怪物はささやくのレビュー・感想・評価
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物語(ファンタジー)は、真実
見る前は『パンズ・ラビリンス』のようなダーク・ファンタジーと思っていたが、確かにダークな雰囲気ではあるが、ちょっと違う感じがした。かと言って、夢見るような純度100%のファンタジーでもない。
子供にも大人にもほろ苦く、その後でほんのり甘みが包み込む、ビターでスウィートなファンタジー。
ファンタジーはヒューマン・ドラマ以上に教訓や下地になるものがなければならない。それが無いと、ファンタジーはただの偽物になってしまうからだ。
その点、本作は非常に巧い。
ある孤独な少年が居る。
両親は離婚し、母親は難病。
厳格な祖母とは気が合わない。
学校ではいじめられ…。
少年が抱える不安、悲しみ、苛立ち、怒り…。
突然少年の前に現れた木の怪物が語る3つの物語が、それとなく少年のその時の心情を反映させている。
ある王子の物語、ある調合師の物語、ある透明人間の物語…。
それはいずれも、不条理で矛盾してる物語ばかり。
単純に割り切れない人の善悪。世の中、綺麗事ばかりじゃない。
少年が今、突き付けられている現実世界そのものだ。
怪物は3つの物語を話した後、最後の4つ目の物語は少年が話せと迫る。
それは、少年が抱えている“真実”を吐き出させる事。
少年はその“真実”を認めたくない。
が、認めなくてはいけないのだ。
その“真実”は辛い。
“真実”から目を背け、“嘘”にばかり耽っている方がもっと辛い。
私も数年前にあった。
何処かで“嘘”を望んでいた。何か奇跡が起こって助かるんじゃないかと…。
でも、“真実”がもう目の前に迫っていたのも分かっていた。母親の死という…。
少年の前に現れる怪物は、少年の空想なのは明白。が、現実なのか空想なのか、時々境が曖昧な描かれ方が面白い。
怪物が話す物語は、水彩画のようなアニメーション。その幻想的な表現。
少年役ルイス・マクドゥーガルが素晴らしい。ピーターパンが成長していた。
母親役フェリシティ・ジョーンスは勿論、最近スペシャルゲスト的な役が続いたシガニー・ウィーヴァーも祖母役で印象的な演技を見せる。
モーション・キャプチャーで怪物を演じたリーアム・ニーソンはさすがの存在感。
ファンタジーではあるが、少年の繊細な苦悩や葛藤のドラマ、家族のドラマとしても上質。
『インポッシブル』や本作など、J・A・バヨナはドラマとVFXの巧みな併せに長け、今夏の某恐竜映画の続編でもどんな手腕を奮うか楽しみだ。
最後、少年は母親が描いたある本を開く。
そこには…。
物語(ファンタジー)は、真実。
心の葛藤
81席シアターを独占鑑賞。少年の心の葛藤がよく伝わってきた。振り返ると大人と子供の狭間である少年時代には相反する思いが確かにある。最後のシーンは思わず前のめりになり夢中になった。4つの物語の構成もよく、ファンタジー的な要素にも満足です。
2017-132
幻想的
巨人のお話シーンなどきれいで、幻想的なシーンがステキでした。少年も繊細ないい演技でした。お母さんのフェリシアもさすがの芸達者。なにより、巨人役のリーアム・ニーソンの渋くて、優しい声の演技は吹き替えでは表現できなさそう。
ネットで視聴(英語字幕) 怪物のデザインが、Pan's Labyr...
ネットで視聴(英語字幕)
怪物のデザインが、Pan's Labyrinth(パンズ・ラビリンス)に似ていたので観てみた。
この映画の美術担当はエウヘニオ・カバレロという人で、やはり同じ人らしい。
展開と結論はよくありがちなものだが、シナリオがよくできていて、最後まで飽きずに見ることができた。
怪物は語る
「怪物が語りかけます」「つらい、つらすぎる」
リーアム・ニーソンのイケボな怪物は、ささやくというよりも語りかけてきました。
『パンズ・ラビリンス』の製作陣、そして予告編を観るに、どんな作品か、どんな展開が待ち受けているかというのは明白ですが、やっぱり号泣してしまいました
『パンズ~』は正直なところ、主人公の少女と同世代の子が観て楽しめる作品ではなかったと思いますが…
むしろ魅せたらトラウマになってしまうんじゃないかという心配がありましたが、
本作はまさに主人公の男の子と同じくらいの歳の子が観ても、それ以上のどんな世代の方が観ても意味のある作品であると思います
父親の不在、同級生からのいじめ、いけ好かないおばあちゃん、そして大切なママと、
いろいろな悩みを抱えて生きるにはまだ幼くも感じられる男の子の前に突如現れた、癒しの力を持つ樹の怪物
彼の語る物語は、そのままの表現になってしまいますが、スケッチブックに描いた水彩画のような美しさでした
そして隠された真意がミステリアスでもあり、子どもの成長のカギでもあり、悲しくもあり…。
子どもというのは大人が思うよりもずっと繊細なんだな、と。
ウソだってつけるし、小さな胸にたくさんの気持ちを秘めているんだなぁ、と思わされますね
事あるごとに口にされる「罰」という言葉の重み。
あぁ、切ない。つらいよ。思い出すだけで胸が痛い。
あんな子どもが…あんな気持ちを抱えていただなんて
公開館が少ないことが本当に残念でなりません。
ビジュアル面や切ないストーリーだけでも女性客は呼べそうですし、リーアム・ニーソン…はまぁ声だけなんですけど、
『ローグ・ワン』とはまったく異なる「母親」という顔を見せたフェリシティ・ジョーンズも、
こういうおばあちゃんいる!なシガニー・ウィーバーの気難しさも、ザ・少年といったいで立ちのルイス・マクドゥーガルの透明感も一見の価値ありです
あ、あれ?拍子抜け。ダークファンタジーって言うから観てみたけど、ご...
