「命が選別されている事実を知る」ギフト 僕がきみに残せるもの 曽羅密さんの映画レビュー(感想・評価)
命が選別されている事実を知る
当初この映画を観る気はなかったが、たまたま観る時間の余裕があり、ドキュメンタリー映画ということもあり観ることにした。
けっこう泣いた。
まず観始めてすぐに感じたのが、これから生まれてくる子どもに残すために父親となるグリーソンがビデオを回し始め、それが膨大な量となったものを編集しているせいか、ドキュメンタリー映画が時折持つ狙ったいやらしさが全くないことだ。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病に犯された有名人といえばホーキング博士が思いつくし、実際に本作の冒頭にも代表する有名人として登場する。
グリーソンが父のマイクと信仰において涙ながらに対立するところなど思わず泣いてしまうシーンがいくつもある。
彼ら家族の直面する苦難や葛藤を思うとさぞかし辛いだろうと感じた。
ただ同時に映画を観進めていくうちにいずれは呼吸できなくなり間違いなく死を迎える病気であるなら本作の結末はどうなるのか考え出した。
グリーソンが死ぬことで終わるのか?
答えはほどなくしてわかった。人工呼吸器で彼は延命し、現在も元気であるという。
彼はALS患者のためのNGOを立ち上げて患者たちのシンボルのような存在となり、社会的な活動もし、「スティーヴ・グリーソン法」というALS治療のための法律を可決させる原動力にもなっている。
ALSの世界で必要な人材であるし、彼が生きられることは家族にとっても喜ばしいことである。
しかし、筆者はなぜか釈然としないものを感じてしまった。
人工呼吸器の導入と維持は相当高額であり24時間介護も必要であるため、95%の人間があきらめるという事実を知る。
国民皆保険がなく医療費が高額なアメリカではそうなってしまうということらしい。
日本でも患者の3割ほどが人工呼吸器を付けて生活し、長ければ30年ほど生きられるようだ。
ただそれでも7割はあきらめている。
では東南アジアでは?アフリカでは?
高度な医療サービスを受けられる先進国に生まれているか、周囲に介護してくれる人間がいるか、そして最終的にはそれら全てをクリアできるくらいお金を持っているかが重要になっている。
助かる命は確実に選別されている。
その事実を突きつけられた瞬間筆者はもはや泣けなくなってしまった。
それほど重い事実だ。
このような難病を扱ったドキュメンタリー映画でも結局は持つ者と持たざる者という社会の縮図を見せられることに戦慄を覚えた。
我々健常者は本作を観ても極論してしまえば他人事としてその場限りで感動しておしまいだが、同じALS患者やその家族はこの映画をどのように観るのだろうか?
グリーソン一家のポジティブな面には希望を見い出しはするだろう。しかし同時に金銭的な問題も突き付けられる。
特に今はまだ動けるALS患者やその周囲に本作はどのように映るのだろうか?
ALSもいずれは原因が解明されて遺伝子治療などが発達して根絶される病になるかもしれない。
ただそれもまずは先進国から進んでいくだろうから発展途上国は後回しだろう。
本作は、健常者で大病を抱えていない筆者であっても医療制度の整った先進国に生まれたことを感謝せずにはいられない映画であった。
余談になるが、後ほど調べてみたところホーキング博士は奇跡的に進行が急激に緩やかになったために75歳の今も元気でいるようだ。
なお本作は文部科学省特別選定作品に指定されているが、一般悲劇映画に分類されている。
お役所はなんともセンスがない。