲まれても浮かない演技力を存分に見せつけていた。「チア☆ダン」「ちはやふる」のような明るい役もいいが、「怒り」や今作のような役もまた合っていると思った。
是枝監督の作品は無駄な音が少なく、俳優の演技やストーリーだけでグイグイ引き寄せられる。
三度目とは
殺人事件に関するミステリーというより法廷で起こるサスペンス?
あまり知識もなく察しも悪い私なりに考えた三度目の殺人は、死刑が言い渡される法廷で行われたのだろう・・・と。
咲江と三隅の関係性や虐待や工場の不祥事など家庭の事情が映画で語られていることが真実であれば、予測できてしまってました。
でも何が本当で誰が嘘をついているのか、若しくは全員が嘘をついているのか・・・。
あやふやにしたまま終わらせる斬新さにまた脚本の意図などを色々と考えさせられました。
福山さんVS役所さんの演技にもご注目!!1回観てもわかるかなぁ~
観終わって、私はもうちょっとギリギリまで事件を掘り下げても良かったんじゃない?って思い、心残りありの作品でした。
でも、この作品は「犯人は捕まった。真実は逃げ続けた」という宣伝ポスターでもあるように、完全な法廷劇ドラマです!裁判の判決が気になる~、殺した理由は~などなどいろいろな視点から観ていくと気になる点が多く、観終わったあとあれっ?ここはわかったけど掘り下げないんだ。ここまでしか語らないんだ。という心残り感が出るかもしれません。
でも、問題を問いただして、答えは皆さんで想像してくださいっていうのが是枝監督の狙いかもしれません。1回じゃわかりませんぜぃ、ここ気になったら何回も観てくださいねって言えるような感覚だと思います。そうだとしたら、斬新なミステリー作品になりますぜ。
今回の福山さんは裁判で勝つためには、真実は二の次と割りきる弁護士の重盛。役所さんは得体のしれない不気味な容疑者・三隅、そして広瀬さんは被害者の娘・咲江。
接点も気になりますが、福山さんと役所さんの拘置所の接見室シーンはすごい映像でした。前半はドラマでもよくあるカメラワークでしたが後半からはすごかったので、ご注目。
是枝監督らしい静かな映像表現と音楽も日本映画らしくて好きですねぇ、小説本も発売してますので、まずはこの作品を楽しんでいただきたいですね。このジャンルのミステリー好きも満足できると思いますよ。
是枝監督っぽくはない。
深すぎて一回見ただけじゃわからない
“三度目の殺人”は確かに行われた
是枝裕和監督の作品が好きだ。
法廷サスペンスのジャンルが好きだ。
なので、本作を期待しない理由が何処にも無い。
この秋…と言うより、今年公開作の中でも特に楽しみだった一作。
結構賛否吹き荒れてるようだが、確かに好き嫌い分かれる作風だろう。
まず、単純明快なエンタメが好きな人はダメ。
勧善懲悪、白黒はっきり付かないとダメ。
モヤモヤすっきりしない終わり方の映画がとにかく嫌い。…などなど。
映画はエンタメであるべきという考えは大前提だが、同時に観客に考えを委ねるような作品も好き。韓国サスペンスのような後味悪い作品が好きなのもその一例。
加えて書き出しの理由もあって、本作は非常に面白かった!
展開は淡々と。静か。
派手なシーンは皆無で、退屈との声も出ているが、本作に派手なシーンがあったらそれこそ違和感あるだろう。
邦画法廷モノの大傑作『それでもボクはやってない』だって、派手なシーンは皆無で、淡々と静かだが、凄まじく引き込まれた。
本作も然り。
さらに本作は、サスペンスとしての醍醐味もあるのだからケチの付けようがない。
容疑者、三隅。
開幕早々、殺人シーン。明らかにクロ…と、まず思う。
しかし、取り調べするや否や、供述がコロコロコロコロ変わる。
何々だったのか、したのか?…と問われると、曖昧に「はい」と返答。
後から違うじゃないかと問い詰められると、「そうでした」「ちょっと勘違いして…」と、どうもしっくり来ない。
また、意味不明なのか意味深なのか分からないような言動もしばしば。
人柄は穏やか。が、彼の言う事に本当に見てるこちらも翻弄される。
抑えた演技ではあるが、そこから異様な凄みを滲み出す、いつもながらさすがの役所広司。
主演は福山雅治演じる弁護士・重森。真実よりも勝ちにこだわるエリート。
福山×エリートは、同監督の『そして父になる』同様のステレオタイプでもあり、彼が三隅に翻弄され次第に真実を知ろうとする動機もちと弱い気もするが、彼目線で見る側も真実を追求したくなる入り口として一役買っている。
福山と役所の度々の対峙シーンは素晴らしい緊迫感。
監督と福山の2度目のタッグも上々。
相思相愛だったという初タッグの監督と役所。
是枝監督×福山雅治×役所広司のケミストリーは見事だった。
もうちょっと演者について言及。
奇しくも本作には、嫌われ女優と渦中のお騒がせ女優が揃って出演しており、おそらく作品を見もしないで、作品の中身関係ナシにその部分だけ叩くであろう輩が沸いて出るだろうが、そんなの言語道断!
