三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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モヤモヤ、深いため息
開始時間を間違えて10分過ぎて着席した。
もう、福山演じる弁護士と役所演じる容疑者が
ガラス越しに対峙していた。
最初に犯行場面があったに違いないが、
話が進むにつれて、犯人は?、共犯者は?
真実は? もう、訳がわからない。
最初の場面を見ていないからなのか。
見終わって、モヤモヤだけが残った。
誰か!教えて下さい。
深い人間の闇が満杯な映画でした。
皆さん、ぜひ、見て私に教えて下さい。
是枝裕和はもう傑作しか撮れない
前作『海よりもまだ深く』を観た時に「是枝裕和はもう傑作しか撮れないのかもしれない」と思った。それが確信に変わった。でも同時に混乱もしている。真実はなんなのか?誰が誰を裁いたのか?一応の解釈はしてみるけどそれも「そうだったらいい話」なのかもしれない…全ては闇の中
撮影が凄い。ここまでシネスコの広い画角を意識させられた邦画は近年観たことがなかった。被写体を画面いっぱいに配置してみたり複数人をアップで捉えてみたり…視点をコントロールされている感覚というか快感があった。そういう意味でもこれは絶対映画館の大きいスクリーンで観るべき
脚本も流石。誰かの台詞や仕草がその後別の誰かの台詞や仕草に共鳴する。各人物の思い(真実か虚偽かは別として)が自然な言動で最早無意識的なレベルで伝わってくる。是枝裕和監督は本当に日本語を使うのが上手い。あと今回はいつもより「アレ」が少なかった
物語や描写は『凶悪』(謁見シーンの撮影は影響がモロ)『ゾディアック』で役所広司演じる三隅は『ノーカントリー』のシガーとか『ダークナイト』のジョーカーを想起したけどなぜか観た後の感覚は『ザ・マスター』に近かった。「掴みきれないけどなんか凄い」みたいな
何が真実か?ということよりも画で緊張感が持続していたと思う。俺は物語よりも画に夢中だった
言い過ぎかもしれんけどクロースアップはセルジオ・レオーネを想起した。『続・夕陽のガンマン』とか。言い過ぎかな?
基本的に福山雅治の視点で進行するけど多分4つのシーンだけ福山以外の視点になる感じは『タクシードライバー』っぽい。まず冒頭の殺人シーン。次に斉藤由貴と広瀬すずの会話シーン。そして広瀬すずが殺人現場にいるシーン(想像?)。最後に役所広司が鳥に餌をあげようとするシーン
謎を残す終わり方
タイトルは「三度目の殺人」。
しかし劇中で取り上げられた「殺人事件」は2回。
三度目というのも謎だが、二度目の殺人の犯人までもハッキリとしないまま終劇となる。
ただそれは中途半端に終わっている訳ではなく、ハッキリと終わらなかったがゆえ、登場人物がそれぞれどのような思惑でいたのか等を考えさせられる内容になっており、モヤモヤを残しつつもすばらしいと言える作品となっていた。
人物の掘り下げが深く!さすがの是枝作品。
三人の頬に滴る血…それは本当は誰の頬に?そしてそれは本当に被害者の物なのだろうか…
一人として同じ人間がいないこの世界で、“法”と言う均一な秤にかけ、人が人を裁くと言う事の難しさ。
人物の掘り下げ方が非常に深く、『被害者』『加害者』『裁く者』それぞれの表層的な役割がまるで異なり、考えさせられました。
それでいてストーリー自体はさして奇をてらう物では無い所が、さすがの是枝作品。
最近ホッコリした作品が多かったのですが、笑いが描けるからこそ、裏に潜む闇が描ける。
そんな深みのある作品でした。
考えていくと…
徐々に面白くなる感じ。
これ自分の中で解決するまで考え続けることが大切。それを教えてくれた。
ただ、真実とは何か そのテーマに集中し過ぎて、もう1つのテーマである「生まれてこなければよかった人間などいるのか」に頭がいかないというか、そこまで考えても、答えなんて出ないから悔しい思いが強く残る
私的主観
何にも解決をみない作品でした。後味が悪い・・・というかすっきりしない終わり方。
俺なりに考えてみたけど・・・一つだけなんとなくわかった、おそらくすべてにつながるかも知れないこと・・・「三度目の殺人」のこと。
二人は映画でわかってる・・・数が合わない。
でも・・・観ていて感じた。
