三度目の殺人のレビュー・感想・評価
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役所さんすげー
もっと難解な映画なのかと思いきや、すごくわかりやすく描かれ、しかも画や映像にもこだわり、時間を忘れさせてくれるエンターテーメント、さすがですね。
予算もそんなにかかってないようにみえましたし、是枝さんはプロ中のプロですね。
ぬかりない。
時に、福山さんと役所さんの留置所コントかなとさえ思わせるやりとり。
役所さんのすごさに最後まで振り回されました。
三隅はサイコパスなのか情に厚い人なのか、闇の中ですが、私は単純に情に厚い人だと思いました。スズちゃん演じる娘を幸せにしてやれなかった実の娘に置き換え、スズちゃんの幸せを思い、かばったのだと思います。
そんな風に観終わったあとも観た人に想像させる楽しみを与えてくれる。
山田くん、是枝さんに座布団一枚持ってって。
終始、監督の手の内で惑わされたままに・・
「三度目」ってだれを?と思いながら、いや、三人目?、それとも、え?、なに?・・・と惑わされてるうちに映画が終わる。
エンドロールが流れ出した瞬間に、やられた!と悔しくなる。まるで、監督にその答えを問い詰めているうちに、裏口から犯人に逃げられた刑事のような気分で。
深みにはまるように事件を洗い出していくうちに、経験していなかったことがあたかも自分の過去であったかのような錯覚に襲われだすと、見ているこっちも、ほんとの「犯人」が誰だかわからなくなっていく。
硝子越しの体面シーンで、三隅と重盛の映像が重なっていくとき、どちらが画面正面で、どちらがガラスに映ったものなのか、わからなくなっていく様は、まさにこちらを心理的に追い込んでいく手法としては抜群だと思えた。
解釈はそれぞれあり、それぞれが答えでもあろうし、それぞれが騙されいてもいよう。法廷で繰り広げられる駆け引きを前にすれば、真実なんてもうどうだって構わなくなってくる。しょせん、互いの利益を勝ち取るための戦術的な知恵比べでしかない。そこに、真実の存在は無意味なのだ。
人によっては不親切な映画だろう。僕もわからない部分が多々ある。だけど、それは批判ではない。幾通りにも解釈ができるがゆえに、数日たった時にふと、あ、もしかしてあれって!!と急に思いつくことがある「快感」もある。長い時間味わえる映画だと思う。
しかし、広瀬すずのポテンシャル、すごい。
余韻を残す…
殺害シーンから始まる。
撲殺し火をつけ…燃え上がる炎。
炎が犯人の顔を赤く映しだす。
犯人の三隅は前科があり次は死刑と言う状況の中弁護を引き受けた重盛は無期懲役に持っていくために奔走する。全ては依頼主を守る為。
裁判で勝つ為なら多少の嘘も方便とばかりにシナリオを描く様に司法とは何かと疑問を持った。
犯罪者の心情を理解する等無意味と考えていた重盛がいつしか三隅の闇に足を踏み入れていた。足の悪い被害者の娘と三隅の関係に興味を持ったのは重盛にも同年代の娘がいたからではないだろうか。
娘を思う父親という共通点で裁判は思わぬ方向へ進展する。
三隅は本当に空っぽの器だったのだろうか。
実の娘から死んで欲しいと言われ、生きてるだけで人を傷つける人間がいると言い、命の選別をする裁判官に憧れたと言う。
三度目の殺人とは三隅が自分自身を死刑にすることだったのではないか。
被害者の娘が裁判所で言った言葉。
「ここでは誰も本当の事を言わない」
裁判とは何だろう?
弁護士の仕事とは何だろう?
