三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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難しかった。
作者が伝えたかった思いと、私が受け取ったものの間に、とても大きな隔たりがあったように思います。
一度見ただけでは、ストンと理解できないのかな。
だけど、もう一度見てちゃんと理解したいとまでは、突き動かされませんでした。
私たちに何か問いかけている映画だということは、強く感じました。
その謎解きを味わうための映画だったように思います。
ただ、それがどんなものなのかを最後まで突き詰めたいと思える映画とは言えませんでした。
なぜなのだろうと、自分なりに考えたのですが、役所広司さん演じる、犯人の動機にあるのかなと思いました。
彼の動機が、我々も考えあぐねるような、ぐうの音も出ない理由だったら、まだ共感的に映画を見ることができたのですが、私には彼の動機が深いものだと感じられませんでした。
むしろ少し美談に仕上げているところは、反感さえ覚えたほどです。
キャスティングについては、お一人おひとりにコメントを書きたいほど、皆さんグレートでした。
「訴訟経済」 初めて聞く言葉でした。
ネックのような気がします。
重い、暗い、脳が疲れた。でも、
面白かった。
タイトルの「3度目」は、三隅自身の贖罪と捉えた。自己犠牲を払うことで咲江を守ったと咀嚼したが、本当に守れたのか否かは疑問符が付くところ。(この疑問符を付けられる処がこの作品が秀逸と感じる理由でもある)
ところで、法曹界はこの映画をどうみるのか?。真実の追求に対して裁判の成果主義の現実は「こんなもの」と同意するのだとしたら・・・。(恐ろしい‼︎。が、この作品を鑑賞したら、そんな気がしてならない。)
主役の二人は流石の出来。(特に役所広司は今年No.1の神演技‼︎)ラストのガラス越しのツーショットにはしびれた‼︎。カメラワーク&演出にも👏。
もう一つ驚いたのは、広瀬すず。こんな演技ができるとは‼️❣️。「すずちゃん」とか軽々しくもう言えない。。。久々に凄い目の演者に出会えた。
モヤモヤ、深いため息
是枝裕和はもう傑作しか撮れない
前作『海よりもまだ深く』を観た時に「是枝裕和はもう傑作しか撮れないのかもしれない」と思った。それが確信に変わった。でも同時に混乱もしている。真実はなんなのか?誰が誰を裁いたのか?一応の解釈はしてみるけどそれも「そうだったらいい話」なのかもしれない…全ては闇の中
撮影が凄い。ここまでシネスコの広い画角を意識させられた邦画は近年観たことがなかった。被写体を画面いっぱいに配置してみたり複数人をアップで捉えてみたり…視点をコントロールされている感覚というか快感があった。そういう意味でもこれは絶対映画館の大きいスクリーンで観るべき
脚本も流石。誰かの台詞や仕草がその後別の誰かの台詞や仕草に共鳴する。各人物の思い(真実か虚偽かは別として)が自然な言動で最早無意識的なレベルで伝わってくる。是枝裕和監督は本当に日本語を使うのが上手い。あと今回はいつもより「アレ」が少なかった
物語や描写は『凶悪』(謁見シーンの撮影は影響がモロ)『ゾディアック』で役所広司演じる三隅は『ノーカントリー』のシガーとか『ダークナイト』のジョーカーを想起したけどなぜか観た後の感覚は『ザ・マスター』に近かった。「掴みきれないけどなんか凄い」みたいな
何が真実か?ということよりも画で緊張感が持続していたと思う。俺は物語よりも画に夢中だった
言い過ぎかもしれんけどクロースアップはセルジオ・レオーネを想起した。『続・夕陽のガンマン』とか。言い過ぎかな?