・・・「自分」を最後に「殺した」んだって・・・。
あくまでも「私的」な感想です。
最後が…
何か納得できない終わり方でした。
結局、役所広司は広瀬すずをかばって自分はやっぱり殺していないと言ったんですかね。それ以外の考えが浮かばないのですが………。
広瀬すずはあんだけ可愛いのに、演技も巧くて神様は何物を与えるんだって思ってしまいます。
犯人、弁護士、遺族、さまざまな視点からこの映画は描かれていて、何が真実なのかわからない。 そこが難解だが逆におもしろいとも感じる。
TOHOシネマズ伊丹で映画「三度目の殺人」を見た。
2017年製作/124分/G/日本
配給:東宝、ギャガ
劇場公開日:2017年9月9日
福山雅治
役所広司
広瀬すず
斉藤由貴
吉田鋼太郎
満島真之介
市川実日子
橋爪功
朝一番の上映回。
観客は女性が多い。
「今日はレディスデイやね」カミさんが言った。
福山雅治が目当ての女性が多いのかもしれない。
物語は三隅(役所広司)が夜の川原で誰かをスパナで殴り殺し、
死体に火を放つ場面からはじまった。
犯人は犯行を自供しており、裁判では犯人の死刑は免れないだろうという空気が大勢だった。
キャストは多くない。
弁護士を担当する重盛(福山雅治)は離婚調停中で家庭に問題を抱えていた。
一人娘(広瀬すず)は万引きで補導されるなどの非行を繰り返す。
広瀬すずはひょっとしたらはじめての汚れ役かもしれない。
いつもなら元気印の明るい少女を演じるはずの彼女は暗く影のある女子高生を演じる。
今話題の斉藤由貴が広瀬すずの母親役で出演している。
今月、映画「関ヶ原」で見たばかりの役所広司がこの映画でも存在感を放っている。
役所広司の上手さはもう職人芸だと感じる。
犯人、弁護士、遺族、さまざまな視点からこの映画は描かれていて、何が真実なのかわからない。
そこが難解だが逆におもしろいとも感じる。
上映時間は124分。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
浮き彫りになる心のことわり
愛と悲しみは、同一のものである。
悲しみの裏には必ず愛が隠されている。
人は悲しみを感じることが辛く耐え難いが故に、愛情を感じることも諦めてしまうものである。
人間の生き死には、何か人知を超えた無秩序なものによって
決められているのではないか。
それは司法制度であっても同様で、死刑でさえ
人が裁いた命のようで本当はそうではないのかもしれない
という根源的な疑念を持っていた弁護士は、
同じ理解を持つ罪人の中に、それでも愛や悲しみといった
人間の感情の理(ことわり)を見出そうとしてしまう。
結局、人が善悪を裁く時は、愛情の有無によっているものだから
罪人もまた、愛によって裁きを行っただけではないかと。
けれど、二人の影が重なりかけたところで
罪人は愛による理や裁きではなく、
それよりもっと大きな、善悪を超えた
神の気まぐれやゆらぎとでもいうようなものが現世に表出される時の
ただの器に過ぎないもの
感情の理の無い空っぽのものであるかのように振る舞い
影は重ならずに離れてゆく。
これでこの罪人の死もまた、真実によって裁かれたものではなくなった。
「悪いことをした罰だから」「本当は愛情からのことだったので罰を免れるべき」
というようなわかりやすい理屈を離れた、不条理な死。
攝津さんは経験から、この人のオーロラのように変わってゆく供述に
本能的に危険なものを感じ取ったのだろうなと笑
反対に、ぬかるみにはまってゆく福山さん。
犯人を、自分が感じていた絶望の理解者、共感者かと思っていたら
犯人自体がその絶望だった。
けれど、その絶望と対峙し、照らされることで、
逆に福山さんや広瀬すずや、その他登場人物の奥底にある、
愛情や悲しみといった感情の理が
次第にはっきりと浮き上がって見えてくる。
茫漠とした絶望の支配するゆらぎの中で。
是枝さんの作品は、見ているといつしか
登場人物の心だけを見つめているようなトランス状態に陥ってくる。
ここまで複雑な感情は、抽象的すぎてさすがに説明できないだろう
というようなところまで深く手を伸ばす。
理解されること、理解することを諦めていた領域まで。
なので、悲しい話であるのに、なぜか深く癒されて、幸福な気分になる。
役所さんの存在は恐ろしいけれど、福山さんがいるから救われるのである。
なかなか面白かったです!!