疑問が残るが、全ては三隅のシナリオ通りだったのかもしれない。
法廷と司法にモヤモヤさせられた映画でした
普通にサスペンスして普通に法廷ドラマする映画ではないと覚悟を持って見たのは見たのですが、それでも想像以上に重かった・・・そしてとてもモヤモヤさせられた映画でもありましたね。
客にモヤモヤしてもらう映画と監督さんもおっしゃられてはいましたが、確かに・・・。
現実の事件は、現実の司法は、テレビドラマの刑事物や法廷物のようにスッキリ解決するものではないと言うことを、まざまざと見せつけられましたよ、法廷は真実に辿り着く場所ではない、真実を求める場所でもない・・・そう言われてしまうと、我々は一体これからどうしたら良いのでしょうか。
そんな日本の司法制度の危うさに、とてもモヤモヤさせられた映画でした。
勿論、この映画が全て司法の現実と言うこともないのでしょうが、合理的にコトを進めようとするのその姿には、只ならぬ危機感を覚えました。
まあ冷静に考えれば、いくら司法の場とは言え、神ではなく全て人間が行うことですからね、タイムテーブル通りにスケジュールをこなす日本人の習性を考えれば、ありそうな話だ、結局仕事なんだよなぁ。
人が人を裁くことの難しさ・・・今回改めて考えさせられましたし、真実が分からないならば、私には人を裁くことなんて絶対無理だなと、そう痛感させられた次第です。
空っぽの器に、それぞれが都合のいいように人物や事象を当てはめて、判決が下される・・・それが裁判なんだ、それが司法なんだ、真実は結局どこに?
最後に三隅が重盛に言い放った言葉がとても印象的でした。
しかしまあとにかく重くて疲れる映画でしたが、一瞬も緩むところなくのめり込まされた映画でもありましたね。
役所広司、福山雅治、この二人の対峙シーン、特に接見のシーンは、物凄い緊張感、迫力あるシーンで食い入るように見てしまいました。
役所広司の名演に、福山雅治も引っ張られて、見事日本映画史に残る接見シーンが誕生しましたよね、それを引き出した是枝監督はさすがの一言。
最初は福山のステレオタイプのキャラにまたかとも思ったのですが、少しづつ変化していく三隅の姿に見る者も少しづつ彼と同じ気持ちになっていき、最後はモヤモヤさせられると・・・。
う~ん、参りました、役者の演技込みでホント素晴らしい題材と内容だったなと、素直にそう思いましたよ、凡人な私レベルでは好きな作品ですとは言えないですけど(苦笑)
福山雅治だけじゃなく、俳優のポテンシャルを引き出すと言う意味では、広瀬すずも是枝監督の手に掛かると能力全快で見る者を引き込みますね。
感情を抑えながらも、時折哀しみと憎しみがこもった表情を見せるあの演技、やっぱり凄い女優さんだなと、再認識、様々なジャンルの作品に出て時には批判されながらも、将来きっと日本を代表する存在になることでしょう。
そのお母さん役を演じた斉藤由貴も現実とリンクした役どころである意味さすがと思わされた演技でした(実際上手いんだよな~)
今回見終わってモヤモヤしたからいろいろとネットでネタバレレビューを読みましたが、いろんな解釈があるなと感心しっ放しでした、こう言う考える映画も時には必要かもしれませんね。
寝た
8割型寝てしまいました。エンディングも見逃すくらい睡魔に襲われて、こんなにツマラナイ映画は久しぶりでした。是枝監督作品という事で、まずまず期待して観に行ったのですが、まさかこんなに寝てしまうとは自分でも意外でした。色々な意味で不可解な映画でした。オススメしません。
すごかったなぁ
深く印象に残る映画でした。またしばらくしたら映画館で観たい。他の方も仰ってましたが、一秒も目を話せない緊張感のある映像です。登場人物が泣いたり叫んだりしないぶん、張り詰めた空気に捕われて身動きが取れなくなります。こういう重く悲しい雰囲気に浸っていたい、というのは変ですが、終わって欲しくなかった、いつまでも観ていたかった、そういう映画でした。
事実はどうだったんだろうかとか、何がいいたかったかとか、テーマはなんだろうかとか、そういう分析をしない方が「分かる」感じがします。この映画はこういう映画なんだ、と言ってしまった途端、それだけでは無い気がしてしまう。事実はきっとこうなんだろう、と考えた途端、それだけでは無い気がしてしまう。結局、何かよく分からないが重いものが伝わってきてしまった、とだけ言うしかない、と筆力のない僕は思います。
役者さん達はみなさん凄みがありましたねぇ。
. . . という訳で、何も言っていない感想です。「すごかったなぁ」という小並感と同じこと?
