「放屁で人生の荒波を乗り越えることが出来るか!?おっさんが本作を見て思い出したのはあの傑作だった!」スイス・アーミー・マン しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
放屁で人生の荒波を乗り越えることが出来るか!?おっさんが本作を見て思い出したのはあの傑作だった!
ダニエル・ラドクリフが死体役、ポール・ダノ演じる青年がその死体を使って無人島から脱出を試みる様を描いた異色のサバイバル劇(映画コム解説引用)
主人公ハンクは無人島で絶望し、首をつろうとしたら、どざえもんが海辺に。その死体の放屁でジェットスキーさながら、無人島を脱出する。
そう、開始数分で、本作の主人公は「妄想含む」現実逃避の若者であることが分かる。
これを言っちゃなんだけど、その時点で、ハンクは「すでに死んでいる」可能性だってあるが、まあ、それはよしとこう。
「スイス・アーミー・マン」
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一生懸命ひげを伸ばし、あれほどプリ夫兄さんのフォロワーと化していたのに、ショボイ役しか来ない、できないダニエル・ラドクリフも役者人生に行き詰まっての、死体役、というのが現実とリンクしてハマっているというのもなんだか泣けてくる。
放屁しながら、カッコよく海に帰っていく。君はそれでいいのか。ここまでくると自虐行為が清々しい。
だが、ここはやはりポール・ダノだのだろう。
現実とも妄想ともおぼつかない、いや間違いなく妄想なんだけど、そのふるまいが第三者にも影響を及ぼす。妄想と対峙して自分を振り返り、そしてちょっとだけ成長する。
そう、これはポール・ダノのあの傑作「ルビー・スパークス」と対になる作品なのだ。本作のエンドロールのスペシャル・サンクスにその脚本家であるゾーイ・カザンの名前もあることからも、多少なりとも影響があったようだ。
ただし、大きな違いがある。
あちらは妄想能力の限界を感じ、人間的に成長することで新しい一歩を踏み出せる、という成長ものだったが、本作は徹底して妄想のなかで「鏡である死体」と対峙し、そのうち自分を客観視することでちょっとだけ前向きになれるというものだ。
つまり、他人あって、初めて人は成長するという「ルビー・スパークス」に対し、本作はひたすら自分で完結している。
「ルビー・スパークス」の脚本家ゾーイ・カザンは女性だ。今はどうか知らないが、当時のダノの彼女である。(映画コムによると進行中。)
対する本作の脚本は監督兼のモテなさそうな男性二人。
だから、主人公たちがワイワイしていた場所は、ハナから無人島ではなく、実はストーカーまがいの行為で、相手の近所の海岸で勝手に途方に暮れようとも、勝手に盛り上がろうとも許されるわけだ。
「妄想するのはキモイからやめなさい」、というのと、「徹底して妄想しなさい。放屁するぐらい、なんてことないじゃないか」
たったそれだけの違いだが、カミさんの前以外では、放屁はしたくないのが、今のオレである。
追記
「スイス・アーミー・マン」のタイトル。
序盤のオープニング・タイトルの出る場面は、死者を使って(死んだ気になって)、放屁という恥ずかしい行為でも構わないので突き進む「カッコイイ」シーン。
それをカッコイイと思った人はぜひ「ルビー・スパークス」を見て思い直してほしい。
劇中のラドクリフの万能は、死んだ気になれば、「なんでも」できる、というのがアーミーナイフとひっかけているのだろう。