基本的に福山雅治の視点で進行するけど多分4つのシーンだけ福山以外の視点になる感じは『タクシードライバー』っぽい。まず冒頭の殺人シーン。次に斉藤由貴と広瀬すずの会話シーン。そして広瀬すずが殺人現場にいるシーン(想像?)。最後に役所広司が鳥に餌をあげようとするシーン
謎を残す終わり方
人物の掘り下げが深く!さすがの是枝作品。
考えていくと…
私的主観
何にも解決をみない作品でした。後味が悪い・・・というかすっきりしない終わり方。
俺なりに考えてみたけど・・・一つだけなんとなくわかった、おそらくすべてにつながるかも知れないこと・・・「三度目の殺人」のこと。
二人は映画でわかってる・・・数が合わない。
でも・・・観ていて感じた。
・・・「自分」を最後に「殺した」んだって・・・。
あくまでも「私的」な感想です。
最後が…
犯人、弁護士、遺族、さまざまな視点からこの映画は描かれていて、何が真実なのかわからない。 そこが難解だが逆におもしろいとも感じる。
TOHOシネマズ伊丹で映画「三度目の殺人」を見た。
2017年製作/124分/G/日本
配給:東宝、ギャガ
劇場公開日:2017年9月9日
福山雅治
役所広司
広瀬すず
斉藤由貴
吉田鋼太郎
満島真之介
市川実日子
橋爪功
朝一番の上映回。
観客は女性が多い。
「今日はレディスデイやね」カミさんが言った。
福山雅治が目当ての女性が多いのかもしれない。
物語は三隅(役所広司)が夜の川原で誰かをスパナで殴り殺し、
死体に火を放つ場面からはじまった。
犯人は犯行を自供しており、裁判では犯人の死刑は免れないだろうという空気が大勢だった。
キャストは多くない。
弁護士を担当する重盛(福山雅治)は離婚調停中で家庭に問題を抱えていた。
一人娘(広瀬すず)は万引きで補導されるなどの非行を繰り返す。
広瀬すずはひょっとしたらはじめての汚れ役かもしれない。
いつもなら元気印の明るい少女を演じるはずの彼女は暗く影のある女子高生を演じる。
今話題の斉藤由貴が広瀬すずの母親役で出演している。
今月、映画「関ヶ原」で見たばかりの役所広司がこの映画でも存在感を放っている。
役所広司の上手さはもう職人芸だと感じる。
犯人、弁護士、遺族、さまざまな視点からこの映画は描かれていて、何が真実なのかわからない。
そこが難解だが逆におもしろいとも感じる。
上映時間は124分。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
浮き彫りになる心のことわり
愛と悲しみは、同一のものである。
悲しみの裏には必ず愛が隠されている。
人は悲しみを感じることが辛く耐え難いが故に、愛情を感じることも諦めてしまうものである。
人間の生き死には、何か人知を超えた無秩序なものによって
決められているのではないか。
それは司法制度であっても同様で、死刑でさえ
人が裁いた命のようで本当はそうではないのかもしれない
という根源的な疑念を持っていた弁護士は、
同じ理解を持つ罪人の中に、それでも愛や悲しみといった
人間の感情の理(ことわり)を見出そうとしてしまう。
結局、人が善悪を裁く時は、愛情の有無によっているものだから
罪人もまた、愛によって裁きを行っただけではないかと。
けれど、二人の影が重なりかけたところで
罪人は愛による理や裁きではなく、
それよりもっと大きな、善悪を超えた
神の気まぐれやゆらぎとでもいうようなものが現世に表出される時の
ただの器に過ぎないもの
感情の理の無い空っぽのものであるかのように振る舞い
影は重ならずに離れてゆく。
これでこの罪人の死もまた、真実によって裁かれたものではなくなった。
「悪いことをした罰だから」「本当は愛情からのことだったので罰を免れるべき」
というようなわかりやすい理屈を離れた、不条理な死。
攝津さんは経験から、この人のオーロラのように変わってゆく供述に
本能的に危険なものを感じ取ったのだろうなと笑
反対に、ぬかるみにはまってゆく福山さん。
犯人を、自分が感じていた絶望の理解者、共感者かと思っていたら
犯人自体がその絶望だった。
けれど、その絶望と対峙し、照らされることで、
逆に福山さんや広瀬すずや、その他登場人物の奥底にある、
愛情や悲しみといった感情の理が
次第にはっきりと浮き上がって見えてくる。
茫漠とした絶望の支配するゆらぎの中で。
是枝さんの作品は、見ているといつしか
登場人物の心だけを見つめているようなトランス状態に陥ってくる。
ここまで複雑な感情は、抽象的すぎてさすがに説明できないだろう
というようなところまで深く手を伸ばす。
理解されること、理解することを諦めていた領域まで。
なので、悲しい話であるのに、なぜか深く癒されて、幸福な気分になる。
役所さんの存在は恐ろしいけれど、福山さんがいるから救われるのである。
なかなか面白かったです!!
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