追記: 音楽が素晴らしかったことを言い忘れてました。この映画の雰囲気作りに大きく貢献していると思いました。劇中で何度も流れる主題曲だけ配信で販売されてます。映画の色々な場面が思い起こされ、浸れます。
追記2: あのあと、この映画を小説化した文庫本を読み、もう一度映画館で観ました。今度はもしかして退屈するかもと思ったら全然そんなことはなく、やはり画面・セリフ・表情・景色・音楽などなどに惹きつけられ、一秒の緩みもない緊密な映画だと改めて思いました。(つまり、次の展開が分からないから夢中で観てしまうというタイプの映画ではないということ。) 二度目なので、一度目で見逃していたり「理解」してなかったりしていた細部まで感じ取ることができました。(広瀬すずさんの刺すような眼差しが恐ろしかった。)
真実も事実も分からないので、並行世界が重なって見える目眩(めまい)のような気分です。むしろ人間の心とはそういう並行世界が詰め込まれたようなものなのかもと思いました。結局、安藤桃子さんの「所詮、我々は何も知らない生き物なのだ」(この映画の公式サイトから引用)というのが当たっていると思います。
3度目の殺人とは何か
3度目の殺人とは何か。
結局、ラストシーンまで3度目の殺人とは何だったのか、宙ぶらりんのまま答えは出ず、幕を閉じる。
その言葉は宙ぶらりんのまま、この映画を引っ張り、三隅と重盛の対峙も答えを出さずに終わる。
ラストで重盛が佇む十字路はキリスト教的な暗示、空に浮かぶ電線も十字を切り、重盛が三隅に投げ掛ける「貴方はただの器。。。?」という言葉からも、十字は反復してこの世界に神の存在を語り掛けるように見えるが、あれはもしかするとそのまま十字路を表しているのかもしれない。
人が人生の中で真実を見つめてはまり込む辻。
どちらに行けば正解なのか、どの道が果たして真実に辿り着くのか。
重盛は佇むのみ。
真実に辿り着く事はない。
それは真実を追い求めるから。
人生において真実というものは重要ではない。
行った先がその人の人生の真実になるから。
結果が真実である。
だが、重盛は佇む。
真実に辿り着くことが出来ないのだ。
三隅は真実を語らない。
或いはその時その時、彼が語った事は全て真実なのかもしれない。
だが真実は世の中に明らかにされる事はない。
全てが明らかにされる事なく、全ては宙ぶらりんのまま、裁判は終了する。
三隅は分かっているのだ。
真実が何か分からないままでも、世は全て調和的に動く。
人が真実から遠く居たとしても、世界はシステムの上で動いていくのだ。
或いはシステマティックに動く世界によって真実は決定し、真実は世界から遠く離れた場所で輝くのだ。
誰も太陽に触る事は無いが、太陽の光によって恩恵を受け、生きていく。
真実は触らずとも、その真実を自分の都合の良いように解釈して生きていくことが出来る。
その真実に触れたいと思う時、人は十字路に佇むことになる。
真実は十字路から遠く離れた、しかし十字路を隈なく照らす天上にのみあるのだから、触る事は出来ない。
手に取ることの出来ない場所にあるのだから、その全体像を見る事は出来ない。
人は神に近づく事は出来ない。
その存在を信じ、只管に信仰して生きていく。
だから生きていくことが出来る。
触ることが出来る存在であれば、理解し尽くすことが出来れば、人はそのために生きようとはしないかもしれない。
触った瞬間に焼け死んでしまうのかもしれない。
重盛は最早真実に辿り着く事は出来ず、また生きていく。
だが彼は最早前のようには生きて行けないかもしれない。
三隅の後ろに、事件の後ろに宙ぶらりんの芯となる真実が在ったが、見ようとしても見えない。
その見えない真実を見ようとする行為を覚えてしまったから。
彼の佇む真実の十字路の上には十字を切った電線が走り、そのまた上には神の居る天が広がる。
そこに真実が在るが、彼には見えない。
本当はそれを見なくても生きていく事は出来るし、ほとんどの人は見えなくても生きていける。