予告編を見て観に行きました。
評判が心配でしたが良かったです。
役所広司がうまいこと。さらに広瀬すずがいいですね。
引きこまれるように映画に集中して
終わった時にはほっと溜息が出るような映画です。
是枝裕和監督作品中では1番好きになりました。
主演の福山雅治は昔っから好きでしたが今回は
二人に押され気味の様な.....。
力がこもり過ぎで役所広司のうまさを引き立ててしまったような。
でも福山君は基本的に好きなのでエールを送ります。
大人が見て楽しめる抒情的でノーブルなエキセントリックさが
味わえる映画ですよ。
二時間無呼吸作品
いやぁ…集中しすぎてほぼ無呼吸の2時間超過ごさせていただきました…
どんどん、じわじわ、段階を踏んでいって、どんどん取調室のガラスの隔たりが無くなっていって、ほんと最後の役所さん福山さんの顔重なってるところでわたし謎の涙をぽろりと流して、そんでそんで??って思ってたらエンドロールになった!!!笑
本当に深く味わい深い作品で…誰も信じられない…………パンをもぐもぐ食べてる役所さんの可愛さが唯一の癒やしでした…でもその、ピーナツバター大好きなんですよってエピソードすら嘘だったらどうしよう…っ
あと満島真之介さんがずっといい顔だった!
雪原の中で
役所さんの蜩の記を最近観て、この人の脱力した演技は観る価値あるな~!凄いな~!と思って関心をもっていたところ、この映画にたどり着きました。
まず咲江さんを救う為に、殺人を犯したんだろうと思いました。
そして咲江さんを守る為に殺人を否認して裁判で供述させないようにしたのでしょう。
三隅さんが牢屋の外で鳥が鳴いているのに気づいて、窓から鳥に餌をやろうとしたシ―ンがあります。
その時の三隅さんの様子に、あ~この人は愛に飢えているんだ!愛を、誰か何かに与えたい!愛したいんだ!と強く感じました。
それは、心の琴線に響く、魂の叫びのようでした。
人を殺すことで解決するしかない…自分を殺すことでしか解決するしかない。
そんな生き方を選びたかったわけではないが、そうしか出来なかった人。
咲江さんの為には咲江さんは事実を裁判で供述することが、これからの彼女の人生の為に必要なことだったと思いました。
この映画はそのことも意識させる意図があって作られたんだろうか?
様々な理由の元に事実に蓋をする人々、そして私自身も様々な理由の元に事実に蓋をしてきた経験がある。
咲江さんに供述させて彼女を傷つけたくない、彼女を守りたい、そのためにしたことが三隅さんが選んだ愛なんだろう。
それが悲しい。
劇中で重盛の夢の中での雪原の美しさ、静けさ、そこに現れる人達の無邪気さ、安らぎとともに、劇中では出なかった誰かを殺す画が観終わった後心に問いかけてくる。
見ごたえ十分!
司法に疑問を持たざるを得ない。が現実として人が人を裁くことは難しく、現在もながれのなかで利害調整され、結論づけていく。
一度目の殺人で裁いた裁判官の息子にこそ、感じ取って欲しかったのかもしれない。三隅は自分が生き延びていることを良しとしなかったのだろう。ハガキはたまたまで摂津の紹介も偶然なのか?引き出されたものなのか?
何も考えてないような表情で、時折真相に近いと思われることを提示し、重盛を困惑させる。三隅は重盛に、二度目の殺人の真相をそれとはなく曖昧に理解させながらも、以前裁かれなかった自分に裁きを与えさせ、自分の大切な者を守るという働きを重盛に代行させていたように思われる。が、利害調整された不完全な死刑判決により三度目の殺人が行われ、一度目の殺人で死刑判決を下さなかった父の業を重盛が背負ったかのように、頬を拭う。
三隅と重盛が最後の接見でアクリルに反射して、顔が重なるのは二人が同じ気持ちになり、わかり会えたことを表しているのか。
真相はわからない、だが、それがいい!映画に演技に演出に、引き込まれてあっという間の時間でした。
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