両者共、非常に良かった。
特に広瀬すずの、事件のキーパーソンで陰と悲しみの演技を見せられると、女優としての才は素晴らしいものと改めて思わざるを得ない。
吉田鋼太郎演じる弁護士も何だか本当に居そうと思わせ、満島真之介演じる若い弁護士はなかなかいい所を付く。
にしても、市川実日子がスーツを着ると、どうしても尾頭さんにしか見えなくて…。
供述が二転三転する三隅。
嘘か真か、本当の事を語り出す。
そして、被害者側もまた隠された話を…。
捻り歪んだそれぞれの証言の中に、筋道通り繋がった、真実の姿が…。
ところが…
本作は根底に、是枝監督の十八番である家族の関係をそれとなく織り混ぜつつ、裁判の不条理を鋭く突いている。
裁判に於いて真実とは?
本当に真実とは、尊重されるものなのか?
それが、明かされて誰かの心に深い陰を落とす真実ならばやむを得ないが、本作の場合は違う。
裁判は時に己の利益の為にただ事務的に処理され、誰も真実などどうでもいい。
真実を欲し、真実を知りたい者は居ないというのか…?
“三度目の殺人”。
が、劇中語られる殺人は、二度。重森の30年前の事件と、今回の事件。
最初の事件なんて正直省いても良かったのでは?…と、途中まで思っていたが、見終わって意味を成している事が分かった。つまり…
30年前の“一度目の殺人”。
前科者が関わっているから、今回も当然犯人。“二度目の殺人”。
誰も彼の真実を信じてくれない。
そして下される“三度目の殺人”。
この“三度目の殺人”こそ、最も罪深い。
…いや、“一度目の殺人”重森も“二度目の殺人”咲江も、同情の面はあるとは言え、殺人を犯している以上罪深い。
だからこそ、真実から目を背けてはならない。
司法の実態
最近は漫画ばかりを映画化して失敗作を大量に排出している邦画界であるが、久々の骨太映画である。しかし、広瀬すずが出てきたところでほぼネタ割れしてしまったのは如何なものだろう。それでも日本の司法制度に一石を投じた意義は大きいと思う。司法は真実を明らかにするのではなく事務的に量刑を与えているに過ぎないと言うことだ、市川実日子の事務的な演技がそれを示している、シン・ゴジラの再現かなと錯覚しそうだった。前半の場面で重盛の娘が嘘の涙を流す、これがこの映画の全てだったのかもしれない。マイナーな映画だけに福山雅治人気だけでは客は引けそうもないが、ハリウッドでトム・クルーズとアンソニー・ホプキンズあたりでリメイクしてくれたらメジャーになりそうだ。ベネチアではだめだったようだが、モントリーオールあたりなら金賞を取れたんじゃないかな。
真実とは裁くとは
重盛が血を拭うシーンから三度目の殺人とは真実と向き合おうとしなかった重盛が三隈を殺したということだと思うが、人によって考え方が変わる作品だと思う。
重盛・三隈・咲江3人が本当に咲江の父親が殺されるべき人間だと思ったということで三度父親は殺されたということなのかもしれない。
実際誰が父親を殺したのか分からないが、法廷の人達にとって都合の良いことが世の真実となり、それによって人は裁かれるものと思った。実際にあった真実は必要ない。というより誰も分からない。
返り血や重盛と三隈の顔が重なる演出など、考えさせられるシーンが所々にあり、脚本も素晴らしかったと思う。特に罪を犯した理由によって罪の重さが変わるというようなセリフが印象に残った。
Cover one’s butt
自己保身と自己犠牲、本作のテーマだと感じる。始めに断って置くが、今作品は決してスッキリとしたエンディングは用意されていない。それよりも、イメージとすればガリレオシリーズの『容疑者Xの献身』に近いかも知れない。まぁ、主人公が同じ福山雅治ということもあって似てしまうのかも・・・
そして、今作品に流れる本当と嘘の境目を完全に曖昧にしてしまっている点においては、犯人役である役所広司以外は全て煙に巻く、木で鼻を括るスタンスを貫いていく。アバンタイトルからして、ストーリー途中には、それを否定してしまうようなシーンもあったりするし、これは単なる法廷闘争劇ではなく、どちらかというと、スティーブン・キング原作的な内容に近いのではないだろうか。何か人に見えない不思議な力なのか、それとも稀代のペテン師、もしくはインチキ占いの類、もしかしたら神?悪魔?そんな劇中では『器』と呼ばれる男が、果たして自己犠牲において守りたいものがあるのか、それとも、自己保身に走る『司法』という舟に乗っている弁護士、検事、裁判官を断罪しに地上に遣わせたのか、そんな世界観を重く暗い映像で観客に問いかけるのである。ミステリーとすれば、少々イレギュラーなプロットではあるが、邦画の一つの可能性を指し示せたことにおいて、是枝監督の相変わらずの秀逸な出来映えに満足している。法律用語や、時系列、過去シーンでの登場人物の若返りの姿がないこと(役所広司は同じ顔つき)など、かなり観覧者のイマジネーションや知識を必要としなければならないところもあるので、着いていくのが厳しいと思うし、何と言っても時間が長く、自分のようなジジィだととにかく生理現象には勝てず、せっかくの面会室でのクライマックスで中座してしまう始末・・・
提案だが、逆にもっと上映時間を長くして、4時間位の途中休憩というプログラムではどうだろうか?もう少し、福山とその娘の間のストーリーや、食品偽装が法廷闘争に関わってくる内容とかも深く盛り込めると、観ている人のミスリードを最大限誘発できるとおもうのだが・・・
ラストシーンでの十字路の中央で立ちすくむ主人公、人を『裁く』という現実にどう立ち向かうか模索する象徴シーンでもある。
果たして、神か悪魔か・・・・
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