真実が「在る」ということさえ知っていれば生きていける。
だが真実そのものを見ようとすれば、人は佇む。立ち竦むことになる。
そして立ち竦み、じっと真実を見つめようとする人は、生きては行けない。
人生は真実とは関係なく進んでいくものだからである。
映画全体を通して、「第3の殺人」というタイトルがその宙ぶらりんの軸である。
映画の中で具体的に第3の殺人が描かれる事はない。
その言葉は人により解釈を変え、でもそのいずれも具体性を欠いてピントをぼやかしている。
うまく出来たタイトルである。
事実、この世界でピントの合った真実が存在する事は無い。
世は並べて宙ぶらりんである。
結局
結局、三度目の殺人者は彼だったのか、と思うのは勘違いだろうか。
雪の上で三人が寝そべるシーンで、彼だけが違うポーズ。
そして、三人の頭の上にある足跡の有無も布石だと思う。
切ない話です。
この「三度目」の考え方はどうでしょうか?
「三度目」の意味について、一緒に観た友人も大体の皆さんと同じ解釈で、それも私は納得しましたが、重複した意味があるのでは?と思いました
以下、私が終わってすぐ感じた感想です
すずちゃんが殺した(1度目)
彼女の殺したいという思いを器で受けた役所さんが追体験した(2度目)
役所さんにとりこまれてしまいかけた福山さんが追体験した(3度目)
福山さんが頬の血を拭う仕草をした時に、三人とも同じことをしていたのでそう感じました
すずちゃんと役所さんが、福山さんの追体験?の中、二人で川原に立ち血を拭っていたので、どちらが殺してどちらがシンクロしたのかわからない描写でもありました
そうすると辻褄を考えるわけですが、、
すずちゃん「あの人が言ってた通りだった、みんな本当のことを言わない」
→彼女も本当のことを言ってなかったのではないか?虐待の話をすることで、犯人になった役所さんの減刑に手を貸すことで、せめてもの償い
十字架の印
→誰がかいたの?
ただの直感だったので、この視点で考察してくれる方がいると嬉しいなと思います
とても期待して行った
監督のスタイルに馴染め無い人には
未消化な映画かもしれない
ストーリーは取り立て感動的とはならない
ので、一般受けはしない作品かもしれない
少し想像力も必要です
全て答えを見せますね!な映画好きは敬遠されそう
おもしろかったですよ、役所広司も福山雅治も
良かったと思う カメラワークも頑張ってたし
難を言えば、広瀬すずじゃない方がもっと際立った
かなぁ、その点だけ残念でした
ブラックホール
目撃者の無い事件を客観的に裁くことなどまず不可能に近い話なのだと今さらながら感じた。
役所広司の猟奇的な芝居は観てる方も恐さを感じるほど。その三隅を中心に広がっていくある意味破綻しているとも言える人間関係がストーリーをより複雑に、そして面白くしていたと思う。
嘘と真実、生と死。対極にあるようで、実は表裏一体で最も近くに存在しているようなものだからこそ、人を裁くのは困難を極めるのだろう。被告人が裁量の対象になるのは当たり前だが、この世界には社会的、法的にではなく、罪を犯している人がいるかもしれない…そのようなメタファーを強く感じた。裁くもの、ひと、理由、それらが暗闇の奥底にあるような印象を受ける作品だった。
寝てしまった
最初から全然引き込まれることなく、早くに寝入ってしまい、いけないいけないと思いつつも七割は寝てしまった。
つまらない映画はいつも寝てしまいますが、ここまで寝たのは何年ぶりか。
終盤起きてましたが、広瀬すずに何が起きてたかも分からないまま、死刑宣告され観賞前レビューでよく見かけた「器」発言! ちょっと笑えた。
これから皆さんのレビューでストーリー組み立て、頭の中整理させていただきます。
真相は誰にもわからない
真相は誰にもわからない!世の中本当はそうなんです。映画や物語には真相があるように作られているが、実際の世の中では、何が本当なのかなんて、自分でもわかりはしないのではないでしょうか!