あ、あれ?拍子抜け。ダークファンタジーって言うから観てみたけど、ごく普通のヒューマンものだった。退屈はしなかったけど興奮もせず…。
初めからヒューマンものと思って観てたら面白かったんだけど、まあ、残念。
おとなになっても
「おとな」といわれる年齢となっても、葛藤や矛盾を感じながら生きている。でもコナーの年頃に感じた、どうしようもない不安や怒り、やるせなさは随分少なくなった。これを「おとな」と言うのだろうか?
受け入れることの大切さと同じく、真実とは、信念とは、そして善とは、悪とは、を考えさせられ、そして思いは行動の意味によって伝わっていくことをあらためて感じさせられた。
12時7分
12時7分に怪物はやってくる。
彼を振り返り見るクラスメイト。
キングコングの古いフィルムを見せるママ。
どうにもならないやり場のない怒りと破壊。
矛盾を抱えた相反する思いを表出する事によって
ママのかつての物語は少年と少年の記憶と共に生きていく。
自己の相反する感情、「行かないで、でも、、、終わって欲しい」を認める事の辛さ。
声
病気の母といじめられっ子の母子家庭で12:07になると少年のもとに現れる物語を語る怪物とのやりとりを通じ、成長すると共に心を開いて行く少年の話。
かなりファンタジー色が濃いつくりだけど大人でもみられる内容にはなっている。
怪物が何なのか、どういうことなのかが割と早めに解る為、ちょっと淡白ではあるけれど最後は少し胸が熱くなった。
真実を語れ。
自分の心に溜まったストレスをすぐ吐き出す人はいるが、やたら
迷惑極まりない人間が周囲に多いせいか、溜め込んでいる人達は
大丈夫なんだろうかと心配する。ある程度の我慢が美徳だろうと
13歳の少年に吐き出せる場がないのは辛い。重病の母親は優しく
て言えない、そりの合わない祖母になどもちろん、離れて暮らす
父親は息子の気持ちにも気付かない、もう八方塞がりじゃないの。
そこへ巨木の怪物が登場。彼が話す3つの物語はシュールで説得力
のある話ばかり、最後にお前が真実を話せと怪物は少年に迫るが…
全編を通して重苦しいイメージが強く、気持ちを解放する必要性
を強く感じる。意地悪にみえた祖母の孫への思い遣りには泣けた。
重い鉛に繋がれた少年の心が、解き放たれる感動。
原作はヤング・アダルト向けの小説だというけれど、描かれている内容は大人の鑑賞に堪えうるどころか、完全に哀しみや失望を知った大人のためのフェアリー・テールという感じで実に深遠。映画を見終えた後で思わず原作本を買いに書店に入りました。
主人公のコナー少年は、13歳の小さな身体の中に、本来は抱えなくてもよい筈の罪の意識を封じ込めて、まるで罰せられることを待ち侘びているかのように日々を送っている。クラスメイトからの酷いいじめに耐えているのも、自分は罰せられて然るべきだと考えているから、という風に見える。そしてそんな罪の意識や悲しみや失意が、その小さな体では閉じ込めきれなくなって、こころが完全に押しつぶされかけている時に、巨大のイチイの木の怪物が、二面性のある矛盾を抱えた物語を話して聞かせるというストーリー。怪物の話す物語は善と悪や正と否とが反転したような結末を迎える。それが、重たい鉛に繋がれたような少年のこころや、矛盾だらけで説明のつかない感情に徐々に共鳴していく様子がとても情感的で実にドラマティック。主演のルイス・マクドゥーガルはまだまだ10代前半の少年なのに、悲しみと失意を少ないセリフであんなにも表現できてしまうなんて本当に凄い。
映画は悲しい結末を迎えるが、だから涙が出るわけではない。寧ろ、罪の意識や失望に縛られて身動きが取れなくなっていた少年のこころが、ようやく解き放たれて自由になるのを感じて、その解放感に思わず涙が溢れた。同時に感じる、母の深い愛にも。
原作小説を読んで改めて驚いたのは、映画の脚本は原作の小説をとても短く刈り込んでいながらも、映画の中で語り足りていない部分がなかったことだ。映画を観ていると、劇中には描かれていない原作の要素まで、きちんとこちらに伝わっていた。原作者が映画脚本を担当した強みと、映像と演技によって言葉など使わずとも伝えられる演出力を感じる体験だった。
とても静謐で深刻な内容の映画なので、見る人を選んでしまうかもしれないが、水彩画や水墨画を思わせるアニメーション映像の美しさや、役者陣の素晴らしい演技、そして神話のように含みのある物語は見る価値があると思う。