そのわからない世界を白黒つけるのが裁判であり、その現実は実際この映画が表している通りなのでしょう。
考えさせられるいい映画でした。
他人の気持ちの「器」となること
まず、役所広司の北国の人の演技が素晴らしかった。三隅は、北国の人特有の紅く腫れた目と何を考えているのか分からない不気味さがありながらも、どこか賢者のような風貌を漂わせている。
言うまでもないが、本作は「カラマーゾフの兄弟」とキリストの贖罪を踏まえたストーリー展開をしている。三隅が本当に殺人を犯したかどうかは不明のままだが、殺害の実行行為を行っているかどうかはさておき、この人は他人の罪を引き受けることに全く抵抗がないようだ。おそらく、誰かの強い気持ちを心の器にそのまま流れ込ませることを容認し、相手と同化したまま行動してしまうのだろう。カラマーゾフで犯罪を行ったのがイワンなのかスメルジャコフなのかがはっきりとしないのは、この両者の意思が混然一体となり区別不能な状態となっているからだ。三隅にそうした能力があることは、福山演じる弁護士の考えをあたかも自らの考えとして表現するところからも読み取れる。
多くの人間は、人と対峙する際に当然ながら防禦壁を作り、自らの中に相手を必要以上に入り込ませないようにする。でも、三隅のように無防備に心の器を開く人もいるのかもしれない。それは、三隅が自分が失われる恐怖を信じられないくらい軽視しているからだ。だから、彼は、自分が死刑になることに対しても無関心な態度を取る。死刑と人の気持ちを量りにかけたとき、人の気持ちの方が重いと感じる人なのだと思う。
世の中には木嶋佳苗のように人の命をおそろしく軽く評価する人間がいる。とすれば、逆に自分の命を信じられないくらい軽く評価する人間もいるのかもしれない。自らの死をもって人の罪を引き受ける態度はキリストにも通じる面があると思った。
法廷で三隅が一転して無罪を主張した理由は謎だが、最後に三隅がアクリル板越しに福山と面会をした際に、小鳥を空に放つような手のしぐさをしたのは印象的だった。あれは、広瀬すず演じる女子高生を解き放つという意味だったのかなあと思った。
すごく色々と考えさせられるいい映画だった。
暗いです...
この映画の中で、真実は明示的には語られません。その意味では、すっきりしない映画です。ただ、真実はこうなんだろうな..というのは伝わっては来ますので、まったくわけがわからないということはないと思います。
しかし、この話で作り手が何を伝えたいのかはよくわかりませんでした。見終わった後も暗い気持ちになるので、何回も見たい映画ではないですね。
見終わったすぐにくる気持ち悪さ
真実はどこにある?が終始つきまとう話だと思います。
恐らくは食費偽造と理不尽な解雇、そして咲江の境遇と同情や共感から殺人に至ったのではないかと推測したけど、これすらも自分がそう思いたいだけなのかもしれない。
この答えの無さと、最終的に有耶無耶のまま法廷が終焉に至ることになったことに恐ろしさと気持ち悪さを感じました。
ただ、とても考えさせられるものがあり、いい作品だと思います。
それにしても三隅に底知れぬものを感じてぞっとしました(汗
連ドラで観てみたい
ストーリーもすごく良かったんですが、それ以上に出演者の俳優さんがとても良かったです。
主役の福山さんと役所さんはもちろんですが、その他の皆さんとの絡むシーンをもっともっと見たくなりました。
2時間強では物足りないというか、もったいないくらいの内容の濃い物語だったと思います。
是非、全10話程度の連ドラにして欲しいです。
福山さんと同僚の弁護士である吉田鋼太郎さん、満島真之介さんとの関係性ももっと掘り下げて欲しかったし、父親役の橋爪功さんとの親子の微妙な感じも、奥さんや娘さんといろいろ複雑そうな話も、まだまだ描けそうでした。
役所さんと絶縁状態にある娘さんとの話も、最初の殺人事件の詳細も知りたくなるし、どんな人生を歩んできてそんな人になってしまったとか。
斉藤由貴さんと広瀬すずさんの親子関係、被害者である社長との関係性、もっと動機も掘り下げてもいいかなと。
裁判長や検事たちのキャラも秀逸でした。
是枝監督も時間さえ許せば、もっと映像で表現したかっただろうなあと勝手に想像してます。
とにかく観る価値のある内容の濃い映画だと思います。
福山も僕らも…誰一人犯人には追いつけない群盲のまま。
この映画は法廷劇ではない。
接見室での犯人と弁護士の会話の積み重ねが重要であり、それを中心にひたすら淡々と犯人と弁護士、様々な人々が描かれてゆく。やがてそれらは徐々に凄味を増してゆき、やがて第三の殺人として犯人自身を殺すことで確かに何かが成就するのだが......。
役所広司演じる犯人三隅は、誰よりも優しく弱い。そして何よりも強い意思を持つ掴みどころのない人物だ。人の思いに感応して殺人を犯し、先回りをして言動を変えてゆく。彼は言わば現代に出現した妖怪サトリ的な人物なのかもしれない....ふとそんなことまでも思わせるような存在だ。そして人を殺すことには罪悪を持たないソシオパスでもあると確信している。
ラスト、結審後に接見し三隅の真意を掴もうとする重盛。ここで会話する二人の顔を仕切りガラスで重ねる手法が圧巻なのである。犯人と重なりそうで重ならない顔。これほど犯人の真意に届きそうで届かないことを巧みに表した演出はないないだろう。
そして僕らは福山演じる弁護士重盛とともに犯人の真意に手が届きそうになる刹那---「あなたは入れ物?」「何ですか?入れ物って」....ここで重なりかけた二人の顔は完全に離れてしまう。そう、犯人はすべてを突き放して物語は終わる。劇中で「群盲象を評す」の故事が語られるが、まさに我々は群盲のまま、犯人を掴めないままにこの物語は終わるのだ。これはすごいラストだと思う。
決して興行的には大成功にはならないだろうが、こんな映画が生まれるのだから日本映画もまだまだ捨てたものではないと思わせる作品である。
----以下雑感(笑)
市川実日子は、どうにもシン・ゴジラのリケジョのイメージが強く、見るたびどうにも蒲田君が浮かんでしまったw
斉藤由貴は、娘の凶悪な厄災に目をつむり、夫の事業の不正を隠ぺいしながら諾諾と生きるの女という役回りが、いまの不倫騒動と相まって非常に感慨深い。
深いです
映画の内容も深く考えさせられますが、役所さんの役者としての深さをまざまざと見せつけられました。対する福山さんの、浅さ、其れが地なのか、演技なのか分かりませんが、私には、本人の浅さが透けて見え、それが、彼を第2の主人公にした訳なのかなと思いました。
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