エンドロールで、インストゥルメンタルが2曲流れた後で歌ありの曲が最後に流れるが、その曲がまた、まるで心に羽をつけてまさに飛び立とうとする少年の心そのものを謳ったかのように雄大かつ清々しい佳曲なので、是非エンドロール最後の曲まで聴いてから席を立つことを薦めたい。
不思議と泣かされる
大きな感動や悲しみは感じなかったけれど、不思議と泣かされた。見事な絵と音で、内面や対峙する感情などが素直に伝わってきたからかもしれない。
寓話的に差し込まれるアニメーションの展開や質感に好感を持てたので、実写部分との対比においても非常に効果的に感じた。
ファンタジーというかたちをとっているものの、内容は完全にヒューマンドラマだったので、それがむしろ良かったと思ったけれど、それが気に入らないという人もいるような気がした。
映画そのものは寓話的で、内容をしっかりと受け止めること前提にすると、年齢が若い人ほどに教訓に成得るのでは。
個人的にはフェリシティ・ジョーンズの演技の素晴らしさ、最後の最後の終わり方とエンドーロールの長さと歌つき音楽の酷さ、その辺が気になった。ただ、それら要素は映画にそれほど影響しているとは思えないし、瑣末なことを無視できるほどに楽しめるような映画だと思う。
少年の心が解き放たれる時
偏見だけでは見えない物事もある。
他人の事は散々言うくせに、自分の事は御構い無し。
時には向かい合わなければならない。
真っ正面から色々な事に。
大人の階段を昇る。そんな少年の物語さ。
この歳での主人公の境遇は可哀相には思う。
そんな物語に最初「怪物などのファンタジー要素を取り入れてどうすんのよ?」とは思ったものの、原作は児童書と知って納得。
最期のシーン観て納得。
元の児童書の挿絵も子供向けでもないらしく、驚きだw
映像表現的に挿絵方式が取り入れられ、絵本的良い味わいがある。美術好きなら気に入ります。
ただ納得いかないのが、主人公が聞く気もないのに怪物のお話が始まり、始まってからは素直に聞いてる所。
また、「いつも見てんじゃねぇ!」と言いながら、前の席で主人公を後ろ向きながら睨みつけてるいじめっ子。席が逆なら分かりますがね。
話は変わりますが、(私の夢の中の話ですが)幼い頃よく怪物が出てきて追いかけられた夢を観てました。
ある時パッと無くなりましたが、あれは何だったんでしょうね。自分の弱さだったのかしら?
ポスターは児童書だと言う事を前面に出してもらいたかったですね(左側空いてるんだし、下に小さく書かれても)。
このポスターだと興味がそそりません。
英国ファンタジーとスペインの光と闇の文化の融合
J・A・バヨナ監督の初期作、『永遠の子どもたち』が好きなので観に行きました。
原作の予備知識がなかったので舞台がイギリス(湖水地方?)ということを知らずに見ていました。
病気(癌?)を患った母親と二人で暮らすコナー。
母親の死期が近いことを悟りながらも気丈に生きようと必死でもがく中、近所の教会が建つ丘の上の木が怪物と化して彼に3つの話をする。
国を支配する地位を得るために、愛した人を殺した王子。
自分を陥れたのにもかかわらず娘の命を救うことを懇願した牧師の願いを退けた調剤師。
透明人間になった男。
そして怪物から第四の物語を話すことを強要される。
個人的には第二の物語の信念を貫くという、テーマがとても印象に残った。
怪物の物語とコナーの現実がリンクするように物語は展開され、最終的に彼の口から語られた第四の物語は彼の母親に対する今の実直な思いだった。
「本当はお母さんの死で早く楽になりたかった。」
親の介護を担っていた人から出てくるならまだ分かるが、こんな小さな子供からこんなセリフが出てしまうような状況を思うと、とても胸が痛んだ。
父が認知症の祖母の介護から解放された時も、不謹慎ながらきっとほっとしたことだろう。
途中、怪物とお母さんとの接点が描かれていて、もしやこの怪物や物語を想像したのはお母さん?みたいな描かれ方をしていたのも、にくい演出だった。
舞台がイギリスというのは物語が進んでいくうちに判明したけど、原作がイギリスの児童文学ということは後でパンフレットを読んでわかった。
人の心の闇に問いかける演出は本当にうまかったし、またその背景にあるファンタジーの要素もちゃんと出されていて、まさに英国ファンタジーとスペインの光と闇の文化の融合だと思った。
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